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日米開戦、日系人強制収容、そして終戦へ ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 時の架け橋』第5章

Keenleyside, Hugh L. Memoirs: On the Bridge of Time (Volume 2, 1982).

(要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook)

今回は、ヒュー・L・キーンリーサイドの回顧録もいよいよ第2巻『Memoirs: On the Bridge of Time (Volume 2, 1982)』です。その第5章では、日米開戦から、カナダにおける日系人の強制収容という暗い歴史、原爆投下、そして戦後の日本占領政策に至るまで、激動の太平洋戦争期が克明に描かれています。

1. 太平洋戦争の勃発とカナダのいち早い宣戦布告

日中関係の悪化に伴い、カナダは日本の資産を凍結し、駐日公使を空席のままにするなど対日関係は冷え込んでいきました。独ソ戦の開始を見た筆者は、日本が「南進」するという予想を立て見事に的中させます。 そしてついに真珠湾攻撃の報をニューヨークで知った筆者はオタワへ直行し、国王の承認を得て対日宣戦布告を行います。驚くべきことに、この時カナダはアメリカやイギリスよりも早く行動を起こしていたのです。開戦後、外務省の全努力は戦争の実行へと向けられました。

2. 日系カナダ人へのデマと理不尽な強制収容

この章で最も重いテーマとなるのが、カナダ国内(特にブリティッシュ・コロンビア州)での日系人に対する迫害です。開戦後、日系人が「スパイである」「漁業や農業を独占している」といった無根拠なデマやヘイトが、ラジオなどを通じて急速に広まりました。 政府の委員会が再調査を行っても、日系人による転覆活動の証拠は皆無でした。しかし、人種的偏見に基づく敵意と暴動への恐れから、連邦政府は全日系人の保護区域からの強制退去(強制移住)を決定してしまいます。日系人の財産は二束三文で処分され、彼らは農場やキャンプでの厳しい生活を強いられることになりました。

3. 正義を貫いた筆者と、キング首相との決定的な対立

筆者は、転覆活動の証拠が皆無である以上、強制移住は「不必要で不正義」であると強く主張し、カナダは勇気ある政策をとるべきだったと批判しました。しかし、この正しい主張は、大衆の感情を優先して日本に口実を作られまいとするキング首相を失望させることになります。 結果としてキング首相の不興を買った筆者は、対日交渉の担当から外されてしまいます。それでも筆者は、「昇進せずとも悔いなし」と、自らの信念を曲げなかった矜持を書き残しています。

4. 原爆投下の悲劇と、戦後日本の占領構想

戦争の終結を決定づけた8月6日の原爆投下について、筆者はそれが「何万人を救った」としつつも、別の方法で威力を示せば「虐殺は避けられた」はずの悲劇であったと複雑な思いを記しています。 さらに、終戦直後のアメリカ国務省内における対立にも言及しています。皇室や財閥を利用しようとする保守的な親日派(極東問題局長グルーら)に対し、筆者は、日本には「土地改革・財閥解体・新憲法が必要」であると強く主張しました。その後、筆者は駐メキシコ大使に任命され、長年関わってきた日本問題から離れることになります。

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実証主義、批判理論、ポストモダン
国際政治学とは、諸国民間における力と平和を求める闘争に関する研究である。モーゲンソー流に言うとこのようになる。その一方で、こうした定義はしばしば批判されてきた。なぜ、人々の幸福なり、ウェルビーイングなりを研究の対象としないのか? 確かに、21世紀になって高まった持続可能な開発目標(SDGs)への注目にはそうした問題意識が反映されていた。 今回のテーマは、実証主義とポスト実証主義の間の方法論上の論争が、国際政…
戦争の歴史
戦争に命が懸けられるのは根深い社会問題が背景に横たわるからである。他方で、戦争はテクノロジーの問題でもあり、テクノロジーは戦争の形を変化させる。惨禍を何とかしようと思うならば、社会も、テクノロジーも管理するべきである。今回のテーマは、時代により戦争の原因と形態はいかに変化したかを例示しながら論じなさい、である。 戦争について述べる時、まず戦争を定義するべきである。ゲリラ戦は含まれるか? 革命下のアナ…
満洲事変は居留民保護の仕組みで拡大
(表紙の画像はAIによって作成された) 外国で身の危険を感じたら、最後は出国しなければならないでしょう。 しかし、かつては違いました。居残るのです。自国民保護は世界で認められた権利でした。 紛争のニュースを見ると、満洲事変の様子を私は思い浮かべます。満洲開拓は世界でよくある入植の一つでした。引っ越しでなく入植なのは、まわりに自分たちと同じ文化の集団がいないからです。 二つの集団が異なる忠誠の対象を持ち、…
Geminiさんの答案 研究各論(国際政治経済)2024年度前期
カーボンフットプリント(CFP)という概念がある。「製品・サービス1のライフサイクルにおける温室効果ガス排出量をCO2量に換算し表示するもの」と定義される。 経済産業省と環境省によると、CFPは下のように算定される。 「CFPは製品のライフサイクル(原材料調達、生産、流通・販売、使用・維持管理、廃棄・リサイクル)におけるGHG排出量をCO2量に換算し表示するものです。以下の流れで算定します。 ① 算定対象製品のライフサイ…
「グローバルガバナンスの教科書」投稿の完了
サイト訪問ありがとうございます。 「グローバルガバナンスの教科書」の全記事が投稿されました。 今後の予定としては夏・秋に小規模なアップデートと読み上げの追加がございます。1回だけで終わるのかこれからも更新されるのかは未定です。

開戦前夜の重苦しい空気と国王行幸 ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第15章

Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981).

