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核兵器の不拡散

広島と長崎に投下されたあと、終戦と同時に原子爆弾は使い道を失った。絶対兵器の後始末をどうするか? それが生まれたばかりの国際連合の初仕事になった。科学者たちは原子力の平和利用、特に発電、が自分たちの本来の使命であると考え始めた。原爆の後始末と原子力発電を統一して行う計画が原子力の国際管理案である。野心的なこの計画を委ねられた国連は、やがてそれをもてあますようになった。最終的に、統一的な国際管理案は放棄され、人類は核兵器の不拡散に課題を絞って取り組んだ。今回のテーマは、核兵器の不拡散を確保するレジームの構築と運営がいかなる困難に直面してきたかについて、バルーク案以来の歴史を例に引きつつ解説しなさい、である。

1945年11月、アメリカ合衆国のハリー・S・トルーマン大統領、イギリスのクレメント・アトリー首相、そしてカナダのウィリアム・マッケンジー・キング首相が会談した。3か国はマンハッタン計画の参加国であり、カナダはウランの産地として重要であった。彼らが発したのが、国連原子力委員会の設置を求める米英加宣言である。同委員会の任務は、原子力の発見により生じた諸問題を扱うことであった。

翌年1月に、国連総会における最初の決議、A/RES/1、として原子力委員会を設けることが決められた。それを構成するのは安全保障理事会の理事国代表であるが、カナダが理事国でない場合にはカナダからの代表を加えるとされた。任務は原子力問題に関する勧告である。なすべき提案は、平和利用のための情報交換、原子力の国際管理、原子兵器等あらゆる大量破壊兵器の各国軍備からの除去、そして査察等による保障措置(セーフガード)であった。

アメリカ合衆国における保障措置立案の中心人物は原爆の父J・ロバート・オッペンハイマーであった。彼の構想では、原子力の平和利用は国家の手を離れて国際的な原子力開発機関のもとで厳しく管理され、大胆にも、国家主権の一部譲渡を伴うと表現された。原子力開発機関の主な任務は、ウランの採掘、原子力発電所の建設、そして同位元素の分離となることになっていた[1]

原子爆弾の製造法を熟知したオッペンハイマーであったからこそ、何を管理すればよいかが分かっていた。鉱山から採掘されたウランは気体の六フッ化ウランに転換される。それを遠心分離機のドラムで回すと、質量の軽いウラン235は中心に集まり、それを吸い取って次の遠心分離機に送る。この作業を繰り返すと、ウラン235の濃度は高まる。非常に高濃度のウラン235は兵器級ウランと呼ばれ、六フッ化ウランから固体に戻すとそのまま原爆製造に使うことができる。

それほど高濃度でないウラン235でも、原子炉で連鎖反応が起きると、使用済み核燃料を再処理して原爆のもう一つの材料である高濃度のプルトニウムが取りだせる。原子炉が発電所として操業している今日では市民生活に欠かせないエネルギーの供給源でもある。保障措置の目的は、ウランの採掘から使用済み核燃料の処分に至る核燃料サイクルから抽出される高濃度のウランとプルトニウムが軍事利用に回されないようにすることである。

こうした趣旨がつぎに取り上げる報告書において「協力的開発をつうじての安全」と表現された。オッペンハイマーは、発電など原子力の平和利用によって、ナショナリズムは乗り越えられると想像した。米ソ間の不信感さえ原子力は溶かしてしまうと彼が信じたことが次の文から分かる。

わが国の提案の柱石となるものは、技術と政策に関して率直さと大幅の公開性とを要求する一つの制度であります。それには、国籍を度外視した、人々の間での仕事の協力が必要です。―中略―しかしこれらの提案によって―中略―ソヴェトが要求される犠牲と譲歩は一段と大きなものであります。―中略―この国家権力のイデオロギー的支柱、すなわちソヴェトと資本主義世界との間の衝突の不可避性に対する信念は、原子力管理のためにわが国の提案が要求しているような強度の、緊密な協力ができた暁には、放棄されることになるでしょう[2]

国籍も、国境もなく、人々が世界のエネルギーを管理するために協力する、というオッペンハイマーの構想は無邪気にさえ聞こえる。原子力の利用法を会得したら、ソ連は人と資源をつぎ込んで、たやすく原子爆弾を製造してしまうのでないか? 無頓着にも、彼はそう懸念しなかった。

オッペンハイマーの国際原子力開発機関の構想は、アメリカ合衆国国務省が1946年3月に作成したアチソン・リリエンソール報告書の基礎になった。報告書は危険な活動を指定する。ウラン鉱石の採掘、ウラン235の濃縮、原子炉・再処理工場の操業、そして原子爆弾の研究・開発、という諸活動がそれである。原爆開発を除く危険な活動はすべて原子力開発機関が代わって行う。安全な活動については、機関による免許と査察を条件に、各国に開放される。ウラン等の危険な物質は国際原子力開発機関の所有のままで人々に貸与される。鉱山・工場・発電所・研究所も機関の所有下で世界中に設けられる[3]

ディーン・G・アチソン国務次官とともに報告書に名を冠せられたデイビッド・E・リリエンソールTVA(テネシー渓谷開発公社)長官は水力発電事業で実績を上げた。TVAはアメリカ合衆国の経済と社会を一挙に電化した。これから原子力発電をつうじ、全世界を電化することになろう。

原子力が国際管理されると、アメリカ合衆国による原爆の独占はどうなるのか? 報告書は合衆国がいつ原爆を棄てるかを示さない。あたかも、それは重要でないかのようである。アチソン・リリエンソール報告には耳を疑いたくなることが書かれてある。時がたてば、原爆についての知識は広がり、知識でのアメリカ合衆国の独占は失われる。そうした世界には原爆はもちろん、ウランや原子炉を所有する国家は存在しない。突然、ある国が自国の領土にある原子力開発機関の施設を奪い、原爆を作ろうとするとしよう。戦争の意図があると知られたその国は他国によって対抗されることになる[4]

アチソン・リリエンソール報告書は明言しないが、原子力開発機関の鉱山や施設は世界中に存在するので、残りの国は奪った国よりも多くの原爆を作ることができる。世界を敵に回して核戦争をする国は現れないであろう、と見込んでいたのでなかろうか?

この暗示を信じられない者は、アメリカ合衆国の国内にも、国外にもいた。違法に原爆を作った国家と本当に戦争をする気なのか? 嘘も方便ということわざがある。アメリカ合衆国は原爆を棄てない、と考えさえすれば、すべてのつじつまが合う。アメリカ合衆国が核兵器を独占することによって将来の違反は抑止され、永遠の平和がもたらされるのである。アチソン・リリエンソール報告書の読み方として、こちらのほうが正しそうである。

アメリカ合衆国の国連原子力委員会代表にはバーナード・バルークが任命されていた。ニューヨークの成功したビジネスマンであり、歴代の大統領は政策の遂行に彼の力を借りた。彼もアチソン・リリエンソール報告書を信じていない一人であった。

バルーク案は1946年6月、国連原子力委員会に出された。国際原子力開発機関を作り、査察を行うところまでは、アチソン・リリエンソール報告書と同じであった。アメリカ合衆国の原爆を処分し、原爆およびその材料の保有・製造を違法にすることもほとんど同じであった。

義務に違反した国を罰することに話題が及ぶと、バルーク案はアチソン・リリエンソール報告書が求めたことを踏み越えた。国連憲章に従えば、違反国を罰するには五大国が一致しなければならない。バルーク案は、原子力の国際管理に違反した国を罰するため、この拒否権を原子力問題では認めないことを要求した[5]

拒否権の否認は国連の本質に関わる大問題である。アメリカ合衆国内でも異論が出た。リリエンソールは「世界政府の教義」とバルーク案を批判した[6]。ディーン・アチソンによる次の回顧はソ連の立場に同情的である。

ソヴィエト連邦が、その時点において、力の許すかぎり原子力開発につとめていることは疑いのないところであった―中略―。そうだとすれば、「迅速にして確実な処罰」条項はモスクワにおいて、ソヴィエト連邦がその(核開発)努力をやめないかぎり、合衆国の戦争に訴えるという脅迫を支持することにおいて国連を同盟者に化そうとする試みに過ぎないと解釈されるに違いない[7]

ソ連の国連代表であったアンドレイ・グロムイコは後にこう振り返った。

私は答えた。「―中略―核兵器をどう管理すべきか、そしてその将来をどのように決定すべきか、という問題です。これらは安保理の五大国が決定すべき事柄です。この原則は、最近国連憲章で保障され、したがって、安保理によって創設された原子力委員会についても適用されます。―後略―」

―前略―アメリカは核兵器製造の独占体制を築いており、これを維持したがっていたのだ[8]

はじめから、核兵器廃絶・国際原子力開発機関・拒否権否認は夢物語であった。核独占によって得られた軍事的な優勢を手放すことは、アメリカ人は深層心理で拒んでいた。バルーク案はアチソン・リリエンソール案のように悠長に待とうとせず、ただちにソ連を屈服させようと勇み足を踏んだ。いずれにせよ、ソ連は3年後、核実験に成功し、核独占は終わることになる。

自由な国際査察も、原子力をめぐる米ソの主要な係争点であった。査察が脚光を浴びたのは、1955年7月のジュネーブ四巨頭会談である。ドワイト・D・アイゼンハワー合衆国大統領は奇襲攻撃を予防するための空中査察を提案した。当時は人工衛星がなかったので、偵察機のカメラから地上を撮影する方法がとられていた。これは相手の奇襲攻撃を察知するには有効であったが、自ら奇襲攻撃を仕掛けるのにも有効であった。信頼醸成措置(CBM)という言葉ができたように、信頼がない相手には自らの空間を見せたくないものである。5年後、ソ連はアメリカ合衆国のU-2偵察機を撃墜し、パイロットを捕まえた。アメリカ合衆国は面目を失った。

以上のように、原子力の国際管理案は失敗した。ローズベルト時代に存在した米ソの信頼関係はトルーマンとアイゼンハワーの時代には消えていた。ヒロシマ・ナガサキを見たソ連は必死に原爆を開発した。朝鮮戦争は第三次世界大戦に至る前哨戦でないか?、と人々は考えた。スプートニク・ショックがダメ押しとなり、恐怖の均衡ともいう相互核抑止に基づく二極対立へと完全に移行した。次代に追求されるのは米ソ共通の利益である核兵器の不拡散である。

原子、つまりアトム、といえば、手塚治虫のマンガが思い浮かぶ。彼の自伝はこう記す。

―前略―クリスマス島で水爆実験が行なわれたことを思い出し、ああ、この科学技術を平和利用できたらなと憂い、原子力を平和に使う架空の国の話を描こうと思って、題名を「アトム大陸」とつけた。アトムとは、もちろん単に原子の意味である[9]

「アトム大使」の連載が始まったのは1951年である。クリスマス島での初の水爆実験は1957年である。何かの思い違いで、水爆実験に触発されて「アトム大使」を描いた、という記述になったのであろう。いずれにせよ、1951年に原子力の平和利用に思いをはせたのは、かなり早かった。放射線が人体に与える悪影響は、占領軍の情報統制による無知のために、アニメ「鉄腕アトム」では描かれなかった。

原子力の平和利用が本格的に動き始めたのは、1953年の暮れ、アイゼンハワーが国連総会で演説した時であった。アトムズ・フォー・ピース、すなわち平和のための原子力、という題のもと、自国と他国との信頼に基づいて原子力の平和利用を進めることが提案された。アメリカ合衆国の側は、ウランなど核分裂性物質を提供する。その一方で、各国は鉱石の採掘から使用済み燃料の処分に至るまでの核燃料サイクルを査察と管理のもとに置き、核兵器は製造しない。しっかり検証しつつも、原子力発電を各国に認める点が国際管理と違った。

そのころ、石炭による火力発電と原子力発電との費用が比べられ、夢のエネルギーに対する期待が高まっていた[10]。世界初の原子力発電所はソ連のオブニンスク発電所であり、1954年に稼働した。翌年、第1回ジュネーブ原子力平和利用国際会議が開かれ、アトムズ・フォー・ピースの機運を盛り上げた。翌年、イギリスでコールダーホール発電所第1号炉が操業を始め、ついに原子力は商業利用されるまでになった[11]

アイゼンハワーが提唱した原子力機関はIAEA(国際原子力機関)として設立された。1956年にその憲章の署名が開放され、翌年、発効した。2005年に、ノーベル平和賞がIAEAおよびその事務局長に与えられたのは、査察が平和に貢献したと認められたからである。

似た趣旨で、1957年にはユーラトム(欧州原子力共同体)の設立条約が採択された。ヨーロッパの諸国は自分たちで核分裂性物質を融通し、それが転用されないよう監督することにした。

かつて、アチソン・リリエンソール報告書やバルーク案は原子力発電を原子力開発機関の独占にしようとした。現実はそうとはならず、原子力発電は各国における官民の企業が行い、IAEAは原子力施設にたいする保障措置を担当する。ところが、平和利用をする国家が自領内に査察を受け入れる義務は当初、曖昧であった。それが問題の種であった。

アトムズ・フォー・ピースは親米的な国々を平和利用にいざなうには適していたものの、核武装によって自主防衛をしたい国々には手足を縛られるものであった。1960年、国家の偉大さを求めたフランスは核実験を行った。1962年のキューバ危機は、開発途上国が他国の核兵器を使って自国を防衛しようと企てた事例であった。1964年に中国が核実験を成功させたことは、自前で核武装をしようと考える国々を勇気づけた。

核兵器の拡散を苦々しく見ていたのはアメリカ合衆国である。中国に続いて核実験をする国が現れることは止めなければならなかった。

1965年のギルパトリック委員会報告書は、インド・日本・イスラエル・エジプト・西ドイツが核武装するのを阻止する方法を検討した。日本については、核攻撃に対する防衛、核武装の代わりとしての国家威信向上、そして世界の指導者としての役割分担をアメリカ合衆国が支持することを提案した。二国間での対策だけでなく、核兵器不拡散条約、包括的核実験禁止条約(CTBT)、そして非核地帯といった多国間合意もこの報告書は推奨した[12]。アメリカ合衆国が最も力を入れたのは核兵器不拡散条約であった。

ソ連もまた不拡散に利益を見ていた。1966年に非核兵器国に消極的安全保証を与えるコスイギン提案を行った。非核兵器国には核攻撃をしない、という表明は、自衛のために核武装しなければならない、という主張の正当性を弱めた。他方で、超大国が核兵器の寡占を推し進めることは、米ソ共同支配という批判を招きもした。フランスと中国は駆け込み乗車に成功して核武装を遂げ、多極化と称した。

核兵器不拡散条約(NPT)は1968年に採択され、1970年に発効した。一言で言えば、それは核兵器国と非核兵器国を区別し、固定化する条約である。核兵器国は1967年になるまえに装置を爆発させたアメリカ合衆国・ソビエト連邦・イギリス・フランス・中国(PRC)の五大国である(第9条3)。どのようにして区別を固定化するかというと、核爆発装置の移譲・受領、製造などによる取得、そして取得についての援助を禁じることによってである(第1条、第2条)。もっとも、核兵器国は核兵器の上であぐらをかいていればよいわけでなく、軍備競争の停止と軍備の縮小のために誠実に交渉する義務がある(第6条)。

非核兵器国には義務と権利がある。それらはIAEAの保障措置を受けることを約束しなければならないが(第3条)、平和利用の権利もあり(第4条)、平和裏に行われる爆発の利益を受けることもできる(第5条)。

核兵器不拡散条約には「不平等条約」という評判が付きまとう。署名が始まった日に、日本、ブラジル、西ドイツ、インドなどは署名しなかった[13]。核兵器国は大国、非核兵器国は小国、という構図ができ、それが固定化することを恐れたからである。日本はようやく1976年に条約を批准して加入した。条約そのものは1970年に発効していたが、その25年後に、無期限延長するか、一定期間延長するか、を決めることが定められた(第10条2)。

冷戦中にはインドの核実験や、イスラエルと南アフリカによる秘密裏の核保有があったものの、拡散のペースを落とすことに核兵器不拡散条約は成功した。冷戦後には条約への服従が進んだ。1991年に、核兵器を解体した南アフリカが加入し、翌年、多極化の旗を振っていたフランスと中国が加入した。

この勢いで、核兵器不拡散条約の無期限延長が決まった。条約が交渉された1960年代、核兵器国と非核兵器国の不平等が固定化されるのを恐れたイタリアなどが無期限の効力を拒否した。そして第10条2に従い、発効から25年後の1995年、再検討会議が開かれた。無期限延長に反対したのはインドネシア、ナイジェリア、そしてアラブ諸国であった。過半数の国々は無期限化に賛成し、核兵器国が包括的核実験禁止条約の交渉を進めることを条件に、その流れを後押しした[14]。この5年後、2000年の再検討会議では、最終文書に「核廃絶への明確な約束」が英語で難解な表現ながら書き込まれ、廃絶を待ち望む人々に希望を持たせた。

こうした希望はジョージ・W・ブッシュ(子)がアメリカ合衆国大統領になると急速にしぼんだ。次のバラク・オバマ大統領が就任すると、希望はまた膨らんだ。彼は2009年、プラハにおいて、「核兵器のない世界」を掲げた演説をした。それは同国が核兵器に頼らずに安全保障政策を組み立てていくことを表明したにすぎなかったが、核軍縮の第一歩ではあった。

非核兵器国の側は1990年代以降、核軍縮に成果がなく、しびれを切らしていた。停滞を打ち破るかのように、核兵器禁止条約が2017年に署名開放され、2021年に発効した。それは核兵器不拡散条約のように、核爆発装置の移譲・受領・取得を禁じるだけでなく、自国の領域のなかに他国の核爆発装置を置くことを認めることも禁じる(第1条)。核兵器国と非核兵器国の差別を固定化せず、加入した国は核爆発装置を廃棄しなければならない(第4条2)。さらに、他国の核爆発装置が自国の領域内に置かれている国は、核爆発装置が撤去されることを確保しなければならない(第4条4)[15]

核保有国とその同盟国にとって、核兵器禁止条約は実に悩ましい。核保有国の加入は核兵器を廃棄する意思が前提である。また、有事に核兵器を自国の領域に持ち込もうと考えているその同盟国、特にNATO加盟国と日本・韓国も、条約への加入に踏み切れない。結果として、たいていの締約国は大国の同盟国でない非核保有国である。核兵器を禁止するために締約国が協力し、援助しあうことが奨励され(第7条)、2年ごとに締約国会議が開かれる(第8条)。非核保有国がワンボイスで核軍縮を求めれば、核保有国とその同盟国は守勢となる。

一般的に、テクノロジーの進歩は歓迎すべきことである。しかし、だいぶ遅れてでないと、個々の技術をどう扱えばよいか、人間は見定めることができない。バルーク案が実現していたら、原子力発電の普及に伴って、急激なグローバリゼーションが起きていたであろう。巨大な公共事業は巨大な権力を生むからである。こうした「グローバル・ニューディール」がどのように支持され、または、どのように反発されるか、これは反実仮想の世界である。同様に、原子力の国際管理や核兵器の不拡散さえ試みられなかったなら、カプランが空想した一国拒否権システムや核テロリズムの世界、それどころがハルマゲドンになってしまったかもしれない。 現実はこの間にあって、拡散と不拡散の間を世界は揺れ動く。これからどう動くかは、単に軍事や安全保障の観点だけでは予想できない。経済、社会、そして環境などの問題でどのように国際統合が進んでいくか? とりわけグローバリゼーションがどうなるか? そうしたことを見きわめようとすることで、近い未来について何とか見当をつけるのがせいぜいである。


[1] J・ロバート・オッペンハイマー、「原子力の国際管理」、モートン・グロッジンス、ユージン・ラビノビッチ編、『核の時代』、岸田純之助、高榎尭訳、みすず書房、1965年、53-63ページ。

[2] ロバート・オッペンハイマー、『原子力は誰のものか』、美作太郎、矢島敬二訳、中央公論新社、2002年、53-54ページ。

[3] David E. Lilienthal, Chairman, “The Acheson-Lilienthal Report on the International Control of Atomic Energy,” Washington, D. C., March 16, 1946, pp. 23-49.

[4] Lilienthal, “The Acheson-Lilienthal Report on the International Control of Atomic Energy,” pp. 52-54.

[5] 杉江栄一、樅木貞雄編、『国際関係資料集』、法律文化社、1997年、21-30ページ。

[6] デイビッド・E・リリエンソール、『リリエンソール日記 2』、末田守、今井隆吉訳、みすず書房、1969年、205ページ。

[7] ディーン・アチソン、『アチソン回顧録 1』、吉沢清次郎訳、恒文社、1979年、194ページ。

[8] アンドレイ・グロムイコ、『グロムイコ回想録』、読売新聞社外報部訳、読売新聞社、1989年、221ページ。

[9] 手塚治虫、『ぼくはマンガ家』、角川書店、2000年、144ページ。

[10] フィリップ・ノエルベーカー、『軍備競争』、前芝確三、山手治之訳、岩波書店、1963年、98ページ。

[11] 日本放送協会、「BS1 スペシャル 核の“平和利用”知られざるもうひとつの東西冷戦」、2014年11月30日。

[12] The Committee on Nuclear Proliferation, “A Report to the President,” January 21, 1965; DEF 18-10 Non-Proliferation, Gilpatric Committee, 1964, 1 of 3; DEF 18-10 Non-Proliferation, Gilpatric Co., 1964, 1; DEF Non-Proliferation, Japan to Def. Assurances, India and Germany, Box 11; Records Relating to Disarmament and Arms Control, 1961-1966; General Records of the Department of State, Record Group 59; National Archives at College Park, MD.

[13] 「一年後発効見込む」、『朝日新聞』、夕刊、1968年7月2日、1面。

[14] 黒沢満、『核軍縮と国際平和』、有斐閣、1999年。

[15] “核兵器の禁止に関する条約(暫定的な仮訳),” 外務省, https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000433139.pdf, accessed on February 16, 2026.

