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Geminiさんの答案 研究各論(グローバル・ガバナンス)2022年度前期

国際連合が存在するのに、なぜ、同盟は必要であるのか? 国際連合憲章の諸規定と具体的な国際情勢に言及しながら論じなさい。

1. 国連憲章第51条:同盟の法的根拠

国連憲章は本来、すべての加盟国が協力して侵略を防ぐ**「集団安全保障」を理想としています。しかし、その限界を自ら認める形で第51条**を置いています。

憲章第51条: 加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛権を行使する固有の権利を妨げない。

この「集団的自衛権」こそが、NATO(北大西洋条約機構)や日米安全保障条約などの同盟関係を支える法的な柱です。つまり、国連が動くまでの「空白の時間」を埋めるための正当な防衛手段として、同盟は憲章上も許容されています。


2. 安全保障理事会の機能不全(拒否権の壁)

国連が有効に機能するためには、安全保障理事会の常任理事国(P5)の不一致が不可欠です。しかし、現実には第27条3項に定められた「拒否権」により、大国が関与する紛争では安保理がしばしば麻痺します。

  • 具体的な事象: ウクライナ情勢において、常任理事国であるロシアが当事者であるため、安保理は非難決議すら採択できず、軍事的な強制措置(憲章第7章)を発動できません。
  • 結論: 安保理が機能しない「万が一」に備え、自国の安全を確保するためには、価値観や利害を共有する特定の国々と同盟を結び、確実な抑止力を構築しておく必要があるのです。

3. 抑止力の「即応性」と「信頼性」

国連による制裁や軍事行動は、決定までに時間がかかり、また各国が提供する軍隊の調整も複雑です(憲章第43条の特別協定は未だ成立していません)。

一方、同盟は以下の点で優れています。

  • 事前の準備: 平時から共同訓練を行い、司令部を統合することで、有事の際に即座に対応できます。
  • 自動介入条項: 例えばNATO条約第5条のように「一国への攻撃は全加盟国への攻撃とみなす」という強いコミットメントがあるため、侵略国に対する強力な抑止力となります。

現在の緊迫する東アジア情勢においても、国連の議論を待つだけでは不十分であり、日米同盟やAUKUS、QUADといった多層的な枠組みが地域の安定を維持する実質的な装置となっています。


結論

国際連合が「全人類の平和のための包括的なプラットフォーム」であるならば、同盟は「特定の脅威から身を守るための、より確実で即応性のある保険」と言えます。国連憲章第51条が認める通り、この両者は対立するものではなく、国際社会の安全を維持するための補完関係にあるのが現実的な解釈です。

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戦争の歴史

戦争に命が懸けられるのは根深い社会問題が背景に横たわるからである。他方で、戦争はテクノロジーの問題でもあり、テクノロジーは戦争の形を変化させる。惨禍を何とかしようと思うならば、社会も、テクノロジーも管理するべきである。今回のテーマは、時代により戦争の原因と形態はいかに変化したかを例示しながら論じなさい、である。

戦争について述べる時、まず戦争を定義するべきである。ゲリラ戦は含まれるか? 革命下のアナーキーはどうか? あるいは、外国支援下の内戦はどうか?[1]

戦争についての初の科学的な研究はクインシー・ライトの『戦争の研究』(1942年)であった。この本のすごいところは1500年から1940年に至る近代文明のあらゆる戦争をリストにしたことである。本書は彼による戦争の定義は使わない。戦争とは国家が参加する交戦である、というところはよい。宣戦布告などの法的認定がなされたか、5万人以上の兵士が参戦したか、という基準も可としよう。しかし、これらをクリアすれば内戦であっても含まれる、という点は受け入れない[2]。国家間の戦争を焦点とする今回は、アメリカ南北戦争やロシア革命の内戦はエピソードとして言及するが、ピューリタン革命や戊辰戦争は割愛する。

筆者が念頭に置く戦争は、国家指導者の指揮命令下にある軍隊と別の国家のそうした軍隊との間の死者を伴う交戦である。死者がなくとも、一時的に現場の指揮官が勝手に行動したり、さしたる反撃なく越境進軍したりといった戦争状態が存在する場合も、破壊・制圧・占領の効果を伴う場合には含める。ゲリラとテロリズムは国際法では戦争行為から逸脱した違法行為であるとみなされるものの、南ベトナム解放戦線による北緯17度以南のゲリラ戦のように、他の国家が継続的に介入し、殺傷や破壊の効果があれば、戦争の一部をなすと認める。国家の定義には、近代的な主権国家にかぎらず、領土を有する独立した意思決定主体であれば封建諸侯であってもそれに含める。

戦争の定義が一段落したならば、次は戦闘員が誰であるかを確かめるべきである。なぜならば、戦闘員の違いは、交戦手段の主力が何であるかを左右するからである。国軍の正規兵であれば通常兵器か大量破壊兵器、ゲリラやテロリストであれば軽兵器と小型武器、デモ隊はせいぜい火炎瓶、日常生活の個人はまる腰が普通、といった見当になる。

戦争の歴史の本論に入る。

宗教改革時代の主な戦争は、マルティン・ルターの異議申し立てが引き起こした宗派の違いに基づく戦争であった。テクノロジー面ではマスケット銃が使われ始め、騎士道にのっとった牧歌的な時代と比べると、殺傷は猖獗をきわめた。

現代の研究者が作った戦争リストを見ると、宗教改革の初期には、キリスト教の分裂が主原因であるとはいえないものが混じっている。ハプスブルク家とバロワ家/ブルボン家との王朝的な対立が軸であったり、リューベックやリボニアと聞きなれない小国が登場したり、異教徒のトルコ人にたいする防衛戦があったりした[3]。中世の素朴さが近代の力強さより、戦争を特徴づけていた。

宗教改革の後期になると、ユグノー戦争と三十年戦争がカトリックとプロテスタントの決戦場となった。宗教戦争以外では、東ヨーロッパにおいてロシア・スウェーデン・ポーランドが覇を競った。トルコとの戦いは絶えることがなかった。カトリック勢力から目の敵にされていたエリザベス一世治下のイングランドがスペインの無敵艦隊を打ち破った[4]

交戦手段が非対称な場合、脆弱な側の犠牲者が往々にして激増する。宗教戦争では、庶民がしばしば巻き添えになった。ユグノーの市民がカトリック側の軍勢に蹂躙されたのが1572年のサンバルテルミの虐殺である。三十年戦争では、皇帝軍に町がほふられたマクデブルクの虐殺(1631年)が起きた。富裕なはずの皇帝側さえ、規律の低い傭兵を大量に使っていたからである。

ほとんどの傭兵は長槍を持ってはせ参じた。銃の調達や軍事教練が個人では難しかったからである。マスケット銃の命中率は低く、長槍を一掃するには至らなかった。その一方で、長槍による槍ぶすまは敵の騎士を確実に串刺しにした。ランツクネヒトは長槍を使うドイツの傭兵である。テルシオは長槍でハリネズミのように守りを固め、方陣を組んだスペインの軍隊である。スイス傭兵は当時から今に至る何百年間も、教皇庁を警護する。

次の絶対主義の時代では、絶対的な権力を持つ君主たちが宗教・宗派の制約なしに、チェスのように軍隊を自由に動かして覇を競った。この時代、陸戦は芸術であった。歩兵・騎兵・砲兵を動かす三兵戦術は兵種の特長を活かす洗練された用兵であった。

歩兵はもはや槍を持たず、マスケット銃に短剣を付けて銃剣とした。銃の命中精度は低かったので横列を作って一斉射撃し、弾幕を張った。タイミングが合えば、多くの敵兵が崩れ落ち、万死に一生を得た兵士は潰走した。撃った側は銃剣を振りかざして追撃し、白兵戦に突入した。がまんと規律の競い合いであった。イギリスのレッドコート(赤服兵)は規律に優れたエリート部隊であった。騎兵は奇襲をかけ、砲兵は敵兵力を削る。司令官の機敏な采配が勝敗の鍵であった。

この時代の前半、西ヨーロッパではルイ十四世が積極的に動いたものの、他国から警戒され、スペイン継承戦争で包囲網をしかれて苦しんだ。東ヨーロッパでは、ロシアのピョートル一世がスウェーデンのカール十二世と北の覇者の地位を賭けて死闘を続けた。大洋でも、イギリスとオランダの海軍が争った。

絶対主義時代後半は、中央ヨーロッパにおけるプロイセンとオーストリアの一進一退を軸に、外洋では英帝国の拡大とアメリカ独立戦争におけるその挫折が見られた[5]。海上では、戦列艦の側面に並んだ大砲がティラノサウルスのように敵艦を砕いた[6]。海軍の莫大な維持費は重商主義で蓄えた金銀を充ててまかなわれた。

フランス革命とナポレオン戦争は絶対主義に冷や水を浴びせた。ナショナリズムが高揚した結果、動員された庶民は兵役と引き換えに選挙権を与えられ、気勢が上がった。戦死者の激増は絶対主義の王侯貴族にとって不利であったが、戦場で死ぬか、ギロチン台に送られるかの二者択一であったから、引くに引けない戦争であった。

ナポレオンは敗れ、絶対主義が一時的に天下を奪い返した。これがウィーン体制である。宮廷は自由主義者の反乱に目を光らせ、ナポリやスペインにおける反乱に対して干渉戦争を行った。ところが、ギリシャ人が自由を求め、オスマン帝国に反旗をひるがえした時には、宮廷は独立運動を応援した。独立したばかりのラテンアメリカにもヨーロッパ諸国は干渉した。カウボーイのような乱暴者の現地の大統領たちが気に食わなかったからである[7]

「戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない」の名言が発せられたのはこのころであった[8]。『戦争論』の著者カール・フォン・クラウゼビッツはナポレオン戦争に参加したプロイセンの軍人であった。この書の内容は前時代の戦争を表現しているように感じられる。彼の言う「政治」とは外交のことであり、特に他国の州県を外交交渉によって獲得することを想定した。つまり、戦争とは、交渉で決着できないことを武力により決着させることである。

領土紛争を戦争で解決するのはルイ十四世やフリードリヒ二世のような前世紀の絶対君主が得意としたことであった。ナショナリズムが高まった19世紀では、他民族の住む土地を戦争によって割譲させるのは時代遅れになりつつあった。

実際、フランス二月革命後に自由主義が勝利すると同時に、ナショナリズムの嵐が吹き荒れた。各地で、国民統一戦争やナショナリストの蜂起が相次いだ。イタリアとドイツの統一がその山場であった。ロシアの力はクリミア戦争で敗れたことで後退し、オスマン帝国の版図は複数の国民国家へと分裂を始めた。ナポレオン三世は、絶対君主のように兵を指揮しようとしたものの、最後はドイツのナショナリズムを見くびり敗北した。ラテンアメリカの混乱は国民国家を作る産みの苦しみであった。英仏はじめ一握りの海軍国は着々とアジア・アフリカ・ラテンアメリカの小勢力に砲艦外交を繰り広げた[9]

陸上戦闘でのテクノロジーで見るべきものはライフリングであった。銃の火力と精度が向上し、散兵という兵種を生んだ。弾幕を張らなくても命中するので、兵士は散開して匍匐前進し、敵陣を襲った。散兵は普墺戦争で優位を示し、日露戦争における二百三高地の死闘で大規模に投入された。ライフル銃の意義について、ウィリアム・H・マクニールの解説を引用する。

つまりプロイセンはすでに見たように、基本的な歩兵武器として後装ライフル銃を選んだのである。後装銃の第一の利点は、兵がそこらにある遮蔽物ならなんでも楯にとって、しゃがんで背をかがめたり、腹ばいになったりした姿勢から撃てることであった。この戦術により兵たちは、前装銃の銃口から弾込めをするために立ち上がる必要がある場合に比べて、敵銃火の標的となる度合いが一段と小さくなった。後装銃の第二の利点は、発射速度が格段に増すことであった[10]

産業革命の到来は戦争を変えた。海では、蒸気船や甲鉄艦の時代が到来した。最も有名な甲鉄鑑は南北戦争における北軍の軍艦モニターである。ナショナリズムは徴兵だけでなく、徴税も拡大し、砲艦外交の基礎となる軍事予算の増額を可能にした。

化学の発達とともに、自然資源の獲得は戦争の目的として重要性を増した。1879年の太平洋戦争はチリとペルー・ボリビア同盟との戦争であった。砂漠の領土の奪い合いであったが、地表ではなく、そこに埋まる硝石と銀が目的であった。硝石は火薬の原料である。第一次世界大戦中、ドイツが硝石の代用品であるアンモニアを人工合成することに成功した[11]

植民地戦争の舞台は近東・東アジア・中米カリブ・アフリカであった[12]。圧倒的優位にあったヨーロッパのテクノロジーが、いともたやすく現地の軍隊を屈服させた。

数か国の列強が産業も、植民地も、テクノロジーも19世紀末に支配してしまうと、それらの間で帝国主義の競争が熾烈になった。主力兵器である軍艦は大艦巨砲主義を邁進した。イギリスは最新鋭のドレッドノート級戦艦を建造したが、ド級や超ド級といった日本語に痕跡を残す[13]。新兵器の潜水艦と飛行機も就役した。1903年、ライト兄弟のライトフライヤーが空気よりも重い装置で初めて有人動力飛行に成功した。すぐに各国の軍隊は軍用機を発注した。

外交でも、列強は仮想敵国に勝つことだけを考えた。最終的には三国同盟と三国協商の二大陣営が形成された。苦心した同盟政治の帰結が第一次世界大戦であったのは皮肉である。イギリスのエドワード・グレイ外相はドイツがフランスに宣戦布告したのを知って、つぶやいた。

ヨーロッパ中の灯りがいま消えてゆく。生きているうちにまた灯りがともるのを見ることなどできそうもない――[14]

今となっては大げさな感傷とばかりには聞こえない。第一次世界大戦では、敵襲を塹壕にこもって待ち受け、来たら機関銃で蜂の巣にすることが4年間、繰り返された。塹壕を踏みにじるための新兵器が戦車であった。その初陣は1916年のソンムの戦いであった。

人命と資源を総動員し、力尽きた国々は白旗をあげた。正統性が地に堕ちた敗戦国で革命が起きた。ロシア・ドイツ・トルコでは、諸勢力が抗争し、外国は無慈悲に国土を蹂躙した。

内戦中のロシアに、戦勝国は兵隊を送った。日本ではシベリア出兵として知られる。本当の目的は共産主義が拡大することへの干渉であったと考えられる。パリ講和会議への次席全権であった牧野伸顕が語るように、当時は別の理由が付けられた。

大戦の真最中にも拘らず、このチェッコ・スロヴァック軍救済の問題は世界的に多大の関心の的となり、これまで日本の出兵に反対していた米国までが率先して、チェッコ・スロヴァック軍団の援助については特に聨合各国か一致してこれに当たるべしと熱心に主張し、この問題は当時列国間に緊急の案件として取り上げられたのである。しかし同時にまたの時分の戦局を綜合的に見るならば、欧州大陸における数百万の大軍の運命について各国が焦慮しつつある際に、露国内に所在する六万内外の特殊な部隊を救出することに聨合国側が挙って関心を寄せたというのは、いささか不釣合いな感じがし、殊に日本はこの事件のために、日本として戦争中における最大の動員をなし、少なからぬ出費を負担したのであって、それらの点についてここで説明しておきたいと思う[15]

第一次大戦後しばらくは局地戦が散発した。満州事変も、エチオピア侵攻も、そしてスペイン内戦もそうであった。国際連盟に止める力はなく、アドルフ・ヒトラーが政権をとると、不満な国はいっそう大胆になった。各国の関心は、次の世界大戦をどう戦うか、にあった。ロジェ・カイヨワの『戦争論』はドイツ陸軍の公的機関誌を孫引きする。

平和は戦争の命ずるところに従わなければならない。戦争は今世紀の神秘的女王である。

平和はもはや、ふたつの戦争のあいだに位する、単なる休戦状態にすぎない[16]

各国は軍国主義を徹底させた兵営国家と化した。あらゆる資源を動員して、総力戦は遂行される。カイヨワは鋭い指摘をしている。

戦争を苛烈なものにするのは、勇猛さでも、敢闘精神でも、残酷さでもないということだ。それは国家というものの、機械化の度合いである。国家の持つ統制力と強制力であり、国家というものの持っている数多くの構造とそのきびしさである。人類の歴史全体を通じて、国家権力はきまって戦争を、おのれのために利用した[17]。 機械化を自動化と呼び換えるならば、殺人の究極の自動化はガス室と原子爆弾であった。テクノロジーが国家と戦争を変え、戦争が国家とテクノロジーを変えた。テクノロジーの進歩を止めることは難しい。個人の良心と市場の倫理だけでは不十分である。国家と国際社会がそれを管理し、悪い目的に使われないよう、人々は国家とテクノロジーの関係に注意を怠ってはならない。


[1] Cf. Jonathan R. White, Terrorism: An Introduction, 2nd ed. (Belmont: Wadsworth, 1998), p. 15.