(要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook)

これまで日本の滞在記を中心にお届けしてきたキーンリーサイド回顧録ですが、第15章では舞台が母国カナダへと移ります。エドワード8世の退位や国王ジョージ6世の北米行幸という華やかな王室外交の裏で、ファシズムが台頭し、第二次世界大戦へと引きずり込まれていく悲痛な開戦前夜の様子が描かれています。

1. 激動の1936年と秩父宮一行への随行

本国カナダに戻った筆者は、外務省米州極東局で多忙な日々を送りつつも、オンタリオ州の農場を借りて家族と充実した夏を過ごしていました。しかし1936年、イギリス王室を揺るがす「エドワード8世の退位」という大事件が起きます。筆者は、王の結婚を非難する一方で愛人の存在には目を瞑る教会の偽善に怒りを覚えつつ、退位後のウィンザー公爵の変わらぬ愛を日記に書き留めています。 翌1937年、ジョージ6世の戴冠式に日本の秩父宮一行が参列した際、筆者は往路・復路ともにカナダを経由する一行に随行しました。帰路では中国系住民による反対デモの懸念が高まっており、鉄道から船への乗り換えや騎馬警察の配置など、安全のための厳重な警備調整に奔走することになります。

2. 日系人排斥運動と不法移民調査の真実

秩父宮の訪問が無事に終わった後、筆者を待っていたのは「日系人排斥」という重苦しい国内問題でした。戦間期のカナダではスパイ疑惑や不法移民の告発が激化しており、筆者は不法移民を調査する委員会の議長に就任します。 筆者たちはブリティッシュ・コロンビア州の農林水産業地域で標本抽出を行い、緻密な調査を実施しました。その結果、1862人の日系人を調べたうち、不法滞在者はわずか8人しかいないことが判明したのです。日系人の不法移民は全体でも100人を大きく超えることはなく、排斥運動の根拠となっていた告発のほとんどが無根拠なものであったことを、筆者は冷静なデータで突き止めました。

3. 国王ジョージ6世夫妻の歴史的北米ツアー

1939年春、世界大戦が目前に迫る中、筆者は国王ジョージ6世夫妻(現エリザベス女王の両親)をカナダに招待する委員会の書記という大役を任されます。 国王の訪問先の選定、報道機関の厳しい要求への対応、特別列車の部屋割りなど、その準備は困難を極めました。旅のストレスに耐える健康状態の優れない国王と、完璧な振る舞いでカナダ人を魅了する王妃の姿を、筆者は間近で観察しています。さらにアメリカ訪問にも随行し、ルーズベルト大統領の紹介で有力者と面会したり、国王がコーラとホットドッグを堪能したりと、気さくで秩序正しい歴史的な親善の場面に立ち会いました。

4. 第二次世界大戦の勃発と中立をめぐる苦悩

華やかな国王行幸の背後で、文明の危機は確実に迫っていました。イギリスが戦争に巻き込まれた際、カナダは法的に中立を保てるのかという激しい論争が政府内で巻き起こります。 当時のキング首相は融和政策を支持して戦争への明確な策を持たず、欧州問題に対して責任感を抱いていませんでした。一方、筆者はラジオでヒトラーの演説を聴き、もはや戦争は避けられないと確信します。そしてついにイギリス政府が交戦状態を発表した開戦の日、第一次世界大戦のときのような熱狂や興奮はなく、カナダ政府が対応を決めかねる中、オタワの街を包んでいた重苦しい空気が克明に記されています。

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ベトナム戦争
なぜ、アメリカ合衆国はベトナムに介入したのか? その説明の一つがドミノ理論である。1954年、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領は次の発言をした。 いわゆる“ドミノ倒し”の原理は知っているだろう。ここに一列に並べたドミノがある。最初のを倒せば、最後のまでどうなるかははっきりしている。あっという間に倒れていくのだ。―中略―したがって[ベトナムを]失うことになれば、自由世界には計り知れない打撃となる[1]。 共産主義…
Geminiさんの答案 研究各論(グローバル・ガバナンス)2024年度前期
国際博覧会事務局(BIE)に登録された国際博覧会は、今後、どのような企画を催せば、人類の文明を高めることができるであろうか? あなたの企画をできるだけ具体的に提示し、それがなぜ人々の幸福を高めるかを説明しなさい。(10点) (参考) 国際博覧会条約 第一条 定義 1.博覧会とは、名称のいかんを問わず、公衆の教育を主たる目的とする催しであって、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類…
G7
https://youtu.be/QcLlwM28N2U G7、すなわちグループ・オブ・セブン、はかつて日本語では「先進国首脳会議」と訳された。7か国以外にもスイスや韓国といった先進国があるので、もうこの訳語は不適切であるのであろう。現在は、「主要国首脳会議」が正式の訳である。これにはこれで、中国やロシアはどうなのか?、といった異議が出るかもしれない。さらに「サミット」だけでG7を指すことがあるが、サミットは首脳会議の意味の普通名…
湾岸戦争に国際貢献するぞ!、と
(表紙の画像はAIによって作成された) 地雷は土に埋まっている爆弾。機雷は海に沈んでいる爆弾。 地雷を除くことは地雷除去。機雷を除くことは掃海。掃海のために使う船が掃海艇。 日本史で掃海が注目されたことは何度かあります。授業の最終回は1991年の湾岸戦争が舞台です。 教科書での関連する記述 教科書 湾岸戦争後の1991(平成3)年、ペルシア湾に海上自衛隊の掃海部隊が派遣され、自衛隊の海外派遣の違憲性などをめぐって意見…
難民と人道援助
紛争が起きれば、戦闘員だけでなく非戦闘員の被害も大きい。誤射や誤爆の巻き添えになるばかりでなく、破壊や避難によって、衣食住に支障が出る。着の身着のまま逃げ出せば、着る物も雨風をしのぐ所もない。店が閉まり、食品も届かない。健康が損なわれるのは時間の問題である。こうした事態は地震や水害のような天災でも同じであるので、非紛争地域の人たちにも他人事でない。今回のテーマは、難民・国内避難民など紛争下の文民…

1933年の暗雲から帰国、そして大戦前夜へ ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第14章

Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981).

(要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook)

前章までに引き続き、ヒュー・L・キーンリーサイド回顧録から第14章の要約をお届けします。この章では、ついに1941年の破局(日米開戦)に向かう日本の暗い世相と、筆者の日本離任が描かれます。さらに舞台は母国カナダへと移り、アクの強い政治家たちとの交流や、迫り来る大戦に備えた外務省の近代化の様子が記録されたボリューム満点の章です。

1. 暗い予感と狂騒の1930年代日本

1933年の筆者の日記は、軍需の増加や、1941年の崖(破局)へと向かう情勢といった「悪い予感」から始まります。犬養毅暗殺事件の犯人に対して海軍大臣が「改悛させることが希望」と甘い対応を見せたことや、共産主義者が大量逮捕されたことに対し、筆者は強い皮肉を感じていました。 一方で、劇作家バーナード・ショーが来日するという文化的な出来事もありましたが、ショーは「八雲の美を待っていたが地獄だった」と当時の日本を痛烈に批判しています。やがて日本は国際連盟を脱退し、他国との安保や軍縮を拒絶して孤立の道を深めていきました。