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核戦略

第二次世界大戦後、アメリカ合衆国は絶対兵器である原子爆弾の独占に安心し、ヨーロッパからの撤兵を進めた。ところが、東西の緊張が高まるやいなや、ソビエト連邦の戦車をはじめとした陸上戦力が脅威として映るようになった。1948年ごろ、実際には180万人しかいなかったソ連の兵力を250万人と西側は誤認していた[1]。東アジアで朝鮮戦争が行われていた1951年、合衆国を代表する国際政治学者ハンス・J・モーゲンソーは次のように記した。

ロシア人が今日まで第二次世界大戦の終結時に占めていた線にとどまつているのは、原子爆弾の蓄積がなければ合衆国のおそるべき潜在力を破ることができないからであり、そしてまたアメリカが原子爆弾を独占し、あるいはより多く蓄えているがために、ソ連勢力の中枢部が破壊されることを恐れていたからなのである[2]

この状況は非対称な相互抑止と表現できる。ソ連の戦車部隊がバルト海からアドリア海まで結ぶ線を越えれば、B-29がモスクワやレニングラードの上空を飛行して原爆を投下することになる。しかし、ソ連はいつのまにか原爆実験に成功し、アメリカ合衆国は次の手を打たなければならなかった。ということで、今回のテーマは、アメリカ合衆国の核戦略の変遷を論じなさい、である。

ソ連が核武装した翌年の1950年、アメリカ合衆国はNSC-68を発し、巨額の軍事予算を伴う軍拡へと舵を切った。軍備における冷戦の始まりである。当時の国務長官ディーン・G・アチソンは回顧録に次のように記す。

NSC-68は経費の見積もりを含んでいなかったが、それはわれわれがそれを論議しなかったことを意味するものではなかった。われわれが勧告したような再軍備と戦力復元計画とを―中略―また同盟国のための援助も考えて遂行することは、―中略―推計では、年約五百億ドルという巨額の軍事予算を必要とするはずであった[3]

1953年、アメリカ合衆国の政権は、民主党のハリー・S・トルーマンから共和党のドワイト・D・アイゼンハワーに交代した。国務長官にはジョン・F・ダレスが就任した。1954年に彼が公表した大量報復戦略(またはニュールック)はソ連の侵略に「我らの選ぶ場所と手段で」反応することを宣言した。ソ連にとって、自国の原爆と戦略爆撃機は合衆国に比べてまだ劣勢であったから、一方的に大量の原爆を落とされることは脅威であった。アメリカ合衆国側には、大量報復を高官自ら公言することによって、抑止の明確なメッセージを送る意図があった。

大量報復戦略は長くは続かなかった。ソ連のキャッチアップにより、それから20年間、絶えず核戦略の見直しが迫られた。最初の変化はソ連の戦略爆撃能力が強化されたことであった。1950年代後半に実戦配備が始まった爆撃機が、1回の給油でアメリカ合衆国領土のほとんどを攻撃範囲に収めたのである。ニューヨークやロサンゼルスのような大都市の住民が水爆の恐怖にさらされることをこれは意味した。

この事態に、大量報復による全面核戦争は犠牲が大きすぎる、と気づいた学者がいた。若き日のヘンリー・A・キッシンジャーであった。核戦争は勝敗ではなく国家の生存を問題にすることを彼は見抜いた。全面勝利できたとしてもコストが高すぎ、もはや、戦争は政治の継続である、と言えなくなった。こうした認識のもと、1950年代後半に彼は限定戦争論を唱えた。強力すぎる抑止力は逆に使用の意思を疑わせてしまうので、大量報復戦略は適当でない。実際、記憶に新しかった朝鮮戦争やスエズ危機において、アメリカ合衆国は核兵器を使えなかったではないか。ソ連の爆撃機はまだこちらの本土を奇襲する能力を持たない。1960年代の初頭にICBMが主力となって、それが獲得されるであろう。より小規模で、機動的な核部隊がアジア、中東、そしてヨーロッパの局地防衛を行う限定戦争を追求すべきである、とキッシンジャーは主張した[4]

このころの核戦争をイメージしたのが、スタンリー・キューブリック監督の長い副題で知られる映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(1964年)である[5]。物語の発端は一人の軍人の狂気であり、彼はソ連に爆弾を落とす命令を勝手に出した。受信したB-35の飛行士たちはコードブックを使って標的を確認した。作戦計画に基づき、攻撃目標はすでに決まっていたのである。米ソの首脳はホットラインで破壊の拡大を止めようと話し合うもののムダであった。ソ連は核攻撃を受けたら自動的に放射能をまき散らす装置を配備していたからである。

現実に戻ろう。ついにその日は来た。原爆と水爆の開発ではアメリカ合衆国が先行したが、ICBMではソ連が先、と世界に確信させる事件が起きた。スプートニク・ショックである。

スプートニク1号は人工衛星の名称であり、運搬手段であるロケットはソ連ではR-7、アメリカ合衆国ではSS-6という。人工衛星であれ、核弾頭であれ、ペイロード、つまり載せるもの、が宇宙空間まで射ち出されれば、慣性の法則でどこまでも飛んでいく。石原莞爾が「世界最終戦争論」において予言した「世界をぐるぐる廻れるような飛行機」であった。1957年10月4日、打ち上げは成功し、人工衛星から発信されたピー、ピー、ピーという音は流行語になった。話題になったライカ犬が乗せられたのは、スプートニク1号でなく、ひと月後に打ち上げられた2号であった。

ICBMではソ連が先行している、という先入観が植え付けられた。同じ年の暮れに行われたアメリカ合衆国の打ち上げは、トラウマになるような無残な失敗であった。ICBM開発の進捗度をめぐり、米ソの優劣を議論するミサイル・ギャップ論争が過熱した。もっとも、翌年、アメリカ合衆国でも人工衛星エクスプローラー1号の打ち上げが成功している。

宇宙の軍事化に歯止めがなかったわけでなく、国際連合において、宇宙空間の平和利用が議論されていた。ユーリー・ガガーリンによる初の有人飛行やアポロ11号による初の月面着陸は平和利用を標榜していた。全体的に宇宙開発のテクノロジーが進歩しつつあったなか、軍事利用では、ミサイルが大型化し、威力の強い水爆を運べるようになった。ソ連の急速な核軍拡は大量報復戦略への強烈な仕返しであった。目には目を、歯には歯を、というように、大量報復に大量報復で一矢報いようとするのは道理である。通常兵器による攻撃には通常兵器で対応できように、核兵器で報いるのが大量報復戦略であった。ソ連に巨大なICBMで先行されたのは自業自得でなかったか。

このことに気づいたジョン・F・ケネディ政権の国防長官、ロバート・S・マクナマラ、は柔軟反応戦略を考案した。彼は後に次のように回顧する。

―前略―ケネディ政権としては、核兵器へのこのような依存が、核兵器を使わない他国からの大規模な攻撃に対して、アメリカ自身の自殺をともなわない形での反撃の道をなくしていることに憂慮しました。ケネディ大統領は「アメリカは危機に直面した場合、不名誉な退却か、無制限の(核による)報復かを選ばなければならない立場に自国を置いているのだ」と語りました。そこでわれわれは、非核戦争を戦うための米軍の能力を強化し近代化することで、選択の幅を広げることに決めました。これには従来の大量報復戦略から、のちに柔軟対応戦略の名で知られることになる方針への移行が含まれています[6]

柔軟反応は手段だけでなく、攻撃目標にも応用される。報復対象は対都市でなく、対兵力であるかもしれない、としておけば、敵側も、対都市の核攻撃を避けて、兵力だけを攻撃してくれるかもしれない。大量報復戦略では、次の戦争はいきなりヨハネの黙示録のような第三次世界大戦になってしまう。柔軟反応戦略には、エスカレートせずに局地戦で終わる期待があった。

当時、ベルリンの壁が築かれ、世界はヨーロッパにおける緊張を注視した。しかし、核戦争が起きる最大の危機はカリブ海の島国で発生した。大統領の弟であったロバート・F・ケネディは次のように記す。

十月十七日、水曜日に撮影された写真を調べると、他にも数ヶ所の基地があり射程千マイル(千六百キロ)以上のミサイルを少なくとも十六基、おそらくは三十二基を持っていることがわかった。軍事専門家はこれらのミサイルは一週間以内にも実際に使用可能になるだろうとの意見を述べた。翌十八日、木曜日、われわれの情報部門は、キューバに持ち込まれたミサイルはソ連全体が現有するICBM(大陸間弾道弾)能力の約二分の一にあたる核弾頭を装備し得るものだと推定した。写真はミサイルが米国のいくつかの都市に向けられていることを示しており、それらが発射されると数分を経ずして八千万人の米国人が死ぬだろうと見積もられた[7]

実際には、ミサイル32基どころか、同国にはソ連の核弾頭162発が置かれていた[8]。ケネディ政権による海上封鎖の措置により、1962年のキューバ・ミサイル危機は平和裏に解決した。ソ連が妥協しなければ、アメリカ合衆国はキューバ侵攻を辞さなかったであろう。合衆国市民は核戦争の恐怖を十分に味わった。ソ連においても時の首相であるニキータ・フルシチョフが失脚した。軽率な政策が核政策にはなじまないことが明らかになった。

皮肉なことに、キューバ危機を経て核戦略は安定期に入った。中国の核実験が米ソに不拡散の共通利益を認識させたことが大きかったろう。核の傘という言葉が使われ始めたことから知られるように、核兵器は同盟国を守るための安全保障で、実際には使えない兵器である、と考えられるようになった。その背景にあったものが相互確証破壊の状況および政策であった。

核兵器を使おうとする者は、先制の対兵力攻撃が成功するかを検討する。敵が態勢を整えるまえに奇襲すれば、第二撃、つまり反撃、を完全に無力化し、核戦争に「勝てる」からである。敵の爆撃機がむきだしのまま基地に並べられていたり、液体燃料を時間をかけてミサイルに注ぎ入れる仕組みであったり、と攻撃対象が脆弱であることを偵察機で確認したら、奇襲しても安全だ、と結論する。

こうした先手必勝をなくし、にらみ合いを安定化する方法の一つが核戦力の非脆弱化である。ICBMを地下のサイロに格納し、フタを強化して、核爆発の熱や爆風から守るようにする。SLBMを搭載する戦略原子力潜水艦を海中に潜ませ、正確な位置が知られぬようにする。奇襲をこれら第二撃能力ならば生き残り、報復にとりかかる。国民が死に絶えても、生き残った核兵器が敵を死滅させるとは、あたかもゾンビどうしが殴り合うかのようである。

第二撃の応酬が行われたのちには、双方が確実に廃墟となっている。これが相互確証破壊である[9]。英語の頭文字を取ったMADという呼称もよく知られるが、このスペリングには「狂っている」という意味もあり、本質を言い当てている。狂っていたのは殺戮の能力ばかりでなく、MADを相互抑止の手段として肯定的に捉える態度もであった。MADを支障なく機能させることが、米ソの核外交の基調となった。これがMADレジームである。

相互確証破壊という言葉が示すように、米ソの核戦力はアメリカ合衆国の核独占からパリティ(均勢)へと変化した。弾頭の数についていえば、ソ連のそれがアメリカ合衆国のそれを超えたのは1970年代後半であった。しかし、威力では、その十年前に超えていた。ソ連の水爆は1960年代、急速に大型化した一方で、アメリカ合衆国はその選択を採らなかったからである。

1970年代、アメリカ合衆国が熱心に取り組んだのはミサイルのMIRV化であった。MIRVとは個別誘導複数目標弾頭のことで、ミサイルにいくつもの核弾頭が載っていて、それぞれが別の目標に向け、分かれて飛んでいく。多いものでは10発以上の弾頭を搭載できるミサイルもあった。ただし、それぞれの弾頭はミサイルの放物線軌道から大きくそれることはできず、着弾地点はおのずと一定の範囲内になる[10]

MIRV化の目的は、第二撃能力の非脆弱化、すなわち生き残り、である。奇襲によって多くのミサイルが破壊されても、MIRV化されたミサイル1基が残れば、いくつもの目標に攻撃を加えることができる。MIRV化はMADレジームの強化を意味した。

それでも、絶対兵器である核兵器には完璧な防備はない、という鉄則を乗り越えようとする試みは存在した。その一つがABM(弾道弾迎撃ミサイル)である (本当は弾道ミサイル迎撃ミサイルと訳すべきであるが、言いにくいのでこうしておく)。1960年代に、アメリカ合衆国ではICBMに対する迎撃システム、特に、研究が始まっていたナイキX、の開発は可能か?、が論争になっていた。ナイキXの開発は結局、断念され、ABMはICBMへの効率的な防備でないことが明白になった。当時の技術では速度・精度・破壊力のすべてで迎撃ミサイルはまったく実戦に耐えなかった。

ソ連側も1964年、モスクワ周辺に配備されるガロッシュABMシステムを公開した。これが改良されたゴーゴンとガゼルというミサイルは10キロトンほどの核弾頭を装備していた。核の火の玉によって敵の核弾頭を無力化する意図であった。実態は「モスクワ上空で爆発すると、その下の二〇〇平方キロメートルを破壊し、モスクワ人口の一〇パーセントが死亡するという推測がなされている」という代物であった[11]。首尾よく迎撃に成功したとしても、地上の生活は地獄と化すことが避けられなかった。

米ソ合意の上でABMは制限されることになった。1972年に署名されたABM条約は双方の発射基数に上限を設けた。ABMの信頼性はMADの信頼性に勝てなかったのである。これと同時に、オーバーキルの水準に達していた戦略核戦力を制限するSALT Iが結ばれた。これらをもって、MADレジームは制度化された。

なおもミサイル防衛への誘惑は十数年おきに頭をもたげた。1983年、核軍拡を掲げるロナルド・レーガン政権は、核兵器にたいする国民の不安を鎮めようと、SDI(戦略防衛構想)を発表したが、宇宙基地やレーザービームといった未来技術を用いるものであったため、映画タイトルを借りて「スターウォーズ計画」とあだ名された[12]。レーガンは演説でSDIは核兵器を「無能かつ陳腐」にすると表現したが、とてもまじめとは思えないユーモアの一種として世間は受け止めた。

ソ連は自国の停滞する経済と社会を立て直すことができずに崩壊した。核兵器と大国の地位を引き継いだロシアは十分な量の核戦力は持っていたため、ミサイル技術の質的向上に努力を傾けた。MADが今後もレジームであることは、ロシアにとって信念であると同時に願望でもある。他方のアメリカ合衆国にとり、すでにそれは最重要の関心分野ではない。

「激動」の冷戦終結とソ連崩壊は、アメリカ合衆国ではジョージ・H・W・ブッシュ(父)大統領の任期中であった。レーガン前政権と同じく共和党であったため、SDIを引き継ぎつつ、その未来技術の部分は削り、事業名はGPALSと改めた。目玉兵器であるブリリアントぺブルズは、衛星軌道にまかれた「小石」に喩えられる多数の物体が、来襲するICBMに向かってぶつかっていき、破壊するものであった。こうした奇想天外な計画は、冷戦終結、SDI縮小、そしてイラクのような新しい脅威の出現といった過渡期において、米軍が方向性を見失った結果であった。

ウィリアム・J・クリントン大統領の時代になると、新たな脅威の姿が見え始めた。イランや北朝鮮といった、いわゆる「ならず者国家」のミサイルから同盟国およびそこに置かれた米軍を守ることが課題になった。これがTMD(戦域ミサイル防衛)である。「T」はシアターの頭文字であるが、「劇場」ではなく地球表面の一地域を指す「戦域」の意味である。アメリカ合衆国がTMDを推進するには壁があった。ABM条約では配備できる弾道弾迎撃ミサイルの発射基の数が定められていたからである。世界が同情したのは、ひたすら自国の軍事的利益を追い求めるアメリカ合衆国よりも、経済的苦境下で足元を見られたロシアのほうであった。

1997年、アメリカ合衆国はロシアとTMDについて合意した。その前提はNMD(国家ミサイル防衛)とTMDは明確に分けることができるということであった。NMDは合衆国の本土を守る防衛であり、迎え撃つのは主にロシアのICBMであった。TMDはイランや北朝鮮の中距離ミサイルから同盟国や米軍基地を守る。射程が長いICBMのほうが落下速度が速く、撃ち落としにくい。ということは、性能をNMDに必要なもの未満にすれば、TMDを配備してもそれは米ソの核戦争を想定したABM条約に違反しない、とアメリカ合衆国は主張した。実際に合意では、射程3,500キロメートルまたは秒速5キロを超えるミサイルにたいする実験を行わないことにした。また、宇宙配備やレーザーなど他の物理原理のシステムを開発しないことも決められた[13]

日本は1999年からTMDの共同研究に参加し、イージス艦から発射されるSM-3というミサイルの開発を担当した。SM-3は敵のミサイルをまだ加速が十分についていない大気圏外で撃ち落とす。北朝鮮は国土が狭く、日本に近接しているので、打ち上がったところで捉えれば、弾頭の速度はそれほどでない。1998年に北朝鮮が行ったテポドン1号の実験が、共同研究への日本の参加を促したのであろう。北朝鮮より国土が広く、日本から距離がある国からの防衛にSM-3は適さないかもしれない。

TMDの推進には、北朝鮮や中国のように中距離ミサイルを強化していた国は依然、反対した。アメリカ合衆国と同盟を結ぶNATO諸国はTMDには賛成したものの、日本と異なり、NMDには反対した[14]。NMDが急速に進歩すれば、いずれABM条約はもちろん、MADさえ形だけのものになりかねない。それは米ロがこれまで達成してきた軍縮の過程そのものを否定することである。しかし、NATOの盟友は冷たすぎはしなかったであろうか? 自分たち同盟国だけには安全保障を求めておいて、当のアメリカ合衆国がMADの恐怖のもとに置き去りにされてよいのであろうか? 合衆国ががまんし続けるはずがなかったのである。

増長する北朝鮮によるミサイル実験は大きな反響を呼んだ。1998年から翌年には、ラムズフェルド委員会と呼ばれるアメリカ合衆国にたいする弾道ミサイルの脅威に関する委員会が設けられた。ついに、2001年に発足したジョージ・W・ブッシュ(子)大統領の政権は同年暮れにABM条約から脱退し、NMDの実験が可能になった。ロシアを説得するために作られたNMDとTMDの区別は無意味になり、両者はミサイル防衛(MD)または弾道ミサイル防衛(BMD)へと一本化された。

では、悲願であったアメリカ合衆国のミサイル防衛はフリーハンドを得て急進展したのか? そのような話は聞いたことがない。個々の技術ではブレイクスルーはあっても、絶対兵器である核ミサイルを「無能かつ陳腐」にする可能性はいまだ開けていない。光速のレーザービームであれば弾頭がいかに速く落下してきても迎撃できるイメージがあるが、核爆弾を破壊するには、莫大なエネルギー出力が必要である。飛行機にレーザービーム発射装置を搭載したABL(航空機搭載レーザー)という兵器が実験されたが、それだけの出力を持つ装置を飛行機に載せることは簡単でない。できたとしても、敵陣深くからミサイルを発射すれば、ABLからは地平線のはるか向こうである。レーザーは直進することを忘れてならない。

逆に、絶対兵器としての核ミサイルの地位を安泰にするようなブレイクスルーのニュースはよく耳にする。代表は極超音速滑空兵器である。アバンガルドというロシアのミサイルは、目標到達時にはマッハ20に達するという。従来の弾道ミサイルのように放物線を描くのでなく、最終的には滑空するので軌道計算が難しい。配備の意図はMADレジームの強化であろう。

中国との関係はMADだけでは捉えられない。中国はその経済力を使って、未来技術を中長期的に実現していくであろう。それは宇宙テクノロジーかもしれないし、ITやAIかもしれないし、それら以外かもしれない。2023年、北米大陸上空に正体不明の気球が現れる騒動があった。未来技術の開発を許せば、中国が世界の支配者になる可能性がある。であるからこそ、アメリカ合衆国はABMやINFに関するロシアとの約束に縛られてならないと考えた。

最後に、日本のミサイル防衛を見て、この回を締める。実戦配備されているのはペトリオットとイージス艦である。ペトリオットPAC-3は核ミサイルが目標に到達する直前の低空で迎え撃つ。2007年、入間と習志野にある航空自衛隊の拠点に配備された。その後、数は増えたものの、射程は半径20キロメートルほどと言われ、また、自衛隊の拠点がないところには配備されない。人口密集地をすべて護りきれるわけでない。

イージス艦は高い防空能力を有する巡洋艦として以前から存在していたが、2007年、海上自衛隊のそれがSM-3によるミサイル迎撃の実験に成功したことで、ミサイル防衛の任務が加わった。現在は数隻が配備され、小規模な攻撃には対応できるかもしれない。撃ち漏らしがないとは言い切れず、極超音速兵器への備えも疑問である。 以上のように、日本のミサイル防衛は北朝鮮の核兵器に対応することが想定されている。ロシアと中国のそれに対しては米軍の能力に全面的に依存しているのが真相である。今後、対基地攻撃や第二撃を目的とする中距離巡航ミサイルを装備に加えることになるが、やはりロシアと中国の核ミサイルには対応できない。彼を知り、己を知らば、百戦殆うからず、というが、生兵法はけがのもとになる。


[1] 松岡完、広瀬佳一、竹中佳彦、『冷戦史』、同文館出版、2003年、25ページ。

[2] H・J・モーゲンソー、『世界政治と国家理性』、鈴木成高、湯川宏訳、創文社、1954年、165ページ。

[3] ディーン・アチソン、『アチソン回顧録』、1、恒文社、1979年、20ページ。

[4] H・A・キッシンジャー、『核兵器と外交政策』、田中武克、桃井真訳、日本外政学会、1958年、127、136ページ。

[5] Peter Sellers, George C. Scott, Slim Pickens, Stanley Kubrick, and Peter Bryant, Dr. Strangelove, or, How I learned to stop worrying and love the bomb, [New York]: Columbia Pictures Corp., 1963.

[6] ロバート・S・マクナマラ、『マクナマラ回顧録』、仲晃、共同通信社、1997年、47ページ。

[7] ロバート・ケネディ、『13日間 キューバ危機回顧録』、毎日新聞社外信部訳、中央公論新社、2001年、26ページ。

[8] Robert S. McNamara, “Apocalypse Soon,” Foreign Policy (148) (2005): 33.

[9] 山田浩、「相互確証破壊」、川田侃、大畠英樹編、『国際政治経済辞典』、東京書籍、1993年、 614-615ページ。

[10] 小都元、『核兵器事典』、新紀元社、2005年、134ページ。小都元、『ミサイル防衛の基礎知識』、新紀元社、2002年、61ページ。和田長久、原水爆禁止日本国民会議編、『原子力・核問題ハンドブック』、七つ森書館、2011年、151ページ。

[11] 江畑謙介、「GMD計画の構想と技術―その中間段階および終端段階迎撃システムを中心に」、森本敏編、『ミサイル防衛―新しい安全保障の構図』、日本国際問題研究所、2002年、101ページ。

[12] 永田実、『謎とき・もめごとの世界地図』、日本経済新聞社、1985年、122ページ。

[13] 小川伸一、「米国の戦域ミサイル計画」、森本編、『ミサイル防衛―新しい安全保障の構図』、70ページ。

[14] 橋本光平、『国際情勢早わかり2002年版』、PHP研究所、2002年、43ページ。

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絶対兵器

ウランという名の金属がある。その同位体であるウラン235の原子核は分裂しやすく、分裂すると、熱エネルギーが発生する。これに伴い、中性子という粒子が放たれ、それが別の原子核にぶつかると、その原子核も分裂する。こうした核分裂の連鎖反応が制御されずに繰り返されれば核爆発になる。核爆発を軍事上の目的で人工的に起こす装置が核兵器である。今回のテーマは、核兵器の開発とそれがもたらした核抑止とはどのようなものか説明しなさい、である。

核分裂の連鎖反応に関する発見を核兵器の開発につなげたのは、アルバート・アインシュタインであった。彼が誰であるかについて説明はいるまい。時のアメリカ合衆国大統領フランクリン・D・ローズベルトに彼が手紙を送ったのは1939年8月のことであった。次の月が第二次世界大戦の始まりであるので、ヒトラーと戦う目的で、アインシュタインが新兵器の開発を進言したことは本当であろう。手紙のなかで、ウランの核連鎖反応から巨大なエネルギーが生じ、そのことがもたらす重大な意味を伝えた。「初めて発見されたこの現象は、結果として爆弾の製造にもつながります」と明言したのである[1]。進言を実際に取り計らったのは、ハンガリー出身の物理学者レオ・シラードとされる。この人もユダヤ人であった。ユダヤとナチスとの生死を賭けた戦いが、世界史のゲームチェンジャーとなったのである。

さっそく1939年10月、大統領部局として、ライマン・ブリッグズを委員長とするウラン諮問委員会が設置された。事業は1942年に陸軍に移管され、マンハッタン管区と名づけられた。マンハッタン計画といえば、アメリカ合衆国による原子爆弾の開発そのものを指すことになる。

具体的な人物で、原子爆弾の開発者として知れ渡っているのはJ・ロバート・オッペンハイマーである。彼はもともとカリフォルニア大学バークリー校で教える左翼的な傾向がある教授であった。高名なシカゴ大学教授からマンハッタン計画に誘われて、彼の人生は一変した。

一九四二年の春、コムプトンに呼ばれて私はシカゴへ行き、原爆そのものの仕事の状態を討論しました。この会合の際コムプトンは、この仕事の責任を負わないかと私に申し出ました。当時この仕事は、おびただしいバラバラの研究計画から成っていました。私にはそれまで行政的な経験はなかったし、実験物理学者でもなかったのですが、事情には十分明るいし、この問題は取り組み甲斐があると思っていましたので、喜んで引き受けました。このとき私は冶金研究所の職員になりました[2]

大規模プロジェクトを成し遂げたオッペンハイマーの行政能力は驚くべきものであった。1943年、彼を所長とするロスアラモス研究所が、陸軍代替材料開発計画司令官レスリー・グローブズの指揮下に設置された[3]。ロスアラモス研究所はニューメキシコ州にある。2年あまりたった1945年7月、最初の原爆実験であるトリニティ実験が同州のアラモゴードで行われた。20年後のテレビ番組で回想する彼の言葉がよく知られる。

世界は今までと同じ世界ではなくなったことを、われわれは知った。何人かは笑い、何人かは涙を流した。ほとんどの人が黙っていた。わたしは、ヒンズー教の聖書(バガバッド・ギーター)の一節を思い出した。ビィシュヌは義務を果たさなければならないことを王子に説得し、彼に感銘を与えようとして複数の腕を持つ姿に変わる。そして言う。『われ世界の破壊者たる死とならん』。だれもが、何らかの形でこれと同じことを考えたと、私は思う[4]

ビシュヌ神は日本では腕が2本になり、仁王像2体のうち阿形のほうになった。原爆の威力を自己の力と錯覚したオッペンハイマーは仁王のように人類史を変えてしまった。

広島への原爆投下は1945年8月6日に実行された。なぜハリー・S・トルーマン大統領は投下を決断したのか? 後世しばしば議論される問いである。日本を降伏させるためであれば、投下を待たず、7月のポツダム宣言において皇室の安泰(国体護持)を保証すれば可能であった、とも言われる。日本が8月14日にポツダム宣言を受諾して降伏した決定的な原因は、同月9日にソ連が対日参戦をし、講和の仲介を図ってもらう見込みが消えたことであった。原爆投下の真の理由は、ソ連に対して戦後、優位な立場を得たかったから、というのが通説である。

トルーマンは民間人の虐殺は悪いことであると知っていた。彼は投下後の発表で、 広島を軍事基地と表現し、死者を6万人と述べた[5]。実際には広島は30万人弱の市民を擁する都市であった。トルーマンは嘘をついたか、部下に騙されたかのいずれかである。

広島に落とされた原爆と3日後、長崎に落とされた原爆とでは、基本的な設計が異なった。広島に落とされたのはガンアセンブリ型の「リトルボーイ」であり、長崎に落とされたのは爆縮型(インプロージョン型)の「ファットマン」であった。ガンアセンブリ型では、核分裂を促す中性子を出すための物質に弾丸を打ち込み、その物質の外側をリング状に囲むウラン235を分裂させる。爆縮型はその名のとおり、球状の火薬を内側に爆発させて圧力をかけ、仕込まれた物質に中性子を出させ、中心に位置するプルトニウムの核を分裂させる。材料についても、リトルボーイはウランであり、ファットマンはプルトニウムであった。ウランのまま核兵器に使うには、兵器級ウランと称されるきわめて濃度が高いウラン235が必要である。プルトニウムは、それほど濃度が高くないウランを原子炉で燃やした使用済み核燃料から抽出できる。

物理学者たちは、水素原子の核融合による爆発、すなわち水素爆弾の開発が可能であることを理論的に知っていた。開発に消極的であったオッペンハイマーに代わって、水爆開発の中心となったのは、かつてシラードの運転手をしていたハンガリー系ユダヤ人エドワード・テラーであった。折しも、ソビエト連邦が原爆の開発に成功し、思いのほか早かったキャッチアップはトルーマン大統領をあせらせた。彼は1950年1月末に、水爆の製造を指示した。テラーの同僚スタニスワフ・ウラムは核融合で二重水素と反応させるトリチウム(三重水素)を作るため、固体リチウムを使うことを思いついた。これを基礎に、彼らは、原爆を起爆剤としたエネルギーで核融合を起こす方法を発明した。これがテラー・ウラム・コンフィギュレーションと呼ばれる水爆の設計である。

南太平洋のエニウェトック環礁において1952年、アメリカ合衆国は熱核装置を爆発させた。このマイク・ショットはTNT火薬10メガトン分の威力であった。広島に投下されたリトルボーイは15キロトンの威力であったから、数字が3桁大きくなったことになる。しかし、この「装置」は実戦において爆弾としては使えないほど巨大であった。最初の水素「爆弾」はいつ実用化されたかというと、1954年3月に行われたビキニ環礁での実験であった。このブラボー・ショットはTNT火薬にして15メガトンの威力であった。あまりに巨大な爆発であったため、第五福竜丸事件など放射能汚染を広範囲にもたらした。

今度も、ソ連の追い上げはすさまじかった。テラーがアメリカ合衆国における水爆の父であるとすれば、アンドレイ・サハロフがソ連におけるそれであった。彼は功績を独り占めしなかった。「テラー・ウラム・コンフィギュレーション(第三のアイデア)は、理論部の数人の研究者がほとんど同時に考えついた」[6]と述べる。ソ連初の水爆実験は1955年11月のことであった。威力はTNT火薬にして1.6メガトンであり、リトルボーイの100倍であった。

核爆弾の破壊力は巨大化の一途をたどった。アメリカ合衆国の安全保障専門家グレアム・アリソンは次のように語る。

これまで製造された核兵器で最大のものと最小のものは何ですか?