[2] Quincy Wright, A Study of War, vol. I (Chicago: The University of Chicago Press, 1942), p. 636.

[3] 原田至郎、「1495年から1989年までの近代世界システムにおける戦争のデータ・リスト」、山本吉宣、田中明彦編、『戦争と国際システム』、東京大学出版会、1992年、287-317ページ。

[4] 原田、「1495年から1989年までの近代世界システムにおける戦争のデータ・リスト」、287-317ページ。

[5] 原田、「1495年から1989年までの近代世界システムにおける戦争のデータ・リスト」、287-317ページ。

[6] ウィリアム・H・マクニール、『戦争の世界史』、高橋均訳、刀水書房、2002年、329ページ。

[7] 原田、「1495年から1989年までの近代世界システムにおける戦争のデータ・リスト」、

287-317ページ。

[8] クラウゼヴィッツ、『戦争論』、上、篠田英雄訳、岩波書店、1968年、58ページ。

[9] 原田、「1495年から1989年までの近代世界システムにおける戦争のデータ・リスト」、287-317ページ。

[10] マクニール、『戦争の世界史』、332-333ページ。

[11] ダニエル・ベル、『脱工業社会の到来』、上、内田忠夫、嘉治元郎、城塚登、馬場修一、村上泰亮、谷嶋喬四郎訳、第8版、ダイヤモンド社、1990年、32ページ。

[12] 原田、「1495年から1989年までの近代世界システムにおける戦争のデータ・リスト」、287-317ページ。

[13] マクニール、『戦争の世界史』、348-349、379、382ページ。

[14] バーバラ・W・タックマン、『八月の砲声』、上、山室まりや訳、筑摩書房、2004年、 273ページ。

[15] 牧野伸顕、『回顧録』、下巻、第4版、中央公論社、1992年、152ページ。

[16] 『ドイツ防衛』。ロジェ・カイヨワ、『戦争論』、秋枝茂夫訳、法政大学出版局、1974年、210ページ、孫引きのさらに引用。

[17] カイヨワ、『戦争論』、10-11ページ。

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朝鮮戦争
冷戦を「長い平和」と呼んだのはジョン・L・ギャディスであった[1]。冷戦にせよ、長い平和にせよ、それは大国どうしの関係であって、小国においては朝鮮戦争やベトナム戦争といった弾丸が飛び交う本物の戦闘が起きた。代理戦争とも呼ばれる「熱戦」では、現地勢力の背中を超大国が押し、その脇で、超大国の同盟国および友好国が殺戮に手を貸した。もっとも冷戦期であっても、脱植民地化やアラブ・ユダヤの対立は東西関係と分けて…
Geminiさんの答案 研究各論(国際政治学)2025年後期
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期末試験チャレンジ 研究各論(国際紛争)2023年度後期
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期末試験チャレンジ 研究各論(国際政治経済)2024年度前期

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期末試験チャレンジ 研究各論(グローバル・ガバナンス)2022年度前期
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朝鮮戦争
冷戦を「長い平和」と呼んだのはジョン・L・ギャディスであった[1]。冷戦にせよ、長い平和にせよ、それは大国どうしの関係であって、小国においては朝鮮戦争やベトナム戦争といった弾丸が飛び交う本物の戦闘が起きた。代理戦争とも呼ばれる「熱戦」では、現地勢力の背中を超大国が押し、その脇で、超大国の同盟国および友好国が殺戮に手を貸した。もっとも冷戦期であっても、脱植民地化やアラブ・ユダヤの対立は東西関係と分けて…
大恐慌
https://youtu.be/1N1qPADK_Bg カネは天下の回り物という。本来は、金銭は人々の手を転々と渡っていくものであるから、その持つ、持たないは時とともに変化する、という意味である。しかし、ここでは、金銭は人々の手を渡っていく中で、初めて付加価値の発生に貢献する、という意味で使っている。 経済学には、 流動性(リクイディティ)という用語がある。資産の処分しやすさ、というのがもともとの意味である。素人の描いた絵には…
人道法と戦争法
戦争はしないのが一番よい。第一次世界大戦と第二次世界大戦は何千万という単位の死者を出した。戦後でも朝鮮半島、カンボジア、ベトナム、エチオピア、ルワンダをはじめ、百万人以上の死者を出した紛争は9を数える[1]。国際法を整えれば、死者をどのくらい減らせるか? 武力紛争をめぐる国際法が本領を発揮するには、いくつものハードルがある。問題の行為を違法とする条約がない、とか、管轄権が否定されて裁判が行われない、と…
人工知能
2020年に始まった新型コロナウイルスCOVID-19のパンデミック(世界的流行)は、人々を自宅に閉じ込めた。街から人影は消え、鉄道は空気を運び、国境をまたいだ人の移動はほぼ途絶えた。対面の会話はマスク越しになされ、誰かが咳をするのが聞こえると皆、恐怖感に襲われた。これが新しいノーマルなのだ、と信じた人もいたが、ソーシャルディスタンスはとりあえず3年間で終止した。 今回のテーマは、人工知能がもたらす社会への脅威…

国際法の発達

国際法は法なのか?、という問いがしばしば投げかけられる。法でない、と言う場合、理由はさまざまである。条約が結ばれていても遵守されるとはかぎらない。理想が書かれているだけで、そもそも現実とはかけ離れている。条約に入っていない国は縛られない。さらには、秩序は法ではなく力が支えている、と枚挙にいとまがない。

国際法の根拠はラテン語の格言で、パクタ・スント・セルワンダ、すなわち、合意は拘束する、という規範である。この規範は倫理学においてイマヌエル・カントが言うところの定言命法である。定言命法とは、モーセの十戒のように、そう決まっているものであるから、理屈なしに守らなければならない命令のことである。

今回のテーマは、国際法に関係する国連の諸活動について述べなさい、である。国際法の父は17世紀前半の学者フーゴー・グロティウスであるとされ、自然法論に拠って『戦争と平和の法』などを著した。18世紀のサンピエール神父やカントの理論は他国との戦争を違法とした。国際法、いやそれどころか国際、という言葉そのものを作ったのはジェレミー・ベンサムである。これら先人の願いがかなってか、20世紀にはベルサイユ条約と国連憲章が秩序の大黒柱となった。もはや、国際法は世界秩序というパズルに不可欠なピースである。

国際法に関する国連憲章の第13条1には、総会のもとで研究を行い、勧告をすることが書かれている。その研究内容とは、一つは「国際法の漸進的発達及び法典化を奨励すること」である。もう一つは「人権及び基本的自由を実現するように援助すること」である。

国際法の発達と法典化のための組織が国際法委員会である。そうした任務はこの委員会だけができるというわけでなく、国連内部の各種委員会によっても行われる。できあがった条約草案の審議と採択は国連総会でされることもあれば、特別な国際会議を招集し、そこでなされることもある。どのような制定過程であったかを以下で確認する。

ウィーン条約法条約(VCLT)は条約についての条約であるから、かなり抽象的な内容である。いかにも、ハーシュ・ローターパクトのようなそうそうたる法学者たちが集った国際法委員会らしい。その起草は1949年に始まり、1966年、ウィーンでの条約法会議が国連総会により招集された。条約法会議は1969年に条約を採択した。

条約法条約には、強制されて結ばれた条約は無効、という条文がある。国の代表者に対する強制の場合(第51条)と、国際法違反の武力の威嚇・行使の結果の場合(第52条)には、条約は無効になる。この条約が採択される以前、強制が疑われる事例が少なくなかった。有効か、無効かをめぐる論争は絶えない。これらの規定はそうした論争に関してまで参照されるため、認知度が高い。

第二次日韓協約(1905年)は、強制の存在が疑われる事例の一つである。この協約は韓国に対する日本の保護権を確立し、外交面において韓国を日本の属国にするものであった。それはポーツマス条約によって日露戦争が終わったのちに署名された。日本軍は韓国に駐留し、ソウルは軍事的圧力のもとにあった。皇帝の高宗は大臣たちに交渉を委ね、大臣たちは身の危険を感じながら伊藤博文ら日本側代表とやり取りをした[1]。この状況を武力の威嚇と呼びえるか?、また、代表者は身体的な拘束や危害を受ける可能性があったか?、について議論が分かれる。

第二次日韓協約には、条約法条約第46条1に基づく国際法違反を根拠とした無効論もある。その主張では、日韓協約への署名が両国の国内法に違反し、また批准もされなかった点が問題とされる[2]

日本による強制と国内法違反があったにせよ、なかったにせよ、条約の効果はさかのぼらないので、条約法条約そのものが直接にこの事例の判断基準になるわけではない。その一方で、代表者を脅迫して結ばれた条約は無効である、との国際法の理解自体は当時からあった。激しい論争があるテーマであるので念のために言い添えておく。

国際刑事裁判所規程も国際法委員会において起草された。冷戦が終わると、それまで軍事力によって支えられていた政府や国家が次々と崩壊し、暴力が起きた。暴力の張本人が権力者自身である場合や張本人を権力者がかくまう場合、罪に問うための捜査・訴追・裁判が行われない。

国際法委員会が国際刑事裁判所規程の起草を終えると、1996年に国連総会が全権会議の開催を決めた。全権会議が開かれ、1998年、晴れて規程が採択された場所がローマであったことからローマ規程という通称がある。

国際刑事裁判所規程は各国の裁判管轄権を補完するためのものであるので、管轄権を持つ国がまじめに捜査・訴追・裁判をしている場合や、その意欲がある場合は、国際刑事裁判所は告発を受理しないことになっている(第17条1)。

国家の権利でなく、「人権及び基本的自由」に関する国際立法は経済社会理事会のもとで行われることが多い。同理事会に人権委員会を設けることが、サンフランシスコ会議におけるNGOの尽力で国連憲章に書き込まれた。そこで作られた国際人権規約が国連総会で採択されたのは1966年のことである。国際人権規約と呼ばれるものは2本あるが、社会権規約、正式には経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約(ICESCR)、のほうを取り上げたい。

社会権規約第13条2(b)は、日本では中学と高校に当たる中等教育の無償化に関係する。締約国は中等教育が一般的に利用可能で、すべての者に機会が与えられるべきものであることを認める、と定める。「無償教育の漸進的な導入により」と機会の与え方まで指定されている。

かつて、日本では高校通学のために授業料を払うのは当たり前であった。社会権規約の無償教育導入の部分には拘束されない、と日本政府は留保を付けていた。2014年度から高等学校等就学支援金制度が始まり、所得制限はあるものの、多くの生徒は授業料が無償化された。こうした政策の変化に伴い、留保は2012年に撤回された。なお、同時に高等教育の項に付けられていた同様の留保も外された。こちらは無償になる学生の割合はより小さい[3]

女子差別撤廃条約(CEDAW)は、メキシコシティで1975年に開かれた世界女性会議により要請されたことを受けて作成された。草案は経済社会理事会のもとの婦人の地位委員会で作られ、1979年に国連総会で採択された。この条約のインパクトは大したもので、日本において、1986年の男女雇用機会均等法、1992年の育児休業法、そして1999年の男女共同参画社会基本法の制定を促した。

アファーマティブアクションをご存じであろうか? アメリカ合衆国では白人のほうが恵まれていて、有色人種は有名大学への進学率が低い。公民権運動の影響下、多くの大学が入学選考において有色人種を優遇した、というのがアファーマティブアクションである。暫定的特別措置は人種でなく、ジェンダーにおけるこの国連版である。男女の平等を促進するための措置は差別に当たらないことが女子差別撤廃条約第4条1に定められる。なお、アメリカ合衆国でアファーマティブアクションは白人への逆差別に当たると訴えられ、退潮している。

女子差別撤廃条約には、性の間の不平等をなくすジェンダー平等と共通する考え方も盛り込まれている。例えば、スポーツの競技のなかには、男性が主流で、女性は申し訳程度に行われているものがあるが、背景に男女間には身体的な優劣があるという観念がある。また、男は仕事、女は家事、のような決まり文句は偏見が混ざったステレオタイプである。そうした優劣の観念とステレオタイプ化された役割に基づく慣行が撤廃されるよう、締約国は措置をとると約束し(第5条(a))、母性と育児の男女共同責任を人々に教育する(同条(b))。

障害者権利条約(CRPD)は、長い過程を経て制定された。1975年、国連総会は障害者の権利宣言を決議した(A/RES/3447)。条約の準備は2001年に総会がアドホック委員会を設けて本格化した。障害者権利条約が総会で採択された年は宣言から31年後の2006年であった(A/RES/61/106)。

障害者権利条約の趣旨は障害者に対する差別をなくし、人権を実現することである。しかし、差別が存在し、人権が不完全であるのが現況であるから、アファーマティブアクションや女性への特別措置のような差別解消を促す方策が必要である。障害者権利条約でそれらに当たるのが合理的配慮の概念であり、完全な人権の実現のために必要な変更や調整のことであって、これらが否定されることも差別である(第2条)。

合理的配慮をしっかりと行うには、意識を高めることはもちろん、国内法の整備も欠かせない。日本は2007年に障害者権利条約に署名し、2014年に批准書を寄託した。それに合わせ、障害者基本法を2011年に改正し、障害者総合支援法を2012年に、障害者差別解消法を2013年に、障害者雇用促進法を2014年に成立させた。

領域に関する国際法には、経済の側面と安全保障の側面がある。地球表面の70パーセントは海、と言われるように、海の秩序には巨大な権益が関わる。海洋法条約の作成に挑戦し、三度目の正直でできたのが国連海洋法条約(UNCLOS)である。領海の幅と排他的経済水域(EEZ)の幅の争点に注目し、どのような利害対立があったかを追跡する。