2. 家族の病、貿易戦争、そして日本との別れ

公使館内部でもトラブルは絶えません。日加間で貿易戦争の危機が迫る中、マーラー公使は腹膜炎などの病気で入退院を繰り返し、興奮して我を忘れるなど、筆者たちを振り回しました。さらに、筆者の娘が骨折し、息子がペルテス病にかかるなど、家族の深刻な健康問題も重なります。 そして1936年の1月末、筆者一家はついに日本を離れる決意をします。美しい自然と優しい人々に後ろ髪を引かれながら、「さよなら」の本当の意味を噛み締め、世界大戦へと距離を広げていく日本に別れを告げました

3. キング首相の「裏の顔」と政界の人間模様

嵐の航海を経てオタワに帰国した筆者を待っていたのは、マッケンジー・キング首相のもとでの任務でした。筆者はキング首相を「カナダを大国に近づけた偉人」と高く評価しつつも、その複雑な内面を赤裸々に暴露しています。 人類愛を語りながら個々の人間には無関心であり、貧しいと自称しながら実は金持ちだったことや、買春疑惑、ビタミン剤を贈った某夫人との関係など、裏の顔が次々と明かされます。スケルトン次官の遺体を前にして一人狼狽する姿など、権力者の人間臭いエピソードが綴られる一方、時代に逆行して没落した最大の政敵アーサー・メイゲンに対する冷徹な人物評も読みどころです。

4. 大恐慌の祖国と、外務省の近代化

帰国後、筆者はカナダ全土で極東問題に関する講演ツアーを行い、大恐慌が国中に与えた苦しみを目の当たりにします。 同時に、戦争の脅威が迫る中、カナダ外務省は組織の拡大と採用増を迫られていました。外務省の選考委員となった筆者は、それまで採用で不利だったフランス語圏(ケベック州)出身者を意識的に登用したほか、見過ごされがちだった女性や、学者、外務経験者など多様な人材の採用を力強く推し進めました

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戦前日本の素顔と外交官の余暇 ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第11章
Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981). (要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook) 第10章に引き続き、ヒュー・L・キーンリーサイド回顧録の第11章をお届けします。この章では、厳しい外交の現場から少し離れ、筆者自身の豊かな余暇の過ごし方や、戦前の日本の文化、風習、そして交流のあった多彩な人々とのエピソードが生き生きと描かれています。 1. 日本文化への傾倒と、スポ…
第2次日韓協約のご都合主義
(表紙の画像はAIによって作成された) 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で吉田松陰が伊藤博文を「周旋の才あり」と評したそうです。元ネタは何かな、と思いましたが、そういう趣旨を松陰が書いた手紙があるそうです(伊藤之雄、『伊藤博文』)。後世から見れば、伊藤のキャラクターを決定づけるほど的を射た評価です。しかし、第2次日韓協約ほど、この才能が痛惜な結果をもたらした例はなかったろう、と後世に生きる私は感じます。 教科書…
トランスナショナリズム
国家は一枚岩でない。最高指導者の命令一下、すべてが整然と動くイメージの国もある。しかし、個人の欲求は個人の選択と努力により満たされるのが基本でないか? 国家はまず個人から成り、さらに、中間団体と呼ばれるさまざまな非国家の集団が存在する。今日、それらは市民社会と総称されるか、個々に市民社会組織(CSO)と呼ばれるかする。CSOは主に企業とNGOを指すとされるが、NGOもさまざまであり、組織が緩いものもある。歴史的…
普遍的人権
https://youtu.be/52BYfykXUDI 人権外交について具体例に言及しながら論じなさい、というのが今回のテーマである。人権は市民革命の時代から、もっぱら国内の法規範であった。普遍的人権、というのは、それを万国、全世界に広げようという発想である。これもローズベルトの四つの自由が発端であった。それ以来、行われてきた人権外交は、壮大な人類の実験と呼んでよい。 第二次世界大戦後の秩序を、アメリカ合衆国では国務省が立…
21世紀の戦争
人は祖国のためなら命を捨てる。これは21世紀になっても変わらない。今回のテーマは、21世紀における武力紛争を例に挙げ、祖国を自衛するために使われる暴力において、戦闘員はどのような目標・手段・組織・理由を持つかについて論じなさい、である。 21世紀が始まった時、暴力といえばパレスチナ人の自爆テロであった。「イスラム原理主義組織」のメンバー、と言えばぎょうぎょうしいが、犯行そのものは個人的で、爆弾をベルトで…

満州事変の衝撃とオタワ会議 ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第13章

Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981).

(要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook)

前章までに引き続き、外交官ヒュー・L・キーンリーサイドの回顧録をお届けします。第13章では、世界の歴史を大きく動かした「満州事変」勃発時の緊迫した様子や、その後の国際社会の対応、そして筆者が参加したオタワ会議での外交戦など、激動の1930年代初頭が描かれています。

1. 満州事変の勃発と緊迫の夜

1931年、東アジアの歴史を決定づける最重要事件である「満州事変」が勃発します。事変の夜は暑く、嵐の予感がしたと筆者は回顧しています。翌朝、子守から事件を知らされた筆者はすぐさま情報収集に走り、外交行嚢を用意して、カナダにとって開戦を伝える最初の外交報告を行いました。 軍や右翼が政府を攻撃し、日本国内に敵愾心が広がる中、中国軍が鉄道を破壊し日本軍が奉天を攻撃したという情報(日本側の情報源のみによるもの)が駆け巡りました。日中の高官で温度差があり、幣原外相らが戦争を回避しようとする一方で、軍部に統制が効かなくなっていく日本の状況がリアルに記録されています。

2. 国際社会の無関心と日本の孤立

日本軍による占領急拡大の報告が数ヶ月続く中、筆者は、英米が幣原らを支えず、大国が国際連盟の支持を口にするだけでいつか日本を許すだろうという態度をとったことが、結果的に日本の軍部や後のヒトラーを増長させたと厳しく指摘しています。 マーラー公使も当初は貿易を優先し対日関係を維持しようとしていましたが、上海事変で日本が口実を設けて戦闘を続け、ハルピンへ進出するに及んで日本の非を認めるようになります。筆者は国際連盟による行動を強く主張しましたが、事態を止めることはできず、満州事変は日本の評判を大きく損ないました。

3. オタワ会議と本国カナダでの日々

満州事変の影響で人事異動がなくなり、筆者は賜暇をとってカナダへ帰国します。本国では加首相の約束通りオタワ会議が開催され、筆者もこれに出張・参加しました。 会議では、イギリスの反対や各国のプライド、政治的配慮が賢明な議論を妨げ、業界からの妨害やベネット加首相に対する悪口も飛び交うなど、外交の泥臭い一面が描かれています。一方で、夫婦で大西洋沿岸やケベックを旅行し、中古車でロッキー山脈をドライブするなど、不況下でありながらも故郷での数か月を幸せに過ごす様子も綴られています。