ソ連が作った「ツァーリ・ボンバ」は、推定一〇〇メガトンの爆発力で最大です。これは広島と長崎に投下された原爆の六五〇〇倍の爆発力です。確認されたなかで最小なのは、アメリカが作った「デイビー・クロケット」で、〇・二五キロトンの爆発力で重さはわずか二二・五キロです[7]

ツァーリ・ボンバも、デイビー・クロケットも、実戦向きではない。ツァーリ・ボンバの破壊力は人類の滅亡を予感させる。インターネットに上げられたそれを映す動画では、巨大なキノコ雲を背景に、天を裂くような爆発音が響く。デイビー・クロケットは迫撃弾で、数キロ先の目標に打ち込まれる。押し寄せる敵の戦車部隊を破壊するようなことを想定して開発されたのであろう。自軍も放射能で汚染されることを考えると、使用はためらわざるをえない。

旧約聖書におけるヨハネの黙示録の昔から、人類を滅亡させる戦争が予言されてきた。20世紀には飛行機・戦車・毒ガスの登場によって、他を圧する新兵器が遠からず現れることは確実視された。満州事変の首謀者である日本陸軍の参謀、石原莞爾、は1940年の「最終戦争論」において将来の核戦争をほぼ正確に予想した。

一番遠い太平洋を挟んで空軍による決戦の行なわれる時が、人類最後の一大決勝戦の時であります。即ち無着陸で世界をぐるぐる廻れるような飛行機ができる時代であります。それから破壊の兵器も今度の欧州大戦で使っているようなものでは、まだ問題になりません。

もっと徹底的な、一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力のものができねばなりません[8]

「世界をぐるぐる廻れる」というのはICBM(大陸間弾道ミサイル)を思い起こさせるし、「一発あたると何万人もがペチャンコにやられる」というのは核兵器による大量破壊そのものである。太平洋戦争も始まっていなかった時点で、彼が日米戦争を予想したのは正しかったが、マンハッタン計画の進行が速かったのは想定外であったにちがいない。

核兵器が実際に使用されると、それが世界をどう変えるか?、人々は想像力をたくましくした。従来のどんな兵器とも違うことを冷静に分析したのは、アメリカ合衆国の軍事専門家バーナード・ブロディであった。投下の翌年である1946年に『絶対兵器』という編著でその革新性を指摘した。

ブロディが核兵器を絶対兵器と呼んだことには、いくつもの理由があった。性能自体が、どんな都市も1~10発で破壊でき、完璧な防備は当分できない、と特別であった。この性能を活かすには、自領からどんな国へも攻撃できる新型または長射程の運搬手段が有効である。後世から見れば、それが戦略爆撃機やICBMのことであることは指摘するまでもない。1機/発でも防空網を突破し目標に到達すれば相手はおしまいで、空軍の優勢は安全を保証しない。

ブロディの洞察は、鉄と燃料をかき集めることで軍事力を築いてきた大国を頂点とする世界秩序への警告であった。爆弾は持ちすぎてもしかたない、と彼は述べた。それでも、米ソはオーバーキルと呼ばれるほどの核兵器を製造した。逆に言えば、一定水準以上の核戦力を持てば、小国でも大国の攻撃から身を守れる。ブロディは、スーツケースで爆弾を他国に持ち込むテロリストが現れる可能性さえ示唆した。当時、ウラン鉱脈は貴重であったものの、破壊力を考えれば原料は豊富という彼の評価も斬新で、5~10年後には原爆の共同開発国であった米英加以外の国も生産能力を獲得すると予想した。実際に、ソ連が原爆実験をしたのは出版から3年後であった[9]

核兵器に対する完璧な防備は当分できない、ということが、いかに革新的であったかを説明しよう。他の攻撃手段に対しては、十分な量の防備があれば、必ず守るすべがある。相手が素手でくれば、素手で備えることができ、矛でくれば、盾という守り専用の武器を使うことができる。弓には兜、銃には防弾チョッキ、戦艦には潜水艦、爆撃機には要撃機、といった具合である。

ところが、弾道ミサイルには完璧な防備はない。核弾頭は1発でも命中したら、当てられた側の負けである。弾道ミサイル防衛といわれるものとして、イージス艦やペトリオット・ミサイルといったものが取りざたされる。戦略核戦力が着弾する際には、落下速度はマッハ20くらいになる。これを打ち落とすには、第1に、敵弾の軌道を精密に計算して待ち受ける、第2に、こちらの迎撃兵器を高速化する、第3に、広範囲を破壊できる迎撃兵器を使う、などの方法が考えられる。第2の方法を実現するのがレールガン(電磁砲)とレーザービームであるが、いずれも未来技術である。

ミサイルの発射直後や宇宙空間を飛んでいる間に打ち落とせばよいでないか、と言うかもしれない。しかし、国境のはるか奥深くに発射基地があったり、宇宙空間に弾頭に見せかけた囮の物体をまいたり、再突入体を放物線軌道から外して滑空させてみたり、と敵も対策をとっているので、やはり困難である。つまり、核戦争は、敵に弾道ミサイルを発射された瞬間に「負け」である。戦争が起こる確率が高かった冷戦時代には、この恐怖感が米ソの指導者たちを駆り立てた。

核兵器の脅威に対しては、相手に攻撃させないことを心掛けなければならない。方法としては抑止がある。それは報復の耐えがたいコストを期待させることによって先制攻撃を思いとどまらせることである。確かに、核攻撃のコストは耐えがたいので、抑止には向いている。当然、相手も同じことを考えるので、核武装をする。抑止が核を持ってにらみあう双方に効いている状況またはそれを目指す政策を相互抑止という。恐怖の均衡ともそれはいう。核兵器を撃たれる恐怖ゆえに相手にも同じ恐怖を与える兵器を配備して、結果、平和が続いている状況である。

抑止など核戦略について見ていくに当たっては、独特の用語に慣れる必要がある。先制攻撃のことを第一撃、報復攻撃のことを第二撃という。攻撃目標については、敵の兵力を攻撃して報復能力を奪おうとする戦略を対兵力戦略(カウンターフォース)という。敵の都市を攻撃することにより、戦争継続能力を奪ったり、心理的打撃を与えたりしようとすることは対都市戦略(カウンターシティ)である。都市だけでなく、工業地帯を破壊しようとすることは、対価値戦略(カウンターバリュー)である。攻撃目標の上空にミサイルや爆撃機などの運搬手段が到達する能力は浸透能力という。脆弱性とは、軍事目標の兵力・産業能力・都市などに十分な防御手段がないことである。

つぎは、ミサイルの種類について学ぶ。推進力の違いによって、弾道ミサイルと巡航ミサイルに分けられる。弾道ミサイルは、ブースト段階、すなわち打ち上げ時、に与えられたエネルギーのみにより推進力が与えられ、野球のバッターがはじき返したフライのように、放物線を描く。

弾道ミサイルはさらに射程によって呼び分けられる。短距離ミサイルは射程1,000キロメートル未満、準中距離弾道ミサイルは射程1,000~3,000 キロメートル、中距離ミサイルは射程3,000~5,500キロメートル、そして長距離ミサイルは射程5,500キロメートルより長いものである。着弾時の速度は射程が長いものほど速く、撃ち落としにくい。

巡航ミサイルは、ブースト段階後に与えられたエネルギーによって推進力が維持される。ジェットエンジンで進む飛行機のように、針路は比較的自由に変えられる。速度が弾道ミサイルよりも遅いので撃ち落とされやすく、あまり長い距離を飛ぶことはできない。

極超音速滑空兵器は2010年代から話題にのぼるようになった。放物線を描いて落下するのでなくグライダーのように滑空し、軌道を予測させないようにしたものである。速度はマッハ5以上で、迎撃は困難とされる。

運搬手段に注目する場合、戦略核戦力の三本柱と言われるが、ICBM、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)、そして戦略爆撃機のことである。保有国によって編成に重点の違いがある。

核弾頭数について2023年のデータでは、ロシアはICBM用を834発、SLBM用を640発、戦略爆撃機用を200発、それぞれ作戦配備する。広い国土に発射手段を分散できるので、ICBMが多い。鉄道上を走らせて、敵の対兵力攻撃をかわそうとするものもある。アメリカ合衆国は世界一の海軍国であり、SLBMが970発と最多である。日本を空襲したB-29以来、つちかわれた信頼性がある航空爆撃用の弾頭が300発、内陸部の地下サイロに格納されたICBMが400発、それぞれ配備されている。英仏はSLBMが中心である。国土が狭く、人口密度が高いゆえに、地上ミサイル発射基が対兵力攻撃された場合の人口へのダメージが恐いのであろう。他の保有国は配備はせずに、弾頭を貯蔵しているらしい。中国は陸海空軍用の弾頭を410発持つ。インド、パキスタン、イスラエル、そして北朝鮮は地上発射の弾道ミサイルを主力とする[10]

ここで挙げた国々が現在、核兵器を保有するとされる。保有国の数が増えていくことを核拡散と呼ぶ。古代ギリシャの神話で、プロメテウスが人類のために神から火を盗んだことが罪とされるのになぞらえ、禁断の行為とみなされる。核兵器不拡散の規範のために存在する政策と規則をまとめて核不拡散レジームと呼ぶ。

岩田修一郎は、核拡散を予防するための政策について整理する。彼によると、説得外交、経路妨害、軍備管理、そして国際圧力の手段がある[11]。このうち、NPT(核兵器不拡散条約)の維持・強化などの軍備管理、そして経済制裁などの国際圧力については、別の回で詳しく述べる。ここでは説得外交と経路妨害について解説する。

まず、説得外交とは、拡散が懸念される国に、持たないように説得することである。日本のような非保有国は、ODAの供与と引き換えに、持たないことを相手に約束させることができるかもしれない。しかし、ODAでは満たすことができない安全保障上の要求がある。積極的安全保証と消極的安全保証の要求は、応じられるのは核兵器保有国だけである。

積極的安全保証は、非保有国にたいする外部からの核攻撃に核兵器で報復する約束である。これは核の傘、あるいは拡大抑止、という言葉と非常に似ているが、同盟国だけに保証されるのでなく、すべての国に保証される。両者の違いは集団安全保障と集団防衛との関係に近い。

国連安全保障理事会の常任理事国はすべて核保有国であり、拡大抑止の責任があることを強調することをつうじて、自らの核保有を正当化してきた。1968年には、核兵器国と非核兵器国との不平等を固定するNPTへの署名が始まった。非核兵器国への攻撃に安保理は対応する、と約束する決議S/RES/255が決定されたのは、署名の半月前のことであった。自ら核武装しなくても守ってあげるので安心ですよ、だからNPTに入りましょう、という説得のための甘い言葉であった。NPTの無期限延長を決めた1995年にも、同様の内容を含む決議S/RES/984が採択された[12]

消極的安全保証は、核保有国が非核保有国との戦争では核兵器を使用しない、と約束することである。正直なところ、戦争中の敵に手加減してやるという約束は信じてよいものか疑わしい。とはいえ、核保有国が自分たちだけ核武装する後ろめたさを感じていることを示す一証拠である。1966年、ソ連のアレクセイ・コスイギン首相が非核兵器国に消極的安全保証を与える提案を行った[13]。日本が1967年に発した非核三原則をこの提案は後押しし、一定の効果があった。NPTが無期限延長されるかの分かれ道にあった1995年、五大国は自らが攻撃された場合を除き、NPTの締約国である非核兵器国への核兵器不使用を保証すると声明した。

経路妨害とは、拡散が懸念される国に、核兵器そのものやその材料が移転されることを妨げることである。これは大きく輸出管理と輸送阻止に分けられる。輸出管理とは、核兵器関連品目の輸出を非合法にしてしまうことであり、日本の場合、外国為替及び外国貿易法により規制される。その大本にはNPTがあり、さらに有志の国による原子力供給国グループ(NSG)やミサイル技術管理レジーム(MTCR)がある。1974 年、インドが核実験をした翌年にロンドン会議が開かれ、その参加国を中心に1978年、核施設・核物質・核技術の供給国の間で同グループが発足した[14]

輸送阻止とは、大量破壊兵器とその運搬手段・材料の輸送を、拡散が懸念される国への経路上で阻止することである。現に、日本は「拡散に対する安全保障構想(PSI)」または「拡散防止構想」に参加し、他国とともに合同阻止訓練を行っている[15]。問題点は、公海上における疑わしい船への臨検である。なぜなら、臨検は武力の行使を伴う可能性があり、確実な証拠なく実行すれば、国際的な緊張が高まるからである。

不拡散の努力は決して小さくはないが、北朝鮮のようにそのハードルを越えてしまった国が現れている。そもそもロシアや中国から陸路で輸送されてしまえば、合同阻止訓練は無意味である。核兵器の廃絶が難しいのは、本気でそれを製造したり、隠したりしようと国家が決意すれば、できてしまうからである。

最後に、核拡散はむしろ好ましいという説もあるので、それを見る。

新現実主義学派の巨頭であり、アメリカ合衆国の国防界に多大な影響力を持ったケネス・N・ウォルツは冷戦後、論争に火を付けた。核拡散によって多極の国際システムにおいても戦争は起こりにくくなる、と主張したからである。

ウォルツの論理は、核戦争はリスクが大きく、誤算が起こりようがないので、抑止は必ず効く、というものである。かつての中国とソ連のように、国境を接した宿敵どうしでも核戦争が起こらなかったことがその根拠である。中国は国内で過激な政策を追求し、外国に対しても過激であったが、核兵器を使うリスクは知っていたので、それを使わなかった。他の独裁体制や軍事政権でも同じように核抑止は働くであろう、というのである[16]

しかし、核拡散がもたらすものは抑止だけではない。まず、非国家主体による核テロリズムの危険がヒロシマ・ナガサキの翌年に知られていたことはすでに見た。また、秘密裏に核保有をしていた国を通常兵器で攻撃してしまうという誤算は考えられないであろうか? やられた国は核兵器を使って反撃するであろう。さらに、個人としての人間は自殺をするのであるから、国家も例えば名誉や誇りのために、自殺的な核の奇襲をしないとはかぎらない。 最後に、あなたに問いかけたい。核武装が国家どうしの関係を疑心暗鬼にし、相互依存や交流を取り払ってしまう国際社会で本当によいのですか?


[1] 「アルベルト・アインシュタインからローズベルト大統領にあてた書簡」、山極晃、立花誠逸編、『資料 マンハッタン計画』、岡田良之助訳、大月書店、1993年、4ページ。

[2] ロバート・オッペンハイマー、『原子力は誰のものか』、美作太郎、矢島敬二訳、中央公論新社、2002年、156ページ。

[3] 山極、立花編、『資料 マンハッタン計画』、689-698ページ。

[4] カイ・バード、マーティン・シャーウィン、『オッペンハイマー 上 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』、河辺俊彦訳、PHP研究所、2007年、302ページ。

[5]  長谷川毅、『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』、中央公論社、2006年。

[6] アンドレイ・サハロフ、『サハロフ回想録』、上、金光不二夫訳、中央公論新社、2002年、293ページ。

[7] グレアム・アリソン、『核テロ 今ここにある恐怖のシナリオ』、秋山信将、戸崎洋史、堀部純子訳、2006年、262ページ。

[8] 石原莞爾、『最終戦争論』、中央公論新社、2001年、37ページ。

[9] Bernard Brodie, ed., The Absolute Weapon: Atomic Power and World Order (Harcourt: Brace and Co., 1946).

[10] ピース・アルマナック刊行委員会、梅林宏道編、『ピース・アルマナック2024―核兵器と戦争のない地球へ』、緑風出版、2024年、112-113ページ。

[11] 岩田修一郎、『核戦略と核軍備管理―日本の非核政策の課題』、日本国際問題研究所、1996年、172-173ページ。

[12] 黒沢満、『核軍縮と国際平和』、有斐閣、1999年、131ページ。

[13] 黒崎輝、『核兵器と日米関係』、有志舎、2006年、82-83ページ。

[14] 黒崎、『核兵器と日米関係』、250-252ページ。

[15] “拡散に対する安全保障構想(Proliferation Security Initiative: PSI)の概要,” 外務省, January 9, 2026, https://www.mofa.go.jp/mofaj/dns/n_s_ne/page24_000720.html, accessed on February 15, 2026.

[16] Scott D. Sagan and Kenneth N. Waltz, The Spread of Nuclear Weapons: A Debate (New York: W. W. Norton & Company, 1995), ch. 1, pp. 1-45.

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軍縮・軍備管理

軍縮は英語のディスアーマメントが訳されたものである。普通はアームズリダクションのこととされ、そちらはより明確に軍備を削減することである。現実に軍縮と称されるものは必ずしも量的に兵器・兵員の縮小を伴うものばかりでない。軍縮の例として引かれる1922年のワシントン海軍軍備制限条約は保有する軍艦の上限を定めただけであった。

広く軍備の規制をいうために、軍備管理(アームズコントロール)という表現がある。内容は多岐にわたり、兵器・兵員の量的な縮小・制限について使われるほか、質的なさまざまな措置が含まれる。毒ガスには、保有は禁止されないが、使用だけが禁止された時代があった。ミサイルの射程のように、性能の制限が合意されることもある。軍備管理の手始めに、武器・技術・材料の移転が制限されることは多い。非武装・軽武装地帯には、朝鮮戦争の休戦ラインなどがある。1980年代における米ソの軍縮交渉で「信頼せよ、されど検証せよ」が合言葉になったように、監視・査察・臨検などの検証が実効的な制限・縮小に伴わなければならない。白書による情報開示は軍備管理の第一歩である。

今回のテーマは、なぜ軍縮や軍備管理が必要であるか論じなさい、である。本題に入る前に、核兵器登場以前の実例を見る。

近代における最初の軍縮条約は1817年のラッシュ・バゴット協定とされる。本来ならばアルファベット順にバゴット・ラッシュ協定とすべきであろうが、この英米間の合意はアメリカ合衆国にとっての意義のほうが大きかった。当時は英米戦争が終わったばかりであり、今のカナダとアメリカ合衆国との長い国境線は定まらず争いの種であった。再度、戦争となれば勝敗の帰趨は軍艦数の優劣によって大きく左右される。五大湖岸の北と南に英米の大都市が散在し、また合衆国のシャンプレーン湖からカナダに攻め下ることが可能であったからである。

こうした状況下で、英米は軍事情勢の安定に相互の利益を見いだし、軍艦の保有量に上限を定めた。五大湖・シャンプレーン湖において軍艦を排水量100トン以下18ポンド砲1門のものに制限し、各湖における隻数を制限した。現在では、ラッシュ・バゴット協定はカナダとアメリカ合衆国との非武装国境を象徴する歴史的偉業とみなされる。

このように、成功した軍備管理は現状の固定化に当事国が利益を見出した時に行われる。逆に失敗した例は、いずれかが不満足な現状を無理に固定化しようとしたものである。

顕著な例はドイツの報復主義である。世界大戦に敗れたドイツは1919年のベルサイユ条約によって、陸軍は10万人以下、海軍は1万5千人以下に兵員を削減され、排水量1万トン以上の軍艦を建造することを禁止された。それはすべての国の軍備制限を可能とするためという名目のもとであったが、実際にはドイツだけに課された。

戦間期における軍備管理はことごとく悪かったわけでない。主な海軍大国を巻き込んで、ワシントン海軍軍備制限条約と1930年のロンドン海軍軍縮条約が結ばれた。1925年のジュネーブ毒ガス議定書では毒ガスの使用が禁止された。

いよいよ懸案であった陸軍の削減を行うため、ジュネーブ一般軍縮会議が始まったのは 1932年である。英仏は軍縮するつもりは毛頭なく、自国の優位を維持することにこだわった。翌年、ドイツではアドルフ・ヒトラーが首相に就任し、一般軍縮会議から脱退した。ベルサイユ条約をほごにしてその再軍備が始まったのは1935年である。不平等な国際体制にたいする怒りがヒトラーを権力の座に押し上げた。

核兵器が登場する以前の軍備管理の歴史から分かることは、それが自国の立場を有利にしようとする政治の延長であったことである。成功した多くの事例では、双方が合意に達したのは現状維持を受け入れる用意があったからである。失敗した例では、相手にあまりに過酷な条件を押し付け、逆恨みにあう結果になった。悪い軍備管理も存在するが、良い軍備管理は追求するに値する。

なぜ、筆者は軍縮・軍備管理を勧めるのか? 論拠は大きく言って二つある。一つは戦争の惨禍、もう一つは軍拡競争の防止である。軍拡競争を防止する利点は四つに分けられる。第1に国際関係上の利点、第2に経済上の利点、第3に環境上の利点、第4に健康上の利点である。

戦争の惨禍については、核戦争のもたらす災いについて述べるのが近道である。広島では1945年のうちに14万人が亡くなった、と広島市は推計する[1]。長崎市が述べるところでは、死者の数を73,884人とするのが通説である[2]。多数の犠牲者を出したのは、致死性の高い熱線、放射線、そして爆風へと核爆発のエネルギーが形を変え、熱線による高熱火災が追い打ちをかけたからである。

こうした惨禍はGHQに占領されていた時代には隠された。1952年の主権回復後まもなく、前年に出版された体験集に基づく映画『原爆の子』が公開された。新藤兼人監督は原爆投下と原爆症の実態を生々しく描いた[3]

国内に知識が行き渡るには、まだ足りなかった。1950年代には放射能に無頓着な『鉄腕アトム』というマンガが人気を博した。1954年の第五福竜丸事件も、恐怖を部分的に伝える一過性のニュースにすぎなかった。中沢啓治のマンガ『はだしのゲン』が1973年から1983年まで刊行され、ようやく原爆投下の悲惨さは老若男女の常識になった。被爆国日本でさえ、である。

現代の大量破壊兵器はどのくらいの破壊力を持つのか? アメリカ合衆国の中規模都市に20キロトンの核兵器が使われたら4万人の死者が出る、という試算があるそうである[4]。広島と長崎より数が少ないのは、両市で火災を広げた木造家屋が少なく、人口密度が低いからである。

メガトン級の水爆では火球がはるかに大きいので、1発の被弾で桁違いの人々が命を失うであろう。現代の広島上空で1メガトンの威力の爆弾が爆発したら、37万2千人の死者が出るという推計があるそうである[5]。「政治の継続」、つまり何らかの対外的な目的を達成するための手段、としての核戦争というものは考えにくい。

惨禍を軽減するために、民間防衛というものが提案された。戦闘員、兵器、そして軍事施設の防衛だけでなく、非戦闘員を防衛しようとする計画である。1950年代末以降は家庭防衛としての地下核シェルターやその他の公衆核シェルターの設置が試みられたほか、疎開などの対策が計画された。核戦争が市民生活に与える影響を調査・研究する目的で、核実験さえ行われた。

現代の日本でも、国民保護法(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律)に基づくJアラートという警報が北朝鮮によるミサイル/ロケット発射のたびに発せられている。核弾頭がミサイルに載せられていたら、警報を聞いた市民は核シェルターなしで爆発の猛威から逃げることができるであろうか?

