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現実とフィクションを混同するな!

スターウォーズ・シリーズ(『キャシアン・アンドー』)を観て感じるのは、日本で放映できるのか?、というシーンだ。もちろん放映されているから私は観ているわけだが、地上波TVではNGになるのでないか。

善玉がテロをするところが典型だ。日本では、暴力はつねに悪で、反撃だけが許される。スターウォーズでは、圧政が反乱の理由になるのだ。

暴君放伐論は『孟子』にもあるが、日本の思想では共産主義より左に例外的に存在するだけだった。易姓革命がないことを古来、誇りとする意識があった。

圧政を戦争事由とするのは独立宣言の国では正当なのだろう。反乱側が先に手を出すのも許されよう。次の選挙までは我慢するが、選挙結果に不満があれば、一夜にして事態は緊迫化し、南北戦争のようになる。

反乱どころか市民的不服従にも日本は厳しい。空気読め、という規範がある。それでも、グローバリゼーションの影響でいろいろなコンテンツが入ってくる。何が受け入れ可能で、何が不可能かは、タブーなく議論されるべきだ。政治学の重要トピックであることはもちろんだが、社会を動かす人々も本音で議論に参加することが必要だ。

記憶力逓減の法則

オーディオブックで福山隆氏の『兵站 重要なのに軽んじられる宿命』を聴いていたら、ボールディングの「戦力逓減の法則」という言葉が耳に入った。どこかで読んだことがあるぞ、と思いだそうとした。パワー論といえば高柳先男の『パワー・ポリティクス』だ、と気がついて、記述を確認した。「力の喪失勾配」という概念が使われていた。

そういえば、ケネス・ボールディング『紛争の一般理論』自体も読んでいたなあ、と記憶がよみがえった。本棚を漁ったら見つかった。「強度逓減の法則」や「強度喪失勾配」が論じられていた。

20年以上まえの記憶の数珠をたぐりよせるのに時間がかかった。老いたのだろう。せっかく思い出したので「グローバルガバナンスの教科書」に加筆したい。

人類にはふたつの道がある

ウクライナ、中東、日中、と戦雲近し、といった雰囲気だ。マクナマラ国防長官のThe Fog of WarのDVDを授業のために見直した。キューバ危機が第三次世界大戦にならなかったのは、”Luck”つまり運がよかっただけという。

人類にはふたつの道がある。ひとつは核戦争で、もうひとつは核廃絶だ。核共存のまま時間がすぎるというのは甘い。それは”Luck”にすぎない。

“Luck”が百年も続けばいいじゃないか、と言われるかもしれない。百年後には核兵器は棍棒、つまり陳腐な武器、になっている。とっくに廃絶されているだろう。

核兵器の廃絶はいつか? 私はふたつの可能性があると思う。ひとつは強力で使いやすい新兵器が登場した時。もうひとつは国民国家が陳腐になり、核管理の方法が見つかった時だ。後者はAIによるシンギュラリティと同じタイミングだろう。空間認知、物理世界のコントロール、そして知能の分権化が国家を丸裸にするだろう。

楽観的なわけでない。核戦争の確率も高いからた。

安全保障の基本は読書

ずいぶんまえに買った古本

独ソ不可侵条約秘密議定書、バルーク案、コンゴ紛争などの回想が面白かった。

1,600円で売られていた。

いや、問題はそこではなく、

内閣安全保障室の備品だったらしいことだ。

誰かが盗んで古本屋で売って、私が買った? やばそうな話だが、私は善意の第三者;-)

転売の経緯はそうではなさそうだ。

Wikipedia

  • 1986年(昭和61年)7月1日 – 内閣官房組織令と総理府本府組織令の一部改正により、内閣官房の内部組織として「内閣安全保障室」が、内閣総理大臣官房の内部組織として「内閣総理大臣官房安全保障室」がそれぞれ設置される。
  • 1998年(平成10年)4月1日 – 内閣法の一部改正により、内閣官房に内閣危機管理監が新設される。
  • 1998年(平成10年)4月9日 – 内閣危機管理監の設置に合わせて内閣官房組織令と総理府本府組織令が一部改正され、両室はそれぞれ「内閣安全保障・危機管理室」、「安全保障・危機管理室」と改称される。併せて前者に危機管理総括審議官(定数1人)が新設される。
  • 2001年(平成13年)1月6日 – 中央省庁再編により両室は前日限りで廃止され、新設された内閣官房副長官補3人のうちの1人が、長官・副長官の指揮の下で安全保障・危機管理担当として事務を執る(国防以外の危機管理に関する部分については内閣危機管理監の指揮も受ける)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E5%AE%89%E5%85%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E5%AE%A4

「内閣安全保障室」の名称で存在したのは12年間、室として存在したのは15年間。室の廃止に伴って、蔵書も廃棄されたのでなかろうか。

なにはともあれ、安全保障政策の立案者が外国の事情を知ろうとすることには賛成だ。

遠い、遠い昔の話

Disney+に加入して、スターウォーズ・シリーズを時系列順に観ている。観ている、というよりか、流しっぱなしにして筋を追っている、というのが正確な表現だ。

日曜日に新三部作と旧三部作とのあいだの時期を描いた『オビ=ワン・ケノービ』を観た。やっぱりチャンバラはいい! ファンは保守的なので、正統派を好むだろう。

ユアン・マクレガーの面もいい! レイア姫を連れて旅する彼の姿に『子連れ狼』を重ねてしまった。もちろん柳生烈堂役はダースベイダーだ。いつまでも、ブルン、ブルン、殺陣をやっていてほしい!