4. 日本への帰還と「満州国」をめぐる議論

日本に戻った筆者を待っていたのは、リットン報告書に同意せず、国際社会からさらに乖離していく日本の姿でした。公使との間で日中の将来について議論が交わされ、公使が「日本は溥儀のもとに独立国を作るだろう」と予想するのに対し、筆者は「溥儀の国は失敗し、日本は最終的に撤退することになる」と予言しました。 結果として筆者の予言より時間はかかったものの、日本は敗北へと向かうことになります。緊迫する東アジア情勢の行く末を正確に見据えていた外交官の慧眼が光る章の結びとなっています。

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Geminiさんの答案 研究各論(国際政治学)2024年後期
どこか一つの国をとりあげ、その国の地政学的な特徴を軍事・安全保障の観点から具体的に議論しなさい。 提出回答:ポーランドの地政学的特徴と安全保障 ポーランドは、歴史的に「欧州の戦場」と呼ばれてきました。その理由は、この国が持つ独特の地形と、大国に挟まれた配置という地政学的宿命にあります。軍事・安全保障の観点から、以下の3点を中心に議論します。 1. 「北欧州平原」という地形的脆弱性 ポーランドの国土の大部…
モンロー・ドクトリン
https://youtu.be/-1ZsPTM2fMw 地域主義はグローバリズムの対義語である。また、それはナショナリズムの対義語でもある。かつて地域主義の指導者であったアメリカ合衆国は、いつの間にかグローバリズムの指導者になってしまった。初期の合衆国は当時の世界でも珍しい共和主義または民主主義の政治体制であったが、小国がイギリスやフランスといったグローバルな大国に対抗するため、弱い仲間どうしまとまろうとしたのが地域主義の…
Geminiさんの答案 研究各論(グローバル・ガバナンス)2022年度前期
国際連合が存在するのに、なぜ、同盟は必要であるのか? 国際連合憲章の諸規定と具体的な国際情勢に言及しながら論じなさい。 1. 国連憲章第51条:同盟の法的根拠 国連憲章は本来、すべての加盟国が協力して侵略を防ぐ**「集団安全保障」を理想としています。しかし、その限界を自ら認める形で第51条**を置いています。 憲章第51条: 加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な…
開戦前夜の重苦しい空気と国王行幸 ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第15章
Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981). (要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook) これまで日本の滞在記を中心にお届けしてきたキーンリーサイド回顧録ですが、第15章では舞台が母国カナダへと移ります。エドワード8世の退位や国王ジョージ6世の北米行幸という華やかな王室外交の裏で、ファシズムが台頭し、第二次世界大戦へと引きずり込まれていく悲痛な開戦前夜の様子が描かれています…
ベトナム戦争
なぜ、アメリカ合衆国はベトナムに介入したのか? その説明の一つがドミノ理論である。1954年、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領は次の発言をした。 いわゆる“ドミノ倒し”の原理は知っているだろう。ここに一列に並べたドミノがある。最初のを倒せば、最後のまでどうなるかははっきりしている。あっという間に倒れていくのだ。―中略―したがって[ベトナムを]失うことになれば、自由世界には計り知れない打撃となる[1]。 共産主義…

満州事変前夜の東アジア視察旅行 ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第12章

Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981).

(要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook)

前章までに引き続き、外交官ヒュー・L・キーンリーサイドの回顧録をお届けします。第12章では、日本国内を飛び出し、朝鮮半島、ソ連(ウラジオストク)、そして緊張高まる満州・中国方面へと足を伸ばした「東アジア旅行」の記録が綴られています。満州事変前夜の緊迫した国際情勢や、各地のリアルな情景がスリリングに描かれています。

1. 朝鮮半島の素顔とカナダ人の活動

筆者はラングリーらと共に、朝鮮、沿海州、満州、内蒙古、華北を巡る東アジア旅行を計画しました。下関や釜山では写真撮影が禁止されるなど、当時の物々しい雰囲気が伝わってきます。 京城(現在のソウル)に到着後、現地の病院や大学を経営するカナダ人宣教師たちと面会し、日本の教育に対する朝鮮人の反発について証言を得ました。大多数の朝鮮人が小規模農業に従事しており、小さくて木製の鋤を使っている様子や、防風壁があり一軒一軒が離れている村の風景を観察しています。筆者は「日本の着物よりも朝鮮の白い衣装のほうが好きだ」と率直な感想も記しています。

2. ウラジオストク上陸とソ連の実態

一行は、朝食がおぞましいほど劣悪な「釜山丸」に乗って、ソ連のウラジオストクへと向かいます。上陸したウラジオストクは建物が素晴らしい一方で、革命により名称が変えられ、町の裏側には貧しさが広がっていました。 現地ではユダヤ人の外務人民委員を頼りにしつつ、宗教や帝政を攻撃するひどい宣伝映画を目撃します。筆者は「ロシアはひどいこともするが理想も追う」と冷静な分析を残しました。また、現地の貿易機関長と会談し、カナダ本国への果物輸出を提案するなど、実務的な外交活動も抜かりなく行っています。

3. 中ソ紛争下の満州と張学良の野心

その後、中東鉄道をめぐる中ソ紛争の戦場を通過し、中国兵や初めて見るラクダの隊列を観察しながら満州へと足を踏み入れます。ハルピンではイギリス総領事やデンマーク領事、銀行経営者らと大豆貿易などの通商関係について深く議論を交わし、当時の領事が日本を「満州の安定要因」と見なしていた実態を知ります。 奉天(瀋陽)では、順調な南満州鉄道の様子を目の当たりにし、張学良のオーストラリア人経済顧問と面会しました。経済顧問からは、張学良が奉天の近代化や改革、満州での鉱山法の導入などに強い意欲を持っていることが伝えられました。

4. 新旧中国の闘争と、視察がもたらした成果

万里の長城を楽しみにしつつ北京へ向かった筆者は、イギリス公使館を訪問し、新旧中国の闘争や蒋介石について議論しました。新中国が勝てば西洋化が進展するだろうという見通しも語られています。 その後、京都や神戸を経て日本へ帰還しますが、京都に対しては「近代化に遅れている」と感じたようです。また、留守を任せていたカークウッドからは、北海道のアイヌの状況や、女性が鉱山で労働している実態についての報告を受けました。 この広範な北東アジア訪問で得た知見は、のちに勃発する「満州事変」について、筆者が本国へより正確な報告を行うための大きな助けとなりました。