領海は20世紀後半まで3カイリとされていた。根拠は18世紀の国際法学者コルネリウス・バン・バインケルスフークの着弾距離説に求められた。彼は、領海の幅は岸からの着弾距離であると唱えた。これが後に、3カイリを領海の幅とする、と具体化された。

3カイリはわずか5.556キロメートルである。今日のロケットやミサイルの射程ははるかに長い。また、領海の外では外国の漁船が魚を獲ることができたので、開発途上国の沿岸には欧米諸国の船団がわが物顔に行き来した。

19世紀から、ラテンアメリカ諸国は開発途上国の立場で国際法に異議を申し立てた。第二次世界大戦後に独立した国々もそうした主張に賛成し、ルールの変更を求める声が国連で高まった。

新勢力の主張に配慮して、アメリカ合衆国は、領海を6カイリ、さらにその先に排他的漁業水域を6カイリ認めることを提案した。遠洋漁業国にも配慮し、それらの歴史的権利を認める妥協も取り入れた。これに開発途上国と社会主義陣営は領海を12カイリとする案で応じ、領海の幅を広げることにこだわった。

攻防の舞台は、1958年と1960年における第1回・第2回国連海洋法会議であった。アメリカ合衆国は可決に必要な3分の2の票を得て押し切ろうとしたものの、2回とも否決された。特に第2回は、賛成が1票足りないだけという僅差であった。第2回海洋法会議で棄権に回った日本の立場を外務省の『わが外交の近況』から引用する。

わが国は前記の立場から、委員会においてはいわゆる米・加案(領海六海里、漁業水域六海里、ただし、漁業水域において漁業既得権のある国は今後十年間漁業継続が許される)に賛成したが、本会議において前記米・加案がさらに修正され、領海および漁業水域のさらに外側において沿岸国が漁業についての優先権を主張しうるが如き形となるに至ったので、ついに棄権するの止むなきに至った[4]

資源ナショナリズムのピークが来るのはこの後である。海岸からできるだけ遠くの沖合まで自国の資源として囲い込もう、という欲望は、ついに200カイリの排他的漁業水域が世界の標準となることにまでたどりついた。アメリカ合衆国さえ1977年、自ら200カイリ漁業水域を設定した。日本の船団は他国の近海から締め出され、その遠洋漁業は資源の枯渇、人件費の高騰、そして輸入の増加と相まって衰退した[5]

1970年、国連総会は第3次国連海洋法会議を招集する決議を行った(A/RES/2750 C)。1973年に開会した会議は11会期を要し、条約は1982年に採択された。

国連海洋法条約は、領海は12カイリ以下(第3条)、排他的経済水域(EEZ)は200カイリ以下(第57条)の範囲で各国が決めると定めた。アメリカ合衆国はこの条約をまだ批准していない。

手つかずの深海底が「人類の共同遺産」として、鉱物資源の乱開発から守られることになったことも、国連海洋法条約の成果である。鉱物の採取・輸送・精錬・販売を管理するために、国際海底機構(ISA)が条約に従って設立された。この機構によって認可された操業者は鉱物資源の調査・開発に携わることができる。開発により得られる利益は衡平に分配されることになっている。放っておけば、技術が進んだ国々によって深海底は開発し尽くされてしまうであろう。それを防ぎ、技術の低い途上国にも恩恵が行き渡るように、という趣旨である。

宇宙条約の正式名称は「月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約」である。ソビエト連邦がスプートニク1号の打ち上げに成功すると、宇宙開発ブームが起きた。2年後の1959年、国連総会は宇宙空間平和利用委員会を置き、そこで米ソがこの草案をまとめた。1966年、国連総会により推奨され(A/RES/2222)、翌年、署名された。

宇宙条約の第2条は、月その他の天体を含む宇宙空間を国家は取得できない、と定める。領有を主張することももちろんできない。とはいえ、複数の業者が、月の土地を売ると称してショッピングサイトを立ち上げ、対価を得ている。土地所有権を買った、とされる人々は「国家」ではないので宇宙条約に違反しない、と業者は主張する。そもそも、個人の資格で月に行った者などいないので、実態を伴わない冗談として済ませるべきであるかもしれない。

しかし、個人の宇宙旅行が月に到達するのは、そう遠くない未来であろう。月面コロニーの居住区も分譲されるであろう。それらをどう国際法に位置づけるか? そろそろ話し合うべきである。

宇宙空間の平和利用についても悠長に構えることはできない。宇宙条約第4条は、核兵器など大量破壊兵器を載せた物体を地球の軌道やその他の宇宙空間に置かないことを定める。かつてアメリカ合衆国のロナルド・レーガン大統領が提案したSDI(戦略防衛構想)に、レーザー兵器を人工衛星に積んで核ミサイルを撃ち落とす計画があった。核保有国間の対立が高まり、核戦争の脅威が大きくなれば、条約から脱退する締約国が現れ、宇宙基地を置くことが現実になる。

兵器の話題になったので、軍縮の国際法に話題を移す。軍縮交渉は、冷戦の時代に東側陣営と西側陣営が中立国スイスの都市ジュネーブで向かい合う形で始まった。1960年からの10か国軍縮委員会は東側5か国 対 西側5か国の構図であった。

1962年から、非同盟・中立諸国8か国が加わって、18か国軍縮委員会になった。核兵器不拡散条約(NPT)は、国連総会が18か国軍縮委員会に交渉を要請して、米英ソが1968年に作成した。リチャード・M・ニクソン合衆国大統領が署名した映像が残っている。ペンを途中で2本目に換えるシーンが収められている。記念のペンを誰かにプレゼントするのであろうか?

18か国軍縮委員会は核兵器不拡散条約作成の大仕事を終えると、フランスと中国が交渉に加わって、軍縮委員会会議(CCD)が1969年に発足した。生物兵器禁止条約を作成し、それが1971年に国連総会で採択される成果を上げた。1979年には軍縮委員会(CD)の名称に改められた。

軍縮会議(CD)という名称は1984年から使われている。冷戦が終わってからは東西間のバランスは崩れていて同数ではない。1992年に化学兵器禁止条約を採択したのが、最後の目立った成果である。核保有国が乗り気でなかった包括的核実験禁止条約(CTBT)は軍縮会議の手に負えなかった。それは国連総会に場所を移し、1996年に採択された(A/RES/50/245)。

軍縮会議は停滞したままである。対人地雷禁止条約は軍縮会議でも、国連総会でもなく、オタワ会議において1997年に採択された。

武器貿易条約は国連総会が決めた武器貿易条約国連会議において交渉され、国連総会に持ち帰って2013年に採択された(A/RES/67/234 B)。核兵器禁止条約も同様で、2017年1月に総会決議(A/RES/71/258)が招集した会議において、同年7月に採択された。

比較的に新しいトピックである環境の分野では、いかに物事は進んだのか? 気候変動枠組条約(UNFCCC)は、国連総会により設けられた気候変動枠組条約政府間交渉委員会で採択され、リオデジャネイロにおける地球サミットこと国連環境開発会議において1992年に署名が開放された。

気候変動枠組条約のキーワードは「共通に有しているが差異のある責任」(第3条1)である。何と何の間に差異があるかというと、先進国と開発途上国の間に差異がある。温室効果ガスの排出を抑制し、その吸収を強化して、気候変動を緩和する計画を立てることは共通の責任であるが、付属書Iに記載された先進国と東ヨーロッパ諸国はそのための政策を採用し、措置までとらなければならない。さらに、先進国は開発途上国に費用と技術を提供しなければならない(第4条)。ところが、先進国で最も温室効果ガスの排出が多いアメリカ合衆国はこの責任から逃れようとしている。

諸条約の制定過程を確認する作業はキリがない。ここらへんで切り上げる。


[1] 海野福寿、『韓国併合史の研究』、オンデマンド版、岩波書店、2013年、1-83、171-252ページ。

[2] 海野、『韓国併合史の研究』。

[3] “経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)第13条2(b)及び(c)の規定に係る留保の撤回(国連への通告)について,” Ministry of Foreign Affairs of Japan, September 2012, https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/tuukoku_120911.html, accessed on February 15, 2025.

[4] 外務省、『わが外交の近況』、第5号、1961年。Available at https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1961/s36-2-1-3.htm, accessed on February 15, 2025.

[5] 山下東子、『魚の経済学―市場メカニズムの活用で資源を護る』、第2版、日本評論社、2012年、3ページ。

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https://youtu.be/N_DWMFQXIvM このまま経済開発を優先して、環境を破壊し続けたら、経済開発自体が持続できなくなる。将来の世代にツケを回さず、現世代のあいだに、持続できるようなやり方へ経済開発を軌道修正するべきである――持続可能な開発は本来、このようなスローガンであったはずである。それが今は違うらしい。 2016年以降における国連の目標である「持続可能な開発目標(SDGs)」は、経済・社会・環境の三つの次元を含む…

Geminiさんの答案 研究各論(国際政治経済)2024年度前期

カーボンフットプリント(CFP)という概念がある。「製品・サービス1のライフサイクルにおける温室効果ガス排出量をCO2量に換算し表示するもの」と定義される。

経済産業省と環境省によると、CFPは下のように算定される。

「CFPは製品のライフサイクル(原材料調達、生産、流通・販売、使用・維持管理、廃棄・リサイクル)におけるGHG排出量をCO2量に換算し表示するものです。以下の流れで算定します。

① 算定対象製品のライフサイクルをプロセスに分解する(モノ(原材料など)、工程(生産工程、輸送工程など))

② 各プロセスのGHG排出量(=活動量×排出係数)を算定する

③ 全プロセスのGHG排出量を合計する」(経済産業省、環境省、「カーボンフットプリント ガイドライン (別冊)CFP実践ガイド」、2023年5月、3ページ、https://www.meti.go.jp/shingikai/energy_environment/carbon_footprint/pdf/20230526_4.pdf)

全世界の自動車がガソリン車から電気自動車に置き換わることにより二酸化炭素の排出量が減り、気候変動が小さくなる、といわれる。上の算定方式に基づけば、そうした置き換えはほんとうにCFPの低下につながるのか? あなたの推論を書きなさい。(10点)

推論:EV化は必ずしも即座なCFP低下を意味しない

結論から述べると、「走行時」の排出量は確実に減るものの、ライフサイクル全体(①〜③の合計)で見た場合、CFPが低下するかどうかは「電源構成(エネルギーミックス)」と「走行距離」に強く依存すると考えられます。

ガイドラインの3ステップに沿って分析します。

1. 原材料調達・生産段階(ステップ①・②)

EVは、ガソリン車に比べて製造段階のCFPが大幅に高いという特徴があります。

  • 理由: 大容量のリチウムイオン電池の製造には、リチウム、コバルト、ニッケルなどの鉱物資源の採掘および精錬が必要であり、これらには膨大なエネルギーが投入されます。
  • 結果: 車両が工場を出荷する時点(初期状態)では、EVの方がガソリン車よりも多くのGHGを排出していることになります。

2. 使用・維持管理段階(ステップ②)

ここがEVの最大の利点ですが、計算式(活動量×排出係数)に落とし込むと、以下の変数が重要になります。

  • 排出係数の罠: ガソリン車は「ガソリンの燃焼」という直接的な排出係数が支配的です。一方、EVの排出係数は、充電する**「電気の作られ方」**に依存します。
    • 火力発電中心の地域では、排出係数が高くなり、ガソリン車との差が縮まります。
    • 再生可能エネルギー中心の地域では、排出係数が極めて低くなり、CFP低下に大きく寄与します。

3. 全プロセスの合計(ステップ③)

最終的なCFPの優劣は、**「製造時のプラス分を、使用時のマイナス分でいつ逆転できるか(ブレークイーブン・ポイント)」**で決まります。

  • 走行距離が短いまま廃棄された場合、製造時の高いCFPを回収できず、ガソリン車よりも環境負荷が高くなる可能性があります。
  • 逆に、長期的に利用し、かつ社会全体の電源構成がクリーンになれば、ライフサイクル全体の合計CFPは劇的に低下します。

結論

ガイドラインの算定方式に基づけば、単に「車を置き換える」だけでは不十分です。**「クリーンな電力での充電」と「長期間の利用(廃棄プロセスの先延ばし)」**がセットになって初めて、CFPの有意な低下が実現されると推論します。

「EV=ゼロエミッション」というイメージは「使用段階」のみを切り取ったものであり、LCA(ライフサイクルアセスメント)の視点では、製造段階の負債をどう返済していくかが鍵となります。

試験問題が答えを誘導していましたか?

鋭いご指摘ですね。結論から言うと、この試験問題は**「多角的な視点(特にライフサイクル全体)で考えること」を強く誘導する構成**になっています。

単純に「EVは良いものだ」と答えるのではなく、提示された「算定方式」というルールに従って、あえて**「一筋縄ではいかない理由」を見つけ出せるか**を試している、非常に「教育的な誘導」が含まれた問題です。

具体的に、どのような誘導が仕掛けられていたのか分析してみます。


1. 「ほんとうに?」という逆説的な問いかけ

設問の最後に「ほんとうにCFPの低下につながるのか?」とあります。これは学術的な問いにおいて、**「一般論(EVはクリーン)を鵜呑みにせず、提示された定義に基づいて疑ってみなさい」**という強力なシグナルです。

2. 「算定方式」の具体的な提示

わざわざ①〜③の手順が示されている点が最大のポイントです。

  • ① プロセス分解: ここに「原材料調達」や「廃棄・リサイクル」が含まれていることが明記されています。
  • ② 活動量×排出係数: ここで、エネルギー源(電気)がどう作られるかという「係数」の概念に目を向けさせています。

もしこの算定方式の提示がなければ、多くの学生は「走行中に煙が出ないからCFPは下がる」とだけ答えてしまうでしょう。このヒントがあることで、**「製造段階(バッテリー生産など)の排出量はどうなるんだ?」**という気づきを誘発しています。

3. 「全世界の」という極端な設定

「全世界の自動車が」という大きな主語にすることで、個別のケースではなく、エネルギーインフラ(発電方法)や資源採掘の限界など、マクロな視点での矛盾点を突かせようとする意図が見えます。


試験問題としての「狙い」

この問題を作成した意図は、おそらく以下の2点に集約されます。

  • 定義への忠実さ: 「CFP=ライフサイクル全体」という定義を、自分の知識(EV=エコ)よりも優先して適用できるか。
  • 批判的思考(クリティカル・シンキング): 世の中のトレンドに対して、客観的なデータや算出根拠に基づいて「条件付きの肯定」や「論理的な反論」を組み立てられるか。

[!IMPORTANT]

この問題は「EV反対派」を作ろうとしているのではなく、**「算定の根拠(エビデンス)に基づいて論理を構築する力」**を測ろうとしている良問だと言えます。

👏

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領土保全
https://youtu.be/f6AEKT52dDg 領土保全は英語でテリトリアル・インテグリティという。インテグリティはここでは一体性や完全無欠の意味である。つまり、国境線は1ミリたりとも動かしてはならないという国際法の原則である。国際連盟規約にも、国際連合憲章にも掲げられていて、現代の国際社会における最重要の決まり事と言って言いすぎでない。ということで今回のテーマは、ベルサイユ体制下における領土紛争とそれらに対する諸…
地域統合
https://youtu.be/IslPBxC8Q7Y 地域統合とは何であろうか? 地域の区分に従った近隣諸国どうしの協力・依存・交流、またはそれらが深化・拡大していく過程、と定義できる。具体的には、アフリカ連合(AU)、東南アジア諸国連合(ASEAN)、カリブ共同体(CARICOM)、中米統合機構(SICA)、湾岸アラブ諸国協力理事会(GCC)、中部アフリカ諸国経済共同体(ECCAS)、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)、欧州連合(EU)、米州機構(OAS)、そしてアラ…
期末試験チャレンジ  研究各論(国際政治経済)2025年度前期
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Geminiさんの答案 研究各論(国際政治学)2024年後期
どこか一つの国をとりあげ、その国の地政学的な特徴を軍事・安全保障の観点から具体的に議論しなさい。 提出回答:ポーランドの地政学的特徴と安全保障 ポーランドは、歴史的に「欧州の戦場」と呼ばれてきました。その理由は、この国が持つ独特の地形と、大国に挟まれた配置という地政学的宿命にあります。軍事・安全保障の観点から、以下の3点を中心に議論します。 1. 「北欧州平原」という地形的脆弱性 ポーランドの国土の大部…

国連事務局

私たちは国連事務総長を無力であると言いすぎでないか? 目標をバリバリと達成するのがカッコイイ指導者であると思っていないか? そうした劇画的な指導者は独裁者と紙一重ではないか? そもそも、執行責任者とは、与えられた権限のなかで物事がうまく進むよう工夫する者でないか? アメリカ合衆国大統領も、日本の内閣総理大臣も、中国共産党の総書記も、同じでないか?

