Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981).

(要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook)

1920年代、カナダが日本に初めて公使館を開設した当時の様子をご存知でしょうか?今回は、外交官ヒュー・L・キーンリーサイドの回顧録(第8章)をもとに、外交の裏側や、カナダ人から見た当時の日本の姿を分かりやすく要約してお届けします。

1. 突然の打診とドタバタの公使館準備

物語は、スケルトン次官から筆者への「在日公使館開設の打診」という驚きの展開から始まります。当時、カナダ外務省には公館開設の経験がなく、準備は手探りの状態でした。

やがて初代公使となるマーラーと出会いますが、彼は資産家ではあるものの国際的な経験はありませんでした。マーラーは「試験ではなく富こそ公使に必要」と豪語し、特に「大礼服(宮廷で着用する格式高い服)」に強いこだわりを見せます。イブニングドレスよりも大礼服を重んじ、何事も生真面目にとらえるマーラーの性格がよく表れています。最終的に首相が急いだため、筆者は代理公使として先発で日本へ向かうことになりました。

2. 太平洋の航海と「天敵」との出会い

日本への旅路は、「仏女帝号(エンプレス・オブ・フランス)」での航海でした。この船内で筆者は、後に日米交渉の特命全権大使となる来栖三郎と同乗します。しかし、筆者にとって来栖は「天敵」であり、友人になることはありませんでした。名声に包まれた来栖が得意げに米国に宣戦布告するような態度を見せたことや、国際経験があるにもかかわらず排外的な一面があったことが赤裸々に記されています。

3. イギリスからの「自立」と日本の要人たち

日本に到着した筆者が直面したのは、イギリスとの微妙な距離感でした。カナダは「完全自治の国民として英から独立した形式」をとることを目指しており、あえて英大使からの招待を断るという対応に出ます。しかし、本国からは「英大使に感謝せよ」というおかしな指示が届いたり、英大使夫人からは「カナダ公使館は不要」と冷たく言われたりと、独立国としての地位を確立するための苦労が絶えませんでした。

また、当時の日本の要人に対する鋭い人物評も残されています。田中義一首相(兼外相)については、飲酒癖や汚職、張作霖爆殺事件による辞任といった負の側面を記録する一方、吉田茂外務次官については「有能で戦争に反対し首相に」なる人物として非常に高く評価しています。

4. 帝国ホテルでの実体験と公使館の決定

滞在中の大きなハイライトの一つが、フランク・ロイド・ライトが設計した名建築「帝国ホテル」での生活です。ベッドや書斎、ルーフガーデン、売店には満足しつつも、実際に住んでみると「メインフロアは迷路のよう」「ベッドルームの間接照明は暗すぎ、危ない」「電話機は食器棚の中の高いところにあり不便」「湿気の問題」など、生活者ならではの率直な不満も漏らしています。

最終的に、公使館は渋谷駅に近く、静かで狭い長井邸に決定されました。滞在中には地震を経験して不安に襲われ、「日本人はなぜ木と紙と瓦の家に住むのだろう」と、日本の伝統的な建築様式に対して驚きと素朴な疑問を抱いて章は結ばれています。

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