惨禍は地球環境さえ変化させると考えられるようになった。核の冬という説が広まったのは1983年、核戦争後の世界という会議が催されたことがきっかけであった。その参加者で、売れっ子のサイエンスライターであったカール・セーガンら科学者によると、核戦争は長期にわたって世界の生物に大きな影響を与える。基準シナリオでは、総破壊力5,000メガトンの対兵力攻撃および対価値攻撃の影響がシミュレートされる。初期の熱線・放射線・爆風・火災の影響は1か月程度で収まる。しかし、暗黒・寒気・凍結・放射線・感染症は半年間から2年間、持続する[6]。地球上には、何十度も気温が下がる地点が現れると予測され、これが核の冬と喩えられた。

核の冬を描いたテレビドラマが『ザ・デイ・アフター』(1983年)である。放射能に覆われた大地では生きとし生けるものは病み、人々は絶望に打ちひしがれる。政府は惨状の把握さえできず、停戦した[7]。このドラマの影響は大きく、核戦争に勝者はいない、という命題は世界の常識になった。

つぎに、軍拡競争の防止について述べる。第1の観点は国際関係上のものである。軍拡競争の理論として有名なのはリチャードソン・モデルであるが、ルイス・F・リチャードソンは20世紀前半のイギリスの物理学者であり、反戦運動で知られるクエーカーでもあった。リチャードソン・モデルは微分方程式で表現される。A国(x)とB国(y)という2国で考えると、下のように表現できる。

dx/dt=kyx+g

dy/dt=lxy+h

t:時間、x:A国の軍事支出、y:B国の軍事支出、k,l:各国の防衛係数、α,β:各国の疲労感を表す定数、g,h:各国の悲願または野望

自国の軍事支出がどれだけ増えるか、つまり軍備拡張率、は基本的には現在における自他の軍事支出の比較から求められる。ライバルのほうが支出が多ければ増やさなければならないし、逆ならば減らすことができる。これを補正する係数・定数が三つある。第1に、ライバルの脅威にたいする防衛意識はどれだけ高いか。第2に、自国の現在の支出による経済的負担の疲労感はどの程度か。第3に、自国の悲願や野望が軍拡を後押ししているか、である。失地回復のためなら臥薪嘗胆もできるのであれば、軍備拡張率は高くなる。

リチャードソン・モデルが教えることは、「備え増やせば憂いなし」でも「備え減らせば憂いなし」でもない。安心感は彼我の相互作用による。

近年、日本の巨大な隣国、中国、の軍事支出の増大が著しい。モデルに従えば、日本の軍事支出を増加させる原因になる。ところが、実際のそれは2022年度まで著しい増大を見せなかった。日本の防衛費にはGNPやGDPの1パーセント以下という枠がはめられていたからである。

核軍拡競争についても、リチャードソン・モデルは当てはまりがよくないかもしれない。大量破壊の恐怖や核戦略上の必要は、微分方程式が表現する連続的な予算の増減には表れず、突発的・非連続的な急変をもたらすからである。ソ連の原爆実験を知ったアメリカ合衆国はNSC-68により軍事費を急上昇させた。ロシアのウクライナ侵攻がNATO・日本に同じ効果を与えている。

国際関係が悪化した歴史的な事例といえば、第一次世界大戦に至る英独建艦競争である。第二次シュレスビヒ・ホルシュタイン戦争(1864年)の結果、キール軍港を獲得したプロイセンは、海軍の充実に着手した。地政学的には、キール運河が1895年に開通したことは画期的な意味を持った。それはアメリカ合衆国にとってのパナマ運河に喩えることができる。バルト海と北海との間で外敵に妨害されずに艦隊を回すことができるようになったからである。

ドイツ海軍の強化を主導したのは1897年に海軍大臣に任じられたアルフレート・フォン・ティルピッツであった。翌年に第一次艦隊法、1900年に第二次艦隊法が成立し、世界に冠たるドイツを目指す野望は軍事支出を押し上げた。

19世紀における海の王者は言うまでもなくイギリスである。第2位の海軍国と第3位のそれが束になっても勝てるだけの軍艦を保有する二国標準主義を採用していた。そのころの2位はフランスで、3位はロシアであったが、ここにドイツが分け入った。

ドイツのキャッチアップにイギリスは大艦巨砲主義で応じ、1906年、戦艦ドレッドノートが竣工した。以後、これと同じ排水量の艦をド級、超えるものを超ド級と呼ぶ。さすがに二国標準主義は難しくなったので、対独6割優勢に修正された。第一次世界大戦の海上決戦になった1916年のユトラント沖海戦はイギリスの決定的勝利でなかったものの、ドイツ海軍は外洋に出られなくなり一定の成果を収めた[8]

英独建艦競争は、ライバルの軍備の規模を見て軍事支出を決めるリチャードソン・モデルの予想と一致する。国家は敵側の同盟より優位に立とうと軍事支出を上げる。平和条約が結ばれ、野望のようなものが収まれば、軍備管理に参加して軍事支出を下げることが可能になる。

ワシントン会議は第一次世界大戦が終わって間もない1921年から1922年にかけて開かれ、海軍国はワシントン海軍軍備制限条約に合意した。主力艦の比率はイギリス、アメリカ合衆国、日本、フランス、イタリアの順に、5:5:3:1.67:1.67に決められた。

第二次世界大戦で英米を敵に回した日本の立場から見れば、日本と英米との比率は不公平であった。当時から、日本の海軍は将来の艦隊決戦を前提にして国策を練り、続くロンドン海軍軍縮条約の交渉では補助艦の対米7割を要求した。これが実現できないと、軍部は不満をあらわにし、ファシズムへの入り口を開いた5・15事件の原因を作った。冷静に考えよう。英米との軍備競争になれば、より多くの軍艦を造る経済的余裕があったのはアメリカ合衆国の側であった。軍縮をしようがしまいが、第二次大戦の勝敗は日米間における圧倒的な経済力の差がつけてしまった。

つぎに、軍縮・軍備管理の経済的な利点について述べる。バターと鉄砲、という有名な比喩では、社会全体の生産力は与えられていて、いかなる比率で民生品のバターと軍需品の鉄砲に配分するか、を決める[9]。国防にどれだけの費用をかけるか?、は、生命保険をどれだけかけるか?、と同じくらい難問である。他方、バターのような民生品には回せるだけ回すに越したことはない。

第一次世界大戦後、「我が国防費は国力不相当」と糾弾し、軍備制限を訴えた代議士がいた。憲政の神様とたたえられることになる尾崎行雄である。日本の軍事支出は大戦が終わっても増え続け、国民所得にたいしても、政府の歳出にたいしても、その占める割合は英米と比べて2~3倍に達した[10]。義憤を感じた尾崎は1921年2月に軍縮決議案を衆議院に上程した。

一、帝国の海軍軍備は、英米二国と協定して之を制限すること

一、陸軍軍備は、国際連盟規約に基き、之を整理緊縮すること

右茲に決議して、本院の意旨を表明す。

記名投票の結果、賛成38票、反対285票となり、247票差で否決されてしまった[11]。その後、アメリカ合衆国の提案によってワシントン会議が開かれ、海軍費は減少に転じた。陸軍費についても、山梨軍縮と宇垣軍縮が行われた。グローバルな考え方をした尾崎の言う通りの結果になったわけである。

核兵器についても、その開発・製造・配備には莫大な費用がかかることをスティーブン・I・シュウォルツという専門家が調べた。彼が1940年から1996年の半世紀を超える累計を調べ上げた結果、アメリカ合衆国政府予算における核兵器関連費は保健、教育、環境、農業などに費やされた金額より多かった。それは全軍事支出の29パーセント、全政府支出の11パーセント、合衆国全人口に分ければ一人あたり2万1千ドル(1996年のドルの価値に換算)、一ドル紙幣で積み重ねれば月まで1往復に近かった。巨額になったのは、わずか7パーセントしかかからなかった実際の爆弾・弾頭の開発・実験・製造のせいではなく、他の費用が膨らんだからである。航空機・ミサイル・潜水艦などの運搬システムに全体の56パーセント、核攻撃からの防衛(防空・ミサイル防衛・対潜戦・民間防衛)に16パーセント、指揮統制通信情報に15パーセントがかかった[12]

軍備競争はどこか適当な水準に抑えておいたほうがよいことはまちがいない。冷戦終結後、年々の軍事支出は減少し、財政への負担が軽くなったことを平和の配当と呼んで歓迎した。21世紀になって、そうした風潮は弱まり、増加のトレンドに転じた国が多い。

軍縮の環境上、健康上の利点は、放射性物質を扱う核兵器の管理において群を抜く。マンハッタン計画において兵器級プルトニウムを生産したワシントン州のハンフォード・サイトでは、コロンビア川をはじめとする環境に放射性物質が漏れるとともに、放射性廃棄物が大量に残された[13]

健康についても、核実験場の周辺にはさまざまな悲劇があったとさまざまな国で報じられている。あろうことか意図的に、悪質な人体実験が行われたこともある。アメリカ合衆国では、有害な放射性物質や放射線が環境に故意に放出されたり、人体に照射・注入・摂取されたり、といったことが本当にあった[14]。民主国でさえ行われるのであるから、核兵器の関わるところでは人権感覚は麻痺してしまうと考えるべきである。 以上の議論から、軍縮・軍備管理の目標を次のようにまとめることができる。至上命令は、世界大戦を起こさない、あるいは、大量破壊兵器を使った戦争を起こさない、である。努力目標は次の四つである。第1に、国際関係を軍拡により不安定化させない。第2に、経済的負担を軽くする。第3に、環境・健康問題を起こさない。第4に、いかなる戦争も起こさない。


[1] “死者数,” 広島市, February 15, 2025, https://www.city.hiroshima.lg.jp/soshiki/48/9400.html, accessed on February 15, 2026.

[2] “原爆の威力,” 長崎市, https://nagasakipeace.jp/search/about_abm/scene/iryoku.html, accessed on February 15, 2026.

[3] 新藤兼人、齋藤美和、北林谷栄、下元勉、伊藤武雄、伊福部昭、『原爆の子』、近代映画協会、1952年。

[4] 小都元、『ミサイル防衛の基礎知識』、新紀元社、2002年、195ページ。

[5] 梅林宏道編、『イアブック「核軍縮・平和2008―市民と自治体のために』、NPO法人ピースデポ、2008年、34ページ。

[6] カール・セーガン、パウル・エールリッヒ、ドナルド・ケネディ、ウォルター・オール・ロバーツ、『核の冬』、野本陽代訳、光文社、1985年、63ページ。

[7] John Lithgow, Jason Robards, JoBeth Williams, Robert A Papazian, Edward Hume, Nicholas Meyer, Steven Guttenberg, John Cullun, and American Broadcasting Companies dirs., The Day After, Roadshow Home Video distributor, 1983.

[8] 伊藤正徳、『軍縮』、春陽堂、1929年、130-131ページ。

[9] P・A・サムエルソン、『新版サムエルソン経済学』、上、都留重人訳、岩波書店、1981年。

[10] 小林龍夫、「海軍軍縮条約(1921年~1936年)」、『太平洋戦争への道 開戦外交史 1』、朝日新聞社、1987年、18-19ページ。

[11] 尾崎行雄、『軍備制限』、日本評論社、1929年、97-132ページ。

[12] Stephen I. Schwartz, Atomic Audit: The Costs and Consequences of U.S. Nuclear Weapons since 1940 (Washington D.C.: The Brookings Institution, 1998), pp. xxii and 5.

[13] エリック・ゲレ、『放射性廃棄物 : 終わらない悪夢』、ロール・ヌアラ共同制作、竹書房、2011年。

[14] Schwartz, Atomic Audit: The Costs and Consequences of U.S. Nuclear Weapons since 1940, pp. 425-426.

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大恐慌
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実証主義、批判理論、ポストモダン

国際政治学とは、諸国民間における力と平和を求める闘争に関する研究である。モーゲンソー流に言うとこのようになる。その一方で、こうした定義はしばしば批判されてきた。なぜ、人々の幸福なり、ウェルビーイングなりを研究の対象としないのか? 確かに、21世紀になって高まった持続可能な開発目標(SDGs)への注目にはそうした問題意識が反映されていた。

今回のテーマは、実証主義とポスト実証主義の間の方法論上の論争が、国際政治学においてどのような意義を持ったかを説明しなさい、である。はじめに言葉ありき、というが、科学は人間が言葉を使って作り出したものである。言葉を使わずに真理を探究できるのか?、という哲学的な問題に立ち入るつもりはないが、言葉を使うがゆえに真理が逆に混乱して理解されることはある。

国際政治学において、伝統主義と科学主義との論争が1960年代を中心に繰り広げられた[1]。伝統主義はニッコロ・マキアベッリやトマス・ホッブズの古典がそうであったように、「力」、「利益」、あるいは「共同体」といった哲学的な概念を使う方法論である。20世紀以降では、エドワード・H・カー、ハンス・J・モーゲンソー、そしてスタンリー・ホフマンが代表者であった。

ホフマンはフランスの社会学者レイモン・アロンの弟子であり、ハーバード大学教授として、ジョセフ・S・ナイやロバート・O・コヘインを育てた。彼は世界政治に興味を持つ学部生に、学習法をアドバイスしている。歴史と政治哲学を習得せよ、外国の文化に親しめ、外国語を学べ、自己満足的な偏狭主義を克服せよ、指導者のみならずすべての国民を理解せよ、であって、数学やプログラミングを学べ、とはアドバイスしていない[2]

他方、科学主義は、自然科学や社会科学の周辺領域から新規な概念を積極的に採用する方法論である。「機能」、「構造」、あるいは「システム」がそうした概念である。

科学主義のなかでも、数学を使う方法は、さらに数量的アプローチと数理的アプローチに分けられる。前者は集めたデータを統計分析にかけ、法則を帰納するもので、カール・W・ドイチュ、J・デイビッド・シンガー、そしてブルース・M・ラセットが実践者として挙げられる。数理的アプローチは変数間の関係を数式で表すモデルから結論を演繹するもので、国際政治学では公共選択やゲーム理論が代表的である。研究者には、ルイス・F・リチャードソン、アナトール・ラパポート、ロバート・アクセルロッドなどがいる。同じように数式は使っても、前者は経験主義、後者は合理主義と正反対の方法論である。

実証主義は、現象を観察し、そこから得られたデータに基づいて言明をすることである。伝統主義のなかにも、科学主義のなかにも、実証主義とそうでないものがある。哲学的であっても鋭い観察に基づく考察はあるし、もちろん統計分析は本質的に実証主義的である。逆に、理想主義は実証主義からほど遠く、また、ゲーム理論はフィクションのストーリーでも表現できるので、つねに実証的であるとはかぎらない。

「言明」とは何か? その種類には「記述」 (デスクリプション)、「説明」 (エクスプラネイション)、そして「処方」 (プレスクリプション)がある。中学校で教えられる数学に喩えると、記述とは変数の値を表現すること、例えばx=2と言明することである。説明とは変数間の関係を表すこと、例えばxyについてはy=x+3と述べることである。そして、処方とは従属変数の目標値を実現する独立変数の解を求めること、上の式を引き合いに出せば、y=5にするにはx=2としなければならない、という言明である。実証的な国際政治学とは何か? それは国際政治の現象に関する記述・説明・処方である。

実証主義の理解を深めるために、国際政治学者のスティーブン・バンエベラの教本を参考にして解説する[3]。彼によると「理論とは、各種現象の原因または結果を記述し、説明する一般的言明である。理論は、因果的な法則もしくは仮説、説明、先行条件から構成される。」つまり、原因と結果が明らかになっていないものは理論ではない。どちらが原因で、どちらが結果か分からないままの言明は「法則」にすぎない。

バンエベラによる理論の定義は厳しすぎる、と感じないであろうか? 因果関係を発見できない自分は研究者失格じゃないか、と悩む者はあまりいない。大半の研究者は理論を発見しないからである。

実際、理論は発見されるものばかりでない。日本国憲法は「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」と第41条において述べるが、この法理は因果関係を含んでいない。あえて言えば、日本国による憲法の公布が原因で、国会が国権の最高機関として国民に扱われるようになったことが結果である。これはつじつま合わせにすぎない。政治学や法律学、それにもちろん神学は、因果関係としての理論だけでなく、ドグマとしての理論も扱う。ドグマというのは教義のことで、原因や理由にかかわらず、その言明は正しい、と自己主張するものである。この意味での理論は、発見されるものでなく信じられるものである。主観と客観は混ざり合っている。

法律や条約の内容はドグマであり、実証されたものでない。にもかかわらず、法律学では法律や条約に書かれていると確認することをもって、法実証主義と呼ぶ。これは別物の実証主義である。

バンエベラの語る「理論」は実証主義的な意味でのそれである。つまり、データに基づく言明である。彼は良い理論の条件を挙げる。第1は説明力であり、強く、広く結果に影響を与える原因を発見した理論である。第2はパーシモニーである。理論は単純なほうがよい。第3は好奇心を満たす、つまり興味深い理論である。第4は明確性で、原因が結果を導くメカニズムがはっきりしている理論である。第5の反証可能性とは、理論の価値とは予想を当てることにあるのであって、森羅万象を融通むげに説明できてしまって決して外れることがない理論は信用してはならない、ということである。実験や観察の結果、予想が外れたならば、理論は棄却されるか修正されなければならない。第6の有意性は、どうでもよい、些末な事柄についての理論は無意味ということである。第7は、処方箋を導き、世の中の役に立つ理論である[4]

実際、これらの諸条件は自然科学のほうが当てはまる。アルバート・アインシュタインの相対性理論、E=mc2、は宇宙全体で有効であり、また非常に単純である。古くから、オッカムのかみそりということが言われてきた。その意味は「ある現象をうまく説明するには、同レベルの仮説や理論の中で、最も単純なものを選ぶべきである」ということである[5]。さらに、双子の兄弟のうち、宇宙旅行から帰ってきたほうが老化していないという有名な話は子供にも面白い。明確性という点では、この等式は定義され、曖昧なところがない。変数は測定できるので、当てはまらないデータを持ちだして反証できる。質量がエネルギーに変換されることの有意性は、原子力発電や核兵器を思いだせば否定する者はないであろう。処方箋についても、GPS(全地球測位システム)の誤差の補正に役立つことが挙げられる。

自然科学の方法論を社会科学に当てはめる際、最も困るのは理論のテストである。テストの方法としてバンエベラが挙げるのは実験と観察である。実験においては、二つの同じもののうち、一方だけを刺激にさらし、実験結果と理論の予想とが一致したならばテストは成功したとみなされる。観察においては、刺激にさらされた場合とさらされない場合とを受動的に記録して比較し、結果が予想に一致していたら成功である。実験でも、観察でも、事例は多ければ多いほどよく、十分なサンプルの大きさがあれば、統計分析(ラージn分析)で諸変数の値が共変するかを調べる。社会科学では統計分析に十分なサンプルが集まらないことが普通にある。事例研究といって、少ない数の事例を細かく検討することが行われる。多数の有権者にアンケートできる投票行動は統計分析向きである。サンプルが小さく実験もできない戦争の研究には事例研究が適している[6]

実証主義的な研究は、できるだけ多くの現象を説明することを課題とする。有名なトマス・クーンの『科学革命の構造』は1962年に著された。通常科学は従来の研究を応用し、説明できる現象を広げる努力である。応用を可能にしたモデルとなるユニークな研究のことをパラダイムという。あるとき、応用では説明できない現象、つまり変則(アノマリー)、が発見される。比喩を用いれば、白鳥は白い、という理論に反し、黒い白鳥が見つかったようなものである。

科学革命とは、増加する変則を説明できる新しいパラダイムが現れることである。コペルニクスの地動説、ニュートンの万有引力、あるいはアインシュタインの相対性理論が例である[7]。以上がクーンの考えである。

確かに、はじめに言葉ありき、というように人間の認識は言葉により制約され、同じ言葉も使われ方によって定義が一変するものであるが、理論間の断絶をあまりに強調しすぎるとして、クーンの科学革命論を拒む者もいる。代わりに、国際政治学者のコヘインはイムレ・ラカトシュの科学哲学を持ちだした[8]

ラカトシュは革命ではなく、前進的移動という用語を使う。彼は研究の発展を連続的とみるからである。個々の法則に変則が現れるだけでパラダイムが入れ替わることはない。研究プログラムには堅い核がある。ニュートン力学の三法則はその一例である。堅い核のまわりに防御帯といういくつかの補助仮説をめぐらせて核を守る。比喩を用いれば、黒い白鳥も自然選択の過程で現れることがある、とすれば白鳥理論は守られる。前進的移動とは、 研究プログラムがより多くの現象の予想に成功することであって、一つの実験でテストが失敗しても、プログラムを捨ててはならない。予想の失敗が増えて、説明できる現象が狭くなることを退行的移動という。新しい研究プログラムが現れても、しばらくは新旧の対立が続き、優劣がはっきりしてようやく決着がつく[9]

クーンとラカトシュのどちらが正しいかについて語るつもりはない。パラダイム転換を求めるチャレンジャーと、主流の座を守ろうとするチャンピョンの両方がいて不思議はない。社会科学においては、社会における諸勢力間の対立と絡むだけに、この争いはいっそう複雑である。

国際政治学には3回の大論争があった。第一論争は1920~1930年代の理想主義 対 現実主義である。第二論争は1950~1960年代の歴史主義 対 科学主義である。第三論争は1980~1990年代の実証主義 対 ポスト実証主義である[10]。ここで注目するのは第三論争である。

ポスト実証主義はラディカルな―この場合は急進的という訳よりも根源的という訳のほうが適切であろう――学際的傾向の影響を受けていた。マックス・ホルクハイマーやテオドル・アドルノらの批判理論、ジャック・デリダ、ミシェル・フーコーらのポスト構造主義またはポストモダニズム、ユルゲン・ハーバーマスのコミュニケーション的行為論、それにアンソニー・ギデンズの構造化理論である。それらに共通したのは、これまで当然であると思われていたことが実はそうではなく権力の作用によって作られたものであり、問い直しが必要であるという主張であった。

国際政治学において、当然のもの、または所与のもの、といえば国家である。ポスト実証主義がはやったころ、国際政治学では新現実主義、または構造的現実主義、が全盛期であった。それは構造やシステムといった用語を駆使し、科学的であることを売りにした。現実主義の国家中心主義は、国家という観察可能な実体に焦点をすえた。国家の能力に応じてどの国が大国であるかが決まり、国際システムの性格はそれが一極か、二極か、あるいは多極かといった分散と共変する。こうした命題は軍事力や経済力の観察可能なデータにより検証される。

新現実主義の自慢気な態度は、ラディカルな学者たちの標的となった。発火点である1986年の『新現実主義とその批判者たち』はコヘインの編集による論文集であるが、収められたリチャード・K・アシュリーの論文「新現実主義の貧困」は新現実主義に正面攻撃を加えた。批判は4点である。すなわち、新現実主義はアクターとしての国家を当然視するステイティズムである。合理的に行為するアクターを仮定する功利主義である。自然科学のような客観的で価値中立的な知識を自称する実証主義である。歴史も、実践も、社会性もない表面的な構造主義である[11]。アシュリーの舌鋒は鋭いが、この四つのどこが悪いのか?、と反論されれば水掛け論になる。

ポスト実証主義の理論の意義を教えてくれたのは、上の論文集に収められたロバート・W・コックスの「社会勢力、国家、世界秩序―国際関係論を超えて」であった。彼は理論を問題解決理論と批判理論に分ける。既成の制度・関係・権力といった秩序との向かいあい方が二つの理論では違う。問題解決理論は、問題の原因を究明し、既成秩序の枠組みのなかで解決を図る。批判理論は、既成秩序自体とその理論が歴史の産物であり、オルタナティブの可能性があることを認識する[12]

批判理論がデータに基づいて現象を説明しないのは、データは既成秩序のなかにあるものからしか得られないからである。コックスが言う、オルタナティブの可能性を認識することは、社会が反省して新しい世の中を作る出発点である。

この事態を受け、コヘインはISA(インターナショナル・スタディズ・アソシエイション)という学会の1988年における会長演説において、アシュリーやコックスの研究に自省主義とレッテルを貼った。これが自省主義・合理主義論争である。合理主義というのは、アクターは選好、または利益、に基づいて行為するという立場である。自省主義は選好または利益自体が変化しうると考える。コヘインは両者の「総合」を希望すると述べた[13]

1990年にISAの機関紙『インターナショナル・スタディズ・クウォータリ』はポストモダニズム特集号を組んだ。リチャード・K・アシュリーはR・B・J・ウォーカーとの共著「亡命者の言」を寄稿し、アイデンティティが不確かで、マージナルな(周縁的な)存在の例を挙げる。職業生活と家庭生活を行き来する働く母。国家の安全と個人の人権を同時に求める徴兵世代の若者。階級闘争と国の競争力との間で揺れる失業労働者。市民権のない外国人労働者。マレーシアの華人ビジネスマン。そして、ナショナリズムに傾きかけた平和運動家……[14]。アイデンティティが引き裂かれ、行動できず、沈黙する者たちには行動も発言もないのであるから、データを取りようがない。国際政治学が国家だけを扱うことは、マージナルな者たちの存在は無視しろ、と言うようなものである。

同じ特集号で、ジェイムズ・デアデリアンは、合理主義もポスト構造主義も国際関係を写しだせず、「総合」もできない、とあきらめた言い方をした。権力は言説(ディスクール)によって国際関係を一面的に解釈しようとするものの、国際関係は本当は多面的なものである[15]

言説、すなわち誰が何をいかなる理由で語っているか?、の問題はしっかり吟味する必要がある。安全保障や軍事のニュースについて、自衛隊・産業界・政府の関係者だけに語らせてよいのか? 彼らは軍縮や軍備管理の選択肢が現実にあることを誠実に人々に伝えるであろうか?