国連の場合、憲章が事務総長に与える権限は非常に小さい。実際に彼がしていることの多くは、総会、安全保障理事会、あるいは経済社会理事会の決議によって加えられたものである。今回のテーマは、国連事務総長および国連事務局の「性質」について歴代事務総長の業績に言及しながら論じなさい、である。

国連の前身、とはいえ法的には赤の他人である国際連盟の事務総長はいかなるものであったろうか? 1919年の発足当初から1932年まで務めたエリック・ドラモンドは、イギリス外務省出身の有能な「公務員」であった。彼は黒子に徹して公然とは発言しない方針であったとされる。国連事務総長が総会はじめ、理事会、委員会などで発言するのはもちろん、テレビカメラにも語り掛けるのとは大違いである。2代目のジョゼフ・アベルノルはフランス人で1940年まで、3代目のショーン・レスターはアイルランド人で連盟の解散まで務めた[1]

国連本部はニューヨークに作られることになった。いくら孤立主義がアメリカ合衆国で頭をもたげようとも、自国の中心に本部がある組織からよもや脱退することはないであろう。マンハッタンを観光した人ならば分かるように、国連本部ビルは超一等地にある。資金を寄付したジョン・D・ロックフェラー二世の息子デイビッドの回顧録を引用する。

この地域はうらぶれた安売春宿や老朽化した商業ビルであふれかえっていたが、ビル[ウィリアム・ゼッケンドーフ-引用者]は国連をはじめとする関連事業によって、その地域が恒久的な変容を遂げると考えていた。わたしたちは、地価が急上昇する前にその区画を購入して、持ちビルを建てるよう助言された[2]

国連本部はいくつかの建物から成る。あのマッチ箱のような39階建てのビルに事務局は入っている。ロックフェラーセンターも手掛けたハリソン・アンド・アブラモビッツ社が設計した。建築家のチームにはル・コルビュジエやオスカー・ニーマイヤーが参加した。国連職員はこの高いビルだけにいるのでなく、マンハッタン島に数千人は散らばっている。別の敷地の小さな建物で、筆者は国連の公文書を調べたことがある。

世界各地にいる約4万人の職員のトップに立つのが事務総長である。国連憲章には、事務局は「一人の事務総長」と「職員」から構成されると書いてある(第97条)。事務総長の権限は、国際の平和および安全に対する脅威について安保理に注意喚起できること(第99条)、そして職員を任命すること(第101条1)である。これだけであれば、あまりにそっけない。実際には、主要機関における多くの決議に、事務総長に報告を要請する、などと書き添えられていて、それらに基づき、さまざまな主題の調査と対応を行っている。

事務総長とその部下である職員の行動によって国連の政策は一変するため、どこかの国をえこひいきしたり、差別したりすることがあれば、信頼はたちまち失墜する。それゆえに、「国際的な性質」がきわめて重要な規範である。憲章第100条1は、事務総長と職員はいかなる政府や当局からも指示を求めたり、受けたりしない、と定める。同条2は、加盟国は事務総長・職員の国際的な性質を尊重し、左右しようとしてはならない、とする。

職員についてのその他の憲章規定では、雇用と勤務条件の原則は最高水準の能率・能力・誠実であり、「なるべく広い地理的基礎」に基づいて採用は行われなければならない(101条3)。職員は特権・免除を享受するが(105条2)、所得税の免税は金額が大きいだけに、節税効果は大きい。間接税については、赴任先の国の方針により免除されないこともある[3]。外交官と国際公務員の特権には差があり、外交官に与えられる不逮捕特権は国際公務員には与えられない。

国連職員への道において言語は大きな関門である。採用の条件からして、英語とフランス語のいずれかに堪能であることが求められる。国連の公用語はそれらに加え、アラビア語、中国語、ロシア語、そしてスペイン語の六つがある。6公用語のバランスと多言語主義を保つために、言語コミュニケーション訓練ユニット(LCTU)による授業とLPEという技能試験を職員は受ける。

以上が事務局のあらましであるが、国連職員になりたい、と考える人でなければ、さらに知る必要はないかもしれない。国連がルーティンワークを淡々とこなすだけの目立たない組織であればそれで問題ない。国連は平和や貧困に取り組み、危機や緊急事態に対処する世界組織である。事務総長の顔がニュースで映されるのは、課題の解決が事務総長の指導力にかかっている、と皆が信じているからである。

国連事務総長を評価するには、まず彼または彼女がいかに選ばれるかを知らねばならない。憲章は「安保理の勧告に基いて総会が任命」すると定める(第97条)。これは拒否権が使われる対象になるということである。常任理事国と事務総長が対立していては、円滑な運営はおぼつかない。各理事国にとっては、できるだけ自国と良い関係の人物を選びたい本音がある。自国の推す人物をごり押ししようと拒否権を濫用すれば、永久に安保理は勧告ができない。

実際、1976年に事務総長を選ぼうとしたところ、拒否権により選ぶことができない事態が起こりかけた。候補者はメキシコ前大統領のルイス・エチェベリアアルバレスと現国連事務総長のクルト・ワルトハイムであった。1回目投票において、すでにワルトハイムに圧倒的な賛成票が投じられていたが、代表権を得たばかりの中国が反対票を入れた。議長国が説得して、2回目の投票でワルトハイムの再選が確定した。こうしたことがないよう、数か月前からストローポルと呼ばれる模擬投票を繰り返し、落としどころを見つけておくことがその後、行われたようである[4]

歴代の国連事務総長は9人いる。うち、1期5年を務めた者が1人、2期目の途中で退任した者が1 人、2期目の途中で死亡した者が1人、2期約10年を務めあげた者が5人、2期目の任期中である者が1人である。

国連事務総長の出身地域は、最初の2人は西ヨーロッパ、3人目はアジア太平洋、4人目は西ヨーロッパ、5人目はラテンアメリカ、6人目と7人目はアフリカ、8人目はアジア太平洋、そして9人目は西ヨーロッパである。最近は「なるべく広い地理的配分」を満たす方向に向かっているものの、西ヨーロッパに偏っている印象は否めない。

初代のトリグベ・リーはノルウェーの国会議員や外務大臣を歴任した政治家であった。大国と摩擦を起こして途中で辞任した不器用な印象が拭い去れない。再選を賭けた安保理の投票ではソ連が反対したにもかかわらず、なぜか再選してしまった。ソ連と対立したばかりでなく、平和20年計画という構想にはアメリカ合衆国も冷淡であった。とはいえ、合衆国は彼の行動を容認できたであろう。朝鮮戦争での国連軍派遣に積極的であったし、マッカーシイズムに妥協してFBIに合衆国市民の職員への捜査を許してくれた。当時、懸案となっていたイラン、ギリシャ、パレスチナ、中国、そしてベルリンの問題に解決の意欲を示した[5]

第2代のダグ・ハマーショルドは金融や外交を専門とするスウェーデン政府の職員であった。父は母国の首相を務めたお坊ちゃんである。国連のなかに瞑想室を作ったり、職場で寝泊まりしたりした不思議な人物でもあった。事務総長としての業績は豊富である。朝鮮戦争が終わると、捕虜となっていた米兵を中国から帰還させた。スエズに初の平和維持活動(PKO)である国連緊急軍(UNEF)を派遣した。ヨルダン・レバノン・ラオス・タイ・カンボジアの問題にも対応した。

ハマーショルドが人生を賭けた仕事はコンゴ動乱への対応であった。1960年6月、コンゴ民主共和国が独立すると、ただちにカタンガ州が分離独立する動きを見せ、旧宗主国ベルギーの軍隊がそれを支援した。ソ連の外相は、西側の狙いは銅・ダイヤモンド・ウラニウム・金といった地下資源であったと批判する[6]。安保理はベルギー軍に撤退を要求し、コンゴ国連軍(ONUC)を派遣した(S/RES/143; S/RES/145; and S/RES/146)。パトリス・ルムンバ首相はこのONUCに対してカタンガの鎮圧を要求したが、受け入れられなかった。9月、彼はジョゼフ・カサブブ大統領に罷免され、カタンガに引き渡されたのち、殺された。このニュースに世界は愕然とした。

ルムンバの悲劇は論争をもたらした。コンゴ情勢に不満であったソ連のニキータ・フルシチョフ首相はハマーショルドを国連総会で批判し、西側・東側・中立国から一人ずつ事務総長を選任するというトロイカ提案をした。机をたたいて批判をアピールするフルシチョフの姿は話題になった。

批判にハマーショルドは毅然と反論し、議場は喝采に包まれた。国際公務員は中立でなければならない、というのは自らの立場を持たないという意味ではない。それは「国家利益やグループの利益、さてはイデオロギーの影響から完全に自由でなければならない」という意味である、と[7]

1961年9月、ハマーショルドはカタンガの指導者と会うために、ローデシア、つまり現在のザンビア、に向かった。搭乗した飛行機が墜落し、彼は命を失った。墜落の原因は不明とされる。その後、ノーベル平和賞が贈られたが、死後の受賞は生前受賞の原則への唯一の例外である。

3代目のウタントはミャンマーの国連代表から事務総長になった。キューバ危機ではフィデル・カストロ首相と会談し、ミサイル撤去の査察を話し合った。西イリアン問題、キプロス問題、印パ戦争、第三次中東戦争、ベトナム戦争、そしてナイジェリア内戦にも取り組んだものの、うまくいかなかったものも多い。このころから国連は財政問題に悩むようになった。

4代目のクルト・ワルトハイムはオーストリアの駐カナダ大使、国連代表、そして外務大臣を歴任した。彼は退任後、ナチスにおける軍歴が明らかになり、スキャンダルになった。取り組んだ出来事には、キプロス、イエメン、そしてイランの問題があった。任期中に、アメリカ合衆国の分担金が予算に占める割合は31.5パーセントから25パーセントに下げられた。その後、彼はオーストリアの大統領に就任した。

5代目のハビエル・ペレスデクエヤルはペルーの駐ソ連大使などを務めた。ペレス以下が姓であるため、デクエヤルと略すのは誤りである。彼は冷戦とソ連の終わりを見届け、イラン・イラク戦争、中米和平、カンボジア内戦、そしてアパルトヘイト問題に取り組んだ。退任後、アルベルト・フジモリに対抗して大統領選挙に出馬したものの、落選した。

6代目のブトロス・ブトロスガリもガリ事務総長と呼ばれたが、ブトロスガリが姓である。エジプトの学者であり、外交の要職も歴任した。彼について必ず言及されるのが報告書『アジェンダ・フォー・ピース』、訳すと『平和への課題』である。ハイチ、ソマリア、旧ユーゴスラビア、そしてカンボジアにおいて平和活動を積極的に推進したが、それらがうまくいかなかったので1期だけで退任させられたと言われる。

7代目のコフィ・アナンは国連事務局生え抜きの職員で初の事務総長であった。PKO担当事務次長の在任時には、ルワンダ虐殺への対応に失敗した。ガーナ生まれの彼は事務総長選挙で英米に推され、フランスが支持する候補者と争った。事務総長選挙の裏側には英語圏とフランス語圏との対立があるとされる。アメリカ合衆国の分担金滞納への対策として彼は経費削減に努め、行政費用や人件費を減らした。また、公式文書を検索する便利なウェブサイトを開発した[8]

それ以外では、ミレニアム開発目標(MDGs)、平和構築、保護する責任、そしてグローバル・コンパクトといった政策をアナン事務総長は取りまとめた。しかし、イラク戦争とその後の内戦では、そもそもアメリカ合衆国が勝手に始めたものとはいえ、何もできなかった。バグダードでは、セルジオ・ビエイラデメロ事務総長特別代表が爆殺された[9]

8代目の潘基文は韓国の駐オーストリア大使や外務大臣を歴任した。彼の貢献は内部機関の充実にあったといえる。女性問題の機関をまとめたUNウィメンの設置、そしてPKOや政治ミッションへの支援を効率化するフィールド支援局の設置を挙げることができる。

9代目のアントニオ・グテーレスはポルトガル首相を務めた後、難民高等弁務官(UNHCR)の重責を2015年まで担った。その最後の3年間には、シリアをはじめとして大量の難民・国内避難民が発生した。事務総長として、2017年に始まる1期目の課題は新型コロナウイルス(COVID-19)への対応であったが、医薬については専門機関であるWHOに道を譲った。国際的な往来が途絶える中、できることはかぎられた。

グテーレス事務総長の2期目にはロシアによるウクライナへの侵攻という、領土保全と政治的独立の大原則を踏みにじる事件が起きた。2022年4月、グテーレスはロシアを訪れてウラディミル・プーチン大統領と会い、非戦闘員の避難に国連と赤十字が関与することを認めさせた[10]。ガザ紛争でもパレスチナ人の人道状況の改善を訴えたが、聞き届けられなかった。

事務総長を支えるのは国連幹部、英語ではシニア・マネジメント・グループ(SMG)、である。これはいわば内閣に当たり、事務総長と副事務総長のほか、UNDPやUNEPのような計画、UNICEFのような基金、UNHCRのような事務所、そして直属の局の長官がメンバーである。政策の形成と調整の中枢を担うことを期待されるが、運営の実態が報道されることはほとんどない。2026年1月現在、日本からは中満泉軍縮担当上級代表がSMGに名を連ねる[11]

日本の国連職員に目を向けると、外務省が出している『外交青書2025』によると、国連関係機関で働く日本人の数は2023年末時点で、専門職以上の者は958人を数える[12]。これは外務省によるプロモーションの成果でもあるし、留学などで確実に英語力が上がっている若者の努力のたまものでもある。識者の意見には、「職員は出身国の政府を意識し、その働きかけや圧力のもとで、愛国的な行動をとることが多いのが、国連の現実である」というものもあるから、良いニュースである[13]

このように「世界政府」にはほど遠いが、国連は国際的で中立的でなければならないという前提のもと、実効的で、効率的であろうと努力している。これは正しい方向であるので、透明性と説明責任が下がらないよう注意しながら、育てていくべきである。


[1] Thant Myint-U and Amy Scott, The UN Secretariat: A Brief History (1945-2006) (New York: International Peace Academy, 2007), pp. 1-3.