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自由主義モデル
グローバルガバナンスについて語ることは、神や仏を語ることと、さほど変わらない。災害、貧困、病気、あるいは戦争などの苦しみを人類はまだ克服していない。数千年間、神や仏の救いを求める人々が聖像に託したものを、現在、グローバルガバナンスの概念が引き受けようとしている。 一握りの人々にとっては、グローバルガバナンスは理想主義的な国際連合のイメージである。それは慈悲深く、人類を救う世界政府である。理事会、総…
満州事変の衝撃とオタワ会議 ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第13章
Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981). (要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook) 前章までに引き続き、外交官ヒュー・L・キーンリーサイドの回顧録をお届けします。第13章では、世界の歴史を大きく動かした「満州事変」勃発時の緊迫した様子や、その後の国際社会の対応、そして筆者が参加したオタワ会議での外交戦など、激動の1930年代初頭が描かれています。 1. 満州事変の勃…
期末試験チャレンジ  研究各論(国際政治経済)2025年度前期
読み込んでいます…
1933年の暗雲から帰国、そして大戦前夜へ ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第14章
Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981). (要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook) 前章までに引き続き、ヒュー・L・キーンリーサイド回顧録から第14章の要約をお届けします。この章では、ついに1941年の破局(日米開戦)に向かう日本の暗い世相と、筆者の日本離任が描かれます。さらに舞台は母国カナダへと移り、アクの強い政治家たちとの交流や、迫り来る大戦に備えた外務省の近代化の様…
実証主義、批判理論、ポストモダン
国際政治学とは、諸国民間における力と平和を求める闘争に関する研究である。モーゲンソー流に言うとこのようになる。その一方で、こうした定義はしばしば批判されてきた。なぜ、人々の幸福なり、ウェルビーイングなりを研究の対象としないのか? 確かに、21世紀になって高まった持続可能な開発目標(SDGs)への注目にはそうした問題意識が反映されていた。 今回のテーマは、実証主義とポスト実証主義の間の方法論上の論争が、国際政…

戦前日本の素顔と外交官の余暇 ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第11章

Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981).

(要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook)

第10章に引き続き、ヒュー・L・キーンリーサイド回顧録の第11章をお届けします。この章では、厳しい外交の現場から少し離れ、筆者自身の豊かな余暇の過ごし方や、戦前の日本の文化、風習、そして交流のあった多彩な人々とのエピソードが生き生きと描かれています。

1. 日本文化への傾倒と、スポーツを通じた交流

筆者は日本の風物詩を愛し、帰宅後には浴衣と足袋に着替える習慣を持つほど日本文化に親しんでいました。美しい日本の陶磁器や庭園を絶賛し、特に龍安寺の庭園を「推し」として挙げています。 また、スポーツマンでもあった筆者は、外国人野球チームでの試合や、強敵不在の中で日本のバドミントン選手権で優勝するなど、アクティブな日々を送りました。グルー米大使とのゴルフでは「ダブル・イーグル(アルバトロス)」を達成したという驚きのエピソードも記録されています。一方で、サッカーで交歓した日本人選手の多くが後に戦死してしまうという、時代を感じさせる悲しい述懐も含まれています。

2. 温泉巡りと、驚きの「富士登山」体験

日本中を散歩し、風景の変化を楽しむ筆者にとって、温泉につかることはこの上ない満足でした。秩父の集団浴場では村人と「裸の付き合い」を経験し、日本では「裸は見えるもので、見るものではない」という独自の感覚を学んでいます。 さらに、3人で夜通し富士山に登頂したエピソードも強烈です。ご来光に向かって日本兵が万歳三唱し神を拝む姿を目撃する一方で、旅行者による大量のポイ捨て(ゴミ)に深く失望したという、現代にも通じるリアルな感想を残しています。下山時には灰の斜面をまっすぐ駆け下りるという豪快な体験もしています。

3. 奇妙な異文化体験と天皇への謁見

日本の風習に対する外国人ならではの驚きもユーモアたっぷりに綴られています。たとえばクリスマスの時期には、百貨店のツリーになんと「十字架にかけられたサンタクロース」が飾られていたという信じられないような光景を目撃しています。また、贈り物に際して「つまらないもの」とへりくだる日本の表現にも触れています。 公的な場では、天皇皇后両陛下への謁見や園遊会に参加しました。園遊会で出された洋食を日本人の客がお土産として持ち帰る姿や、女性の地位、男女で異なる日本語の使われ方(女性店員と支配的男性の単語の違いなど)といった社会的な観察も鋭く行っています。

4. 外交官たちの人間模様と、多彩な訪問者たち

この章では、各国の外交官たちへの率直な人物評も読みどころです。頼りになったと高く評価するグルー米大使に対し、フォーブズ米大使は外交を知らず「緊迫した任地に適任でなかった」と辛口です。また、後に駐伊大使として三国同盟を推進する「狂気の」白鳥敏夫との意見対立や、スパイとして名高いゾルゲと関連のあるドイツのオット大使など、きな臭い時代のキーパーソンたちも登場します。 カナダからの訪問者も絶えず、労働活動家ウッドワースが元首のように厚遇された様子や、らい病患者の病院を運営し政府に隔離を求めたリデル女史など、様々な立場で日本と関わる人々の姿が描かれています。

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人工知能
2020年に始まった新型コロナウイルスCOVID-19のパンデミック(世界的流行)は、人々を自宅に閉じ込めた。街から人影は消え、鉄道は空気を運び、国境をまたいだ人の移動はほぼ途絶えた。対面の会話はマスク越しになされ、誰かが咳をするのが聞こえると皆、恐怖感に襲われた。これが新しいノーマルなのだ、と信じた人もいたが、ソーシャルディスタンスはとりあえず3年間で終止した。 今回のテーマは、人工知能がもたらす社会への脅威…
ゲーム理論
ゲーム理論におけるプレイヤーはエゴイスト、つまり、自分の利益をできるだけ大きくしようとする者、である。エゴイストが複数いて、それぞれ、どの選択肢をとるか、を考える。エゴイストは利益になれば協力し、ならなければ協力しない。今回のテーマは、国際政治における協力は得か損か、場合分けしたうえで、ゲーム理論の用語を使って議論しなさい、である。 ゲーム理論の先駆者といえば天才の評判があるジョン・フォン・ノイマ…
期末試験チャレンジ 研究各論(国際政治経済)2024年度前期
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満州事変の衝撃とオタワ会議 ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第13章
Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981). (要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook) 前章までに引き続き、外交官ヒュー・L・キーンリーサイドの回顧録をお届けします。第13章では、世界の歴史を大きく動かした「満州事変」勃発時の緊迫した様子や、その後の国際社会の対応、そして筆者が参加したオタワ会議での外交戦など、激動の1930年代初頭が描かれています。 1. 満州事変の勃…
人身売買
https://youtu.be/hvD0L3wud-g どこからが人身売買で、どこまでは違うのか?、というのは難問である。子供を売るのはもってのほかとして、臓器を売るのも危険すぎて十分、反社会的である。では、髪の毛を売るのはどうなのか? 一生、奴隷としてこき使うのはもってのほかとしても、スポーツ選手と複数年契約を交わすのはどうなのか? 人身売買とそれ以外の実践とでは、微妙なところは明確に区別できず、程度の問題でしかないこともあ…

