[このブログは2024年7月1日にnote.comで公開された。]
『3603号室』と『暗号名イントレピッド』はナチスとの戦いの記述がほとんどで、対日戦の記述はごくわずかしかない。
しかし、公式記録と考えられるBritish Security Co-ordinationには当然ながら日本に対する諜報活動がかなりの分量で書かれている。書かれないわけがないのだ。局長のウィリアム・S・スティーブンソンが自らの伝記で対日戦を書かせなかったのは、対ナチス戦ほどアドレナリンを出さないからだろう。
ただし、アメリカ合衆国側との調整によって、対日戦はドノバンのOSS(CIAの前身)が中心になるのは自然の勢いだった。真珠湾事件後、BSCはそのサポートに回ることになる。
公式記録の目次を見るかぎりでは、政治戦と秘密諜報と防諜に日本関係の記事が多そうだ。詳しくは、ご自身で上の本を買って読むのがよいだろう。私のnote記事は自分用の読書ノートとして使わせていただく。
まずは政治戦について。政治戦というのは簡単に言えばプロパガンダのこと。つまり、様々なメディアを使った情報操作。同じ時代の『危機の20年』という有名な本が論じる「意見に対する力」に当たる。現代でも、国家はもちろん、企業もやっているありふれた活動であり、BSCが特別なことをしたわけでない。
BSCの対日政治戦の基本概念は、いわゆる「東京裁判史観」に近いように感じられる。主敵はあくまでナチスドイツで、これは手ごわい。日本には軍国主義者と人民がいる。ナチスドイツは日本を戦争に参加させ、捨て駒にするつもりだ。この目的のために「第五列」、つまり日本のなかの同盟者、に対して工作を仕掛けている。日本人民を抑圧する軍国主義者がこの同盟者だ。
BSCは邪悪なナチスの謀略から人民を救わなければならない。日本の参戦を止めるため、プロパガンダを行うのだ。(ホントかね?)
しかし、イギリス自らがドイツの謀略を暴いても、ドイツとイギリスはすでに交戦しているので説得力はない。そこで、イギリスの在東京大使館から中立国だったアメリカ合衆国のイギリス大使館にドイツの第五列工作を報告し、アメリカ発の情報としてドイツの工作を暴露させようとする。ところが、同大使館は動かない。
ここでBSCの出番だ。それは日本から引き揚げたアメリカ人ジャーナリストを雇い、その名でニューヨークから新聞記事を発表させる。これを引用した他の新聞やラジオがドイツの第五列を報道する。さらに、BSCは記事をロンドンに送り、それをもとに世界中の新聞やラジオが報道する。
ただし、これでは肝心な日本人にメッセージは届かないかもしれない。日本のある代議士がちょうどワシントンDCを訪れている。BSC工作員がこの代議士に依頼して、皇族や前首相を含む日本の要人に記事を同封した手紙を送ってくれと頼む。そして、ずいぶんと手間をかけて、手紙は横浜へ向かう客船の平洋丸に積まれる。
これがどうなったか私は知らない。もし要人たちに手紙が届いていれば薄気味悪く感じたかもしれない。なぜなら、すでに開戦まぎわの1941年秋のことだったからだ。
ほかにもBSCはサンフランシスコのラジオ局KGEIを傘下に収めることなど、日本へのプロパガンダを行った。しかし、そのかいなく、真珠湾は止められなかった。
他方、秘密諜報と防諜については……と、意気込んでみたもののここで書くべきことは何もない。なぜなら、名著『秘密のファイル』がBritish Security Co-ordinationの内容を書き尽くしてしまったからだ。ペンペン草も生えていない。
気を取り直して一言、加えると、ラテンアメリカの対日防諜態勢をBSCはしっかり固めていた。外交と諜報のグローバルゲームで日本は戦う以前に負けていた。
その意味で、三十を超えたばかりの漢字研究者の白川静が、最も正しく太平洋戦争の結末を予想したと思う。真珠湾攻撃について後年の彼は日本経済新聞「私の履歴書」欄で感想を述べた。さすが、慧眼の人は見えないことも見るのだ。
本土を攻める法がなくして、どうして勝利することができよう。私は次のニュースとして、パナマ運河の爆破をひたすらに待ち続けたが、それは空しいことであった。事はすでに、その段階で終っていたのである。
対日戦以外では、ワシントンDCにあるビシー政権のフランス大使館に潜入したSISの女スパイ「シンシア」の記載が公式記録にある。彼女の華麗な活躍は『3603号室』と『暗号名イントレピッド』でもクライマックスだ。
MI6の公式歴史書『MI6秘録』ではSISのアーカイブで「シンシア」についての記述を検証している。大まかなところは史実のようだ。
なお、肝心の、私が探していたテーマのことは公式記録に書かれていなかった。このテーマについて紹介する機会が訪れればよいのだが。