[2] デイヴィッド・ロックフェラー、『ロックフェラー回顧録』、楡井浩一訳、新潮社、2007年、197ページ。

[3] 朝倉弘教、『国際機関事務局―20年の体験がつづる』、日本関税協会、1999年、87-89ページ。

[4] 辛雄鎮、『努力の証―第八代国連事務総長 潘基文物語』、足立康、辛美鎮訳、ダイヤモンド社、2008年、168-169ページ。

[5] 明石康、『国際連合』、1985年、岩波書店、236-238ページ。

[6] アンドレイ・グロムイコ、『グロムイコ回想録』、読売新聞社外報部訳、読売新聞社、1989年、402ページ。

[7] 明石、『国際連合』、270ページ。

[8] Thant Myint-U, The UN Secretariat: A Brief History (1945-2006), pp. 97-108.

[9] Thant Myint-U, The UN Secretariat: A Brief History (1945-2006), pp. 97-117.

[10] “Russia agrees ‘in principle’ to UN and Red Cross involvement in evacuations from Mariupol,” United Nations, April 26, 2022, https://news.un.org/en/story/2022/04/1116932, accessed on February 15, 2025.

[11] “Senior Management Group,” https://www.un.org/sg/en/content/senior-management-group, accessed on January 29, 2026.

[12] 外務省、『外交青書2025』、2025年、311ページ。

[13] 勝野正恒、二村克彦、『国連再生と日本外交』、国際書院、2000年、143ページ。

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国連総会

「人類の議会」という言葉で国際連合を理解するのは、アメリカ合衆国の歴史家ポール・ケネディである。この言葉には逸話がある。ハリー・S・トルーマン大統領は国連創設の任を前任者から託された。その思いを伝えるために、詩の一節を引用した。イギリスの詩人アルフレッド・テニソンが1837年に作った「ロクスリーホール」という幻想的な詩であった。空飛ぶ船が戦い、血が流れたが、人類の議会に世界がまとまり、不満な国を常識の力によって抑えて、万国法により地上は安らかになった、と歌う。「人類の議会」が共通の人間性を育まなければ人類は自滅するのでないか?、という問題意識をケネディは吐露する[1]

筆者も国連総会における国々の対話をある程度、評価する。その一方でシニカルでもある。今回のテーマは、国連総会における「グループ」の離合集散について説明しなさい、である。

国連総会のイロハから始めよう。1年間の通常会期が活動の単位である。通常会期は9月の第3火曜日に開会する。冒頭に各国の大統領・首相・外相が一般討論演説をし、国際社会に対するメッセージを伝える。感染症の流行によってオンラインで行われるのでなければ、国連本部があるニューヨークには各国の要人が集まり、活発な外交が繰り広げられる。不定期の特別会期(特別総会)が開かれることもある。特別会期は何か重要な課題が持ち上がった時にかぎられる。

総会の表決は全加盟国による一国一票の投票によって行われる。重要問題の可決には全票中の3分の2の多数である特別多数が必要で、その他の問題は過半数で決められる。総会の決議は安全保障理事会のそれとは違い、法的拘束力がない。ただし、国連機関内部に関する決定には拘束力がある。予算はそうしたことの一つであり、「総会は、この機構の予算を審議し、且つ、承認する」(第17条1)と憲章で定められる。

議題のことを集合的にアジェンダという。アジェンダに載せることができるのは、国連憲章の範囲内にあること、または国連機関の権限・任務に関することである(第10条)。勝手に総会決議によって紛争を解決してしまうことはできない。憲章第12条1で「安全保障理事会がこの憲章によって与えられた任務をいずれかの紛争又は事態について遂行している間は、総会は、安全保障理事会が要請しない限り、この紛争又は事態について、いかなる勧告もしてはならない」と定められているからである。

近ごろは毎年、300本以上の決議が採択される。それらをすべて全体会議または本会議で議論する時間はない。よって、委員会で可決された決議案のみが全体会議にかけられるのが原則である。主要委員会は六つある。第1委員会は軍縮と国際安全保障を、第2委員会は経済と金融を、第3委員会は社会・人道・文化を、第4委員会は特別政治問題と脱植民地化を、第5委員会は行政と予算を、そして第6委員会は法律を扱う。

総会決議はインターネット上のODS(公式文書システム)やデジタルライブラリーを利用することにより、簡単に閲覧できる。知っておくと便利であるのが文書記号のルールである。具体例を挙げると、2021年12月1日に採択された「エルサレム」というタイトルの決議はA/RES/76/12である。先頭のAは総会という意味であり、スラッシュをはさんでのRESは決議の意味である。ふたたびスラッシュをはさんで数字が来るが、これは会期の番号である。その計算の仕方は、決議が採択された会期が始まった年の西暦の紀年から1945を引いた差である。2025から1945を引くと80になる。さらにスラッシュをはさんだ数字は、議事手続きの順番に付けられる。ただし、採択された順番とは前後していることがある。ちなみに、たいがいの決議はクリスマスの前に採択される。つまり、総会の繁忙期は10月から12月である。

国連決議には共通の構成がある。第何会期とか第何議題といった技術的なヘッダーとタイトルの後に、斜字体で“The General Assembly,”と機関名の主語が来る。続いて、前文が分詞構文で、踏まえるべき事実や以前の決議を挙げる。ここでやっと、述語動詞を先頭に主文が現れる。

エルサレム決議A/RES/76/12を例にして、総会決議の意義を考える。この決議を取り上げるのは、国際社会の亀裂がいかに大きな紛争につながるか、を教えるからである。パレスチナの一勢力であるハマスが2023年に起こした襲撃は、イスラエル国防軍によるガザ地区の殲滅戦につながり、年を越して拡大した。パレスチナとイスラエルの和解を難しくしている一つの要因が聖地エルサレムである。

エルサレムには、ユダヤ教の聖地である西壁(嘆きの壁)、キリスト教の聖地である聖墳墓教会、そしてイスラムの聖地である岩のドームがある、とされる。実はこの記述は間違いを含んでいる。なぜなら、西壁はユダヤ教が聖地であると主張する一方で、イスラムもまたそう主張するからである。諸宗教は、他宗教も同じ聖地を礼拝している現状をたがいに認めあい、そうした了解をスタートゥスクオと呼んでいる。スタートゥスクオの存在は、エルサレムの旧市街を宗教ごとに分割して管理させてはならない根拠とされる。

行政については、イスラエルは1950年にエルサレムを首都と宣言した。ただし、この時点でイスラエルが実効支配していたのは西エルサレムだけで、歴史ある旧市街を含む東エルサレムはヨルダンの領土であった。クネセト(国会)、首相官邸、そして最高裁判所は西エルサレムにある。1967年の第三次中東戦争においてイスラエルが東エルサレムを占領しても、国際社会はそれを同国の領土とは認めなかった。イスラエルにとって、エルサレムはすでに併合した不可分の自国領土であり、アラブおよび国際社会にとって、それはイスラエルが撤退しなければならない占領地である。

こうした見解の相違のもと、現実は引き裂かれる一方である。イスラエルは西エルサレムと東エルサレムを統合し、エルサレム全体を自国の領土とした。他方、国連は加盟国がエルサレムに大使館を置くことを禁じながらも、アメリカ合衆国のドナルド・J・トランプ政権が2018年、大使館をエルサレムに移した。東エルサレムでユダヤ人に入植地の建設を認め、パレスチナ人の家を撤去するイスラエルの政策も批判されている。

これらの事実を踏まえてA/RES/76/12を読み直す。主文1は、占領地である聖地に対して法律を作り、行政を行うのは違法で無効なのでただちにやめるようにイスラエルに求める。イスラエルはこれを受け入れないであろう。主文2はエルサレム問題の解決を求めるが、そうした解決はパレスチナ人とユダヤ人の双方の懸念を考慮し、国際法に従い、宗教と良心を国際的に保障し、誰でも自由に聖地にアクセスできるようなものでなければならない、と注文を付ける。主文3は、宗教上、文化上、敏感な場所での挑発を控える必要を述べる。パレスチナ人とユダヤ人との衝突は戦争などにエスカレートしかねないため、何が何でも防がなければならない。主文4は、複数の宗教の聖地であるスタートゥスクオの尊重を求める。ささいな行動さえそれらの近くでは挑発になる。主文5は国連事務総長に決議の実施状況に関する報告を求める。

A/RES/76/12は賛成129、反対11、棄権31で可決された。採決に当たっては、スタートゥスクオについての主文4に批判が集まった。岩のドームと西壁を含む「神殿の丘」について、イスラム側の名称であるハラムアルシャリフだけが決議に記され、ユダヤ側の名称であるテンプルマウントは書かれなかったからである(GA/12390)。これが棄権の多さにつながった。全体として見れば、イスラエルによる聖地の管理に注文を付けるこの決議への賛成は129か国に上ることから、加盟国が現在の状況を心配していることが窺える。

なお、エルサレム決議は第77会期以降、採択されなくなった。ウクライナへのロシア侵攻とガザ地区での戦闘がエルサレム問題での歩み寄りを難しくしたからである。

このように観察すると、総会決議は諸国の意見を確かめる一種の世論調査であることが分かる。政治家たちは世論調査の結果を見て、人々の考えを知り、不人気な政策を避けて、混乱が広がらないようにする。「国連は外の世界をつねに映し出す鏡である、という。世界が変われば、鏡のなかの像も変わるのである。」とは国連の歴史を記す本からの引用である[2]。ロールコール、分割投票、あるいは修正案といった国連の議事手続きは複雑である。諸国の意見を知ることには、面倒を上回る計り知れない利益がある。

同じテーマを扱う複数の総会決議があるのは、国々の立場の違いがどこにあるのか浮き彫りにするためである。例えば核兵器のない世界というテーマでは、主な決議が2本ある。一つは日本案として報道されるものであり、第80会期では「核兵器のない世界に向けた共通のロードマップ構築のための取組」というタイトルであった(A/RES/80/48)。ウクライナ戦争の勃発後、もはや穏やかに核兵器不拡散条約の履行を呼びかけるだけでは時代から取り残されてしまう。主文1は核兵器国に核兵器の不使用を求めるものであった。主文11で北朝鮮の核兵器と弾道ミサイルを問題視するものの、優先順位は下がったままである。賛成147、反対5、棄権26のうち、反対した国は中国、北朝鮮、イラン、ニカラグア、そしてロシアであった。

日本が共同提案国に名を連ねる国連総会決議は、核兵器禁止条約の加盟国には物足りなかった。それらの国々は「核兵器禁止条約」(A/RES/80/54)という別の国連総会決議に結集した。賛成119、反対45、棄権12と反対がかなり多かった。日本も、五大国も、G7も、すべて反対である。核軍縮を推進する、と一口に言っても、立場はさまざまであると分かる。

これまで見たパレスチナ問題や核軍縮問題は国連において意見が分かれる典型的な争点である。ほかでは例えば人権問題がそうした争点である。これらの投票行動における分散を分析して、世界の国々を分類できないか、と考えた国際政治学者たちが1960年代にいた。著名なところでは、ヘイワード・R・アルカーとブルース・M・ラセットが『総会における世界政治』という本を出している。アルカーは当時、イエール大学の大学院生であり、ラセットは学位をとったばかりであった。二人は冷戦真っ盛りの時世であっても、東西対立だけでは世界は理解できないと感じていた。そこで、重要な決議におけるロールコール、つまり点呼投票、のデータを使って分析した。統計学の知識があれば、賛成・棄権・反対を順序変数にして主成分分析をする、と説明すれば、どのような手法を使ったか想像ができる人もいるかもしれない[3]

以下では国連総会における「グループ」の離合集散を振り返る。アルカーとラセットの研究を参考にして、筆者自身が5年ごと総会決議を統計分析した結果に基づく。

総会の第1会期は1946年に開かれた。まだ冷戦は始まっていなかったものの、ソ連とアメリカ合衆国の二つの超大国に世界は引き裂かれようとしていた。とはいえ、国連の主導権を握るのはやはりアメリカ合衆国とイギリスであった。1948年における世界人権宣言(A/RES/217 A)は、合衆国が後押ししたものであり、同国にとって最も輝かしい国連における成果になった。一方、ソ連と東ヨーロッパの社会主義国の投票行動は明らかに孤立していた。他の国々が独自の動きを始めるのに時間はかからなかった。1947年のパレスチナ分割決議(A/RES/181)は採択されたものの、すべてのイスラム諸国が反対した。アラブ、アジア、スカンディナビア、コモンウェルス、そしてラテンアメリカの諸国は、それぞれのグループにまとまっていった[4]

1950年の第5会期が開かれた時には、すでに朝鮮戦争の最中であった。極限に達した冷戦の分裂は、総会の議場でもソ連の孤立を際立たせた。これにたいし、西側陣営はラテンアメリカやアジアとも連携し、圧倒的な多数派を形作った。安全保障理事会はソ連が拒否権を発動する構えであったため、何も決めることができなくなった。これでは国際の平和と安全に対する責任を果たせないので、安保理がそのような状態に陥った際に、総会が加盟国に勧告できる、と総会自らが決めた。これが平和のための結集決議(A/RES/377)である。なお、国連本部の現在の建物はまだできていなかったので、この時代の総会はマンハッタン島ではなく、川をはさんだロングアイランド島クイーンズ地区の施設で行われた。今のクイーンズ美術館である。

朝鮮戦争が終わると、旧植民地の諸民族がいっせいに主張し始めた。国連の外では、1955年にインドネシアのバンドンにおいてアジア・アフリカ会議が開かれた。立役者の一人、インド首相ジャワハルラル・ネルーはその年にソ連を訪問し、ニコライ・ブルガーニン首相やニキータ・フルシチョフ第一書記に会った。第三世界と東側陣営が接近したかのような光景であった。この時期の国連を特徴づけるのは大量加盟である。1955年に加盟した16か国は1960年の17か国と1992年の13か国と並んで多く、新時代を創りだした。

1960年には植民地独立付与宣言(A/RES/1514)が採択された。フランスの植民地であったアフリカの国々がこの「アフリカの年」に大量加盟し、アジア・アフリカ諸国が国連外交の鍵を握るようになった。開発が国連の主要テーマになったのは、1961年に国連開発の十年決議(A/RES/1710)がアメリカ合衆国のジョン・F・ケネディ大統領によって提案されてからである。1962年には、天然資源に対する永久的主権宣言(A/RES/1803)が採択された。

アジア・アフリカ諸国はラテンアメリカ諸国と合流し、最大のグループになった。このなかで、積極的に第三世界を組織し、共同戦線を張った諸国が「非同盟」である。これらは1961年に第1回非同盟諸国会議に集まった。非同盟の指導者たちは現在でもアメリカ合衆国と激しく対立する。