国際政治学が、マッチョに力や戦争を扱う学問分野であったことは認めなければならない。J・アン・ティクナーは、現実主義が語る万人の万人にたいするホッブズ的な闘争に、女性や出産が出てこないことはおかしい、と考えるが、フェミニズム自体にさまざまな考えがある。リベラルは、女性を阻んできた法的障壁のことを論じる。ティクナーが言っているのは、国家指導者になる以前に、選挙権が女性に与えられなかったことであろう。精神分析の立場から述べるフェミニストは、幼少時代の社会化が原因で女性は従属的になる、と論じる。ならば、子育ての方法を変えなければなるまい。ラディカル/マルクス主義/社会主義は、家父長制と労働市場との関係を語る。男は仕事、女は家事、という役割分担の悪影響である。ポストコロニアル/ポストモダンは、西洋の二元論を批判し、マージナルな存在の多様性を礼賛する。職業に貴賎なし、といわれるが、職業差別は厳然と存在する。「ジェンダーと開発」(GAD)は家内労働が軽視されてきたことを批判する[16]

確かに国家中心の捉え方だけでは足りない。公共政策で優先されなければならないのは、国力ランキングよりも、人々の生命あるいは生活に関わることのほうでないか。人々といっても多様であるので、多様な生き方が存在することを前提としなければならないのでないか。冷戦後の世界政治は、旧来のパワーポリティクス一辺倒では立ち行かなくなった。

コンストラクティビズム、すなわち構成主義、の流行はこうした傾向の表れである。アレグザンダー・ウェントによる論文「アナーキーは国家がアナーキーから作ったものである」は1992年に『インターナショナル・オーガニゼーション』誌に掲載された。現実主義は、国際システムは諸国家の上に立つ政府がないアナーキーであり、そのもとでは国家は自助に頼らざるをえず、パワーポリティクスが常態である、と主張する。ウェントは、構造というものはもとから与えられているものでなく、アクターにより構成されるものである、と批判した。国家のアイデンティティと利益は、国家自体による実践の過程によって作られ、変わりうるものである[17]。 ウェントの議論は、ギデンズといった社会学者たちがすでに議論してきたことで、目新しいものでない。しかも、理論と呼ぶには抽象的、形而上学的すぎる。それでも、学界に衝撃を与え、長らく支持者を集めたのは冷戦後しばらく、アメリカ合衆国の優位を脅かすライバルが現れず、両次大戦のはざまに生まれた現実主義が答えようとした複雑怪奇な同盟ゲームが起こらなかったからである。冷戦後には、グローバリゼーションがあり、対テロ戦争があり、パンデミックがあり、ウクライナ戦争があり、トランプ大統領があり、世界はまったく違うものになった。その意味で、「自省」は確かに行われたのである。


[1] 大畠英樹、「伝統主義」、松本三郎、大畠英樹、中原喜一郎編、『テキストブック国際政治』、新版、有斐閣、1990年、33-48ページ。藪野祐三、「科学主義」、松本、大畠、中原編、『テキストブック国際政治』、48-63ページ。

[2] スタンレー・ホフマン、『国際政治論集』、中本義彦訳、勁草書房、2011年、22ページ。

[3] Stephen Van Evera, Guide to Methods for Students of Political Science (Ithaca: Cornell University Press, 1997), pp. 7-48.

[4] Van Evera, Guide to Methods for Students of Political Science, pp. 17-21.

[5] 烏賀陽正弘、『必ず役立つ!「○○の法則」事典』、PHP研究所、2012年、102ページ。

[6] Evera, Guide to Methods for Students of Political Science, pp. 27-30.

[7] トーマス・クーン、『科学革命の構造』、中山茂訳、みすず書房、1971年。

[8][8] Robert O. Keohane, “Theory of World Politics: Structural Realism and Beyond,” in Robert O. Keohane ed., Neorealism and Critics (New York: Columbia University Press, 1986), pp. 160-161.

[9] イムレ・ラカトシュ、『科学的研究プログラムの方法論』、村上陽一郎、井山弘幸、小林傳司、横山輝雄訳、新曜社、1986年。

[10] Yosef Lapid, “The Third Debate: On the Prospects of International Theory in a Post-Positivist Era,” International Studies Quarterly 33 (3) (1989): 235.

[11] Richard K. Ashley, “The Poverty of Neorealism,” in Robert O. Keohane, ed., Neorealism and Its Critics, pp. 255-300.

[12] ロバート・W・コックス、「社会勢力、国家、世界秩序―国際関係論を超えて」、遠藤誠治訳、坂本義和編、『世界政治の構造変動 2 国家』、岩波書店、211-268ページ。

[13] Robert O. Keohane, “International Institutions: Two Approaches,” International Studies Quarterly 32 (4) (1988): 379-396.

[14] Richard K. Ashley and R. B. J. Walker, “Introduction: Speaking the Language of Exile: Dissident Thought in International Studies,” International Studies Quarterly 34 (3) (1990): 259-268.

[15] James Der Derian, “The (S)pace of International Relations: Simulation, Surveillance, and Speed,” International Studies Quarterly 34 (3) (1990): 295-310.

[16] J. Ann Tickner, “Feminist Perspectives on International Relations,” in Walter Carlsnaes, Thomas Risse and Beth A. Simmons, eds., Handbook of International Relations (London: Sage Publications, 2002), pp. 275-291.

[17] Alexander Wendt, “Anarchy is What States Make of It: The Social Construction of Power Politics,” International Organization, 46 (2) (1992): 406.

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会議外交
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核戦略
第二次世界大戦後、アメリカ合衆国は絶対兵器である原子爆弾の独占に安心し、ヨーロッパからの撤兵を進めた。ところが、東西の緊張が高まるやいなや、ソビエト連邦の戦車をはじめとした陸上戦力が脅威として映るようになった。1948年ごろ、実際には180万人しかいなかったソ連の兵力を250万人と西側は誤認していた[1]。東アジアで朝鮮戦争が行われていた1951年、合衆国を代表する国際政治学者ハンス・J・モーゲンソーは次のように…
民主化
https://youtu.be/cJ_n5jFKJ2g 人権は進歩や文明のバロメータである。他人のためのものではない。人権がない国では、生活のあらゆる分野で取り残され、気づいた時には政府と軍隊の老朽化も手遅れになっている。人々が勝ち取ったのでなく、支配者が与えただけの人権であっても、ないよりはましである。このように考えるならば、人権の水準は自発的に上げていくべきものであり、他人が押しつけるものでない。 それにもかかわらず、…
モンロー・ドクトリン
https://youtu.be/-1ZsPTM2fMw 地域主義はグローバリズムの対義語である。また、それはナショナリズムの対義語でもある。かつて地域主義の指導者であったアメリカ合衆国は、いつの間にかグローバリズムの指導者になってしまった。初期の合衆国は当時の世界でも珍しい共和主義または民主主義の政治体制であったが、小国がイギリスやフランスといったグローバルな大国に対抗するため、弱い仲間どうしまとまろうとしたのが地域主義の…

トランスナショナリズム

国家は一枚岩でない。最高指導者の命令一下、すべてが整然と動くイメージの国もある。しかし、個人の欲求は個人の選択と努力により満たされるのが基本でないか?

国家はまず個人から成り、さらに、中間団体と呼ばれるさまざまな非国家の集団が存在する。今日、それらは市民社会と総称されるか、個々に市民社会組織(CSO)と呼ばれるかする。CSOは主に企業とNGOを指すとされるが、NGOもさまざまであり、組織が緩いものもある。歴史的には宗教団体が最有力なCSOであった時代が長かったが、この百年で医師、看護師、学者、法律家、ジャーナリスト、そして芸術家といった専門職の集団が発言権を得た。今回のテーマは、市民社会またはトランスナショナリズムが国際政治に与える影響について論じなさい、である。

市民社会、すなわち英語のシビルソサエティはラテン語のキウィタス、すなわち都市国家の英訳である。それゆえ、トマス・ホッブズやジョン・ロックの用法では「国家」と同じ意味であった。しかし、「国家」の意味を別の単語が占めるようになると、シビルソサエティには「市民社会」という別の意味が与えられることになった。「国家」が近代以降の目新しいものであったのにたいし、「市民社会」はヨーロッパ史ではむしろ伝統的である都市の自由な市民の活動を指した。

そうした観念を共通認識に高めたのはゲオルク・W・F・ヘーゲルの『法の哲学』である。むろん、倫理的な存在である国家の価値を力説することが同書の目的であったが、市民社会の位置づけも興味深い。まず、家族のメンバーは自分と同じもの、すなわち弁証法でいうところの「即自」、である。つぎに、市民社会は他人が集まっただけのもの、すなわち弁証法の「対自」、である。最後に、国家は自分たちであり、かつ他人でもあるもの、すなわち弁証法では「即自かつ対自」、である。こうしたビジョンのなかで、彼は市民社会を次のように説明する。

市民社会は三つの契機を含む。

個々人の労働によって、また他のすべての人々の労働と満足とによって欲求を媒介し、個々人を満足させること――欲求の体系

この体系に含まれている自由という普遍的なものの現実性、すなわち所有を司法活動によって保護すること。

右の両体系のなかに残存している偶然性[貧富、法不法―訳者注]に対してあらかじめ配慮すること、そして福祉行政[警察、社会政策―訳者注]と職業団体によって、特殊的利益を一つの共同的なものとして配慮し管理すること[1]

ヘーゲルにとって、市民社会はあくまで個人または集団の欲求が優先される私的領域であり、全体の意思が積極的に推進されることはない。ただし、慈善を施し、正義を維持するために、私人の自発的努力によって一定の自律的な調整が働くことがある。

ヘーゲルの影響を強く受けたロレンツ・フォン・シュタインは、伊藤博文も教えを乞うた行政学者として知られる。彼は憲政と行政を分けた。憲政とは、社会の諸利益が表出され、支配的利益が国家を隷従しようとすることである。行政とは、国家がこの利益を打破し、個人の利益・自由を促進することである[2]。憲政が悪で、行政が善、という善悪二元論のイメージである。市民社会の概念に社会的強者が私利私欲を押し通すイメージを重ねたシュタインは、それに国家が掣肘を加えなければならない、と問題意識を持っていた。

カール・マルクスの初期の哲学は疎外論として知られるが、彼の市民社会観はそれを悪と見るイメージに忠実に沿っている。1844年の『ユダヤ人問題によせて』は、ユダヤ人差別は国家すなわち公権力によるものを禁じるだけでなく、市民社会の内部、すなわち私人による私人への差別、をやめさせなければならないと主張する[3]。現在でも差別の多くは市民社会内部で起きていることに鑑みると、鋭い指摘である。

こうした市民社会観を革命論にまで膨らませたのが、アントニオ・グラムシであった。彼はイタリア共産党書記長、下院議員を経て、投獄され、そこで論文を執筆した。当時の西ヨーロッパにおける共産党の課題は、ロシア革命に続いて革命を実現することであったろう。彼は政権転覆は言わずもがな、革命の前に立ちふさがる社会的強者という壁の厚さに悩んだ。この強者が行使する社会への支配力こそが、彼の中心概念であるヘゲモニーである。彼は次のように解説する。

国家は通常、政治社会(すなわち一定の時代の生産様式と経済に人民大衆を適応させるための独裁または強制装置)と理解されていて、政治社会と市民社会との均衡(すなわち教会・組合・学校などのいわゆる私的組織をつうじて国民社会全体にたいして行使される一社会集団のヘゲモニー)として理解されていません[4]

ロシア革命は市民社会が発達していなかった東ヨーロッパで起きたからこそ可能であった。実際、旧政府を打倒し、暴力的に勝利してしまえば、教会・組合・学校はもはや敵でなかった。それがグラムシが機動戦と呼ぶ闘い方である。

東方では国家がすべてであり、市民社会は原初的でゼラチン状であった。ところが西方では、国家と市民社会とのあいだに適正な関係があり、国家が揺らぐとただちに市民社会の堅固な構造が姿を現した。国家は前方塹壕にすぎず、その背後には堅固に連なる要塞とトーチカがひかえていた[5]

西ヨーロッパでは教会・組合・学校といった市民社会との陣地戦を戦わなければならない、とグラムシは予想していた。彼の死後である第二次世界大戦後、ユーロコミュニズムと称される現実的な路線がイタリア共産党によって採用されることになる。武装蜂起してひとたび市街戦に勝ったとしても、より多くの群衆が反革命を支持する側に回ってしまっては元も子もないからである。

これまで見たように、市民社会への注目は、社会的強者の過剰代表を意識しながら展開した。国家の政策は国内の強い利益集団の圧力を受けている、というイメージを国際政治学者のスティーブン・D・クラスナーは「弱い国家」と表現した[6]。政府高官による一つ一つの発言よりも、政府を背後から操る利益集団の動きを追いかけるほうが、国家の行動を見きわめられるという見方である。

国際情勢を踏まえて政府が国内政策を練ることもあれば、国内の選挙結果が国際情勢を一変させることもある。当たり前のことを言うな、とお叱りを受けるかもしれないが、この発見は国際政治学に大転換をもたらした。1960年代までの国際政治学は、国家を一枚岩であるとみなすビリヤードボール・モデルに基づいていたからである。

国際政治と国内政治はつながっている、というリンケージ政治の概念をジェイムズ・N・ローズノーが提唱したのは1969年であった。もっとも彼の目は政治指導者のほうを向き、国内政治と国際政治をつなぐ「リンケージ・エリート」や「二重政治家」の役割が気になっていた[7]

国内政治が国際政治に影響することは、独裁体制より、民主主義体制のほうが明瞭に見てとれる。国際合意のなかには批准の国内手続きがとられなければ効力が発生しないものがある。民主主義において、批准は議会によって行われるため、政府は批准が見込める合意になるよう注意して交渉しなければならない。こうした状況をうまく記述するとされるのが、ロバート・D・パットナムの2レベルゲームである。彼の論文は1988年に『インターナショナル・オーガニゼーション』誌に掲載された。

2レベルゲームという名のとおり、レベル1とレベル2がある。レベル1は国際交渉のゲームであり、政府代表間の駆け引きと暫定合意が行われる。レベル2は国内批准のゲームであり、選挙民の間で暫定合意を受け入れるか否かを議論し、受け入れる場合の条件を取引する。合意がまとまるかを予想するには、ウィンセットに注目するとよい。ウィンセットとは、選挙民が批准する用意のある合意の範囲である。それが広ければ合意は容易であり、狭ければ困難である。自国の利害関係者が政府代表に厳しい注文をつけてくれば、ウィンセットは狭くなる。交渉のテクニックとして、国内からの圧力がいかに強いかを交渉相手に訴えて、歩み寄りを求めるやり方がある[8]

市民社会の一部を成すものにNGOやボランティアがあるが、必ずしも社会的強者ではない。それらの価値に理論的根拠を与えたのがユダヤ系ドイツ人で、難民体験をしたのち、アメリカ合衆国に移住した哲学者ハナ・アレントであった。彼女は職業を、目的の観点から三つに分けた。レイバー(労働)は生命維持のため、ワーク(仕事)は人工的世界を作るため、そしてアクション(活動)は人と人との間の関係のためのものであり、アクションのなかに非営利の社会貢献は含まれる。古代ギリシャの直接民主制以降、現代に至るまでアクションは見失われている、とアレントは嘆いた。現状は、浪費を可能とするためのレイバーが横行しているというのである[9]

アレントの見識は死後まもなく再評価されることになった。政策形成にNGOが参加することがグッドガバナンスと呼ばれる時代が到来した。その前提として、全体主義体制が否定的に扱われるようになることが必要であった。

1968年のチェコスロバキアにおけるプラハの春は、ソ連の軍事介入によってもろくもついえた。グラムシが見抜いたように、東ヨーロッパでは機動戦で決着がついてしまうのである。この伝統を打ち破ったのがポーランドにおける独立自主管理労組、連帯、であった。運動を支えたのはKOR(労働者擁護委員会)に参加する知識人たちであった。共産党内での上からの改革や陰謀活動で民主化を達成するのは不可能である、というのが知識人たちの基本認識であった。

知識人の一人、アダム・ミフニク、の「新しい漸進主義」という論文は、まだ連帯が結成されていない1976年に書かれたものであるが、市民社会の側が「改革を求める毅然とした道、市民的自由と人権の拡大を追求する漸進的変化の道」を行くことを求める[10]。1980年に結成された連帯の活動はあくまで労働者として当然の権利を主張しているにすぎなかった。翌年、連帯は非合法化されたものの存続し、ヤルゼルスキ政権と対話した。ミフニクは1976年に次のように書いた。

公的機関から独立した、労働者の自衛のための最初の組織が形成されたその日、シチェチンとグダンスクの造船所でストライキ委員会が結成されたその日、労働者の意識の新しい段階が始まった。労働者の利害を代表するもっと恒常的な新しい組織が、いつ、どのような状況下でつくりだされ、いかなる形態をとるかを予見することは困難である[11]

日本では、1995年の阪神淡路大震災がボランティア活動に注目が集まるきっかけとなった。「大きな政府」から「小さな政府」へ、または「官から民へ」と改革を求める勢力からも、ボランティア活動は期待された。こうして、1998年に特定非営利法人促進法(NPO法)が制定され、公益法人に類した税法上の待遇を特定非営利法人(NPO法人)に与えた。

20世紀末、市民活動への期待は世界的なものであった。ロバート・D・パットナムはこの分野でも業績を上げ、1993年の『哲学する民主主義』は社会資本の概念を世に知らしめた。社会資本とは、信頼、規範、そしてネットワークのような人と人との間に良い関係をもたらす態度や慣習であるが、彼はそれが優れたガバナンス(制度パフォーマンス)までもたらしてくれると議論した。教育・年金・防犯・雇用・物価・家族的価値といった事業で政府がうまくやっているのは、市民活動が成熟しているから、というのである。政府のパフォーマンスは経済が成熟しているからでないか?、という異論にパットナムは、制度パフォーマンスとの相関は市民活動のほうが高い、と統計分析で反証した[12]。商都ミラノよりもボローニャのほうが制度パフォーマンスが高かったのである。

2年後の1995年、作家のフランシス・フクヤマは、高信頼社会は経済繁栄をもたらす、と論じる『「信」無くば立たず』を著した[13]

NGOの国際的な活動が拡大したのは冷戦後のことである。国際連盟の時代には、その規約はNGOの老舗的存在、赤十字、に言及するだけであった。

第25条 聯盟国は、全世界に亙り健康の増進、疾病の予防及苦痛の軽減を目的とする公認の国民赤十字篤志機関の設立及協力を奨励促進することを約す。

国際連合憲章には、経済・社会分野の枠内においてではあるが、多様な活動をするNGOと国連との協議が定められている。憲章を起草するに当たって、相談していたNGOをコンサルタントと呼んだ名残で「協議」という言葉が使われる。次の引用に見える「民間団体」は英語正文ではノンガバメンタル・オーガニゼイション、つまりNGO、である。民間、というと、私的、という意味もあるので、それを避けて非政府組織と呼ばれることがある。

第71条 経済社会理事会は、その権限内にある事項に関係のある民間団体と協議するために、適当な取極を行うことができる。この取極は、国際団体との間に、また、適当な場合には、関係のある国際連合加盟国と協議した後に国内団体との間に行うことができる。

国連は発足当初からNGOに門戸を開いたが、冷戦後には「世界会議」と銘打った大規模な会議がそれらの活躍の舞台となった。1992年の地球サミット、つまりリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(UNCED)、の参加者は4万7千人であった。翌年の第四回世界女性会議(北京)には5万人近く、さらにその翌年の第二回国連居住会議(イスタンブール)には3万人が参加した。20世紀の終わりに、国連広報局は世界会議のインパクトとして四つを挙げた。第1は政府・自治体・NGOの動員、第2は国際的な基準とガイドラインの設定、第3はフォーラムの提供、第4は政府の国際公約と国連への報告、である[14]

NGOと同じく、いやそれ以上に、多国籍企業は強い社会的影響力を持つ。

レイモンド・バーノンの『追いつめられた主権』(1971年)はキャッチーな題によって、多国籍企業研究の古典としての地位を確かにした。フォーチュン500社はアメリカ合衆国の売上上位企業であるが、そのうち外国に6以上の子会社を持ったことがある187社について彼は分析した。主に製造業の多国籍企業子会社は現地の経済・社会に多大な影響力を及ぼしていることが判明した[15]

英語の多国籍企業には、日本語と同じく進出先の外国に子会社を持つという意味のマルタイナショナル・コーポレーション(MNC)という言葉が使われることもあるが、抽象的に国境を越えた企業という意味のトランスナショナル・コーポレーション(TNC)という言葉が当てられることもある。1970年代にトランスナショナリズムの語が広まった背景には、多国籍企業の繁栄があったことは確実である。

1971年に『インターナショナル・オーガニゼイション』誌のトランスナショナリズム特集号に載ったジョセフ・S・ナイとロバート・O・コヘインの論文が有名である。国家が最重要なアクターであることは否定しないものの、多国籍企業、国際労働組合組織、宗教団体、基金なども重要性を増していることをそれは指摘した。国際政治の「国内化」と国内政治の「国際化」、という名文句は日本で盛んに引用されたものである[16]

バーノンやナイとコヘインの研究は悪意が込められたものでなかったものの、多国籍企業に関する言説には、国際資本=グローバリストによって世界は支配されている、といった類の俗説が少なくない。陰謀論の定番では、多国籍企業は国際世論を操るために、外交問題評議会(CFR)、ビルダーバーグ会議、ペセンティ・グループ、あるいは三極委員会といったフォーラムを使っていることになっている。ダボス会議(世界経済フォーラム)はそうしたもののなかで最も著名なもので、冬にスイスのリゾート地で開かれる。

陰謀論の支持者たちは次のような解説で相手を説得しようとする。「無名の上院議員だったジミー・カーターが大統領になったのは三極委員会に属していたからだ。彼は実はロックフェラーの手先で、勝てる候補者として仕立てられたのだ!」 公式な国家機構を裏で操る「ディープステイト」が存在する、と主張する陰謀論は21世紀に広まった。

世界支配はたくらんでいなくても、多国籍企業は営利に伴う社会的な責任から不当に逃げようとしている、という見方は根強い。著名な投資家ジョージ・ソロスは「開かれた社会」というモットーを、師と仰ぐ哲学者カール・R・ポパーから受け継いだ。全体主義が人々を抑えつけるのを許してならない、というのはもっともである。しかし、彼の主張は、自らの事業に対して正当な課税や規制を行う国家からの自由を唱えているようにも聞こえてしまう。

「開かれた社会」は、あらゆる関係が本質的に契約に基づく社会という、理論上のモデルとして捉えうるかもしれない。強制加入だったり加入を制限する機関[制度―訳者注]が存在するからといって、こうした解釈の妨げにはならない。ほぼ平等な立場にある諸々の機関が複数あり、どれに所属するかを個人が選択できるようになっている限りにおいて、個人の自由は保障される。国家のように強制力を持っていたり、社交クラブのように入会を制限する機関が一部に存在したとしても構わない。国家は個人を抑圧することはできない。個人は国外移住によって国家との契約関係を解消できるからだ。また社交クラブも個人を追放できない。他のクラブとの契約関係を結べばいいからだ[17]

実際、多国籍企業に対しては、開発途上国の低い人権・労働・環境の基準を利用して利潤を上げている、という批判がある。これは、貧しい人々を搾取している、ということと同じ意味である。有名な例として、1990年代、海外委託工場における低賃金と劣悪な労働条件が非難されたスポーツ用品企業ナイキに関するものがある。

1984年のユニオンカーバイド事件は人権侵害では収まらない大惨事であった。インドのボパールにおいて、その子会社の工場から化学物質が流出し、数千人が死亡した[18]

途上国の人々に不当に高い価格を押し付けた例もある。ボリビアのコチャバンバでは、市営の水道事業がアメリカ合衆国資本のベクテルにより買収され、料金が値上げされたことに住民が反発し、デモと暴動が発生した[19]

国連における多国籍企業問題への取り組みは、1974年に国連多国籍企業センターが設けられたのが始まりである。企業への批判には、あまりに途上国寄りで急進的、といった逆批判もある。ふたたび注目されるようになったのは、2000年に発足したグローバル・コンパクトの功績である。それは賛同する企業が自発的に従う10の原則である。

人権については、国連ビジネスと人権に関する指導原則もある。これは学者出身の事務総長特別代表ジョン・G・ラギーによって提案され、2011年に人権理事会によって承認された。この原則は、保護、尊重、そして救済の三つから成る。保護とは、人権侵害から保護する国家の義務である。尊重とは、人権を尊重する企業の責任である。救済とは、影響を受ける人々による実効的な救済へのアクセスである。

ILO(国際労働機関)では、多国籍企業および社会政策に関する原則の三者宣言を理事会が1977年に採択した。それは政府・企業・労働者が従うべき雇用、訓練、労働条件、そして労使関係上の指針であり、数次にわたって改訂されている[20]

グローバルガバナンスに目的があるとすれば、個人が自由かつ持続可能に選択することを助けることである。必ずしも国家や国際機構だけがその手段とならなければならないわけでなく、NGO・ボランティアの活動や企業の社会的責任も重要である。こうした認識をSDGsはグローバルなパートナーシップと呼び、目標17として組み込む。

ただし、国連の原則といえども、どこでも画一的に適用されるべきか?、というと、そうではない。パートナーたちの役割は、その土地その土地で、対話と実践を積み重ねていくうちに育つものである。グローバルなアクターも、ローカルなアクターも、ナショナルなアクターも平等である。


[1] 岩崎武雄編、『ヘーゲル』、第8版、中央公論社、1997年、421ページ。

[2] 辻清明、『行政学概論』、上、東京大学出版会、31-35ページ。

[3] カール・マルクス、『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』、城塚登訳、岩波書店、1974年。

[4] グラムシ、「義姉タチャーナへの手紙」、片桐薫編、『グラムシ・セレクション』、平凡社、2001年、25ページ。

[5] グラムシ、「陣地戦と機動戦もしくは正面戦争」、片桐編、『グラムシ・セレクション』、51-52ページ。

[6] Stephen D. Krasner, Defending the National Interest: Raw Materials Investments and U.S. Foreign Policy (Princeton: Princeton University Press, 1978), pp. 55-58.

[7] James N. Rosenau, “Introduction: Political Science in a Shrinking World,” in James N. Rosenau, ed., Linkage Politics: Essays on the Convergence of National and International Systems (New York: The Free Press, 1969); and James N. Rosenau, “Toward the Study of National-International Linkages,” in Rosenau, ed., Linkage Politics: Essays on the Convergence of National and International Systems.

[8] Robert D. Putnam, “Diplomacy and Domestic Politics: The Logic of Two-Level Games,” in Charles Lipson and Benjamin J. Cohen, eds., Theory and Structure in International Political Economy: An International Organization Reader (Cambridge: The MIT Press, 1999).