在日カナダ人の活動と昭和初期の宗教・教育 ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第10章

Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981).

(要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook)

第8章、第9章に引き続き、今回はヒュー・L・キーンリーサイド回顧録の第10章をお届けします。この章では、外交の表舞台から少し離れ、当時の日本社会で活動していたカナダ人宣教師たちの実態や、彼が深く観察した日本の宗教、社会奉仕、そして教育事情が鮮明に描かれています。

1. 在日カナダ人宣教師たちの光と影

当時、在日カナダ人の最大勢力であり、最も日本の現実を知っていたのは宣教師たちでした。彼らの多くは高学歴で社会奉仕も行っていましたが、一方で布教だけを行う無教養な宣教師が悲惨な結果を招いたり、血なまぐさい歴史や他宗教への不寛容といった障害を抱えたりもしていました。 しかし、アレン嬢やボット牧師夫妻のようにスラムでの救貧活動に従事して尊敬を集める人々や、医療・農業・教育の実践を通じて献身的に働く宣教師もおり、筆者夫妻は彼らの活動に深い敬意を払っていました。

2. 東洋と西洋の「精神性」とキリスト教界の動向

筆者は、「精神主義によるアジアの遅れ」という当時の説に対して、東洋の残虐さや女性蔑視のひどさを指摘して反論し、「論争をやめて全人類への責任を共有しよう」と訴えています。 また、当時の日本のキリスト教界についても鋭い観察を残しています。指導者であった賀川豊彦については、熱い人物であると評価しつつも、取り巻きが虚像を宣伝していると見ていました。さらに、ブックマン率いるMRA(道徳再武装運動)に対しては、集会での極端な罪の告白や、指導者によるヒトラー礼賛などを理由に、「日本における影響は有害」であるとかなり辛辣に批判しています。

3. 社会改革に尽力したカナダ人女性たちと筆者の入院体験

この章では、日本の社会改革に大きく貢献した素晴らしいカナダ人女性たちの姿も讃えられています。YWCAの初代会長マクドナルドは刑務所改革運動や受刑者の社会復帰に尽力し、カフマンは50年間の貢献により天皇から銀杯を賜りました。また、聖路加病院の看護師長であったアリス・セントジョンも、日本式看護の環境下で特別な業績を残しています。 面白いことに、筆者自身の手術・入院時のエピソードも語られています。術後に誰も様子を見に来ないため抗議の行動を起こしたり、痛みを和らげる道具を自ら発明したり、妻からの読み聞かせを楽しんだりと、外交官の人間味あふれる一面が垣間見えます。

4. 日本の教育への深い探求と執筆活動

「国を知る最良の方法は教育を知ること」と考えた筆者は、日本の教育事情についても深く研究しました。当時の「修身」の授業が天皇への忠誠を美徳としていたことや、女性教育が「良妻賢母」を目的とし、女教師すらも女性の選挙権に反対していたことなどを克明に記録しています。 歴史と現在の両面から得たこれらの知識は、本国への公電だけでなく自身の著述にも大いに活かされました。日本の問題を批判的に論じた彼の著書は絶版になりつつも評判を呼び、「他人の評価はともあれ自分のためになった」と述懐しています。

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平和的紛争解決
国家主権は至高の権利である。では、それをそなえた主権国家は上位の権威に服さないのか? 服する場合もある。五大国が一致した国連安全保障理事会の決議は加盟国に対して法的な拘束力がある。しかし、今回は安保理の話でなく、仲裁や司法の話である。神の裁きであれば受けなければならないと感じるかもしれないが、国際社会の法廷の言うことに服さなければならないであろうか? 今回のテーマは、国際裁判所の管轄権と国家主権との…
覇権
覇権国は古代ギリシャのヘゲモンが語源で、他国を軍事的に支配する国のことである。それを好意的に解釈して、人々を導く指導国のことと理解することもある。今回のテーマは、「次の覇権国」について論じなさい、である。 大国の興亡は権力者たちのむなしい栄枯盛衰にすぎないと思われるかもしれない。しかし、これもグローバルガバナンスと大いに関係がある。 現実主義の父は誰かと問えば、マキアベッリか、ホッブズか、カーか、…
ゲーム理論
ゲーム理論におけるプレイヤーはエゴイスト、つまり、自分の利益をできるだけ大きくしようとする者、である。エゴイストが複数いて、それぞれ、どの選択肢をとるか、を考える。エゴイストは利益になれば協力し、ならなければ協力しない。今回のテーマは、国際政治における協力は得か損か、場合分けしたうえで、ゲーム理論の用語を使って議論しなさい、である。 ゲーム理論の先駆者といえば天才の評判があるジョン・フォン・ノイマ…
なぜ自由を指針とするべきか?
客観的幸福も、主観的幸福も、ガバナンスの指針としては不十分であると論じた。では、どのような指針が適当であるのか? 持続可能な選択の自由という考え方を筆者は支持する。長所も、短所も、それにはある。これを説明することが今回のテーマである。 手始めに、認識論での長所を説明する。選択の自由を論じることは幸福それ自体を論じるよりもたやすい。二つの理由がこれにはある。 一つは、幸福は主観性を排除するのが難しいが…
カナダのテレビドラマ『Xカンパニー 戦火のスパイたち』(2015)を観た
[このブログは2024年5月31日にnote.comで公開された。] 先日はカナダのドキュメンタリー『キャンプX 実録・スパイ養成学校』を紹介した。 https://www.amazon.co.jp/dp/B07Z8GPCYC/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=2LP8CM1EOW3CE&dib=eyJ2IjoiMSJ9.KqsSaXjtKE5HuN8t-M8yUg.HcV_R1iYlzo1fnG5Yx7gf1dU20Dn7EHtV0GAE3Z0ku0&dib_tag=se&keywords=%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83…

カナダ公使館の本格始動と昭和初期の日本 ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第9章

Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981).