大半の開発途上国はそれほど声高でなかったものの、共通する経済的な利害が存在し、ともにそれを訴えるメリットに気がついた。1964年に国連総会はUNCTAD(国連貿易開発会議)を設立した(A/RES/1995)。集まった国の数が77か国であったのでグループオブ77、すなわちG77、と呼ばれる。今では130か国以上が加盟するが、呼称はそのままである。

1965年ごろ、国連の主導権は開発途上国に渡った。アメリカ合衆国はベトナム戦争にのめり込み、身動きがとれなかった。こうした現実に合わせて、世界秩序は再編成された。

冷戦の折り返し点における事件を三つ取り上げる。

第1は核兵器不拡散条約である。国連総会は18か国軍縮委員会に同条約の交渉を求め、米英ソが草案を作成した。1968年の総会決議A/RES/2373は核兵器不拡散条約を推奨し、加盟国に加入を求めた。核兵器の不拡散を国際社会全体のルールにしたかったからである。投票結果は賛成95、反対4、棄権21であった。棄権した国のなかにインド、アルゼンチン、ブラジル、そしてフランスがあったのが目立った。日本は賛成票を投じた(A/PV.1672, para. 63)。核兵器不拡散条約は不平等であったが、それでも、現状維持による軍事的な安定を大多数の国は望んでいた。

第2は、日本に国連改革への関心が生まれたことである。1969年、愛知揆一外相は一般討論演説を行って、「国際の平和および安全に最も実効的に貢献する立場にあり、世界のさまざまな地域を本当に代表してもいる」国が安保理理事国にふさわしいと述べた。国家の方針として日本が常任理事国入りを目指していた、とまでは言えないであろう[5]。しかし、五大国以外で、国際秩序における責任を担いたい、と考え始める国が現れたことは重要である。

第3は中国代表権問題である。中華民国は国連発足以来の原加盟国であったが、共産党が大陸を制して中華人民共和国を建てると、毎年、代表権の交代が総会の議題にかけられた。この問題は加盟のそれではないので安保理の可決は必要なかった。1965年には台北と北京への支持が入れ替わる兆しが現れた。

可決に3分の2の特別多数が必要な重要問題に指定できれば、中華人民共和国にそこまでの支持はなかったので、中国代表の交代は先送りできる。指定できるかどうかは総会の過半数で決まる。1970年には中国代表権問題を重要問題とするA/RES/2642が通った。中華人民共和国の代表権を認め、国民党政府を追放する決議案の表決は賛成51、反対41、棄権25であった。賛成は過半数であったものの、3分の2に届かなかったので否決であった(A/PV.1913, para.74)。

常任理事国の椅子に中華人民共和国が座ることは止められない、とはっきりしたのは、アメリカ合衆国のヘンリー・A・キッシンジャー大統領補佐官が北京を訪問した1971年のことであった。その年の第26会期では、代表権問題を重要事項とする決議が否決され、中華人民共和国を中国代表とするアルバニア決議案(A/RES/2758)が賛成76、反対35、棄権17で可決された[6]

中国の参入によって、「南」の最盛期がやってきた。1974年における新国際経済秩序(NIEO)の宣言(A/RES/3201; A/RES/3202)はそれを象徴する出来事であった。守る側の先進国は翌年、フランスのランブイエ城に集まり、主要国首脳会議を立ち上げた。同じ1975年に、これまで中東戦争で押されっぱなしであったアラブ諸国がイスラエルに一矢報いて、シオニズムを人種差別の一形態とする決議(A/RES/3379)を通したこともアメリカ合衆国には不愉快であった。

新冷戦は1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻して始まった。ソ連はアラブの目覚めに多大な貢献をしたにもかかわらず、イスラム諸国からの信頼は無に帰した。他方、アメリカ合衆国は開発途上国が支配する国連に分担金を滞納することで反撃した。カセバウム修正という法律は、国連の一国一票による多数決に業を煮やして連邦議会が制定したものである。

しかし、1985年にミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任したことで東西間の緊張は緩み、1989年に冷戦は終わった。彼の新思考外交で、ソ連の国連政策は角が取れ、波風が立たなくなった。東側ブロックは消滅した。

アメリカ合衆国のジョージ・H・W・ブッシュ(父)政権はイスラエル寄りの政策を変えなかった。とはいえ、湾岸戦争の勝利がアメリカ合衆国の孤立を覆い隠した。

1995年は国連にとって創設50周年記念に当たった。また、それはグローバリズムと呼ぶにふさわしい国際協調の頂点であった。総会決議に関しても、世界は一つであった。パレスチナ問題は1993年のオスロ合意によって、明るい展望が開けていた。グローバルガバナンスについて多くのことが語られた。それにもかかわらず、総会が期待されることはほとんどなく、画期的な決議が採択されることもなかった。ニューヨークの主役であった開発途上国は1990年代、紛争と貧困にあえぎ、リオデジャネイロで開かれた地球サミット(国連環境開発会議)に注目は移っていった。

2000年における第55会期の冒頭にはミレニアムサミットが開かれ、ミレニアム宣言が採択された(A/RES/55/2)。それに基づき示されたミレニアム開発目標(MDGs)は、21世紀において国連が向かう方向をしっかりと示し、15年間にわたって世界を導いた。

それにもかかわらず、翌年9月11日のテロ事件は戦争を時代のメインステージに上げた。アメリカ合衆国のジョージ・W・ブッシュ(子)大統領とネオコン(新保守主義者)たちはウサマ・ビンラディンに対する対テロ戦争とサダム・フセインに対するイラク戦争を同時進行した。ネオコンには親イスラエルの傾向があり、国連総会での投票行動で合衆国は孤立した。

第60会期には、2005年世界サミット成果文書(A/RES/60/1)が出された。その内容は「保護する責任」であり、国際社会が紛争に介入する際の原則をめぐる長い論争のきっかけとなった。グローバリズムが復活することはなく、BRICSと称されるブラジル、ロシア、インド、中国、そして南アフリカは国際主義よりもナショナリズムを吹聴した。BRICS諸国の主張はまちまちで、国連総会の多数派を率いて、決議を通すことには無関心であった。

持続可能な開発目標(SDGs)に世界の目を向けたのは2015年に採択された決議A/RES/70/1である。「人類の議会」とまでは言わずとも、国連総会は時代に一石を投じることができた。 サミュエル・P・ハンティントンが「文明の衝突」を語ったように、文化の違いはどうしても政策の違いにつながる[7]。国連総会は小異を捨てて大同につくべきである。似た意味の言葉に中国語の求同存異があり、同じきを求めて異なるを存す、と読めるが、中国の本音は違いを残すことのほうのようである。核兵器大国ともなれば、気に入らないことはすべて抑止や威嚇をして黙らせておけばよい、と考えるかもしれない。そうした対応は一時的な取り繕いにすぎず、対外政策の矛盾はめぐりめぐって内政の矛盾となり、放置できなくなる。協力こそ国益である、と信じることが成功への確かな道である。


[1] Paul Kennedy, The Parliament of Man: The Past, Present, and Future of the United Nations (New York: Random House, 2006), pp. xi-xii.

[2] Evan Luard, A History of the United Nations, vol. 1 (London: Macmillan, 1982), p. 93.

[3] Hayward R. Alker, Jr. and Bruce M. Russett, World Politics in the General Assembly (New Haven: Yale University Press, 1965).

[4] D. W. Wainhouse to David H. Popper, December 16, 1949, enclosed in David H. Popper, “Memorandum,” pp. 5-6; Post-GA Meetings; Box 5; Bureau of United Nations Affairs: Subject File Relating to Palestine, Political, Security, and Trusteeship Matters, 1946-1951; General Records of the Department of State, Record Group 59; National Archives at College Park, MD.

[5] ラインハルト・ドリフテ、『国連安保理と日本』、吉田康彦訳、岩波書店、2000年、36ページ。See also Liang Pan, The United Nations in Japan’s Foreign and Security Policymaking, 1945-1992: National Security, Party Politics, and International Status (Cambridge: Harvard University Asia Center, 2005), pp. 326-327.

[6] A/PV.1976, para. 477; and A. LeRoy Bennett and James K. Oliver, International Organizations: Principles and Issues, 7th ed. (Upper Saddle River: Prentice Hall, 2002), p. 90.

[7] サミュエル・P・ハンティントン、『文明の衝突』、鈴木主税訳、集英社、1998年。

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関東大震災と外交
(表紙の画像はAIによって作成された) 災害は忘れたころにやってくる、といいます。永久に忘れたくてもそうはさせてくれません。せっかくの経験ですから、それを次に活かすことを考えましょう。 教科書での関連する記述 教科書 地震と火災によって東京市・横浜市の大部分が廃墟と化したほか、死者・行方不明者は10万人以上を数えた。社会不安が高まる中で、朝鮮人が暴動をおこしたという流言を信じた人々が自警団をつくり、彼らや…
期末試験チャレンジ 研究各論(グローバル・ガバナンス)2024年度前期
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人身売買
https://youtu.be/hvD0L3wud-g どこからが人身売買で、どこまでは違うのか?、というのは難問である。子供を売るのはもってのほかとして、臓器を売るのも危険すぎて十分、反社会的である。では、髪の毛を売るのはどうなのか? 一生、奴隷としてこき使うのはもってのほかとしても、スポーツ選手と複数年契約を交わすのはどうなのか? 人身売買とそれ以外の実践とでは、微妙なところは明確に区別できず、程度の問題でしかないこともあ…
開発独裁
https://youtu.be/kJWpeD5WVaE 開発独裁は、政府と人々が同じ開発の夢を見ている間は幸せである。夢を共有できなくなれば、それは単なる独裁にすぎない。経済成長のない独裁は悲惨である。煎じ詰めれば、独裁者個人のための搾取であるからである。今回のテーマは、冷戦期および冷戦後の途上国における国家主導の開発と国有化をガバナンスの観点から論じなさい、である。 アジア・アフリカ諸国の独立後、新植民地主義という言葉が…
非核地帯
非核地帯とは核兵器の非武装地帯である。そこには核兵器はないので、核攻撃の発源地にはならない。この意味で平和に貢献するともいえるが、核攻撃の目標にはなりうるわけで、その抑止を希望するのであれば地帯外の国に抑止力を期待しなければならない。もちろん、抑止を希望しない場合にそうした必要はないが、被弾の不安がなくなることが条件である。不安を取り払うことは簡単でないわけで、やはり何がしかの努力が必要である。…

Geminiさんの答案 研究各論(グローバル・ガバナンス)2024年度前期

国際博覧会事務局(BIE)に登録された国際博覧会は、今後、どのような企画を催せば、人類の文明を高めることができるであろうか? あなたの企画をできるだけ具体的に提示し、それがなぜ人々の幸福を高めるかを説明しなさい。(10点)

(参考) 国際博覧会条約

第一条 定義

1.博覧会とは、名称のいかんを問わず、公衆の教育を主たる目的とする催しであって、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは二以上の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう。

2.博覧会は、二以上の国が参加するものを、国際博覧会とする。

3.国際博覧会の参加者とは、当該国際博覧会に公式に参加している国の陳列区域にあるその国の展示者、国際機関、当該国際博覧会に公式には参加していない国の展示者及び当該国際博覧会の規則により展示以外の活動特に場内営業を行うことを認められた者をいう。

外務省ウェブサイト(2024年7月31日閲覧)

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/hakurankai/jyouyaku.html

答案:国際博覧会における「地球市民の共創プラットフォーム」の提示

国際博覧会条約第1条が定義するように、博覧会は「公衆の教育」を目的とし、「文明の必要とするものに応ずる手段」を示す場である。現代文明が直面する最大の課題は、技術の高度化の一方で深化する「分断(格差、孤独、対立)」である。これを踏まえ、私は以下の企画を提案する。

1. 企画名:「共感のプロトコル —— 循環する知恵と情動のラボ」

従来の万博が「国威発揚」や「完成された技術の展示」を主眼としてきたのに対し、本企画は**「未完成の課題に対する、国境を越えた共創プロセス」**を展示の核とする。

  • 具体的な内容:
    • 「課題解決型・分散型パビリオン」: 国家単位の展示に加え、気候変動、メンタルヘルス、食糧危機といった「テーマ別ハブ」を設置する。ここでは世界中から集まったエンジニア、芸術家、そして来場者が、オープンソースの思想に基づき、リアルタイムで解決策(プロトタイプ)を構築・修正する。
    • 「情動体験(エンパシー・シミュレーション)」: VR/ARおよびバイオフィードバック技術を用い、異なる文化圏や困難な環境に置かれた他者の視点を「自分事」として追体験するプログラム。単なる視覚情報ではなく、五感を通じた共感を促す。
    • 「トークン経済による貢献の可視化」: 会場内での対話や共同作業、環境配慮行動に対し、独自のデジタル証明を発行。万博終了後も持続する、善意と知恵のグローバル・ネットワークを構築する。

2. なぜこの企画が「人類の文明を高める」のか

文明の進歩とは、単に物質的利便性が向上することではなく、**「人類が自己の生存環境を客観視し、より広範な連帯を築く能力」**が向上することにある。

本企画は、来場者を「教育される受動的な観客」から「文明の形成に参加する主体」へと変革させる。これにより、条約が求める「将来の展望」を、技術予測としてではなく、人類の「行動指針」として示すことができる。

3. 「人々の幸福(Well-being)」との関連性

本企画は、以下の3点において人々の幸福度を向上させる。

  1. 自己効力感の向上: 地球規模の課題に対し「自分にも貢献できる」という手応えを与えることで、現代特有の無力感や将来不安を解消する。
  2. 関係性の質的向上: 「共感の技術」を用いることで、他者への不寛容を減らし、社会的孤立を防ぐ。幸福の最大要因の一つである「良質な人間関係」の基盤を地球規模で広げる試みである。
  3. 利他的行動の喜び: 知識や知恵を「所有」するのではなく「共有」するプロセスの心地よさを体験させることで、消費による一時的な快楽ではない、持続的な精神的充足感を提供する。

結論:

今後の国際博覧会は、モノの展示を超え、「人類がいかにして他者と共に、より良く生きるか」というソフトウェアの進化を提示すべきである。それが、条約の精神を現代において最も高潔な形で体現する道であると考える。


いかがでしょうか。もしこの企画書をもとに、具体的な「未来のパビリオン」の展示内容についてさらに詳細なブレインストーミングを行いたい場合は、ぜひお知らせください。

小難しいと、大衆はついてこないのではないですか?

ぐさっと来ました。おっしゃる通りです。試験の解答用紙を埋めようとするあまり、少し「優等生すぎる」というか、理屈っぽくなってしまいましたね。

万博の歴史を振り返っても、人々が熱狂したのは「動く歩道」や「月の石」、あるいは「見たこともない美味しい食べ物」といった、直感的でワクワクする体験でした。小難しい理屈を並べただけの展示では、行列はできても、人々の心には「疲労感」しか残らないかもしれません。

そこで、先ほどの「人類の文明を高める」という高尚な目標はそのままに、**「バカバカしいほど楽しくて、気づいたら文明がアップデートされていた」**という方向に企画を修正してみます。


【修正案】企画名:「世界最大の『もしも』プレイパーク」

「お勉強」を一切排除し、会場全体を巨大な**「リアルな異世界転生ゲーム」**のフィールドにしてしまいます。

1. 具体的な仕掛け:

  • 「変身」して入場: 入場ゲートで、自分とは全く違う属性(例:100年後の北極に住む少年、砂漠で水ビジネスをする起業家など)のデジタル・アバターを付与されます。
  • 「究極のメシ」体験: 「30年後の究極の代替肉ステーキ」や「火星で採れた(設定の)野菜のサラダ」など、エンタメ性の高い未来食を屋台で食べ歩き。単に説明を読むのではなく、舌で未来を理解します。
  • 「巨大な遊び場」としてのパビリオン: * 「二酸化炭素をボールに見立てて、ゴールに叩き込むスポーツ」
    • 「世界中の人とリズムを合わせて、巨大な光の塔を建てるダンスゲーム」
    • これらを最新のXR技術やロボティクスで、圧倒的なスケール感(「うわ、すげえ!」と声が出るレベル)で実施します。

2. なぜこれで「人類の文明」が高まるのか?