[9] ハンナ・アレント、『人間の条件』、志水速雄訳、筑摩書店、1994年。

[10] アダム・ミフニク、『民主主義の天使―ポーランド・自由の苦き味』、川原彰、武井摩利、水谷驍訳、同文館、1995年、26ページ。

[11] ミフニク、『民主主義の天使―ポーランド・自由の苦き味』、29-30ページ。

[12] ロバート・D・パットナム、『哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造』、河田潤一訳、NTT出版株式会社、2001年。

[13] フランシス・フクヤマ、『「信」無くば立たず』、加藤寛訳、三笠書房、1996年。

[14] “UN Conferences: What Have They Accomplished?,” United Nations, http://www.un.org/News/facts/confercs.htm, accessed on November 1, 2000.

[15] Raymond Vernon, Sovereignty at Bay: The Multinational Spread of U.S. Enterprises (New York: Basic Books, 1971), pp. 22-23.

[16] Joseph S. Nye, Jr. and Robert O. Keohane, “Transnational Relations and World Politics: An Introduction,” in Robert O. Keohane and Joseph S. Nye, Jr., Transnational Relations and World Politics (Cambridge: Harvard University Press, 1972), p. XIV; and Nye and Keohane, “Transnational Relations and World Politics: A Conclusion,” in Keohane and Nye, Transnational Relations and World Politics.

[17] ジョージ・ソロス、『ジョージ・ソロス』、テレコムスタッフ訳、七賢出版、345-346ページ。

[18] ジョン・ジェラルド・ラギー、『正しいビジネス―世界が取り組む「多国籍企業と人権」の課題』、東澤靖訳、2014年。

[19] サム・ボッゾ、『ブルー・ゴールド』、アップリンク、2010年。

[20] “Tripartite Declaration of Principles concerning Multinational Enterprises and Social Policy,” International Labour Organization, March 2017, https://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/—ed_emp/—emp_ent/—multi/documents/publication/wcms_094386.pdf, accessed on February 13, 2026.

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期末試験チャレンジ 研究各論(国際政治学)2024年度後期
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軍縮・軍備管理
軍縮は英語のディスアーマメントが訳されたものである。普通はアームズリダクションのこととされ、そちらはより明確に軍備を削減することである。現実に軍縮と称されるものは必ずしも量的に兵器・兵員の縮小を伴うものばかりでない。軍縮の例として引かれる1922年のワシントン海軍軍備制限条約は保有する軍艦の上限を定めただけであった。 広く軍備の規制をいうために、軍備管理(アームズコントロール)という表現がある。内容は多…

ゲーム理論

ゲーム理論におけるプレイヤーはエゴイスト、つまり、自分の利益をできるだけ大きくしようとする者、である。エゴイストが複数いて、それぞれ、どの選択肢をとるか、を考える。エゴイストは利益になれば協力し、ならなければ協力しない。今回のテーマは、国際政治における協力は得か損か、場合分けしたうえで、ゲーム理論の用語を使って議論しなさい、である。

ゲーム理論の先駆者といえば天才の評判があるジョン・フォン・ノイマンである。ハンガリー生まれの彼は「屋内ゲームの理論」という論文によってゲーム理論を始め、1930年に渡米した。1944年のオスカー・モルゲンシュテルンとの共著『ゲーム理論と経済行動』はゲーム理論という新しい学問分野の誕生とみなされる。第二次世界大戦が勃発してから彼は軍事研究に没頭し、ロスアラモス研究所で原爆の爆縮を研究した。1951年にはノイマン型コンピューターのEDVACを開発した。1954年、原子力委員会の委員となったものの、3年後に彼は亡くなった。

ゲーム理論の考え方に慣れるために、トマス・C・シェリングの調整ゲームを紹介する。その著『紛争の戦略』(1960年)が書かれた時、彼は空軍系のシンクタンク、ランド研究所、に勤めていた[1]。彼は2005年にノーベル経済学賞を受賞した。

調整ゲームとは、プレイヤー全員が得をする結果が存在するような設定である。その選択肢は一部のプレイヤーだけに選ばれても意味がなく、全員が同じものを選んではじめて利益が生じる。選択肢そのものに利益が含まれているのでなく、両プレイヤーの行動から利益が生まれるのである。実はこれが落とし穴である。つまり、選択肢そのものは何ら固有の利益を含まないので、選択肢を研究しても正解は見つからない。正解を見つけるには、他のプレイヤーがどれを選ぶか、に目を向ける必要がある。しかも、シェリングの設定では、コミュニケーションをつうじての調整は禁止され、暗黙の調整が義務づけられる。最も単純な実例を見る。

「あたま」と「しっぽ」のいずれかを選びなさい。あなたとパートナーが同じものを選んだならば、両方が勝ち[2]

このゲームを実際にシェリングが行ったところ、「あたま」を選んだのは36人、「しっぽ」を選んだのは6人であった。 本来は「あたま」でも「しっぽ」でもどちらでもよいはずである。ゲーム理論においては、AとBの二人のプレイヤーが選んだ結果の利得を、(Aの利得,Bの利得)という形で表現する。ともに「あたま」を選べば、利得は(1,1)。Aが「あたま」でBが「しっぽ」であれば(0,0)。Aが「しっぽ」でBが「あたま」であれば(0,0)。ともに「しっぽ」であれば(1,1)になる。双方が「あたま」でも双方が「しっぽ」でも(1,1)であるから、どちらでもよい。これを共通利益の調整ゲームという。

どちらでもよいはずであるのに、シェリングの実験では圧倒的多数が「あたま」を選んだ。「あたま」が優先される、というおそらく人類共通の感覚があるからである。糸口があればコミュニケーションがない暗黙の調整でも成立しやすい。本来はどちらでもよいが、どちらかに決めておくことが大事であるものとして、交通ルールがある。実際、車両が右側通行である国も、左側通行である国も存在する。

「あたま」と「しっぽ」のゲームが勝ちやすいもう一つの理由は、プラスサム(正和)ゲームであることである。同じ選択肢を選ぶ場合の利得は(1,1)であり、ゲームをすれば総和が0から2に増える。利得の総和がゲームの前後で増加するゲームでは、全プレイヤーが同時に得をして勝者になることが起こりうるため、協力は容易であり、そうした結果をウィン・ウィンと呼ぶ。一方がウィンで他方もウィンであって、ウィン・ルーズやルーズ・ルーズではないという意味である。経済成長をゲームと考えれば、それによって勝者も敗者も出るであろうが、所得の再分配政策によって敗者に補償をすれば、ともに勝者になる。

これにたいして、ゼロサム(ゼロ和)ゲームでは、利得の総和はゲームの前後で変わらない。2人の参加者がいる場合、一方が得をすれば必然的に他方は損をし、勝者と敗者が現れる。例えば、二つの国の領土争いである。

調整ゲームを解くには糸口を見つけるとよい、と書いた。暗黙の調整では、糸口は何か、を見きわめにくい場合がある。シェリングの例を示す。

下の数字のうちひとつを○で囲みなさい。全員が同じ数を囲んだら勝ち。

7         100        13        261        99        555[3]

という問題で、41人中、初めの3つを37人が選んだが、そのなかでは、7>100>13、の順に選んだプレイヤーの数が多かった。7と100とでは、どちらを皆が選ぶか予想に悩むところである[4]。数学的単純性は糸口になりうるが、どちらが単純であるかにもさまざまな観点がありうる。

数値についての糸口では、平等すなわちフィフティ・フィフティも分かりやすい。シェリングの挙げる次の例題では、大多数が50ドルずつと答えた。

あなたは100ドルをAとBの二つの山に分ける。あなたのパートナーは100ドルをAとBの二つの山に分ける。もし、あなたがAの山とBの山のそれぞれに、あなたのパートナーと同じ額を割り振るならば、各人は100ドルを得る。もしあなたの額が彼のものと異なるならば、どちらも何も得ない[5]

糸口は地理的なものかもしれない。川の流れている町で、橋が1本しかないとしよう。別の岸に住んでいて、コミュニケーションも取れない二人の人は落ち合う場所を見つけられるであろうか?、とシェリングは問う。筆者が答えるとすれば、橋、と言うであろう。

地理についての具体例には、どこから外に戦争を広げないかの問いがある。朝鮮半島は海と鴨緑江に囲まれていて、境ははっきりしている。朝鮮戦争はそこから外に飛び火しなかった。国共内戦については、台湾は台湾海峡により大陸から隔てられ、国民党が立てこもるにはもってこいであった。両事例の境界は安定しており、地理上の糸口はまちがえていなかった。

次の例における糸口は先例と呼ぶべきものである。もちろん、実験ではロビンソンが当選した。

第1回投票で、候補者は次の票を得た。

スミス……19

ロビンソン……29

ジョーンズ……28

ホワイト……9

ブラウン……15

第2回投票が行われようとしている。あなたは選挙結果には興味はない。第2回投票で多数を制する勝者に投票しさえすれば報酬が得られる。全投票者が多数派に投票することにしか関心がなく、皆がそれは皆の関心であることを知っている。あなたは第2回投票で誰に投票するか?[6]

糸口の種類としてシェリングが挙げるのは、数学的単純性、平等、比例(GNP等)、先例、仲介者・事実調査報告書、原状、地理、そしてオール・オア・ナッシングである。オール・オア・ナッシングの例で挙げられるのは兵種の不使用についてのもので、第二次世界大戦では毒ガスを戦闘で使うことが避けられた。ノー・ガスという標語が分かりやすかったからである[7]

悩ましいのは、協力しあっても、プレイヤー間に報酬の乖離が生じる場合である。どちらが多くを獲ったか、つまり自他の相対的な利得の差である相対利得にこだわれば、ゲームは対立的なゼロサム・ゲームになる。これまで扱ってきた共通利益の調整では、自らの利得の絶対量、つまり絶対利得だけが問題であった。次の例を挙げる。

AとBがコミュニケーションなしで「あたま」か「しっぽ」を選ぶ。両方が「あたま」を選んだら、Aは3ドルを獲得し、Bは2ドルを獲得する。両方が「しっぽ」を選んだら、Aは2ドルを獲得し、Bは3ドルを獲得する。違うものを選んだら両方とも何も得られない[8]

Aにとっては、多いほうの利得をパートナーに譲るか(2,3)、自らに譲らせるか(3,2)、押し通して共倒れになるか(0,0)、あるいは譲りあって共倒れになるか(0,0)、という問題である。共通利益の調整ゲームでは、「あたま」でも「しっぽ」でもどちらでもよかったのであるが、乖離利益のそれでは、たとえ1点の違いであっても、プレイヤーにとっては大問題である。

国際政治にも、乖離利益の問題が起こる。国際会議の議長はどの国から出すか、といった場合である。あらかじめ輪番をルールとしておけば、争いがこじれることはない。そうしたルールがない、または、ルールに従いたくない場合、駆け引き、またはバーゲニング、によって、思い通りの結果に導くことが重要になる。自らに有利な解決の糸口をさりげなく相手の頭にすべりこませれば、「自然な」解決へと導けよう。

調整ゲームにおいては、共通利益でも、乖離利益でも、調整が成功すれば正の絶対利得が両プレイヤーに与えられる。こうした結果をパレート効率的という。当たり前であるが、相手が「あたま」であれば「あたま」を選ぶのが最良の選択であり、相手が「しっぽ」であれば「しっぽ」を選ぶのが最良の選択である。こうした結果をナッシュ均衡という。

パレート効率性とナッシュ均衡については、まだ解説していないので、上の段落は理解できなかろう。以下で解説する。

パレート効率性はパレート最適ともいう。19世紀生まれのイタリアの社会学者ビルフレド・フェデリコ・ダマソ・パレートの名にちなむ。パレート効率的である、とは、ある人の効用を上げるのに、別の人の効用を下げなければならない状態のことである。これは全プレイヤーの効用を同時にそれ以上に高めることができない状態でもある。

パレート効率性の思想は、誰かの幸福が別の誰かのそれに優先され、ないがしろにされることは許されない、という個人主義の社会的厚生の基準であり、現代人に受け入れやすい。

他方のナッシュ均衡は、ランド研究所に勤めたことがあり、1994年にノーベル経済学賞を受けたジョン・F・ナッシュにちなむ。統合失調症との闘いは伝記『ビューティフル・マインド』で描かれ、映画化された[9]。天才の頭脳から生み出されたナッシュ均衡は決して分かりやすいものでない。

ナッシュ均衡のキーコンセプトは最良反応であり、他のプレイヤーの戦略を所与、つまり確定しているもの、とする時、最も高い利得が得られる選択肢を選ぶことである[10]。共通利益の調整ゲームの場合、相手が「あたま」であれば最良反応は「あたま」、相手が「しっぽ」であれば「しっぽ」である。『ビューティフル・マインド』に、ナッシュ均衡を解説するシーンがある。美人を奪い合う男たちを尻目に、ノーマークの他の女性にアプローチするのが最良反応であるという。これは、不美人のほうを確保しておけ、という乖離利益のゲームの教えである。

ナッシュ均衡とは、プレイヤー「全員」の戦略が相手の戦略に対して最良反応になっている結果である[11]。初めに挙げた調整ゲームの例では、相手が「あたま」であれば、自分の最良反応は「あたま」である組み合わせである。相手が「しっぽ」であれば自分も「しっぽ」であるので、今度は「しっぽ」の組み合わせである。

注意しなければならないことがある。相手の選択を所与とし、それへの最良反応からナッシュ均衡は導きだされる。相手がどう選択するか分からない段階では、プレイヤーの選択は定まらず、ゲームが行われる前に結果の予想を一つに絞ることができない場合がある。

一つの結果をどうしても予想したいならば、支配戦略という概念が使える。ただし、ゲームによっては支配戦略が存在しないものがある。なぜなら、支配戦略とは、一つの選択肢が相手のあらゆる選択に対して最良である反応のことであり、例えば共通利益の調整ゲームにそうした反応は存在しないからである[12]。調整ゲームでは、相手と同じ選択をする必要があるので、どの自分の選択肢にも、必ず適合しない相手の選択肢がある。

プレイヤー全員に支配戦略が存在し、実際にそれらの戦略が採用された結果を支配戦略均衡という。この考え方は予想力は非常に強いものの、問題もある。その問題は後で論じる。

両性の闘い、というゲームを例にして、パレート効率性とナッシュ均衡についての理解を深める。そのまえに、ゲーム自体を理解しなければならない。

両性の闘いゲームは乖離利益のそれとよく似ていて、女性と男性が待ち合わせ場所も決めずにデートする、というむちゃな設定がされている。女性は映画館に行きたい。男性は野球場に行きたい。二人が映画館で落ち合うことができたら(3,2)である。また、野球場で落ち合うことができたら(2,3)である。これらの結果において、男女のどちらかは多少、退屈ではあるものの、デートは成り立つ。ところが、女性が映画館に、男性が野球場に行ってしまったら、デートは不成立である。それでも、それぞれ好きなものが観られるので、(1,1)の得点がある。逆に、女性が野球場に、男性が映画館に行ってしまったら、(0,0)にしかならない。

両性の闘いゲームでパレート効率的であるのは、映画館または野球場でのデート成立の場合である。ナッシュ均衡も同じである。しかし、調整ゲームと似て、相手に合わせることが大切であるので、支配戦略はない。暗黙の調整における糸口となるものはないか? 案外、レディファーストがそれかもしれない。

類似の話に、オー・ヘンリーの短編小説「賢者の贈り物」がある。夫婦がクリスマスのために、男は自慢の懐中時計を売って妻に櫛を買い、妻は自慢の髪の毛を売って懐中時計の鎖を買った。ともにプレゼントは使い物にならなかったが、愛情を確かめあえた、という美談である。この行き違いは、両性の闘いでは野球場と映画館の組み合わせ(0,0)に相当する。しかし、オー・ヘンリーにとって、この結果は(100,100)の価値がある。ゲーム理論では、表示された利得の数値を再解釈や反省によって書き直してはならない。あくまで、はじめの数値で結果を予想しなければならない。それが方法論的個人主義におけるアクターの合理性の仮定であるからである。

最も有名なゲームの種類は囚人のディレンマである。ランド研究所のメリル・フラッドとメルビン・ドレッシャーが1950年に考案し、ナッシュの師であったアルバート・W・タッカーが命名したものという[13]。なぜ有名であるか、というと、パレート効率的な結果と、ナッシュ均衡が一致しないからである。

「囚人」と日本語訳されるが、舞台設定を反映したプリズナーの訳としては「被疑者」が正しい。強盗をした共犯の二人が黙秘を通せば、別件の交通事故か何かで微罪で済み、利得は(3,3)になる。片方の被疑者Aが裏切って自白し、罪を相棒Bになすりつければ(4,1)になる。被疑者B が裏切れば(1,4)である。裏切りが成功したほうは無罪になるので、その誘惑は非常に高い。両方が自白してしまえば、ともに強盗の共犯となり、利得は(2,2)である。黙秘すれば相手に出し抜かれるかもしれず、自白すれば共倒れになるかもしれないから、板挟み、すなわちディレンマ、なのである。

ともに黙秘を貫く(3,3)がパレート効率的であるのは疑問の余地がない。A・Bの利得の総計は6と最大でもあるし、何よりも信義が守られる。しかし、片方だけが自白する(4,1)と(1,4) も、(3,3)よりパレート非効率であるというわけでない。別件で微罪になるよりも無罪で済むほうが利得は高く、裏切られるマヌケが悪い、という無慈悲な考え方もあるからである。すなわち、囚人のディレンマにおいてパレート効率的になるのは(3,3)、(4,1)、そして(1,4)の結果である。

ナッシュ均衡については、Bが黙秘した場合、Aの利得は黙秘が3、自白が4であり、自白が最良反応である。Bが自白した場合は、Aの利得は黙秘が1、自白が2になり、自白が最良反応である。自白が相手のあらゆる選択に対して最良反応であるので、それが支配戦略である。Bについても同様である。AもBも相手のあらゆる選択にたいして自白が最良反応であるので、ナッシュ均衡は双方が自白する(2,2)である。

AとBの支配戦略が自白であるということは、囚人のディレンマにおける支配戦略均衡は(2,2)、すなわち両者の自白である。良心が裏切り者をいかに深く悩まそうとも、神様が助け舟を出してくれることはない。テレパシーも使えないので、黙秘を貫こうと調整することもできない。ゲームの仕様が二人を自白(2,2)させる。双方が黙秘するパレート効率的な(3,3)は合理性の仮定のために阻まれる。

本質的な問題は、ナッシュ均衡は何を意味するのか?、である。それは相手の選択を受けての反応であり、後手後手の場当たり的な対応の結果である。相手の選択の前に前向きに措置を取れるかもしれないし、熟慮すれば協力の利得はもっと大きいかもしれない。負け確定の状況である囚人のディレンマは、アナーキーである国際システムにおいて陥りやすい悲劇である。

核兵器の拡散を例にとろう。核兵器の保有はそれを持たない別の国に対して軍事的な優勢を与える。囚人のディレンマに当てはめると、不保有は黙秘、保有は自白に相当する。二つの国がともに持たなければ、万が一、戦争が起きても大量破壊は起こらないので、利得は双方が黙秘するのと同じ(3,3)である。ともに持ってしまったら、核戦争の恐怖におびえて生活しなければならない(2,2)であり、双方が自白する場合に等しい。片方だけが核兵器を保有する場合は、相手は核攻撃におびえるばかりか、交渉でつねに譲歩を強いられるので、一方的に裏切られる(4,1)と(1,4)と同じである。アメリカ合衆国とソ連、中国とインド、そしてインドとパキスタンのように、核武装の連鎖が起こりやすいのは、ともに核保有するのがナッシュ均衡であるからである。

核兵器の拡散を止める一つの方法が核兵器不拡散条約(NPT)である。新規の核保有に国際法違反の汚名を着せ、制裁することで、裏切った国の利得を2や1にできる。あるいは、そうなるぞ、という脅迫が事前に効けば、両者不保有の(3,3)は維持される。

核保有と核戦争は違うことを忘れてならない。冷戦中、米ソの核戦争はMAD、すなわち相互確証破壊、を伴うと考えられた。双方が先制攻撃しなければ (3,3) の平和な状態が保たれる。しかし、先制攻撃をする側も、される側も、同時に攻撃を命令しても、結果は一つ、つまりMADの(1,1)になる。パレート効率性とナッシュ均衡における正解は(3,3)であり、支配戦略均衡は存在しない。米ソはMADが起きないことを最優先に調整するMADレジームに従うことを選ぶ。MADが安定しているという論理はゲーム理論から導きだされる。

有名なゲームにチキン・ゲームがある。ジェイムズ・ディーン主演の1955年の映画『理由なき反抗』で取り上げられた[14]。悪役は勇気あるところを見せ、崖に突進し、ブレーキが間にあわずに死んでしまった。これは愚か者だけが熱中できる欠陥ゲームであった。

チキン・ゲームをゲーム理論として洗練したのがイギリスの数学者であり、哲学者、そして社会運動家でもあったバートランド・ラッセルであった。彼は核兵器をめぐる外交をチキン・ゲームに喩えた。チキンは鶏のおびえる様子から、弱虫という意味で使われている。

核の手詰まり状態がはっきりして以来、東西の政府は、ダレス氏の言うところのいわゆる「瀬戸際政策」を取り始めた。この政策の名称は、不良青年たちのやる一種の遊びのイメージから取られたものと聞いている。この遊びは「弱虫!」というゲームだ。まず中央に白線の引かれている長いまっすぐな道路を選び、左右の端に分かれた二台の車を同時に発車させ、猛スピードで互いに接近していく。どちらの車も、左右の車輪のどちらか一方は、白線の上を走らせなければならない。二台の車が接近するにつれて、正面衝突の危険も増大していく。もしどちらかが、先に白線からはずれて相手をよけたら、その相手はすれ違いざまに「弱虫(チキン)!」と叫び、よけてしまった少年は軽蔑の対象となる……[15]

ラッセルの文章が書かれたのは1959年であるから、瀬戸際外交の代表であるキューバ危機よりもまえである。二人の少年がともに対向車をよける運転をすれば(3,3)であって、名誉を傷つけられることもない。一方の少年だけがよければ、彼はチキンと笑われるが、二人の命は救われるので、(2,4)か(4,2)の結果になる。ところが、つまらない名誉のためにどちらもよけないと、負傷または死亡という(1,1)の悲劇が待つ。パレート効率的であるのは(1,1)を除くすべてである。ナッシュ均衡は(2,4)と(4,2)の二つである。相手がよける場合の最良反応はよけないことであり、相手がよけない場合の最良反応はよけることである。よけることも、よけないことも支配戦略でないので予想ができない。予想ができないということは、偶然に双方がよけて(3,3)の結果になる可能性もある。

チキン・ゲームでは、MADと同様、両者にとって避けるべき最悪の結果が共通している。囚人のディレンマでは双方の自白が支配戦略均衡であり、それは選択でなく運命であり、ディレンマというより悲劇である。チキン・ゲームでも押し通せば勝機はないわけでない。しかし、妥協を拒まず、リスクを嫌う性格の人であれば、最悪の結果だけは避けるにちがいない。実際、キューバ危機では、ミサイル基地をソ連が撤収するという解決の障害は不名誉だけであった。13日間の外交的な忍耐が、不名誉を自ら負うことをソ連に決意させた。

最後に、反復囚人のディレンマを見る。一見、協力できない運命を示唆する囚人のディレンマには希望がない。現実には、ゲームの後にもゲームがあって、裏切って逃げおおせることができるとはかぎらない。次回のゲームでは、古代のハムラビ法典が、「目には目を、歯には歯を」と復讐の罰を科したように、裏切りは裏切りで報いられるかもしれない。その罰は容赦ないようにも聞こえるが、過度な復讐を禁じる比例原則に従ってもいる。

ロバート・アクセルロッドはロシアに生まれ、アメリカ合衆国で育った政治学者である。彼はコンピューターを使って、さまざまな戦略を競わせた。ゲームの種類は囚人のディレンマであり、研究者たちが考案した14の戦略にランダムに反応する戦略を加えた15の戦略がリーグ戦を行った。2プレイヤーが毎回、「協力」か「離反」を選ぶゲームを200回、繰り返した。

アクセルロッドが定めた囚人のディレンマのルールでは、ともに協力すると両者に3点、出し抜くと5点、出し抜かれると0点、そしてともに出し抜こうとして失敗すれば1点が入る[16]。互恵の関係が続けば3点は入るものの、どこかで出し抜きたくなる誘惑が生じる。それに成功すれば手に入る5点は小さくない。出し抜かれて0点の苦杯をなめた相手が、次は離反で応えると、以後は両者1点が続き、いずれかが協力を再開しなければそのまま終わりを迎える。

研究者が持ち寄った戦略のうち、ティット・フォー・タット、つまり「目には目を」、は相手が前回とった行動をまねすることであり、日本語では「しっぺ返し」や「おうむ返し」と訳されることがある。協力には協力で報いる互恵の関係が続きやすいものの、一度、離反されると、相手の戦略に協力再開のプログラムが組みこまれていないかぎり、互恵の関係が再開することはない。

「ヨッス」という戦略は、基本は「目には目を」と同じであるものの、協力すべき手番の1割で裏切るように作られている。その回では協力より2点多く得るものの、次回以降は相手が「目には目を」ならば離反で応えるので、毎回、2点少なくなる。

「堪忍袋」という戦略は「ヨッス」に食い物にされるであろう。それは「目には目を」よりも寛大であり、相手が連続で離反しないかぎり離反しないからである[17]。しかし、「ヨッス」の裏切りに目をつぶるので、増えた互恵の機会の9割は「目には目を」に勝る得点を挙げるかもしれない。

リーグ戦の結果、「目には目を」が最高得点を獲得した。持ち寄られた他の戦略も、互恵をつうじて繰り返し3点を手中にしていくことを重視したからである[18]。エゴイストも協力する、というアクセルロッドのメッセージは1回かぎりの囚人のディレンマと異なる結果である。

エゴイストの協力という結論に影響されたのが、ネオリベラル制度主義または新制度主義であった。ロバート・O・コヘインによる国際レジームの機能理論は、アクターの期待を形成し、協力を容易にするものとしてレジームを理解する。レジームとは条約その他の制度のことである。パレート効率的な選択に報酬を与え、そうでない選択には制裁を科すような制度を定めれば、社会的厚生を高めることができるであろう。

もっとも、パレート効率的な選択を促すのは制度だけでない。新約聖書から引用する。

あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい[19]

宗教と道徳も人々の行動を導くことができる。個人主義か、集団主義か、と問えば、それらは後者の傾向があろう。囚人のディレンマは極度な個人主義の思考が作り出したものである。 物は考えよう、というように、利得の配列は考え方次第で変化する。国際社会においても、健全な世論や意識を育て、誠実に行動することを評価し、コミュニケーションを欠かさない風潮を作ることはたいへん有効である。


[1] Thomas C. Schelling, The Strategy of Conflict (Cambridge: Harvard University Press, 1980).