(要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook)

前回の第8章に引き続き、外交官ヒュー・L・キーンリーサイドの回顧録(第9章)から、カナダ公使館が本格始動した当時の様子や、彼が目撃した激動の昭和初期の日本を分かりやすく要約してお届けします。

1. 公使館の開館と、強烈な個性を放つマーラー公使夫妻

公使館の開館式には全カナダ人などが招待され、日本での活動がいよいよ本格化します。1929年夏にはついにマーラー公使夫妻が来日しますが、この公使夫妻の強烈なキャラクターが公使館内で様々な波紋を呼びました

名家出身の公使夫人は階級に対する古い考えを持ち、自分たちを「閣下」と呼ぶよう訓令を出したり、返信用封筒に自ら「閣下」と書き込んだりするほどでした。公使自身も人間性に欠ける面があり、勲章の授与(叙勲)に強くこだわるなど問題行動が目立ち、最終的には本国の次官から「閣下」の使用を禁止されてしまいます。しかしその一方で、公使は太っ腹で優しく、自ら資金を工面して立派な公使館を建設するなど、確かな業績も残しました

2. 日本文化の体験と、荒れる帝国議会

外交活動の一環として、筆者は日本の豊かな文化や歴史にも触れています。静岡での美しい茶畑や茶摘み、料亭での芸者の舞踊にくわえ、宮内庁の招待で皇居での鴨猟や岐阜での鵜飼いなど、日本ならではの伝統行事に参加しました。

一方で、政治の舞台である帝国議会(衆議院)では、政党の激しいヤジが飛び交い、なんと議場に蛇がまかれる事件まで起きるなど、代議制の悪質で混沌とした一面も目撃しています。

3. 幣原喜重郎・吉田茂との交流と、軍部の台頭

日本の要人たちとの深い交流も描かれています。満州事変後に平和的解決に尽力した幣原喜重郎外相には「思慮深さのオーラ」を感じ、穏健派の旧友であった吉田茂(のちの首相)とは海軍軍縮をめぐって激しい論争を交わしつつも、私邸で晩餐を共にするほどの親交を結びました。

しかし時代は暗い影を落とし始めます。ロンドン海軍軍縮条約に対する軍部の怒りから、経験豊富な層が退き、世間知らずで過激な若手将校たちが台頭していきました。彼らの引き起こした事件が満州事変へと繋がり、やがてあの原爆投下を招く「暗い谷間の時代」へと突き進んでいく様子が克明に記録されています。

4. 昭和初期の「リアルな日本」と社会問題

当時の日本経済と社会の暗部に対する冷徹な観察も、この章の重要なポイントです。1930年代に入り日産やトヨタといった国産車の歴史が幕を開けるなど産業が発展する一方で、労働者への政府の支援はなく、小作人は飢餓に苦しみ、村や家族のために娘が身売りされる悲惨な現実がありました。

西洋人にも有名だった吉原などの赤線地帯は、昭和になるとどぎついネオンが輝くようになり、筆者はその様子や女性たちを目の当たりにして「不快だった」と日記に書き留めています。また、筆者自身も引っ越し先で3度も強盗に入られ、強盗犯と直接出くわしたものの、証言をしなかったため犯人が釈放されたという驚きの私的エピソードも語られています。

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相互依存
https://youtu.be/UcDZSVV0yqc 関税は商品の代金とは別にかかる費用である。関税を下げれば、国境を越えて商品は移動しやすくなる。これが自由貿易の考え方である。自由貿易が行われる国々の住民は、余計な費用をかけずに商品を売ったり、買ったりでき、選択の自由は飛躍的に増す。 しかし、同じ商品を国内で作っていた業者にとっては、外国からより低い価格で商品が買えるとなると、自分が作ったものが売れなくなってしまう。輸…
開発独裁
https://youtu.be/kJWpeD5WVaE 開発独裁は、政府と人々が同じ開発の夢を見ている間は幸せである。夢を共有できなくなれば、それは単なる独裁にすぎない。経済成長のない独裁は悲惨である。煎じ詰めれば、独裁者個人のための搾取であるからである。今回のテーマは、冷戦期および冷戦後の途上国における国家主導の開発と国有化をガバナンスの観点から論じなさい、である。 アジア・アフリカ諸国の独立後、新植民地主義という言葉が…
国連軍縮特別総会最終文書のコンセンサス
(表紙の画像はAIによって作成された) 世界が合意する、というのは口で言うのは簡単ですが現実では難しいです。にもかかわらず、それに近いことができたことがありました。1978年の国連軍縮特別総会における最終文書がそれです。 最終文書の日本語訳は下のとおりです。ただし、国立国会図書館の登録利用者でないとアクセスできません。 https://dl.ndl.go.jp/pid/11896416/1/194 英語原文は下のとおりです。 https://documents.un.…
会議外交
https://youtu.be/QMvumq8NaYA 永遠平和の功利性に対する異議は、実行できないこと以外には何もない、とベンサムは書いた。そして、それを実現するには、議会を作って各国から代議士を出し、意見交換させればよい、と提案した[1]。もちろん、それは実現しなかった。なぜなら、死後、出版されたその論文が実際に書かれたのはフランス革命が始まろうとしていたころで、まだ絶対君主の時代であったからである。 今回のテーマは、19世…
第二次世界大戦
https://youtu.be/DDg5DXORD3U 1918年、敗戦の報を聞いたドイツの兵士たちは、まだ戦えるのに祖国の反戦勢力に裏切られ、「背中を刺された」と信じた。しかし1945年には、ベルリンは瓦礫の山に、東京は焼け野原に変わり、両国民に戦う気力は残っていなかった。今回のテーマは、第二次世界大戦は何がいけなかったのか、あなたの考えを書きなさい、である。 第二次世界大戦中、世界は枢軸国・連合国・中立国に分かれた。このうち、…

カナダ初の在日公使館開設の舞台裏 ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第8章

Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981).

