G7、すなわちグループ・オブ・セブン、はかつて日本語では「先進国首脳会議」と訳された。7か国以外にもスイスや韓国といった先進国があるので、もうこの訳語は不適切であるのであろう。現在は、「主要国首脳会議」が正式の訳である。これにはこれで、中国やロシアはどうなのか?、といった異議が出るかもしれない。さらに「サミット」だけでG7を指すことがあるが、サミットは首脳会議の意味の普通名詞で、固有名詞ではない。今回のテーマは、1975年から現在まで、G7サミットの役割がいかに変化したか、解説しなさい、である。

基本事項から始める。G7の起源は1970年代前半の国際通貨に関する話し合いである。西ドイツとフランスの財務大臣が1973年にホワイトハウスを訪れ、アメリカ合衆国の財務長官と会った。この時の西ドイツの財務大臣が後に首相になるヘルムート・シュミットで、フランスの財務大臣がバレリー・ジスカールデスタンであった[1]。この会合が評価されて翌年、大統領になっていたジスカールデスタンが経済問題を話し合う首脳会議を開くことを提案し、1975年に1回目の首脳会議ランブイエ・サミットが開かれた、という経緯であった。

G7の目的では、当時は経済問題の解決が緊急課題であったが、西側先進国の結束を世界に見せることは変わらぬ重要性を持つ。全首脳の姿を収める集合写真はこの目的にとりわけ有効である。並び順は外交儀礼に従い、中央に開催国の首脳、隣に他国大統領が立ち、在職日数が浅い首相たちと欧州理事会議長(かつては欧州委員会委員長)が端に写りこむ。

G7には設立条約といったものがない。もともと、首脳たちが率直に意見を交換して、気心をつうじ合うことが趣意である。当日、何のすり合わせもなくいきなり首脳たちが意見をぶつけ合ったのでは、成果を残せないどころか、不満や不信だけを残して帰る事態さえ起こりうる。そのようなことがないよう、シェルパという首脳の個人代表たちが事前の準備をする。シェルパとはヒマラヤの登山者の案内役を意味し、山頂の意味もあるサミットを山登りに喩えたものである。官僚がシェルパに選ばれると官僚的になってしまうのは自然の道理である。

扱う争点はさまざまである。第1はマクロ経済の政策調整である。G7は世界経済の総需要を拡大するために、協調してケインジアニズムの財政・金融政策を実施する。失業とインフレーションとはトレードオフであるので、微調整しなければならない。ケインジアニズムは1980年代にアメリカ合衆国の財政赤字が拡大し、マネタリズムの影響が強くなると下火になった。

第2の争点は金融と貿易である。G7には首脳会議だけでなく、財務相・中央銀行総裁会議や貿易相会議もある。為替相場と貿易収支はつねに議題となる。

第3はエネルギー問題である。主要な消費国でもあるG7がエネルギーの供給および価格の安定を唱えることに不思議はない。

サミットが第5の争点、政治問題、に本腰を入れるのに時間はかからなかった。テロ・紛争・大量破壊兵器といった外交・安全保障課題に、西側自由主義陣営としてワンボイスで立場を表明すれば、強い効果がある。

第6はグローバルイシューズである。G7は先進国であるので、開発、環境、あるいは保健の分野においてノブレスオブリージュ(高貴な責任)を担う。

ここからは第1回からの歴史を振り返る。1971年の金ドル交換停止と1973年の第一次オイルショックは経済面でアメリカ合衆国のリーダーシップを疑問視させた。先進国は高インフレ下の低成長、すなわちスタグフレーション、を克服するため、1975年の第1回のランブイエ・サミットに集い、インフレなき成長を目標とした。

実はランブイエでの参加国はG6であった。閉会後、2回目を開くことが決まり、カナダが参加することになった。G7最初の会合がプエルトリコ・サミットである。

第3回のロンドン・サミットでは、EC(欧州共同体)の委員長が初参加した。具体的な争点で衆目を集めたのは、経済政策についてアメリカ合衆国のジミー・カーター大統領と西ドイツのシュミット首相が対立したことであった。日米独機関車論といって、この3国が積極的に公共支出を増やして景気を押し上げることが期待されたが、インフレの抑制を重視する西ドイツはこの方向に抵抗した。

1970年代には中東情勢が激変し、それに伴ってテロリズムと石油価格の高騰が世界を揺さぶった。例えば、1977年には日本赤軍がハイジャックを行ったダッカ事件があった。

