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資料

公開外交

資料というのは文字に書かれたものでも、録音でも、録画でも何でもいえることだが、説得のための道具だ。これをソフトパワーと呼ぶ人もいる(服部龍二氏『外交を記録し、公開する』)。特に、権利とか、義務とか、社会で他人に自らの正当性を認めさせるのには欠かせない。

外交、すなわち英語でディプロマシー、も元の意味は書類のことという。この場合の書類は、他国に対して自国の正当性を納得させるためだけでなく、過去の自国の行動から学び、教訓にすることにも使われる。

https://history.state.gov/historicaldocuments

19世紀には、アメリカ合衆国大統領のエイブラハム・リンカンが外交文書を出版し、公開外交を実践した。いつからかは知らないが、イギリス議会にはブルーブックという名で自国の外交文書が資料として提出される慣習ができていた。

外交に限られず、国家の事務は書類を使って行われる。確かに、稗田阿礼のように記憶力が抜群な人が宮廷にいても、覚えられる量は書籍数冊分くらいだろうし、内容も語るたびに変わっては信頼がおけない。そんな人たちを並べておくより、書庫を設けるほうがコンパクトだ。

近代では、公文書に依拠して歴史を書くことをドイツのレオポルト・フォン・ランケが推奨した。特に外交史では、断然、ドキュメンティッドな(参考文献が示してある)著作が主流となった。

https://www.msz.co.jp/book/detail/08592

第一次世界大戦はあまりに被害が大きかったがゆえに、指導者たちの責任を問う動きが見られた。ドイツの元皇帝を刑事裁判にかけることは結局、実現しなかったものの、外交文書の公開は積極的に試みられるようになった。日本の元外交官、鹿島守之助、も『世界大戦原因の研究』という本を出版した。(なんで、こんなにたくさん今でも出品されているのだろう?)

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第二次世界大戦後、ドイツと日本が占領されると外交文書は公開され、その他の国々でも知る権利が広まって、公文書は一定期間経過後、原則として公開されることになっている。知る権利は英語でフリーダム・オブ・インフォメーションだ。日本の外交文書については服部龍二氏の著作が詳しい。

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各国の公文書館

本ページの写真は私が2007年に撮った外交史料館のものだ。日本の東京都港区麻布台に所在し、隣の飯倉公館とは境界が分からないくらい一体感がある。

調査中、昼食をとりたくなったらどうするか? 館内では食べられなかったと思う。地方から上京する者にとって、昼食をがまんして時間を有効に使うことも大切だ。しかし、六本木が近いので外出してもよかったかな、と思う。

日本にはほかに国立公文書館と防衛研究所があるが、私は残念ながらどちらも赴いたことはない。都道府県や国立大学にもそれぞれ公文書館がある。

イギリス国立公文書館、2002年木下郁夫撮影

上の写真はロンドンのキューガーデンにあるイギリス国立公文書館(TNA)だ。これを撮った時点ではPROと呼ぶのが一般的だった。実際に通ったのは2002年の夏だけで、以後はインターネットでデータを購入している。昼食は、売店でサンドイッチのようなものを買って食べた記憶がある。

合衆国公文書館、2013年木下郁夫撮影

こちらはワシントンDC郊外のカレッジパークにあるアメリカ合衆国公文書館(NARA)で、2013年に撮影した。DCの中心部に独立宣言などが展示されている本館があり、アーカイブズという地下鉄の駅もある。カレッジパークのほうはアーカイブⅡと区別する。託児所があったのが衝撃的だったが、素晴らしいレストランがあって、昼食は至福のひと時だった。ただし、外部者は割増料金だったと思う(連邦議会図書館もそうだった)。

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資料の探し方や扱い方が分からなかったとき、NARAの職員の方に教えてもらったのが仲本和彦氏のご著書。分類、閲覧、複写……などで右往左往したので、日本から持っていくべきだった。思えば恥多き人生だ。

日本、イギリス、アメリカ合衆国の公文書館に収められている資料を比較すると、日本には残念な点がある。私が調べた文書についてだけにいえるのかもしれないが、日本は全省、イギリスは部署、合衆国は個人の単位で職務で触った文書を保管しているように感じられる。

日本の外交史料館において、文書は全省レベルでテーマごとに編纂される。それは内部の職員が先例を調べるにはよいかもしれないものの、重要と考えられないテーマの文書や原稿段階の文書、あるいは細々とした事柄の文書は廃棄された。

これにたいし、英米ではとりあえず全部保管するつもりであるようで、文書の意味や重要性を後世の人間が判断するのを可能にしている。特にアメリカ合衆国では、文書はパブリックドメインにある公共物であり、機関や職員の所有物でないという意識がある。 

国連公文書記録管理部、2013年木下郁夫撮影

ちなみに、国際連合の公文書記録管理部(ARMS)はニューヨークのマンハッタン島にあるが、11年前には規模は大きくなかった。政策形成にかかわる文書が意識して保管されている印象も受けなかった。