[2] Schelling, The Strategy of Conflict, p. 56.

[3] Schelling, The Strategy of Conflict, p. 56.

[4] Schelling, The Strategy of Conflict, pp. 54-55.

[5] Schelling, The Strategy of Conflict, pp. 56-57.

[6] Schelling, The Strategy of Conflict, p. 57.

[7] Schelling, The Strategy of Conflict, pp. 64-80.

[8] Schelling, The Strategy of Conflict, p. 60.

[9] Sylvia Nasar, Beautiful Mind: A Biography of John Forbes Nash, Jr. (New York: Touchstone, 1998).

[10] ダロン・アセモグル、デヴィッド・レイブソン、ジョン・リスト、『ミクロ経済学』、電子版、東洋経済新報社、2020年、492ページ。

[11] アセモグル、レイブソン、リスト、『ミクロ経済学』、497ページ。

[12] アセモグル、レイブソン、リスト、『ミクロ経済学』、493ページ。

[13] ウィリアム・パウンドストーン、『囚人のジレンマ フォン・ノイマンとゲームの理論』、松浦俊輔ほか訳、青土社、1995年、21ページ。

[14] Leonard Rosenman, James Dean, Nicholas Ray, Natalie Wood, David Weisbart, Ernest Haller, Stewart Stern, and Dennis Hopper, Rebel without a cause, United States: Warner Bros., 1955.

[15] パウンドストーン、『囚人のジレンマ フォン・ノイマンとゲームの理論』、257ページ。

[16] ロバート・アクセルロッド、『つきあい方の科学』、松田裕之訳、HBJ出版局、1987年、8ページ。

[17] アクセルロッド、『つきあい方の科学』、36-39ページ。

[18] アクセルロッド、『つきあい方の科学』、41-55ページ。

[19] マタイによる福音書、5.38-39。

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ネットワーク

国際システムは国家を基本単位とするネットワークである。地球の中心は鉄とニッケルの塊で人は住めない。地表にへばりつくように生きる人間たちを分散型のネットワークで結びつけるのは合理的であるように感じられる。

今回のテーマは、国際関係に関する具体的な事例を選び、ノードやエッジといったグラフ理論の用語を少なくとも二つ使って、その事例を解説しなさい、である。

数学ではネットワークのことをグラフまたは離散グラフと呼ぶ。高校でそれを教える数学Cの教科書には、「離散グラフの点を頂点、線を辺といい、頂点に集まる辺の本数を、その頂点の次数という。」と書かれている[1]。英語では頂点をノード、辺をエッジという。

最も単純なグラフには、単一のノードだけが存在する。平原に独りぼっちの人、宇宙で生命が存在するただ一つの星、などがそうである。地平線上に別の人間が見えたり、はるか彼方の星から知的生命体由来の電波を受信したりしたら、ノードは複数存在するが、エッジは存在しない状態ということになる。こうした究極のソーシャルディスタンスを空グラフ(くうぐらふ)と呼ぶ。すべての国家が鎖国していて交流がない状態も同じである。

特定の国家をノードとし、たがいの関係をエッジとすれば国際システムのイメージにぴったりはまる。東西交通が不便であった時代、シルクロードの西端と東端は、ローマと漢のように、間接的に噂を耳にするだけで、パルティアやクシャナ朝を介する幾次もの隔たりがあった。そうしたノードとノードが一本道のエッジでつながるものを道またはパスと呼ぶ。

大航海時代になると、海に面した国々は直接、接触し、大使館や商館で常時つながったが、グラス密度は低かった。1900年になっても、仮にモンテネグロが南アフリカ(トランスバール)にメッセージを伝えるとして、トルコとポルトガルとどこかほかの一国を介さなければならず、ネットワーク距離は4であった。地球が狭くなった21世紀では、外交の最大距離は3に縮まっている。

空グラフと逆に、全ノードが他のすべてのノードに対してエッジで結ばれるグラフは完全グラフと呼ばれ、グラフ密度は1である。特定の国家間では同盟または自由貿易協定がすきまなく張りめぐらされ、完全グラフになっている。例えばEU(欧州連合)がそうであるが、経済の相互依存を管理するために外交でも加盟国は他の全加盟国に大使館を置き、ヒト・モノ・カネ・情報の移動を調整している。

ノードの種類が二部構成で、全エッジの両端が異なる種類のノードを結ぶものを二部グラフという。宗主国と植民地、大国と小国との関係は二部グラフで表現できる。前者において、宗主国は総督や高等弁務官を植民地に置いて統治し、後者の大国は安全保障協定や軍事基地によって影響力を広げる。こうした一対多の二部グラフはスター(星)といい、中軸の宗主国や大国はハブと呼ばれることがある。東アジアでは、大国のアメリカ合衆国と小国の日本・韓国・フィリピンの関係がこの形を成しており、小国どうしに安全保障の取り決めはない。

条約や協定などの合意は相互的な行為であるので、誰から誰へ、という向きはないが、貿易には輸出と輸入と向きの区別がある。エッジに向きがあるグラフを有向グラフという。モノの移動にかぎらず、カネ・ヒト・データの移動にも方向はあるし、言葉による一方的なメッセージには覚書・通牒・通告・書簡といった呼称がある。

このようにグラフ理論はネットワーク状の国際関係を記述するのに適している。しかも、それは数学的な記述にも適しており、各ノードを要素とし、エッジの値を成分とする行列として表現できる。高校教科書の定義では、「nを自然数として、離散グラフの頂点をP1、P2、……、Pnとする。このとき、n次の正方行列Aの(i, j)成分を、2つの頂点Pi、Pjを結ぶ辺の本数とする」。こうした行列Aは隣接行列と呼ばれる[2]

数学的記述に適するネットワーク分析はコンピューター処理に適している。Pajekという専用のソフトウェアは入力された数値データからネットワークの統計量を簡単な操作で計算してくれる。

ネットワークに注目した国際関係論の学者にはツェーブ・マオツがおり、2010年に『ネットワークス・オブ・ネイションズ』を出版した[3]

筆者自身もネットワーク分析を試みた。「国家間社会はスモールワールドなのか?―大使館分布のネットワーク分析」(2011年)という紀要論文は大使館/公使館ネットワークを分析した。国際システムは110年まえより密で狭くなっているものの、世界を結ぶハブにアメリカ合衆国がなりきれていない、と議論した[4]。同じく筆者の「外交代表に対する紛争の影響」は英語のプレプリントであり、政府および国家の正統性低下に外国使節団を減らす効果があることを検証した[5]

国力の分析にもネットワークの観点が近年、取り入れられている。2021年にアメリカ合衆国の国家情報会議(NIC)が発表した報告書「グローバルトレンド2040―争いが増える世界」には、国力の構成要素として、物質的力、テクノロジーの力、人的資本、ネットワークおよびノード、情報および影響力、そして強靭性が挙げられている。ネットワークおよびノード、というのは、国家がどれだけ多くの他国と関係を持っているかということで、ネットワークの中心にあるほど、グローバルに影響を与えることができる。強靭性とはショックに耐える力であるが、政府の管理能力だけでなく、人々の信頼関係も必要である[6]

覇権国とされるアメリカ合衆国にとってもネットワークは必要である、と主張するのはロバート・O・コヘインとジョセフ・S・ナイである。グローバリゼーションは経済成長をもたらすと同時に環境問題を引き起こし、それらを維持管理するために合衆国はリーダーとしてネットワークの中心に立たなければならず、そのことにより利益を得る、というのである[7]

筆者がPajekで計算したところ、他国との距離が最も近い国(他のすべての国との距離の平均値が最小の国)は2010年にはアメリカ合衆国であった。外交ネットワークの中心に同国があるのは実証される[8]

コヘインとナイは相互依存を唱えたことで有名であり、自由主義学派の代表とされる。現実主義と自由主義は異なるネットワークの捉え方をする。

現実主義者にとって、国家は硬い殻に覆われたビリヤードボールである。国家を代表する政府をノードとし、諸政府の間を結ぶエッジから成るネットワークを描くことができる。政府間の公式な通信手段が外交であり、公式な約束が条約である。一見したところエッジがない二国間でも、軍事的圧力などでにらみ合っていれば関係が存在しないわけでない。国交のない日本と北朝鮮でも、北京にある両国の大使館どうしでやりとりをする「大使館ルート」があるが、それを持ちだすまでもなくニュース番組で政府声明が報道されることでメッセージの応酬が成立している。

他方、自由主義者は、国家間には民間のものや多国間の枠組みを含め、多様なつながりがある、という複合的相互依存の見方をとる[9]。国家の壁は個人や企業によって簡単に越えることができる。人類は国際システムより、トランスナショナルシステムやグローバルシステムとして認識するべき段階に入ったかもしれない。

地球には、陸があり、海がある。気候があり、自然資源がある。ネットワークの形成も、こうした地理の影響を免れない。地理を基礎にして政治と軍事を研究する現実主義のアプローチが地政学である。今回後半のテーマは地政学の古典について知ることである。

地政学の特徴が最もよく表れるのは、陸と海との対照である。画期的な研究をしたのはアメリカ合衆国の海軍教官アルフレッド・T・マハンであった。彼が海軍力をシーパワーと呼んで、その歴史への影響を論じた『シーパワーの歴史への影響、1660年―1783年』を著したのは1890年である。シーパワーによって交通線を守り、生産網・通商網を確保する重要性を説く。言い方を換えると、ネットワークの海上部分をつなげたり、切断したりできる能力がシーパワーである。

逆に、陸の重要性を唱えたのはイギリスの地理学者ハルフォード・マッキンダーである。彼は1904年に「歴史の地理的なかなめ」を書き、ユーラシア内陸部の「ハートランド」に注目した。ハートランドは扇のかなめに当たり、そこからどの沿海部にでも進出することができる。つまり、それはネットワークのハブに相当する。ハートランドから見て、氷に閉ざされた北側を除くユーラシア大陸の沿海部が「三日月地帯」である。マッキンダーが作った世界戦略の格言を引用する。

東ヨーロッパを支配する者がハートランドを制し、ハートランドを支配する者が世界島を制し、世界島を支配する者が世界を制する

「世界島」というのは、ユーラシア全体と、それと陸続きであるアフリカを包括した概念である[10]。三日月地帯の外側には南北アメリカとオーストラリアが位置するが、それらは面積が相対的に小さく、世界島に対抗できない。

マッキンダーの理論と当時の世界情勢を比較検討すれば、真意はロシア脅威論であることは明らかである。事実、イギリスとロシアはイラン、アフガニスタン、そしてチベットをめぐってグレイトゲームズと呼ばれる帝国主義の競争をしていた。マッキンダー的に言えば、これはハートランドの支配をめぐる戦いであった。

地政学がその論者の所属する国や団体に奉仕するようにしつらえられることは、よく見られる。ドイツのカール・ハウスホーファーはナチスに利用され、特に「生存圏」の概念がアドルフ・ヒトラーの戦略思想に影響した。

ニコラス・スパイクマンの『平和の地政学』は、彼の死後である1944年に出版された。それは冷戦におけるアメリカ合衆国の教義、つまり封じ込め、を予言したことで名高い。ハートランドは航海と航空の発達により、以前ほど重要でなくなった。むしろ、「リムランド」とスパイクマンが名づけたユーラシア沿海部の支配のほうが重要である。

当時の情勢では、リムランドをめぐって、いくつかの勢力が抗争していた。シーパワーであるイギリス・日本・アメリカ合衆国、リムランドであるドイツ・フランス、そしてハートランドであるソ連がそうした諸勢力である。彼も格言を残した。

リムランドを支配する者がユーラシアを制し、ユーラシアを制する者が世界の運命を制する

リムランドがどこかの勢力に支配されれば、アメリカに脅威が及ぶ、とスパイクマンは警鐘を鳴らした[11]。ネットワーク論の語り方をすると、ホイールをがっちりとつかめば、車輪全体を制御できるというわけである。


[1] 坪井俊ほか、『数学C』、数研出版、2025年、191ページ。

[2] 坪井ほか、『数学C』、184ページ。

[3] Zeev Maoz, Networks of Nations: The Evolution, Structure, and Impact of International Networks, 1816-2001 (New York: Cambridge University Press, 2010).

[4] 木下郁夫、「国家間社会はスモールワールドなのか?―大使館分布のネットワーク分析」、『愛知県立大学外国語学部紀要』(地域研究・国際学編)、第43号、2011年。

[5] Ikuo Kinoshita, “The Effect of Conflict on Diplomatic Representation.” APSA Preprints, 2020, doi: 10.33774/apsa-2020-50x9z.

[6] “Global Trends 2040: A More Contested World,” National Intelligence Council, March 2021, pp. 92-93.

[7] Robert O. Keohane and Joseph S. Nye, Jr., “The End of the Long American Century,” Foreign Affairs, June 2, 2025. https://www.foreignaffairs.com/united-states/end-long-american-century-trump-keohane-nye, accessed on February 13, 2026.

[8] 木下、「国家間社会はスモールワールドなのか?―大使館分布のネットワーク分析」。

[9] Robert O. Keohane and Joseph S. Nye, Power and Interdependence, 2nd ed. (New York: HarperCollins, 1989).

[10] Halford J. Mackinder, “The Geographical Pivot of History,” in Halford J. Mackinder, Democratic Ideals and Reality, with Additional Papers (New York: W. W. Norton, 1962), p. 261.

[11] ニコラス・スパイクマン、『平和の地政学』、奥山真司訳、芙蓉書房出版、2008年。

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覇権

覇権国は古代ギリシャのヘゲモンが語源で、他国を軍事的に支配する国のことである。それを好意的に解釈して、人々を導く指導国のことと理解することもある。今回のテーマは、「次の覇権国」について論じなさい、である。

大国の興亡は権力者たちのむなしい栄枯盛衰にすぎないと思われるかもしれない。しかし、これもグローバルガバナンスと大いに関係がある。

現実主義の父は誰かと問えば、マキアベッリか、ホッブズか、カーか、それともモーゲンソーかと取りざたされる。しかし、古代ギリシャのトゥキュディデスという説もある。彼の『戦史』は紀元前5世紀のペロポネソス戦争を叙述した。その戦争の原因は、敵の力が拡大していく恐怖感にあった、と彼は記した。

あえて筆者の考えを述べると、アテナイ人の勢力が拡大し、ラケダイモン人に恐怖をあたえたので、やむなくラケダイモン人は開戦にふみきったのである[1]

ラケダイモンとはスパルタのことであり、ペロポネソス同盟の盟主であった。強い兵隊と厳しい教育で有名である。

ペロポネソス戦争の歴史とはこうである。ある小国の政治にアテナイ派の国とスパルタ派の国の両方が介入した。盟主のアテナイ自らが重い腰を上げて兵を動かした時、スパルタもアテナイの力が拡大することを恐れ、同盟一丸となって参戦した。ギリシャ世界全体が巻き込まれる大戦争になった。一度、両者は休戦したものの、アテナイは矛先をシチリア島に転じて再び攻めに出た。アテナイは勝利できず、覇権国の地位から滑り落ちた[2]

この話には現代人を引き付ける要素がある。アテナイがアメリカ合衆国に似ているのである。ともに民主国であり、海軍国であり、文化が栄える。デロス同盟の盟主であったアテナイとNATO(北大西洋条約機構)の盟主であるアメリカ合衆国との一致もある。トゥキュディデスは二千年以上も前に、覇権国の没落という今日とつうずるテーマを描いたことになる。

覇権国はいかに没落するのか? そして、それ以前にいかに興隆するのか? ジョージ・モデルスキーというアメリカ合衆国の学者は長期循環論を唱えた。グローバル戦争が起こり、勝ち残った国が世界大国になり、やがて挑戦国が現れ、世界大国は没落に向かう。歴史はこれの繰り返しである、というのがその要点である。

モデルスキーの理論の特徴は、シーパワー(海上権力)が重要であると考えたことである。世界の海は一つにつながり、かつ、軍艦は短期では補充できないので、グローバル戦争の勝者である世界大国にシーパワーが集中する傾向がある。彼が挙げる歴代の世界大国、すなわち、ポルトガル、オランダ、イギリス、そしてアメリカ合衆国、はすべて海軍国である[3]。このラインナップには違和感を抱くかもしれない。特に、スペインでなくポルトガルを、フランスでなくオランダを入れたことについてである。

各時代の世界大国に、挑戦国が立ち向かった。ポルトガルにはスペイン、オランダにはフランス、イギリスには1度目はフランス、2度目はドイツ、そしてアメリカ合衆国にはソ連である。挑戦国はいずれも陸軍国である[4]。モデルスキーのものにかぎられないが、覇権の交代を扱う議論に共通するジンクスがある。つまり、挑戦国は覇権国になることができない。覇権は転覆されるのでなく、受け継がれるのである。

モデルスキーの説明は理論というより、大国の盛者必衰を平家物語よろしく語りきってみせた、という感じがしないわけでない。壮大な歴史のすべてを説明しようとするあまり、科学的なメカニズムが厳密に検証されていないのである。

初めて、力の移行を理論にとりこんだアメリカ合衆国の学者はA・F・K・オーガンスキーである。彼は工業化、すなわち産業革命、に注目する。それは経済・人口・政府効率における国力の格差を大きくし、突出した力を持つ支配国を出現させた。他の国々は、勢力均衡の政策だけではもはや対抗しえなかった。力の移行とは、支配国が失墜するとともに挑戦国が出現し、世界大戦が起きることである。20世紀前半に当てはめると、イギリスが失墜するとともに米・独・日が台頭し、第二次世界大戦が起きた。戦後は、アメリカ合衆国のリーダーシップにソ連・中国が挑戦する時代へと移行した[5]

移行のポイントはいつなのか? それは不満国の力が満足国の力に接近する時である。オーガンスキーによると、国際秩序は支配国、大国、中級国、小国、そして植民地に分けられる。国の数という観点では、 国際秩序は、少数の支配国と大国が頂点にあり、多数の小国と植民地が底辺にあるピラミッドの形である。それを力の観点から見直すと、上層の支配国と大国は大きく、下層の小国と植民地は小さくなり、頭でっかちの逆ピラミッドになる。下層にはつねに不満がたまっており、支配国の力が衰えると、逆ピラミッド全体に占める不満勢力の力が満足勢力の力に近づき、支配国と挑戦国との世界大戦が起きる[6]

ロバート・ギルピンの理論でも、力の格差ある成長は支配国の交代を迫るが、彼はそれをシステム理論の用語を使って述べる。均衡状態であったシステムにおいて、成長の差は不均衡を生む。この危機を解決するものは覇権戦争であり、勝者が覇権国になる[7]。彼は歴史上、覇権国はイギリスとアメリカ合衆国しかなかったとしていて、より多くの覇権国が存在したとする覇権循環論とは距離をとる。彼の理論が覇権安定論と称されるのは、覇権がしっかりしている間はシステムには危機が起こらず、安定すると主張するからである。

ギルピンとオーガンスキーとの最大の違いは、前者が国際ガバナンスについての理論を持っていたことである。ガバナンスとは国内的にも、国際的にも、公共財を供給することである。国内では、それを行うのは政府の権威であり、国際的には覇権国の威信である[8]。小国はいわばそのクライアント(顧客)であり、ヒエラルヒーのなかでの上下関係に甘んじる代わりに、覇権の恩恵を受ける。覇権国が供給する公共財は安全保障と経済秩序である。米軍の威信によって世界平和は維持され、自由貿易の政策により、クライアントは経済的な繁栄を得る。

ギルピンの言うように、小国が大国の安定した支配によって恩恵を受ける側面もあることは否定できない。しかし、覇権安定論には少なくとも二つの欠点がある。一つは、覇権国を脅かす存在である挑戦国は何の利益も受けることができない。覇権国は小国からの貢献を独占してしまうので、不満な挑戦国は粗野な行動によって利益を得ようとする。この見方からすれば、公共財やガバナンスという言葉は覇権を不当に美化する。挑戦国や見捨てられた小国にとって、それらは公共財ではありえない。覇権国とそのクライアントだけに利益をもたらすクラブ財である。

もう一つの欠点は、覇権の費用についてである。覇権国は自らに有利なルールを採用できるので、損はしないことになっている。ポール・ケネディの『大国の興亡』が指摘したように、軍事的支配の負担は相当に重いという疑いがある。

アメリカは―中略―世界の「ナンバー・ワン」の位置を占めるすべての国の寿命に挑戦する二つの大きな試練を避けることはできない。すなわち、軍事戦略の領域では、自国が要請される防衛力とそうした責任を維持するために自国が保有する手段とのあいだのバランスを保てるか否かという問題があり、それと密接に関連することだが、つねに変化していくグローバルな生産のパターンに対応して国力のテクノロジーおよび経済の基盤を相対的な侵食から守れるかどうかという問題である。―中略―現在のアメリカは、かつての大国の興亡を研究する歴史家にはなじみの深い、いわば「手を広げすぎた帝国」の危険をおかしているのである[9]

なお、『大国の興亡』が書かれた当時は冷戦中であったため、米軍は世界各地に多くの軍事基地を置いていた。ロナルド・レーガン政権は巨額な軍事予算を組み、財政赤字を垂れ流した[10]

『大国の興亡』日本版の表紙に描かれた挿絵は、頂点から降りる英米とそこに昇る日本であった。パクス・アメリカーナの時代が終わったら、どのような世界秩序が訪れるのか? 猪口邦子の『ポスト覇権システムと日本の選択』は、新たな覇権国も、挑戦国も現れない時代を予想した。彼女が提案したのは、パクス・ディプロマティカ、つまり外交による平和、とパクス・コンソルティス、つまりコンソーシアム型協議体制による平和、である。それは日本を含む国々が交渉によって利害調整を行う秩序である[11]

対照的に、ジョージ・フリードマンとメレディス・ルバードは『ザ・カミング・ウォー・ウィズ・ジャパン』において、日米の第二次太平洋戦争を予言した[12]。フリードマンは予言を外したにもかかわらず、ストラトフォー(ストラテジック・フォーキャスト)という会社を設立し、地政学分析に基づく予言を販売している。

覇権国からの転落という強迫観念によって、アメリカ政治は突き動かされてきた。ジョージ・H・W・ブッシュ(父)政権には、ネオコン(新保守主義者)に分類される重要閣僚が多かった。ネオコンにはユダヤ人が多かったが、かつて民主党の岩盤支持層であったユダヤ人たちはアラブとイスラエルを和解させようとしたジミー・カーター大統領に失望してレーガン政権の共和党に寝返り、そのままブッシュ(父)政権に残留した。中東に影響を振るう強いアメリカ像をネオコンが追い求めたのにはそうした理由もあった。

ネオコンの行き過ぎた行動を知れ渡らせたのは冷戦終結後の1991年、翌年版の国防計画指針を取りまとめていた時である。東側勢力の崩壊によって唯一の超大国となったアメリカ合衆国以外にいかなる大国が台頭することも阻止する、とネオコンは指針に書きこもうとした。しかし、何者かがその内容を漏洩し、報道された。世界中から批判を浴び、新たな大国の台頭を阻止するという部分は削除された[13]。新たな大国の候補とは、日本やドイツといった味方であるはずの同盟国でなかったか?、と疑われた。

問題の根深さは、暗躍していたネオコンたちがジョージ・W・ブッシュ(子)政権でも重用されたことに示される。かつて国防長官であったディック・チェイニーが副大統領に、国防次官であったポール・D・ウォルフォウィッツが国務副長官に抜擢された。この二人は2001年の対テロ戦争、そして2003年のイラク戦争を始めた首謀者である。

覇権循環論は、アメリカ合衆国ばかりでなく、中国の政策にも影響を与えている可能性がある。CIA職員であったマイケル・ピルズベリーは、共産党の指導者たちは「中国の夢」を持っている、と考える。中華人民共和国成立から百周年に当たる2049年までに、世界のリーダーになるのが、その夢の内容であるという。機が熟するまでは外国からの援助によって軍事力と経済力を養うことに専念し、「殺手鐗」と呼ばれる必殺兵器を開発しようと励んでいるそうである[14]。かつて鄧小平は、目立たないようにして、力を蓄え、身を引くように、と韜光養晦という訓戒を与えた。力を蓄えた先には世界制覇がある、というのが中国に対する昨今の有力な見方である。

こうした話を裏付ける報道もあった。日本経済新聞によると、2014年夏、中国共産党は幹部への97冊の必読書を挙げたが、そのなかには『大国の興亡』が含まれていた[15]。ポール・ケネディの関心は財政赤字の拡大にあったが、共産党が自国の軍事費拡大を気にしているとは感じられない。

アメリカ合衆国でも2016年の大統領選挙において、ドナルド・J・トランプ候補が「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン(MAGA)」をスローガンにして当選した。米中にかぎらないが、覇権の交代という話になると、個人の幸福は忘れ去られて、国家間の闘争に人々は夢中になる。

覇権は単なるナンバーワンということではない。それを秩序の建設と維持におけるリーダーシップであると肯定的に定義づければ、次の三つが必要条件である。第1は自己犠牲である。覇権国は突出した力を持つにもかかわらず、対等な主権的パートナーという立場で他国と交わらなければならない。第2は規律である。ルールは公平に遵守させなければならない。最後は国益である。自国にとって、秩序への献身が割に合うものでなければ、その国民は政府を支持しない。これらの条件を満たすリーダーシップであれば、中小国はしぶしぶながらもそれを追認し、威信のヒエラルヒーに組み込まれ、進んで貢献してくれる……かもしれない。


[1] トゥキュディデス、「戦史」、久保正彰訳、村川堅太郎編、『ヘロドトス トゥキュディデス』、第7版、中央公論社、1998年、332ページ。

[2] ジョセフ・S・ナイ、『国際紛争―理論と歴史』、田中明彦、村田晃嗣訳、有斐閣、2002年、15-19ページ。

[3] ジョージ・モデルスキー、『世界システムの動態』、浦野起央、信夫隆司訳、晃陽書房、1991年、57ページ。

[4] モデルスキー、『世界システムの動態』、54ページ。

[5] A. F. K. Organski, World Politics (New York: Alfred A. Knopf, 1960).