(要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook)

1920年代、カナダが日本に初めて公使館を開設した当時の様子をご存知でしょうか?今回は、外交官ヒュー・L・キーンリーサイドの回顧録(第8章)をもとに、外交の裏側や、カナダ人から見た当時の日本の姿を分かりやすく要約してお届けします。

1. 突然の打診とドタバタの公使館準備

物語は、スケルトン次官から筆者への「在日公使館開設の打診」という驚きの展開から始まります。当時、カナダ外務省には公館開設の経験がなく、準備は手探りの状態でした。

やがて初代公使となるマーラーと出会いますが、彼は資産家ではあるものの国際的な経験はありませんでした。マーラーは「試験ではなく富こそ公使に必要」と豪語し、特に「大礼服(宮廷で着用する格式高い服)」に強いこだわりを見せます。イブニングドレスよりも大礼服を重んじ、何事も生真面目にとらえるマーラーの性格がよく表れています。最終的に首相が急いだため、筆者は代理公使として先発で日本へ向かうことになりました。

2. 太平洋の航海と「天敵」との出会い

日本への旅路は、「仏女帝号(エンプレス・オブ・フランス)」での航海でした。この船内で筆者は、後に日米交渉の特命全権大使となる来栖三郎と同乗します。しかし、筆者にとって来栖は「天敵」であり、友人になることはありませんでした。名声に包まれた来栖が得意げに米国に宣戦布告するような態度を見せたことや、国際経験があるにもかかわらず排外的な一面があったことが赤裸々に記されています。

3. イギリスからの「自立」と日本の要人たち

日本に到着した筆者が直面したのは、イギリスとの微妙な距離感でした。カナダは「完全自治の国民として英から独立した形式」をとることを目指しており、あえて英大使からの招待を断るという対応に出ます。しかし、本国からは「英大使に感謝せよ」というおかしな指示が届いたり、英大使夫人からは「カナダ公使館は不要」と冷たく言われたりと、独立国としての地位を確立するための苦労が絶えませんでした。

また、当時の日本の要人に対する鋭い人物評も残されています。田中義一首相(兼外相)については、飲酒癖や汚職、張作霖爆殺事件による辞任といった負の側面を記録する一方、吉田茂外務次官については「有能で戦争に反対し首相に」なる人物として非常に高く評価しています。

4. 帝国ホテルでの実体験と公使館の決定

滞在中の大きなハイライトの一つが、フランク・ロイド・ライトが設計した名建築「帝国ホテル」での生活です。ベッドや書斎、ルーフガーデン、売店には満足しつつも、実際に住んでみると「メインフロアは迷路のよう」「ベッドルームの間接照明は暗すぎ、危ない」「電話機は食器棚の中の高いところにあり不便」「湿気の問題」など、生活者ならではの率直な不満も漏らしています。

最終的に、公使館は渋谷駅に近く、静かで狭い長井邸に決定されました。滞在中には地震を経験して不安に襲われ、「日本人はなぜ木と紙と瓦の家に住むのだろう」と、日本の伝統的な建築様式に対して驚きと素朴な疑問を抱いて章は結ばれています。

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期末試験チャレンジ 研究各論(国際紛争)2023年度後期
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在日カナダ人の活動と昭和初期の宗教・教育 ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第10章
Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981). (要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook) 第8章、第9章に引き続き、今回はヒュー・L・キーンリーサイド回顧録の第10章をお届けします。この章では、外交の表舞台から少し離れ、当時の日本社会で活動していたカナダ人宣教師たちの実態や、彼が深く観察した日本の宗教、社会奉仕、そして教育事情が鮮明に描かれています。 1. 在日カナダ人宣教師たち…
消費社会
https://youtu.be/WFPud-QUSm4 週末の家族客で賑わうショッピングモールは欧米はもちろん、アラビアでも、中国でも、アフリカでも、世界のどこでも見られる光景である。何でも揃い、何でも買え、クレジットカードが利用でき、美的センスのある春の気候の遊歩道をぶらぶら歩きすることは楽しい。「快適さと美と効率のこの結びつき」を「幸福の物質的諸条件」と述べたのは、フランスの思想家ジャン・ボードリヤールであった。ここで…
脱植民地化
https://youtu.be/NwOVM6vQIEU 植民地化の歴史は大航海時代にさかのぼる。港、鉱山、あるいは農園から収入を得たいという動機から、四百年の長きにわたり続いた。T・ウッドロウ・ウィルソンが民族自決を唱えて作られたベルサイユ体制さえ、トルコとドイツの植民地を戦勝国に山分けした。脱植民地化の起点は、国際連合憲章の採択まで時代を下らなければならなかった。今回のテーマは、国連憲章のもとにおける「自治」と「独立」の…
覇権
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国連総会
https://youtu.be/5S62o3m3tMA 「人類の議会」という言葉で国際連合を理解するのは、アメリカ合衆国の歴史家ポール・ケネディである。この言葉には逸話がある。ハリー・S・トルーマン大統領は国連創設の任を前任者から託された。その思いを伝えるために、詩の一節を引用した。イギリスの詩人アルフレッド・テニソンが1837年に作った「ロクスリーホール」という幻想的な詩であった。空飛ぶ船が戦い、血が流れたが、人類の議会に世…
経済的ナショナリズム
https://youtu.be/kylMOA82cPQ 国家と市場とのバランスが最も前者の側に傾いたのは第二次世界大戦中であった。今回のテーマは、両次大戦間期から戦中期にかけての経済的ナショナリズムと人権および戦争との関係を、実例を挙げて解説しなさい、である。 この時代における経済的ナショナリズムの主な源泉は、社会主義/共産主義、ニューディール、ナチズム(戦争経済)、そして開発途上国のナショナリズムの四つに分けられる。それらの…
琉球の境界は人民の幸福に基づいて引かれようとしたか?
(表紙の画像はAIによって作成された) 尖閣諸島は日本が実効支配をしていますが、中国と台湾は領有権を主張しています。1895年に日本が領有を宣言してから、日本人はそれが沖縄県に属すると信じていますが、Wikepediaに書いてあるのは、中国と台湾は台湾省だと言っているということです。 これから述べる分島交渉の時代には、これらの観念はありませんでした。日本が領有を宣言したのは1895年ですし、台湾と尖閣諸島のあいだには何…
覇権
覇権国は古代ギリシャのヘゲモンが語源で、他国を軍事的に支配する国のことである。それを好意的に解釈して、人々を導く指導国のことと理解することもある。今回のテーマは、「次の覇権国」について論じなさい、である。 大国の興亡は権力者たちのむなしい栄枯盛衰にすぎないと思われるかもしれない。しかし、これもグローバルガバナンスと大いに関係がある。 現実主義の父は誰かと問えば、マキアベッリか、ホッブズか、カーか、…
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