Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981).
(要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook)
前章までに引き続き、外交官ヒュー・L・キーンリーサイドの回顧録をお届けします。第13章では、世界の歴史を大きく動かした「満州事変」勃発時の緊迫した様子や、その後の国際社会の対応、そして筆者が参加したオタワ会議での外交戦など、激動の1930年代初頭が描かれています。
1. 満州事変の勃発と緊迫の夜
1931年、東アジアの歴史を決定づける最重要事件である「満州事変」が勃発します。事変の夜は暑く、嵐の予感がしたと筆者は回顧しています。翌朝、子守から事件を知らされた筆者はすぐさま情報収集に走り、外交行嚢を用意して、カナダにとって開戦を伝える最初の外交報告を行いました。 軍や右翼が政府を攻撃し、日本国内に敵愾心が広がる中、中国軍が鉄道を破壊し日本軍が奉天を攻撃したという情報(日本側の情報源のみによるもの)が駆け巡りました。日中の高官で温度差があり、幣原外相らが戦争を回避しようとする一方で、軍部に統制が効かなくなっていく日本の状況がリアルに記録されています。
2. 国際社会の無関心と日本の孤立
日本軍による占領急拡大の報告が数ヶ月続く中、筆者は、英米が幣原らを支えず、大国が国際連盟の支持を口にするだけでいつか日本を許すだろうという態度をとったことが、結果的に日本の軍部や後のヒトラーを増長させたと厳しく指摘しています。 マーラー公使も当初は貿易を優先し対日関係を維持しようとしていましたが、上海事変で日本が口実を設けて戦闘を続け、ハルピンへ進出するに及んで日本の非を認めるようになります。筆者は国際連盟による行動を強く主張しましたが、事態を止めることはできず、満州事変は日本の評判を大きく損ないました。
3. オタワ会議と本国カナダでの日々
満州事変の影響で人事異動がなくなり、筆者は賜暇をとってカナダへ帰国します。本国では加首相の約束通りオタワ会議が開催され、筆者もこれに出張・参加しました。 会議では、イギリスの反対や各国のプライド、政治的配慮が賢明な議論を妨げ、業界からの妨害やベネット加首相に対する悪口も飛び交うなど、外交の泥臭い一面が描かれています。一方で、夫婦で大西洋沿岸やケベックを旅行し、中古車でロッキー山脈をドライブするなど、不況下でありながらも故郷での数か月を幸せに過ごす様子も綴られています。
4. 日本への帰還と「満州国」をめぐる議論
日本に戻った筆者を待っていたのは、リットン報告書に同意せず、国際社会からさらに乖離していく日本の姿でした。公使との間で日中の将来について議論が交わされ、公使が「日本は溥儀のもとに独立国を作るだろう」と予想するのに対し、筆者は「溥儀の国は失敗し、日本は最終的に撤退することになる」と予言しました。 結果として筆者の予言より時間はかかったものの、日本は敗北へと向かうことになります。緊迫する東アジア情勢の行く末を正確に見据えていた外交官の慧眼が光る章の結びとなっています。
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