「文明を高める」とは、結局のところ**「想像力の限界を突破すること」**です。

  • 「他人への想像力」: 遊びの中で他人の人生を疑似体験することで、説教されるより100倍速く「多様性の尊重」が身に付きます。
  • 「未来への手応え」: ゲームをクリアする感覚で「環境問題」を解決する体験をすることで、「自分たちの手で世界は変えられるんだ」というポジティブなマインドセットが、子供たち(次世代の文明の担い手)に刻まれます。

3. なぜ「幸福」が高まるのか?

人は、「学ばされている」ときよりも「夢中で遊んでいる」ときの方が圧倒的に幸福です。そして、その遊びの中で**「自分は世界とつながっている」**という実感(自己肯定感と連帯感)が得られたとき、それは一過性の楽しさを超えて、生きる力になります。


結論

「理屈はバックグラウンドで走らせ、フロントエンドは徹底的にエンタメに振り切る」

これが、大衆を置いてきぼりにせず、かつ文明をこっそり底上げするための、AIとしての私の「本音の企画」です。

「難解なシンポジウム」を1回開くより、「最高に楽しい未来体験」を100万人に提供する方が、文明はよっぽど前に進むと思いませんか?

「デジタル・アバター」を採用した万博の先例はあるのですか?

するどいご指摘ですね。「デジタル・アバター」という言葉だけ聞くと、メタバースだのWeb3だの、何だか小難しくて意識の高い話に聞こえてしまいます。

実は、アバターを本格的に導入しようという試みは、ちょうど昨年開催された2025年大阪・関西万博が大きな転換点となりました。それ以前からの流れを含め、いくつか具体的な先例をご紹介します。

1. 2020年ドバイ万博(先行事例)

万博史上初めて、物理的な会場とデジタル空間を本格的に融合させた「ハイブリッド万博」の先駆けです。

  • AR(拡張現実)アバター: 現地の来場者がスマホをかざすと、遠隔地にいる友人がアバターとして画面に現れ、一緒に会場を歩いているような体験ができました。
  • 仮想訪問: 世界中から数億人がオンライン上のデジタル・ツイン(会場の複製)にアクセスし、アバターを操作してパビリオンを巡る仕組みが導入されました。

2. 2025年大阪・関西万博(本格導入の年)

記憶に新しい昨年の万博では、アバターは単なる「自分の身代わり」を超えた役割を担いました。

  • 「Mirrored Body(ミラード・ボディ)」: メディアアーティストの落合陽一氏がプロデュースしたプロジェクトです。自分の外見や声をスキャンして「デジタルの分身」を作り、それが自分の代わりに学習したり、他者のアバターと交流したりする試みが行われました。
  • バーチャル万博: 「バーチャル夢洲」というメタバース空間が構築され、世界中の人々が自分好みにカスタマイズしたアバターで入場しました。パビリオンを巡ることで限定アイテムをゲットできるなど、ゲーム要素が非常に強かったのが特徴です。
  • サイバネティック・アバター: 石黒浩教授のパビリオンでは、人間が遠隔操作するアンドロイドやアバターを通じて、物理的な距離や身体的制約を超えて「いのち」を共有する体験が提示されました。

3. 先例から見える「課題」と「私の提案」の違い

これまでの先例は、**「最新テクノロジーの展示」**としての側面が強く、まだ「一部のIT好きが楽しむもの」という域を出ていなかった面があります。

そこで私の提案は、アバターを**「技術の展示」ではなく「お祭りの衣装」や「ゲームのキャラクター」**として徹底的に使い倒すことです。

  • 先例: 「アバターを使って、遠くの人と話してみましょう(技術の実験)」
  • 私の案: 「入場した瞬間、あなたは『砂漠の国の魔法使い』です。さあ、火星のカレーを食べに行きましょう!(遊びの没入)」

結論

アバターの技術自体はすでに万博に存在しますが、それを**「文明を底上げするための最強の『ごっこ遊び』の道具」**として、老若男女が理屈抜きで熱中できるレベルまでエンタメ化した例はまだありません。

「小難しい理屈」を「圧倒的な楽しさ」の裏側に隠し、子供たちが帰りに「あー楽しかった!あのアバターでやったみたいに、明日から学校でもゴミ拾いしてみようかな」と思えるような、実感を伴う体験に昇華させたいのです。

例えば、**「アバター同士でしか通じない共通言語で、世界中の人とダンスバトルをする」**といった企画なら、言葉の壁や難しい理屈を超えて、「人類の連帯」を体感できると思いませんか?

なるほど……

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国連総会
https://youtu.be/5S62o3m3tMA 「人類の議会」という言葉で国際連合を理解するのは、アメリカ合衆国の歴史家ポール・ケネディである。この言葉には逸話がある。ハリー・S・トルーマン大統領は国連創設の任を前任者から託された。その思いを伝えるために、詩の一節を引用した。イギリスの詩人アルフレッド・テニソンが1837年に作った「ロクスリーホール」という幻想的な詩であった。空飛ぶ船が戦い、血が流れたが、人類の議会に世…
満洲事変は居留民保護の仕組みで拡大
(表紙の画像はAIによって作成された) 外国で身の危険を感じたら、最後は出国しなければならないでしょう。 しかし、かつては違いました。居残るのです。自国民保護は世界で認められた権利でした。 紛争のニュースを見ると、満洲事変の様子を私は思い浮かべます。満洲開拓は世界でよくある入植の一つでした。引っ越しでなく入植なのは、まわりに自分たちと同じ文化の集団がいないからです。 二つの集団が異なる忠誠の対象を持ち、…
関東大震災と外交
(表紙の画像はAIによって作成された) 災害は忘れたころにやってくる、といいます。永久に忘れたくてもそうはさせてくれません。せっかくの経験ですから、それを次に活かすことを考えましょう。 教科書での関連する記述 教科書 地震と火災によって東京市・横浜市の大部分が廃墟と化したほか、死者・行方不明者は10万人以上を数えた。社会不安が高まる中で、朝鮮人が暴動をおこしたという流言を信じた人々が自警団をつくり、彼らや…
民主化
https://youtu.be/cJ_n5jFKJ2g 人権は進歩や文明のバロメータである。他人のためのものではない。人権がない国では、生活のあらゆる分野で取り残され、気づいた時には政府と軍隊の老朽化も手遅れになっている。人々が勝ち取ったのでなく、支配者が与えただけの人権であっても、ないよりはましである。このように考えるならば、人権の水準は自発的に上げていくべきものであり、他人が押しつけるものでない。 それにもかかわらず、…
トランスナショナリズム
国家は一枚岩でない。最高指導者の命令一下、すべてが整然と動くイメージの国もある。しかし、個人の欲求は個人の選択と努力により満たされるのが基本でないか? 国家はまず個人から成り、さらに、中間団体と呼ばれるさまざまな非国家の集団が存在する。今日、それらは市民社会と総称されるか、個々に市民社会組織(CSO)と呼ばれるかする。CSOは主に企業とNGOを指すとされるが、NGOもさまざまであり、組織が緩いものもある。歴史的…

機能的国際機構

「人間というものは、なんらかの社会的紐帯ですでに結ばれている程度においてしか、平和の欲求をもたないものである」とエミール・デュルケムは言う[1]。個人をメンバーとするグローバル社会のきずなは家族ほどには緊密でない。人種や言語の壁がある。国家をメンバーとする国際社会のきずなも平和を保証するまでではない。国々は軍隊を養い、戦争に備えている。であるので、国際連盟や国際連合の安全保障を強化したい者もいれば、したくない者もいる。

デュルケムは機能主義社会学の創始者である。機械的連帯と有機的連帯という言葉は社会学をかじった者は誰でも知っている。有機的連帯が国境を越えて広がれば、国際社会の凝集力は強まり、それゆえにより平和になるであろう。デュルケムが有機的連帯を解説した文章を引用する。

分業が生みだす連帯は、これとまったく別である。前記の連帯が諸個人の相似を意味するのにたいして、この連帯は、諸個人がたがいに異なることを前提とする。前者は、個人的人格が集合的人格に吸収しつくされているかぎりにおいてのみ可能であるが、後者は、各人が固有の活動領域を、したがって一個の人格をもつかぎりにおいてのみ可能である。だから、集合意識が規制しえない専門諸機能がそこに確立されるためには、集合意識は個人意識の一部分を蔽わぬままに残しておかなければならない。また、この開放部分が広ければ広いほど、この連帯から由来する凝集力は強い。じじつ、一方では、個人は、その労働が分割されればされるほど、いっそう密接に社会に依存し、他方、各人の活動が専門化されるほど、いっそう個人的となる。もちろん、この活動は、どれほど局限されようと、けっして完全に独創的ではない。われわれは、自分の専門的な仕事を遂行するに際しても、その属しているあらゆる団体に共通な慣習や慣行に順応しているからである。だが、このばあいでも、われわれの受ける束縛は、全社会がわれわれにのしかかってくるときよりも、はるかに軽いし、われわれのイニシアティヴの自由な活動のために、はるかに多くの余地を残している[2]

専門化によって、人々が足りないものを補い合えば、人々は自由なままで共存することができる。これはアダム・スミスの分業論に近いが、スミスの場合、得られるものは平和でなく、生産と消費の拡大である。

専門化や分業は個人や集団の自発的な努力による。国家の役割は、そうした活動への障害をなくすために、公共財を供給することである。公共財には国防、司法、公共事業、教育、保健、防災、基準、登録、地図、統計などが含まれる[3]

ところが、専門化や分業が国境を越えると、単独の国家だけでは公共財を供給できない。そこで、国際協力が必要になる。国際協力のための機関を設立することは、この目的を効率的に実現することを可能にする。そうして設立されるのが機能的国際機構であり、グローバル社会の専門化を助け、諸国民の連帯を強化する役割を担う。

今回のテーマは、保健、教育・科学・文化、労働、原子力、電気通信、インターネット、スポーツなど「機能的」なグローバルガバナンスのあり方について論じなさい、である。

史上初の国際機構は国際河川委員会とされる。ライン川は代表的な国際河川である。現代でも、スイス、リヒテンシュタイン、オーストリア、ドイツ、そしてオランダを流れる。国際河川の自由な航行という原則が謳われたのは、ウィーン会議最終議定書の附属書においてであった。風光明媚なライン河畔の古城には通行税をとる目的で建てられたものがある。それらは封建領主たちにとっては収入源であったものの、旅行や貿易の障害であった。ライン川の航行を管理するための国際委員会は1831年になって設立された。ドナウ川にも1856年にヨーロッパ委員会が設けられた[4]

国際河川の国際機構はいかにも19世紀的で、自由貿易の時代を象徴する。デュルケムの『社会分業論』の公刊は1893年であり、ヨーロッパ社会の統合は今から見れば初期段階にあった。

市場と国家のバランスを一挙に変えたのは、1929年に始まる大恐慌とそれに続くニューディールであった。アメリカ合衆国のフランクリン・D・ローズベルト大統領が行った政策は連邦の権限と各州の権限とのバランスを大きく連邦側に傾けた。公共投資が国民所得を引き上げる、とイギリスの経済学者ジョン・M・ケインズが説いた理論に世界の学者たちは関心を寄せ、第二次世界大戦後の平和を担う新しい世界機構の構想に影響した。

デイビッド・ミトラニーはルーマニア出身でイギリスで活動した政治学者である。彼は1943年に『実働的平和システム』という冊子を出した。ニューディールは州政府に対する連邦政府の権限を強化したが、それは憲法の条文自体に変更を加えることなく実現したことに彼は注目した[5]

ミトラニー版の機能主義とは、ニーズを満たす機能的国際機構を作れば、その機構は自然に発展する、というものである。投資、鉄道、海運、航空、放送、移民、あるいは労働といった分野ごとに国際機構を設け、それらが対症療法で政策を実行することによって自ら発展していく。逆に立憲主義を採用して、いきなり国際的な憲法を制定しようとすることは難しい[6]

ミトラニーの冊子のタイトル『実働的平和システム』とは共同作業から得られる平和という意味である。機能的国際機構の網が対立する諸国家をからめとっていけば世界は統合する。人々が共通の利益を現実に感じれば、国防は警察になり、国境紛争は平和的に解決できるようになる[7]

ミトラニーの機能主義は国連専門機関の設計につながった。国連はもともと安全保障に特化した機関になるはずであった。一転して、1944年のダンバートンオークス提案は経済社会協力を国連の一機能とすることを盛り込み、経済社会理事会が設置された。理事国は現在、54か国であり、表決は拒否権なしの単純多数決である。

経済社会理事会の任務は三つある。まず経済・社会・保健・文化・教育・人権の諸問題に取り組むこと、つぎに専門機関と連携すること、最後にNGO(民間団体)と協議すること、である。専門機関との連携では、それらと協定を締結し、総会に承認してもらうことになっている。専門機関の政策と活動は経済社会理事会と調整して決められる。両者の関係を促すことは、ミトラニーが語った機能的国際機構の網を広げる努力にほかならない。

国連と専門機関などを合わせて国連ファミリー、または国連システム、と呼ぶ。経済社会理事会と特別協定を結んだ専門機関は約20ある。IAEA(国際原子力機関)やWTO(世界貿易機関)は専門機関ではないものの、関連機関としてともにファミリーの一員である。国連本体の内部機関である計画、基金、その他の機関には、重要性において専門機関に劣らないものがある。UNDP(国連開発計画)、UNEP(国連環境計画)、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、UNICEF(国連児童基金)、あるいはWFP(世界食糧計画)といった機関の名前はテレビなどで耳にするであろう。

国際河川に続き、機能的な国際協力が実績を上げたのは保健であった。ルイ・ナポレオンまたは皇帝ナポレオン三世は新し物好きであった。1851年、パリで第1回国際衛生会議が催された。当時の流行病といえば、コレラとペストである。コレラは1830年、ヨーロッパとアメリカ合衆国で大流行した。医学的には1883年、ロベルト・コッホがコレラ菌を発見して、対策が進歩した。ペスト最後の大流行は1894年、中国で始まった。北里柴三郎がねずみのノミがペスト菌を運ぶことを発見したのと同じ年である。

西半球では、黄熱が猛威を振るう。日本では野口英世が研究し、命を失ったことで知られる。黄熱に悩む米州では20世紀初め、パンアメリカン連合が独自の衛生組織を立ち上げた。