[6] Organski, World Politics.

[7] Robert Gilpin, War and Change in World Politics (Cambridge: Cambridge University Press, 1981), p. 12.

[8] Gilpin, War and Change in World Politics, p. 28.

[9] ポール・ケネディ、『大国の興亡』、下、鈴木主税訳、草思社、1988年、363ページ。

[10] ケネディ、『大国の興亡』、下、346-347、355ページ。

[11] 猪口邦子、『ポスト覇権システムと日本の選択』、筑摩書房、1992年、32ページ。初版は1987年。

[12] ジョージ・フリードマン、メレディス・ルバード、『ザ・カミング・ウォー・ウィズ・ジャパン』、古賀林幸訳、徳間書店、1991年。

[13] 『朝日新聞』、朝刊、1992年5月25日、1面。『朝日新聞』、朝刊、1992年3月9日、1面。New York Times, March 8, 1992:1.

[14] マイケル・ピルズベリー、『China 2049 秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略』、日経BP、2016年。

[15] 島田學、「中国「推薦書」が映す不安 党幹部向けに「大国の興亡」など97冊」、 『日本経済新聞』、夕刊、2014年9月30日。

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国力

第二次世界大戦へと至る歴史は、国際政治の「現実」を直視させた。戦争で頼りになるのは力であり、力を競い合うのは国家である。そして、勝つのは強いほうの国家である。ならば、強い国家を作るか、強い国家と組むかしないと負けてしまう。多くの人が、これこそ現実、と考えた。

現実主義という言葉をこの分野において広めたのはエドワード・H・カーである。現実主義は「あったこと、と、あること、から、あるべきこと、を演繹する傾向」であり、「過去に根拠をおき、因果関係の見地で」議論する。それにたいし、ユートピアニズムは「あるべきこと、に思いめぐらせて、あったこと、と、あること、を無視する傾向」であり、「未来に目を向け、創造的な自発性の見地で考える」。カーにとって、ユートピアンたちが主張してきた自由貿易、仲裁、国際連盟、民主的統制、そして世論といったものはもはや時代遅れであった[1]

ヒトラーがポーランドを攻めた。ちょうどその時、「政治はある意味でつねに力の政治である」とカーは書いた[2]。ユートピアンたちが支配した「危機の20年」のあとは現実主義の時代になる、と彼は言いたかったのであろう。この認識は第二次世界大戦後も支配し続けた。

ハンス・J・モーゲンソーという学者は『諸国民間の政治―力と平和を求める闘争』(邦訳『国際政治』)という教科書を著して、現実主義の泰斗として君臨した。同書から引用する。

国際政治は、あらゆる政治と同様、力を求める闘争である。国際政治の究極的な狙いが何であろうと、力はつねに当面の狙いである。政治家と人々は究極的には、自由、安全、繁栄、あるいは力そのものを求めるかもしれない。彼らは目標を宗教的、哲学的、経済的、あるいは社会的な理想の見地で定義するかもしれない。彼らは、この理想を自らの内面的な強さ、神の介入、あるいは人間社会の自然の成り行きをつうじて結実させることを望むかもしれない。彼らはまた、他国や国際機構との技術的な協力といった非政治的な手段をつうじてその実現を進めようとするかもしれない。しかし、国際政治の手段によって目標の実現を得ようとする時はいつでも、彼らは力を得ようとすることによってそれをするのである[3]

つまり、力があれば自由も、安全も、繁栄も、何でも手に入る。それゆえ、力を得ることこそ、最優先されなければならない、とモーゲンソーは説く。ここから、「力の見地で定義された利益の概念」という名文句が導き出される[4]。これは個人に喩えると分かりやすい。快楽、金銭、自由のようなものは、社長のような権力者になれば、すべてついてくる。それゆえに、出世競争はつねに熾烈である。国家も、他国を押しのけて頂点を目指す。

今回のテーマは、現代日本をめぐる国際情勢を力(パワー、権力)の観点から論じなさい、である。これは国力の理論を日本に当てはめる応用問題である。以下で、力に関する基本用語を解説するので、それらを踏まえて答えられるようにしてもらいたい。

まず、力とは何か、についてから解説する。丸山真男は、それには実体概念と関係概念があると論じた。実体概念は、力は「人間あるいは人間集団が「所有」するものと見る立場」である。それは「権力そのものという実体があるという考え方」とも表現される[5]。力持ち、という言葉があるが、人間個人の場合、強い上腕筋や背筋を所有することを意味する。実際には、筋肉だけでは力とはいえず、筋肉を使って、対象である物体に加速度を与えて初めて力になる。よって、力を実体概念で用いる者も、筋肉は力そのものではなく、力の発生源であると見るのが正しいことを知っている。その点を明確にしたい場合には、「力の源泉」と言い換えられる。

関係概念は「人間(あるいは集団)の相互作用関係において捉える考え方」である[6]。これは上の例で言うと、物体が加速度を与えられることまで含む。力の概念としてはより精密で、科学的である反面、物事を不要にややこしくすることもある。

では、力の概念としてどちらが優れているのか? これは甲乙つけがたい。二人の人間が腕相撲をするのであれば、筋力で勝るほうが勝つであろう。実体概念の力だけで、勝敗はかなりの程度、説明できるはずである。腕だけでなく土俵に立って取る相撲のほうでは、心技体のすべてが影響し、肉体の物理的な強さばかりでは勝ち負けは決まらない。小兵が巨漢を倒す時には、関係概念を採用しなければ、説明が付かない。

国際政治でいえば、北ベトナムがアメリカ合衆国を撤退させたり、勝っていたイスラエルが国際世論の圧力で占領地から撤退したり、実体概念だけでは理解不能な事例が満ちあふれている。これらは、敵味方がはっきりしなかったり、局外にいた勢力が参加してきたり、といった複雑な状況で起こりやすい。そうした場合にも、実体概念におけるアクターの力を整理したうえで、状況を分析することは理解の助けになる。

カーをはじめ多くの国際政治学者は実体概念の力を重視する。彼は、力のカテゴリーとして、軍事力、経済力、そして意見に対する力を挙げる。国家を国際政治の基本単位であると考え、国家が持つ力として、それらを議論する。意見に対する力については、大衆への国家のプロパガンダが重視され、個人が自由に表明する世論は軽んじられる。

軍事力はまっさきに挙げられる力である。ケネス・E・ボールディングは強度逓減の法則を唱えたが、それは直観的に納得できる理論である。すなわち、国家の軍事力は距離とともに強度が失われる。これはライバル国も同じであり、それぞれの根拠地から遠ざかった地点で、両国の強度が等しくなる。そうした地点を結んだものが勢力範囲の境界線になる[7]

モーゲンソーは、自然資源・工業力・軍備・人口といったオーソドックスな国力の要素だけでなく、所有される、という表現がなじまない諸要素があると指摘した。

そのうちの一つが地理である。アメリカ合衆国はヨーロッパから海で遠く隔たるために、長い間、孤立を保つことができた。島国のイギリスと半島のイタリアも、地理的特徴で大陸の政治から分離されえた。広大な陸地も、ソビエト連邦/ロシアのように外部からの侵略者を悩ませる[8]

もう一つの要素は、国民性、国民士気、そして外交の質の総称である人間的3要因である。国民性は哲学のような知的なものから、一般国民の態度に至るまでその国の人々に広く見いだされるパターンであり、時代をまたいで持続する。国民士気は、より不安定なものであり、人々が政府の政策を支持する決意である。外交の質は、国力の諸要素を組み立てて最大の効果を発揮させる指導者の技術である[9]

以上がモーゲンソーが挙げた国力の諸要素であるが、外交については「質」ではなく「量」に注目するアプローチもある。これはデイビッド・J・シンガーとメルビン・スモールが始めたもので、その国の首都にどれだけの外国使節団が駐在するかを数量化することでなされる。多くの大使を接受することは、その国の外交的重要性を表現する、と彼らは考える[10]。現在では、ワシントンDC・北京・ブリュッセルが、突出して接受数が多い世界のトップ3である。これらはそれぞれアメリカ合衆国、中華人民共和国、そしてEUの外交的な重要性を示している。

次の問題は、国力のカテゴリーや要素をいかに合成して、総合的な国力を計算するか、である。念頭に置かなければならないのは次の式である。

力 = 能力 × 意思

宝の持ち腐れと言われるように、いくら客観的な能力が高くても、それを使う意思がなければ意味がない。逆に、意思だけが強くても、毛沢東の大躍進政策のように、精神論では目標を達せられないことがある。力の強さは、能力と意思との相乗効果によって決まると銘記すべきである。

さらなる問題は、こうした国力の測定が実用に耐えうるかどうかである。これを応用した下の式を、冷戦期の元CIA分析官レイ・S・クラインは提案した。

認識される力

= (人口と領土 + 経済能力 + 軍事能力)

× (一貫した立案と国家戦略 + 意思)

クラインの数式に1980年のデータを当てはめると、1位はソ連、2位はアメリカ合衆国、3位はブラジル、4位は西ドイツ、5位は日本になった。彼の方法は領土への加重が高いとされる[11]。ソ連とブラジルが上位に来ているのはそのためである。

国力の指数を合成する際には、諸変数の加重が論点である。なかでも、経済力をいかに評価するかが熱心に議論されてきた。軍事技術のハイテク化が進んだが、技術力は経済発展の水準に依存するものである。したがって、総合的な国力をGDPまたはGNP、もしくは購買力平価(PPP)に基づくそれらの換算値から近似することはけっこう当たっている。

とはいえ、軍事力は経済力によって補えるのか?、という力の代替可能性という問題が長く論じられてきた。日本のように軽武装を国是とする国には、この問題は政策を大きく左右する。1970年代以降、最近まで防衛費のGDP比はほぼ1パーセント以内に抑えられてきた。また、核兵器を持たない義務を負う核兵器不拡散条約に日本は入っている。筆者の考えでは、経済力で核兵器の欠如を補うことはできない。その一方で、核兵器を持てば、そのことに伴う弱点を新たに抱えることになる。こうしたことを理解してさえいれば、だいたいの目安としてGDPを国力の代用品とすることは、現在のところ誤りではない。

経済力のトレンドでは、従来型の先進国である米欧日の三極が世界の半ばを割ろうとし、代わって、中国、インド、アジア、ラテンアメリカ、そしてアフリカの伸びが著しい。構造変化は国際政治にさまざまな現象を引き起こすであろう。しかし、トレンドとは、永遠に続くとはかぎらないものである。一説によると、中国は労働人口が枯渇して人件費が高騰し、高度成長が終わる「ルイスの転換点」に近づいている[12]。また、エネルギー資源への依存と人口減少の懸念があるロシアのように、経済のバランスの悪さが予測を難しくする事例もある[13]。数十年後の予測には興味をそそられるものの、そのころには国民国家システムそのものがどうなるかさえ分からない。予測を深刻に受け止めすぎない心がけも必要である。

変数の加重の実例として、ランド研究所の2020年の研究報告書を取り上げる。著者のジェイコブ・L・ハイムとベンジャミン・M・ミラーは国家情報会議のグローバル・パワー・インデックス(GPI)を修正する。それによると、全体を100として、核弾頭数(常用対数)が5、軍事支出が20、購買力平価でのGDPが25、総貿易額が15、研究開発支出が10、政府歳入が15、そして労働力人口が10である[14]

ハイムとミラーが修正したGPIでは、実に、核弾頭と労働力人口を除く85パーセントが金額表示であり、GDPと相関するのもうなずける。研究開発を彼らが指標に組みこむのも、半導体をはじめハイテク部品が人工知能の活用に欠かせず、広範な軍事利用が予想されることにかんがみると適切である。

ソフトパワーという力の類型がある。経済力は軍事力よりソフトに感じられるかもしれないが、ハードパワーのほうに分類される。ソフトパワーは価値観、理念、文化、政策、そして制度といった非物質的な手段をつうじて行使され、物質的な力としてのハードパワーと対照される。軍事力が強制、経済力が誘導を中心とするものであるとすれば、魅力や親しみによって対象を味方に呼び入れるのがソフトパワーの効能である[15]

ディズニーなどハリウッドの映画や、ジーンズやロックといった若者文化はアメリカ文化と認識され、世界を席巻する。しかし、受け入れには文化によって程度の差がある。イスラム世界においては、そうしたポップカルチャーや民主主義の価値観は歓迎されない場合がある[16]

本来は別の目的のために設けられた国際制度が国家の権威づけの道具となることがある。オリンピックの金メダル、ノーベル賞の受賞者数、あるいは世界遺産の認定数が代表例である。

ソフトパワーの概念を提唱したのはジョセフ・S・ナイである。学者として高名である彼には政府高官の経歴もあり、そのことが政策概念としての信頼をソフトパワーに与えた。対外政策の分野として以前から広報文化外交があり、日本に関しては外務省が国際交流基金と連携して取り組む。

外国の広報文化外交組織としてはアメリカ合衆国のアメリカン・センター、フランスのアリアンス・フランセーズ、ドイツのゲーテ・インスティトゥート(ドイツ文化センター)、イギリスのブリティッシュ・カウンシル、そして中国の孔子学院があり、政府資金が投じられている[17]

日本のソフトパワーについては、茶道、歌舞伎、文楽、着物に始まり、アニメ、マンガ、アイドル、折り紙、電子ゲーム、はては便座に至る。これらをひっくるめてクールジャパンと称し、日本の魅力を知ってもらい、関連産業を振興する政策が行われている。2010 年、経済産業省はクール・ジャパン戦略室を置き、曲折を経て、2017年にクールジャパン政策課の名称になった。2013年には、クールジャパン機構が設立され、民間への支援を行う。

韓国の韓流やK-POP はクールジャパンよりはるかに大きい成果を上げたが、韓国コンテンツ振興院に後援されている。振興の方法と効果は他国と比較して分析され、評価されるべきである。

今日的なテーマとしてソフトパワーに劣らず重要であるのが、サイバーパワーである。ナイは、それを「サイバー空間にあり、電子的に相互に接続された情報資源を使って、自分が望む結果を得る能力」と定義する[18]。オンラインのサーバに過剰なアクセスを行い、負荷を高めてダウンさせるDos攻撃またはDDos攻撃は古典的な戦術である。誰でも手を染めることができ、日本ではF5攻撃と面白半分に呼ばれたが、いまは犯罪である。より高度なテクノロジーにマルウェアがある。悪用できるプログラムを工作対象のコンピューターに仕込み、情報漏洩や機器の破壊を発生させる。大規模な施設、例えば軍用ネットワーク、原子力発電所、あるいはダムが対象となることが懸念されている。これらはソフトパワーというよりハードパワーに近いかもしれない。

魅力や課題設定をつうじて大衆を籠絡するソフトパワーとサイバーパワーは相性がよい。X(旧twitter)、Facebook、Instagram、あるいはTikTokといったSNSは国家のポジティブなイメージを拡散するために使われている[19]

国力の概念はそれが作用する他国があってこそ意味を成す。新現実主義者のケネス・N・ウォルツは国家をライクユニットと呼んだ[20]。近代国家は国益を追い求めるという点で皆、似ている。ライクユニットの国家どうしが相互作用するという国際政治の見方はビリヤードボール・モデルという。ビリヤードでは球形の物体をぶつけて他の物体を動かすが、ニュートン力学の運動法則だけに従い、物体の内部事情は考察から省略できる。おなじく、国家は国内政治がどうであろうと等しく国益を求める実体であり、パワー・ポリティクスは国内政治を省略できる。

ビリヤードでは、Aの球を撞いてBの球を動かす場合、あいだにCの球があればその影響を受ける。国際政治でも、A国とB国の関係を考えるには、第3のC国が無視できないかもしれない。このように考察対象を広げていくと、最終的には国際システムというものに行き着く。これは地上のすべての国際関係を含む。2026年2月現在、193の国連加盟国がある。このほかに、教皇庁、パレスチナ、コソボ、台湾(チャイニーズ台北)、北キプロス、アブハジア、南オセチアなどが自らを国家として主張している。よって、国際システムを成す国家の母集団は約200である。

新現実主義の国際政治学はビリヤードと似ているが、球の大きさが等しいのとは違い、国家には大国と小国がある。この区別は単に国力の相対的な格差だけでなく、システム全体の性格を特徴づける「極」を規定する。極とは大国または大国を盟主とする同盟の数であり、ウォルツは1700年から冷戦期まで大国を挙げる。1875年には、オーストリアハンガリー、フランス、イギリス、ドイツ、ロシア、そしてイタリアの6か国が大国であり、多極であった。1945年には、ソビエト連邦とアメリカ合衆国の2か国だけが大国であり、二極(双極)であった[21]

極をめぐる有名な論争は、どの構造で戦争が起きやすいか?、起きにくいか?、をめぐるものである。ロバート・ギルピンの覇権安定論は、一極の国際システムにおいて戦争は起こりにくいとする[22]。そもそも覇権とは一国が圧倒的に強いことであり、圧倒的に強い者にわざわざ戦争を挑む者はいないと考える。

ウォルツの新現実主義は、二極において戦争は起こりにくい、とする。彼によると、多極は不確実性と計算ミスがあるために戦争になりやすい。二極では、相手が一つであるために正しく相手の強さと同盟関係を判断でき、計算ミスが起こりにくい[23]。実際、冷戦において、アメリカ合衆国とソビエト連邦は何回か危機に陥ったものの戦争に至らなかった。

勢力均衡論は、多極において戦争は起こりにくいとする。抑止とは、仮想敵国に対し、それと同等、またはそれ以上の力があることを示して、戦争を起こすことをあきらめさせることである。多極であれば、弱い側に第三者の国が付いて、戦争を抑止しようとする。そうした相対立する極の間を自由に動く第三極をバランサーといい、その行為をバランシングという。

歴史的には、イギリスの哲学者デイビッド・ヒュームが1752年に『市民の国について』において勢力均衡を論じた。彼はその起源を古代ギリシャに発見し、自身の時代については、フランスの一極支配に対抗し、他の大国と同盟を結ぶことがイギリスには必要であると唱えた。

勢力均衡の概念は多義的であることで悪名高い。モーゲンソーもそれに注意した一人である。それには四つの意味、すなわち、バランサーが戦争を抑止するためにとる政策という意味、現下の力の分布がどうなっているかという意味、二つの勢力がほぼ等しい力であるという意味、バランスが傾いている場合を含めてあらゆる力の分布という意味があると彼は指摘した。

勢力均衡にはいくつかの関連用語がある。バンドワゴニングは、バランシングとは逆に、対立する諸勢力間の争いで強い側につくことである。パレードの山車であるバンドワゴンにぞろぞろと人々が付き随うことから来た表現である。この政策のメリットは確実に勝ち組に付き、戦利品の分け前にあずかることができることにある。

封じ込めは、相手を実際に攻撃して弱体化させるのでなく、むしろ軍事については抑止力の維持に徹し、敵の経済力を突き崩していく長期的なビジョンである。アメリカ合衆国がかつてソ連に対してとった冷戦ドクトリンがこれであった。

関与は、経済など他の争点領域における協力によって、安全保障における対立の上昇を避けようとすることである。ソ連が崩壊した1990年代、アメリカ合衆国には中国が最大の脅威として浮上したが、「政冷経熱」といわれたように、中国は経済的パートナーでもあった。対立の回避は時間稼ぎになるものの、その間、相手が力を蓄えてしまうのが関与の難点である。

一般に、極に注目して国際的な協力と対立を分析することを国際システム論という。1957 年に著されたモートン・A・カプランの『国際政治におけるシステムと過程』はその代表作である。

カプランは6種類のシステムを検討した。第1の勢力均衡は18世紀から19世紀にかけて存在した多極システムで、現状維持を志向する。第2の緩い二極は、第二次大戦直後、米ソどちらのブロックにも加わらない中立の国家と国際機構が緊張緩和の役割を演じたころのシステムである。第3のきつい二極では、二大ブロックはそれぞれ米ソを頂点とするヒエラルヒーであり、独立の勢力は存在しない。カプランの本が出た1957年当時の世界はこれに近かった。第4の普遍システムは、国連のような国家連合における万国の協力である。第5のヒエラルヒーは、もはや国家を介さず、世界政府が個人と直接に向かい合う架空のシステムである。第6の一国拒否権(ユニットビートー)システムはカプランの独創で、6種類のなかで最も注目された。どの国もそこでは完全に自由であり、他国に何事も強制されない。ただし、核兵器のようないかなる相手も破壊できる兵器をすべての国が持たなければならない[24]

以上、見てきたとおり、われわれは力をめぐるさまざまな憶測から逃れることはできない。無理に逃げようとするゲームのプレイヤーは、戦争、軍備拡張、そして同盟の組み替えのような逆効果や副作用の強い劇薬に訴えてしまう。現実主義が教える確実な真理は、余裕のないプレイヤーは必ずしくじる、ということでないか。せいては事を仕損じる、ともいう。目先を変えて、自国の経済・テクノロジー・人口の成長や国際協力を試すべきである。


[1] Edward Hallett Carr, The Twenty Years’ Crisis, 1919-1939: An Introduction to the Study of International Relations (London: Macmillan and co., 1940), pp. 16-17.

[2] Carr, The Twenty Years’ Crisis, 1919-1939: An Introduction to the Study of International Relations, p. 131.

[3] Hans J. Morgenthau, Politics among Nations: The Struggle for Power and Peace, 5th ed. (New York: Alfred A. Knopf, 1973), p. 27.

[4] Morgenthau, Politics among Nations: The Struggle for Power and Peace, pp. 5-6.

[5] 丸山真男、『増補版 現代政治の思想と行動』、未来社、1964年、425ページ。

[6] 丸山、『増補版 現代政治の思想と行動』、425ページ。

[7] K・ボールディング、『紛争の一般理論』、内田忠夫、衛藤瀋吉訳、第2版、ダイヤモンド社、1973年、277-301ページ。

[8] Morgenthau, Politics among Nations: The Struggle for Power and Peace, pp. 112-113.

[9] Morgenthau, Politics among Nations: The Struggle for Power and Peace, pp. 128-144.

[10] J. David Singer and Melvin Small, “The Composition and Status Ordering of the International System: 1815-1940,” World Politics 18 (2) (1966): 236-282; and Melvin Small and J. David Singer, “The Diplomatic Importance of States, 1816-1970: An Extension and Refinement of the Indicator,” World Politics 25 (4) (1973): 577-599.

[11] Ray S. Cline, World Power Assessment: A Calculus of Strategic Drift (Boulder: Westview Press, 1975); and Conway W. Henderson, International Relations: Conflict and Cooperation at the Turn of the 21st Century (New York: McGraw-Hill, 1998), p. 112.

[12] 池上彰、『知らないと恥をかく世界の大問題4』、角川書店、2013年。

[13] 米国国家情報会議、『2030年 世界はこう変わる アメリカ情報機関が分析した「17年後の未来』、谷町真珠訳、講談社、2013年、161ページ。

[14] Jacob L. Heim and Benjamin M. Miller, Measuring Power, Power Cycles, and the Risk of Great-Power War in the 21st Century (Santa Monica, CA: RAND Corporation, 2020), p. 7.

[15] ジョセフ・S・ナイ、『ソフト・パワー―21世紀国際政治を制する見えざる力』、山岡洋一訳、日本経済新聞出版社、2004年、62ページ。

[16] ナイ、『ソフト・パワー―21世紀国際政治を制する見えざる力』、78ページ。

[17] ナイ、『ソフト・パワー―21世紀国際政治を制する見えざる力』、191ページ。

[18] ジョセフ・S・ナイ、『スマート・パワー』、山岡洋一、藤島京子訳、日本経済新聞出版社、2011年、162ページ。

[19] ナイ、『スマート・パワー』、168ページ。

[20] Kenneth N. Waltz, Theory of International Politics (New York, N.Y.: McGraw-Hill, 1979), pp. 95-97.

[21] Waltz, Theory of International Politics, p. 162.

[22] Robert Gilpin, War and Change in World Politics (Cambridge: Cambridge University Press, 1981).

[23] Waltz, Theory of International Politics.

[24] Morton A. Kaplan, System and Process in International Politics (New York: John & Sons, 1957), pp. 21-53.

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