(表紙の画像はAIによって作成された)

早口言葉じゃなくて歴史の話。日本外交史をここから始めることには意味がある。ペリー来航は前近代の事件だったが、近代への歩みは生麦事件から急加速した。

教科書での関係する記述

教科書

1862(文久2)年には、神奈川宿に近い生麦で、江戸から帰る途中の島津久光の行列を横切ったイギリス人が殺傷された(生麦事件)。この事件はのちに薩英戦争(→p.226)をまねく原因となった。
佐藤信、五味文彦、高埜利彦、鈴木淳、『詳説日本史』、山川出版社、2024年、p. 224、n. 2。

教科書

薩摩藩は1863(文久3)年に、生麦事件の報復のため鹿児島湾に侵入してきたイギリス軍艦の砲火を浴びており(薩英戦争)、攘夷の不可能なことを認識していた。
佐藤信、五味文彦、高埜利彦、鈴木淳、『詳説日本史』、山川出版社、2024年、p. 226、n. 3。

薩英戦争とその謝罪

生麦事件の最大の意義は、攘夷の高まりにあった。無鉄砲な浪人ばかりでなく、藩主の父として責任ある立場にあった島津久光のような人でさえ、攘夷の断行に味方したからだ。

しかし、事件の意義はそればかりでない。高校教科書にも、薩英戦争を招いた、と書いてある。戦争だから、それ自体、大事件だ。薩摩藩の城下町、鹿児島、は破壊され、多くの人が死んだ。

鹿児島の破壊については、イギリス庶民院(下院)がそれを陳謝したという説がある。自由貿易論者のリチャード・コブデンも鹿児島の破壊を非難し、私自身、かつてコブデンに研究上の関心があったことから、紀要論文に陳謝の決議が下院を通過した、と書いたことがあった。

http://id.ndl.go.jp/bib/030001513

この説は疑われている。例えば上の細川道久氏の論文のように、遺憾表明決議は通過していない、という分析がある。本当のところは、今でも私は分からない。議事記録を読むと、内容がよく分からない決議が否決されている。修正案が否決されて、原案がとおった、と誤解されやすいのだが、原案もとおらなかったと解釈するほうに分はありそうだ。かつて誤解していた私は遺憾の意を表さなければなるまい。

それはともかく、イギリス議会の議事記録である『ハンサード』を読むと、原案に反対して艦隊司令官による攻撃を正当とした議員たちも、鹿児島の破壊自体は遺憾だった、と認めている。これはどういうことなのか?

https://api.parliament.uk/historic-hansard/commons/1864/feb/09/kagosima-japan-bombardment-of-kagosima

遺憾決議が通過した、というのは誤解だったようだ。それでも、地球は動いている、じゃなくて、イギリスは遺憾を表明した、というのは事実なのだ。往生際が悪いように聞こえるかもしれないが。

https://api.parliament.uk/historic-hansard/lords/1864/feb/04/the-lords-commissioners-speech

なぜなら、遺憾を表明したのはビクトリア女王だったからだ。下院決議案の採決は1864年2月9日だが、2月4日に大法官が女王の遺憾の意を両院に対して読み上げた。つまり、下院は政府や軍人の責任を問わないようにするため決議案をつぶしたものの、女王の遺憾の意まではつぶせなかったのだ。

遺憾なのなら、鹿児島の被害者のためにイギリスは賠償しないのか、という気にもなるが、そうならないのは、なぜ原爆投下を謝罪しないのか、という論争と似た理由からだろう。先に手を出したほうが悪いという論理だ。

生麦事件は攘夷の頂点でもあり限界でもあった。薩英戦争に敗れた薩摩藩は、遅れて下関戦争に敗れた長州藩と同じくイギリスと手を結んだ。薩長が倒幕について合意したとき、内戦は不可避になった。

二重の請求をめぐって

薩英戦争はイギリスが自国民殺害の実行犯の処罰を薩摩藩に請求した結果だった。実は、イギリスは幕府と薩摩藩の両者に「二重の請求」をしていて、幕府はすでに賠償金を払っていたのだ。実行犯の処罰を求めるのはよいが、言うことを聞かないと砲撃をするのはやりすぎだ。当時のパーマストン首相は自らの市民を必ず守るとしたローマ帝国にならい、自国民の生命・財産を保護するためなら武力行使を辞さないことを政策とした。

https://api.parliament.uk/historic-hansard/commons/1864/feb/09/kagosima-japan-bombardment-of-kagosima

二重の請求が正しかったか?、は庶民院での争点だった。賠償金で勘弁してやる、とイギリスは言うべきだったと私は思うが、そうしなかったのは親切心ゆえだったかもしれない。イギリスの軍事力で反抗的な大名を屈服させれば幕府の権威が上がると考えたからだ(石井孝氏の次の本を参照。国立国会図書館の登録利用者(本登録)の方はログインして閲覧可)。長い目では、それが近代化であり、主権国家の形成というものだった。

https://dl.ndl.go.jp/pid/3018823/1/100

長期的な真理と短期的な真理はしばしば異なる。雄藩の屈服は家康さえできなかった難題で、長州征伐に失敗した幕府は権威を立て直せなかった。近代化というイギリスが課した宿題は幕府には重すぎたが、かといって、あきらめるべきだったわけでない。なぜなら、この宿題を越えられなかった諸人民は植民地に落ちていったからだ。

幕府が賠償金を払うまで、事件から半年が経っていた。日本は引き延ばしを図る一方、イギリスの要求は強硬だった。アメリカ合衆国の弁理公使は海軍を背景としたイギリスの態度に批判的で、自国大統領か、ロシア皇帝かによる仲裁への付託さえ考えた。

https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1863p2/d379

幕閣はそれなりに切れ者だったので、引き延ばしは見通しのないことではなかった。賠償金を払えなかったのは、将軍の徳川家茂と後見の一橋慶喜が京都で攘夷を約束させられていたからだ。外国の圧力で賠償金を払わされた、という不面目な真実が最悪のタイミングで明らかにならないよう引き延ばしたのだ(洞富雄氏の本を参照。国立国会図書館の登録利用者(本登録)の方はログインして閲覧可)。

https://dl.ndl.go.jp/pid/12279480/1/17

まとめ

生麦事件には様々な意味があった。鹿児島の破壊、薩摩とイギリスの接近、攘夷から文明開化への転向、長州征伐などだ。日本の近代化という観点では、幕藩体制を終わらせ、雄藩の台頭と戊辰戦争という内戦を招き、明治維新という中央集権化の勝利をもたらすことになった。宿題はやり遂げられたのだ。

過去課題

  1. 一般的に『ハンサード(Hansard)』は、どこで、何について書かれているかを300字以内で解説しなさい。

  2. 次の文において、幕府がイギリス政府の請求に応じたのはかなりの時間が経ってからであるが、どのような要因がそうした遅れをもたらしたかを300字以内で解説しなさい。”THE Government of the Tycoon complied with the Demand made upon them by Her Majesty’s Government, and full Satisfaction having been made, the friendly Relations between the Two Governments have continued unbroken,- but the Daimio Prince of Satsuma refused to comply with the just and moderate Demands which were made upon him.”

  3. 次の文において、強制措置と服従合意とは何を意味するか、そしてビクトリア女王は鹿児島の破壊についてどのように感じているか、を300字以内で解説しなさい。”His Refusal rendered Measures of Coercion necessary, and Her Majesty regrets that while those Measures have brought this Daimio to an Agreement for Compliance, they led incidentally to the Destruction of a considerable Portion of the Town of Kagosima.”

 

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