1978年のボン・サミットはハイジャックに関する声明を発し、G7は共同戦線を張った。犯人の身柄引渡しと訴追を拒絶する国には、すべての航空機の運航を停止させる、という毅然とした内容であった。

1979年に第二次オイルショックが起き、その年の東京サミットは石油の消費および輸入の上限目標を決め、省エネが国際約束になった。また、インドシナ難民に関する特別声明は、難民の受け入れという人道問題に踏み込んだ。その年、日本は初めて難民の定住を政策として実行した。大平正芳総理大臣が首脳会議の議長を務めた。

1979年のソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻は「新冷戦」という東西関係の緊張をもたらした。翌年のベネツィア・サミットはアフガニスタンからのソ連の撤退を求めた。その年、タカ派で知られた元俳優のロナルド・レーガンがアメリカ合衆国大統領に選ばれた。1981年のオタワ・サミットと1982年のベルサイユ・サミットでは、彼とフランスのフランソワ・ミテラン大統領との対立が注目を浴びた。

イギリスのマーガレット・サッチャー首相はフォークランド紛争に勝ち、一躍、人気の指導者になった。彼女の経済政策であるサッチャリズムはレーガンのレガノミクスと並び、新自由主義の双璧になった。細かい違いはいくつもあるが、ともに福祉を切り捨てたと批判された。

1983年のウイリアムズバーグ・サミットは新自由主義の高まりを印象づけた。集合写真の撮影で、レーガンとサッチャーの間に割り込んだ就任間もない首脳が日本の中曽根康弘総理大臣であった。彼は新自由主義的と評される国鉄の分割民営化で歴史に名を残すことになる。翌年の第10回首脳会議はふたたびロンドンで開かれた。ミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党の書記長になり、東西関係の緊張は緩和した。

1985年のボン、1986年の東京、1987年のベネツィア、そして1988年のトロント、とG7は回を重ねた。リビアによるテロは多くの命を奪い、中曽根がホストを務めた東京サミットは国際テロリズムに対する声明を発した。

1989年のアルシュ・サミットはパリの新開発地区でフランス革命二百周年を祝った。反対に、民衆のデモを弾圧した第二次天安門事件を受け、中国に対するハイレベルの接触は止められた。1990年のヒューストン・サミットはゴルバチョフを支持し続けた。その一方で、冷戦後のグローバル・パートナーシップを描く仕事が始まった。G7は気候変動枠組条約の策定に合意した。

1991年のロンドン、1992年のミュンヘン、1993年の東京、1994年のナポリ、1995年のハリファックス、そして1996年のリヨン、と先進国主導のグローバリゼーションを推進するフォーラムとしてG7は存続した。1997年のデンバー・サミットでは、ロシアのボリス・エリツィン大統領が一部の日程を除いて正式参加し、G8になった。

1990年代、世界中で発生した通貨危機はグローバリゼーションの行き過ぎを印象づけ、サミットに対するデモが発生するようになった。

1998年のバーミンガム・サミットはインド・パキスタンの核実験を議題にした。

1999年のケルンでは、コソボ紛争が話し合われた。ケルン・サミットの歴史的な意義はむしろ、外国に多大な債務を負う貧しい国々、つまり重債務貧困国(HIPC)、についての取り組みにあり、「より早く、より深く、より広範な」と表現される救済を支援するケルン拡大重債務貧困国イニシアティブを発信した。

千年間を意味する「ミレニアム」が冷戦後に代わってキャッチフレーズになったころ、インターネットの発達は目を見張るばかりであり、森喜朗総理大臣も関心を寄せた。彼がホストであった2000年の沖縄サミットは、グローバルな情報社会に関する沖縄憲章に合意した。2001年のジェノバ・サミットには一転して、グローバリゼーションに反対するデモが押し寄せた。その後、株式市場におけるITバブルは崩壊し、一つの時代が終わりを告げた。

同時多発テロと呼ばれた2001年の9・11事件はG8にさほど影響を与えなかった。対テロ戦争を遂行するにあたっては、NATOおよび日米安保という軍事専門の枠組みが別に存在したからである。2002年のカナナスキス・サミットはテロとの戦いと核兵器不拡散を扱ったものの、事件から9か月が経過していた。