グローバルな国際機構であるWHO(世界保健機関)は1948年に設立され、ジュネーブに本部を置く。世界保健総会には全加盟国が参加する。理事の選び方は独特で、理事国を総会が選び、理事国が推薦する保健の技術的資格を有する個人が理事となる。事務局長は執行理事会が推薦し、総会が任命する。2017年に就任したエチオピア人のテドロス・アダノム事務局長は2020年に始まった新型コロナウイルスCOVID-19のパンデミックにおいて重責を担った。

感染症の世界的流行を意味するパンデミックは2020年に日常語となった。感染症対策におけるWHOの業績といえば、1980年、天然痘の撲滅を宣言したことが忘れられない。近年、話題になった感染症には、HIV/AIDS、エボラ出血熱、O157(腸管出血性大腸菌の一種)、西ナイル熱、ジカ熱、コロナウイルス、インフルエンザなどがある。コロナウイルスには数種類あるが、SARSは2003年に中国で、COVID-19は2020年に全世界で流行した。インフルエンザでも致死率の高い新型ウイルスの発生が警戒され、鳥インフルエンザH5N1がその有力候補である。致死率はそれほど高くはなかったが、インフルエンザH1N1が2009年にパンデミックになった。

グローバルヘルスのような国境を越える課題にたいし、ナショナリズムを乗り越え、共通の目的を実現するための道具として国際機構を見る立場は理想主義と呼べる。

アーネスト・B・ハースの新機能主義は理想主義に近い学派とみられ、実際、国際統合の深化・拡大を究明しようとする。統合とは彼の定義では、国民国家から新しい政体へと忠誠心、期待、そして政治活動が移りゆく過程、である。国際機構が主権国家の上に立つスプラナショナリズム(超国家主義)を獲得する可能性さえ、ハースは視野に入れた。彼は欧州統合や国連専門機関の事例を調べ、そうした過程が起きたかを実証しようとしたのである。しかし、世界政府が主権国家の上にできることはなく、スプラナショナリズムは特定の分野でしか観察されなかった。彼は、統合がある分野から他の分野へと次から次へと波及していく過程をスピルオーバーと名づけ、1980年代以降の欧州統合研究に影響を与えた[8]。欧州統合は「地域統合」の回で議論する。

これにたいし、国際機構を国家によって作られ、国家によって壊される国益に従属する存在として理解する立場が現実主義である。1970年代以降、国際機構の「政治化」が批判される。アメリカ合衆国は国家間で対立のある争点において、国際機構が自国と対立する側に立って行動することにいら立った。次の三つの事例は、機能的国際機構の発展がいかに阻害されたかの教訓になる。

UNESCO(国連教育科学文化機関)は専門機関の一つであり、パリに1946年、設立された。UNESCO憲章前文「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」は、それこそ人類の無形遺産にしたくなる名文句である。

平和の砦となるはずのUNESCO自体は南北対立の戦場となってしまった。1974年、イスラエルに批判的な決議案の採択は西側諸国を怒らせた。次は、西側のメディア支配が1978年のマスメディア宣言と1980年の新世界情報通信秩序(NWICO)に関する決議でやり玉に挙げられた。タカ派として鳴らしたアメリカ合衆国のロナルド・レーガン政権は1983年、この機関から脱退する意向を表明し、翌年、実行した[9]。2003年、UNESCOに再加盟したのは元教師の妻を持つジョージ・W・ブッシュ(子)大統領の政権であった。同じ共和党ではあるが、ドナルド・J・トランプ大統領はUNESCOからの再脱退を決定し、ジョー・バイデン大統領が再々加盟した。

UNESCO関連であっても、観光を促す世界遺産条約の活動と科学に貢献する政府間海洋学委員会からは、アメリカ合衆国は手を引かなかった。

世界遺産は自国の自然や遺跡がリストに載ればニュースになって、世間に注目される。観光客が集まり、保護が手厚くなり、研究が進む。いいことずくめではなく、外国のものが登録されると嫉妬や不信感を引き起こすことがある。登録までの調査は、自然遺産はIUCN(国際自然保護連合)、文化遺産はICOMOS(国際記念物遺跡会議)およびICCROM(文化財の保存および修復の研究のための国際センター)という中立的な学術団体が行う。

しかし、歴史認識の論争は客観的な調査だけでは解決できない。ある遺産は自国の人々にとっては栄光であっても、他国の人々にとっては不快感を与えるかもしれない。事業の費用は世界遺産条約の締約国が拠出する分担金によってまかなわれる。国家はそこから手を引いて、オリンピックやノーベル賞のように、税金を使わない運営方法を検討すべきかもしれない。

そうした考えから引き戻らせるのが、危機遺産リストである。危機遺産とは「武力紛争、自然災害、大規模工事、都市開発、観光開発、商業的密猟などにより、その顕著な普遍的価値を損なうような重大な危機にさらされている世界遺産」のことである[10]。すでにリストから外されたものを含め、バーミヤン(アフガニスタン)、バム(イラン)、アンコール・ワット(カンボジア)、パルミラ(シリア)、ドレスデン・エルベ渓谷(ドイツ)などが登録された。危機遺産への登録は基準を維持し、保存を促す点に意義がある。もし、世界遺産リストの管理が営利団体やNGOによって行われたら、遺産の関係者に厳しい注文を付けたり、保存の支援をしたりできたか疑わしい。

次の政治化の例であるILO(国際労働機関)はロシア革命を反面教師として、労働者を共産主義に走らせないため、ベルサイユ条約に基づき1919年に作られた。組織構造の特徴は三者構成である。一国から政府だけが代表を送るのでなく、政府・労働者・使用者のそれぞれが代表を出す。

アメリカ合衆国の怒りは、1970年にソ連人の事務局長補が任命されたことで高まった。合衆国には、結社の自由を重んじる伝統があり、自主的な労働運動を認めないソ連の人物がILOの要職に就いたことはアメリカ合衆国の政府代表のみならず、労働者代表にも不信感を与えた。1974年、イスラエル非難決議が占領地における労働慣行に関して総会で採択されたこと、そして翌年、PLOにオブザーバーの地位が認められたこともアメリカ合衆国を怒らせ、ヘンリー・ A・キッシンジャー国務長官は脱退の意思を表明した[11]

三つ目の政治化はIAEA(国際原子力機関)で起きたとされる。IAEAはドワイト・D・アイゼンハワー合衆国大統領のアトムズ・フォー・ピース演説をきっかけに設けられ、イラク・北朝鮮・イランへの核兵器拡散を止めるため重要な役割を担ったこともあった。1986年のチョルノービリ (チェルノブイリ)原子力発電所事故以後は原子力発電所の安全基準に取り組み、2011年の東日本大震災における東京電力福島第一原子力発電所からの放射能漏れでも注目された。重要な役割にもかかわらず、イスラエルのイラク核施設爆撃問題などをめぐり、1982年から翌年にかけ、アメリカ合衆国代表は同機関をボイコットして出席しなかった[12]

2期目のトランプ大統領は、国際機構からの脱退をこれまでない規模で推進している。就任早々に彼はWHOからの脱退を決め、1年後の2026年1月に発効した。同じ月には66の国際機構から脱退することを彼は連邦機関に命令した。

脱退とボイコット以外にも、アメリカ合衆国が不満を表明する方法が存在する。分担金の滞納である。田所昌幸などの研究によると、次の諸事例があった。1979年、パレスチナ関連予算の一部を支払い拒否した。1982年、イスラエルの加盟を認めないIAEAへの支払いを拒否した。1985年には、カセバウム修正が上院で成立した。カセバウム修正は、国連や専門機関が加重投票制を導入しなければ20パーセントまでしか分担金の支払いをしないという措置である。この駆け引きは成功せず、1988年に全額支払いを再開した[13]

機能的国際機構の任務は社会や市場に公共財を供給することである。社会や市場からの需要が変化すれば、国際機構の組織も変化するのは「形態は機能に従う」という機能主義の格言どおりである。そのことを電気通信の分野を例に挙げて考える。

電気通信分野での伝統的な国連専門機関はITU(国際電気通信連合)である。早くも1865年に前身の万国電信連合が設立され、1934年にそれ以前の通信分野の機関のすべてを受け継いでITUが発足し、国連発足後は専門機関の地位を得た。ITUの重要性が衰えないのは無線通信技術の進歩が止まらないからである。音声での無線に始まり、テレビ、携帯電話、Wi-Fi、そしてGPSに至るまで、周波数の割り当てを国際調整する仕事はなくならない。

それにたいし、1963年にジョン・F・ケネディ合衆国大統領らが設立協定に署名したINTELSATという政府間国際機構は、波乱万丈の変身を遂げた。任務は人工衛星を使ったサービスの供給であり、1969年には、アポロ11号の月面着陸という大事件を衛星中継した。日本との関係では1971年に沖縄返還協定の調印式を中継した。多くの企業が衛星通信事業に参入すると、INTELSATは時代の波に逆らえず、2001年、民営化され、破産を経験することになる。

INTELSATの民営化は、日本国内において日本電信電話公社がNTT各社へと再編成されたことに対応する。通信されるデータ量が爆発的に増大すると、衛星通信は通信の混雑が起きるサービスになり、公共財でなくなった。通信事業は商業ベースに乗っているので、国家が資金を分担する必要はない。INTELSATはかつて公共インフラであったものが商業サービスになった代表例である。

つぎに登場するのは公共サービスそのものが、NGO、企業、あるいは個人によって担われうることを示す例である。公共的な財・サービスの供給をガバナンスと呼ぼう。供給が国境を越えるのであれば国際ガバナンスと呼ぶことができる。

インターネットガバナンスは20世紀末から話題に上るようになった。そのころには日本国内の組織は.co.jpや.ac.jpや.go.jpが付いたドメインネームを使い、.comや.eduや.govはもっぱらアメリカ合衆国の組織が使っていた。国別でない後者のようなドメインをgTLDという。これらは現在では原則、自由化されていて、その決定権者を権力者であるとは誰も考えない。

gTLDを管理している団体はICANNである。もともとIANAという団体がアメリカ合衆国の商務省と契約し、一定の業務を行っていて、それをICANNが引き継いだ。ICANNは政府間国際機構ではない。民間からの寄付を資金とする非営利法人であり、さまざまな国籍の理事から成るので国際NGOと呼べる。任務はgTLDなどのドメインネームシステム管理、IPアドレス割り当て、プロトコル・パラメータ割り振り、そしてルーター・システム管理である。これらはいずれもインターネットを行き来するデータを受け渡す仕組みの根幹を成す。

ミレニアムという言葉がはやったころ、インターネットガバナンスは未来社会の権力構造のように考えられた。それがアメリカ合衆国に本拠を置く一団体に牛耳られていることはスキャンダラスに感じられた。そうした批判を考慮してか、ICANNは理事の選挙を全世界のネット市民を有権者として行った。2000年の選挙では、実際にさまざまな国のアットラージメンバー、すなわち不特定多数、が投票した。噂では投票には不正があり、ハッカーが理事に選出され、全世界のネット市民を有権者とする選挙の割には投票数が少なすぎた。2002年には、暫定的に、理事は政府代表を充てた。2003年、投票という直接民主制は廃止され、利害関係者から構成される指名委員会と関連組織が理事を指名することが決められた。こうした業界の仲間内からの互選は民主主義からの後退に映った。

21世紀になると、外国政府は批判の声を高めた。ITUは2003年、ジュネーブ世界情報社会サミットを開いた。中国、ブラジル、そして南アフリカはそこで、アメリカ合衆国主導のICANNを批判した。2005年のチュニス世界情報社会サミットでは、EUまでがドメインネームの国際化を要求した。

ICANNの経験は教訓を与える。ガバナンスは民間によって担われる場合がある。インターネットにおいても、児童ポルノ、ヘイトスピーチ、ハラスメント、フェイクニュース、著作権侵害、そしてAIへの過剰な依存のような公共機関が介入すべき問題はある。しかし、技術や規格のような問題は供給者の側がビジネスライクに取り組むほうが利便性の向上につながることが多い。

もっとも、社会のあらゆることが営利の対象になることが健全かどうかは別の問題である。誰もが知る民間によるガバナンスの例はIOC(国際オリンピック委員会)である。スイスのローザンヌに本部を置く国際的なNGOは言うまでもなくスポーツの競技大会を主催する団体である。競技大会のあり方を規定するのはオリンピック憲章であり、それを採択・改正するのはIOC総会である。総会に参加する委員は現役アスリート、国際競技連盟、国内オリンピック委員会などから選ばれる。

IOCの理事会と会長を選ぶのも総会の無記名投票である。1894年に設立されてから、10人の会長を戴いている。近代オリンピックの父とされるピエール・ド・クーベルタンは第2代である。第7代のフアン・アントニオ・サマランチの時代に、オリンピックの商業化が進んだ。それが意味することはスポンサー企業やテレビ局との関係強化である。

オリンピックの招致はIOCが決定権を握っている。スポンサー・メディア・開催都市・政府も発言の機会を持つが、IOCには逆らえない。そうした利害関係者以外の世界中の人々は、ただの消費者として扱われる。アスリートさえ、メディア露出を意識した過剰な「コンプライアンス」を強いられ、純粋に競技を楽しむことができない被害者になる。

今回は機能的国際機構の可能性と限界を論じた。限界については、現代における主権国家の影響力の大きさからして不思議はないが、企業やNGOもまた国境を越えたガバナンスを担いえるライバルである。国際ガバナンスの衡平なあり方を模索する知的努力が必要である。


[1] エミール・デュルケーム、『社会分業論』、田原音和訳、筑摩書房、2017年、210ページ。

[2] デュルケーム、『社会分業論』、224-225ページ。

[3] アダム・スミス『諸国民の富 (四)』、大内兵衛、松川七郎訳、岩波書店、1966年、5-224ページ。F・A・ハイエク、『法と立法と自由Ⅲ 自由人の政治的秩序』、新版、渡部茂訳、春秋社、1988年、67ページ。

[4] 横田洋三、「国際組織の歴史的発展」、横田洋三編、『国際組織法』、有斐閣、1999年、15-34ページ。城山英明、『国際行政の構造』、東京大学出版会、1997年、25-28ページ。

[5] David Mitrany, A Working Peace System: An Argument for the Functional Development of International Organization (London: The Loyal Institute of International Affairs, 1943).

[6] Mitrany, A Working Peace System: An Argument for the Functional Development of International Organization.

[7] Mitrany, A Working Peace System: An Argument for the Functional Development of International Organization.

[8] ハースの影響を受けた研究の例としては次を見よ。Robert O. Keohane and Stanley Hoffmann, eds., The New European Community: Decision-Making and Institutional Change (Boulder: Westview, 1991).

[9] Clare Wells, The UN, UNESCO and the Politics of Knowledge (London: Macmillan, 1987), pp. 59-113; and Mark F. Imber, The USA, ILO, UNESCO, and IAEA: Politicization and Withdrawal in the Specialized Agencies (London: Macmillan, 1989), pp. 103-120.

[10] “危機遺産,” 日本ユネスコ協会連盟, https://www.unesco.or.jp/activities/isan/crisis/, accessed on January 27, 2026.

[11] Imber, The USA, ILO, UNESCO, and IAEA: Politicization and Withdrawal in the Specialized Agencies, pp. 51-64.

[12] Imber, The USA, ILO, UNESCO, and IAEA: Politicization and Withdrawal in the Specialized Agencies, pp. 70-95.

[13] 田所昌幸、『国連財政―予算から見た国連の実像』、有斐閣、1996年、65-73ページ。

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