ふだんはベイダー卿のように鉄面皮な私も、拝一刀……、いやケノービの一途さに不覚にも泣けた。

『映像の世紀』はチープだ

NHKはお金を持っているので映像素材は豊か。でも、演出はドラマタイズ一筋。

人物、または擬人化された国家が主人公で、悲壮・逆説・運命をテーマに大げさなバックミュージックに乗せて物語にする。

個人、国家、そして人類が健全に発展していくための知恵はまったくない。激動や翻弄のなかで、人間の主体性は成功しない。

これはあくまでエンターテイメント。むかしあった「名曲アルバム」と同じ。プチブルの教養主義ーー教科書の偉人と名曲。そのプチブルはもういない……

Weフィーリング

今週、エスニック紛争の授業でカール・ドイチュの理論を紹介する。国民統合のためには言語コミュニケーションが不可欠だ、という趣旨だ。

日本語を使う共同体は日本にしか存在しないので、日本という国民国家は日本のなかにしか成立しない。

しかし、ドイチュは別の本で、国民を超えた安全保障共同体が成立しうる、と論じた。そのためには人々のWeフィーリングが必要だ、と言う。実際、現在のヨーロッパはこの感覚にもとづいて国際統合が進んでいる。戦前のクーデンホーフカレルギーがパンヨーロッパの旗をふっていたころ、ヨーロッパ統合論には胡散臭いものがあった。ソ連を敵視する反共主義だ。現在のEUはそれを人権や民主主義と言い換えている。

日本はどうか? アジア主義はGHQによって弾圧された。八紘一宇につながる日本人を支配民族とするアジア主義だったからだ。

少子化にあえぐ日本は行き詰っている。アジア主義が活路だとすれば、Weフィーリングを柱としなければならない。

変な機能はいらない

軍事情報は必ずしも公表されないから、最新兵器については、私もよくわからないまま話してしまう。

近年、詳細はわからないが幽霊のように語られているのがロシアの極超音速滑空兵器だ。ウィキペディアやニュースを読み比べて何とか実像をつかもうとしているのだが、確証がない。こういうときはAIだ。bingのCopilotに尋ねて答え合わせをした。

Copilot

要点まとめ:
アバンガルドはICBMに搭載される戦略兵器級の極超音速滑空体、キンジャールは戦闘機や爆撃機から発射される空中発射型弾道ミサイルです。両者とも極超音速兵器ですが、用途・発射方式・速度・戦略的役割が大きく異なります。

ふむふむ、となんとなく納得する。注意しなければならないのは、アバンガルドはペイロードであって、ミサイルそのものでない。また、キンジャールは弾道ミサイルという。アバンガルドは、ICBMが描く軌道の最終局面だけが、分離したペイロードの滑空によって弾道を描かない。

キンジャールは空中発射型弾道ミサイル(ALBM)だが、この機種そのものがなじみがない。発射台が地上に固定されているわけでなく、空中で点火するので、推進力は小さいだろう。それゆえスピードは出ないが、射程が短いので敵方に迎撃の余裕がないことは変わらない。対策としては、発射する爆撃機の撃墜が有効だ。

違いはとりあえずわかった感じだが、だからどうだというのだ? 野球のピッチャーだって、得体のしれない変化球一つでは実力が上がるものでない。

勝てば官軍

国際政治学の授業でDVD『オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史』を使った。ストーンは批判的な人で、原爆投下不要論に立つから、投下必要論からの批判はあるだろう。史的事実の真偽という観点からは私はこのDVDを使うことに問題はないと考えた。要不要の論争にたいしては、本土上陸に伴う米軍の損害は過小評価してはならない一方で、原爆の日本国民への士気低下効果も加味しなければならない。私は、降伏条件は緩和できただろう、という意味で留保付きの不要論者だ。

DVDでは投下反対を説くレオ・シラードを排除して、トルーマン大統領とバーンズ国務長官が強硬に投下を推進した、と描かれる。彼らの賛同者がそんなに少なかったか、には正直、私は確信はない。

トルーマンは投下まえに住民に警告し、避難を呼びかけることを指示した、という史料が残され、国立公文書館のウェブサイトで私はそれを読んだことがある。ポツダム会議での発言から、彼は原爆の威力を理解していたことがわかるので、恐ろしい兵器だという認識は確実にあった。人道に配慮したという彼の証言と広島市民が避難しなかったという事実とのギャップはどう説明できるのか? トルーマンがアリバイを作っただけなのか? 軍が指示を軽視して通り一遍の形式的な警告をしただけだったのか? 歴史という法廷は時が経つほど忖度しない。

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