イラク戦争のさなかに開かれた2003年のエビアン・サミットの時点では、米軍は激しい抵抗に直面していなかった。2004年のシーアイランド・サミットと2005年のグレンイーグルズ・サミットで、イラク問題は議論された。しかし、記憶に残るのは2005年の開催国首都ロンドンで起きた地下鉄でのテロ事件である。一連の戦争はイスラム社会と先進国との亀裂を広げていた。

2006年のサンクトペテルブルク・サミットはロシアで開かれた唯一のG8首脳会議になった。2007年はドイツのハイリゲンダムで開かれた。福田康夫総理大臣がホストであった2008年の洞爺湖サミットについて日本で最も報道されたのは会場の豪華なホテルとテロ対策であった。

2008年秋、大手投資銀行のリーマンブラザーズが破綻した。世界金融危機と呼ばれることになるマイナス成長が始まった。経済問題を話し合うG20首脳会議が11月に初めて開かれた。21世紀において成長著しい中国はじめBRICSがすべて参加するG20はG7/G8にはライバルになる。2009年のラクイラ・サミットにおいて、確かに金融の安定化は議論されたものの、開催地で地震が起きたことがより印象的であった。

2010年のムスコカ・サミットを経て、2011年のドービル・サミットは、アラブの春を支持するとともに、東日本大震災に立ち向かう日本との連帯を表明した。2012年のキャンプデイビッド・サミットは、イランと核問題に関する交渉を続けることを確認した。

ロシアと他の参加国との亀裂が広がったのは、ウラディミル・プーチンが大統領の座に戻ったからである。2013年のロックアーン・サミットは、経済では脱税と租税回避が中心議題であったが、政治では大量の難民を出したシリアの人道問題が課題であった。

2014年にG8はG7に戻った。ロシアはクリミア半島を併合し、東ウクライナの分離主義者を援助したが、G7には受け入れられないことであった。この年はロシアが開催国の番に当たっていたが、無期限の参加停止を言い渡し、G7だけの首脳会議をEUとNATOの本部があるブリュッセルで開いた。G7がウクライナの主権と領土保全を支持したことはいうまでもない。

2015年のエルマウ・サミットは、その年の気候変動枠組条約締約国会議における新たな法的文書の採択を後押しした。これはパリ協定として実を結ぶことになる。2016年の伊勢志摩サミットで、ホストの安倍晋三総理大臣によるおもてなしが話題になった[2]

アメリカ合衆国では、ドナルド・J・トランプが大統領に就任した。それが影響してか、2017年のタオルミーナ、2018年のシャルルボワ、そして2019年のビアリッツは首脳間の関係がぎこちなかった。

2020年は新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックのために、対面での首脳会議は開かれず、3月と4月にトランプ大統領を議長とするテレビ会議が行われた。翌年、トランプは去ったものの、パンデミックは続いた。2021年のコーンウォール・サミットはその年、開催国のイギリスで行われる気候変動枠組条約締約国会議に向けた決意を明らかにした。

2022年、ウイルスへの恐怖は去りつつあったが、ウクライナ戦争がやってきた。侵攻翌月の3月、NATOが首脳会議を行った機会に、G7も臨時にブリュッセルでサミットを持った。定例の首脳会議は6月にドイツのエルマウで開かれた。

2023年は議長の岸田文雄総理大臣の地元である広島にG7は集まった。ボロディミル・ゼレンスキー大統領も広島を訪れ、G7はウクライナの戦いを支援すると約束した。被爆地広島の平和記念資料館を首脳たちは訪れ、核軍縮に関するビジョンをまとめた。2024年のプーリア・サミットではガザ戦争が頭痛の種に加わった。

2期目のトランプ政権が始まった2025年のカナナスキス・サミットは意見対立により総括する首脳宣言が出ない異例のものになった。 昔ほど、主要国首脳会議はメディアによって騒がれるイベントでなくなった。首脳外交、すなわち首脳どうしが直接、会って話す機会自体が珍しくないからである。G7の意義はメンバーを7人に絞って率直な話ができることにある。しかし、それぞれの首脳は自分の言いたいことだけを言って、意見をまとめることには興味がない。


[1]  船橋洋一、『通貨烈烈』、朝日新聞社、1988年、198ページ。

[2] “G7伊勢志摩サミットにおけるおもてなし(贈呈品),” 外務省, May 26, 2016, https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/is_s/page4_002082.html, accessed on March 4, 2026.

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