公文書館を利用するにはカネと時間がかかるが、十分にそれに報いる価値があるものだ。

課題

  1. Minister Newel to the Secretary of State, October 3, 1904を読んで、いつ、どこで、だれが、だれに、何のために書いたかを300字以内で答えなさい。https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1905/d705 (3 点)

  2. 「海軍兵曹長鈴田茂一任官ノ件」を読み、鈴田茂一がなぜ中尉に任官したかの理由を原文を引用して300字以内で説明しなさい。https://www.digital.archives.go.jp/img/2684626 (3 点)

日本へのBSC「政治戦」

[このブログは2024年7月1日にnote.comで公開された。]

『3603号室』と『暗号名イントレピッド』はナチスとの戦いの記述がほとんどで、対日戦の記述はごくわずかしかない。

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しかし、公式記録と考えられるBritish Security Co-ordinationには当然ながら日本に対する諜報活動がかなりの分量で書かれている。書かれないわけがないのだ。局長のウィリアム・S・スティーブンソンが自らの伝記で対日戦を書かせなかったのは、対ナチス戦ほどアドレナリンを出さないからだろう。

ただし、アメリカ合衆国側との調整によって、対日戦はドノバンのOSS(CIAの前身)が中心になるのは自然の勢いだった。真珠湾事件後、BSCはそのサポートに回ることになる。

公式記録の目次を見るかぎりでは、政治戦と秘密諜報と防諜に日本関係の記事が多そうだ。詳しくは、ご自身で上の本を買って読むのがよいだろう。私のnote記事は自分用の読書ノートとして使わせていただく。

まずは政治戦について。政治戦というのは簡単に言えばプロパガンダのこと。つまり、様々なメディアを使った情報操作。同じ時代の『危機の20年』という有名な本が論じる「意見に対する力」に当たる。現代でも、国家はもちろん、企業もやっているありふれた活動であり、BSCが特別なことをしたわけでない。

BSCの対日政治戦の基本概念は、いわゆる「東京裁判史観」に近いように感じられる。主敵はあくまでナチスドイツで、これは手ごわい。日本には軍国主義者と人民がいる。ナチスドイツは日本を戦争に参加させ、捨て駒にするつもりだ。この目的のために「第五列」、つまり日本のなかの同盟者、に対して工作を仕掛けている。日本人民を抑圧する軍国主義者がこの同盟者だ。

BSCは邪悪なナチスの謀略から人民を救わなければならない。日本の参戦を止めるため、プロパガンダを行うのだ。(ホントかね?)

しかし、イギリス自らがドイツの謀略を暴いても、ドイツとイギリスはすでに交戦しているので説得力はない。そこで、イギリスの在東京大使館から中立国だったアメリカ合衆国のイギリス大使館にドイツの第五列工作を報告し、アメリカ発の情報としてドイツの工作を暴露させようとする。ところが、同大使館は動かない。

ここでBSCの出番だ。それは日本から引き揚げたアメリカ人ジャーナリストを雇い、その名でニューヨークから新聞記事を発表させる。これを引用した他の新聞やラジオがドイツの第五列を報道する。さらに、BSCは記事をロンドンに送り、それをもとに世界中の新聞やラジオが報道する。

ただし、これでは肝心な日本人にメッセージは届かないかもしれない。日本のある代議士がちょうどワシントンDCを訪れている。BSC工作員がこの代議士に依頼して、皇族や前首相を含む日本の要人に記事を同封した手紙を送ってくれと頼む。そして、ずいぶんと手間をかけて、手紙は横浜へ向かう客船の平洋丸に積まれる。

これがどうなったか私は知らない。もし要人たちに手紙が届いていれば薄気味悪く感じたかもしれない。なぜなら、すでに開戦まぎわの1941年秋のことだったからだ。

ほかにもBSCはサンフランシスコのラジオ局KGEIを傘下に収めることなど、日本へのプロパガンダを行った。しかし、そのかいなく、真珠湾は止められなかった。

他方、秘密諜報と防諜については……と、意気込んでみたもののここで書くべきことは何もない。なぜなら、名著『秘密のファイル』がBritish Security Co-ordinationの内容を書き尽くしてしまったからだ。ペンペン草も生えていない。

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気を取り直して一言、加えると、ラテンアメリカの対日防諜態勢をBSCはしっかり固めていた。外交と諜報のグローバルゲームで日本は戦う以前に負けていた。

その意味で、三十を超えたばかりの漢字研究者の白川静が、最も正しく太平洋戦争の結末を予想したと思う。真珠湾攻撃について後年の彼は日本経済新聞「私の履歴書」欄で感想を述べた。さすが、慧眼の人は見えないことも見るのだ。

本土を攻める法がなくして、どうして勝利することができよう。私は次のニュースとして、パナマ運河の爆破をひたすらに待ち続けたが、それは空しいことであった。事はすでに、その段階で終っていたのである。

白川静、「敗戦——愚かしく空しい戦争」、『日本経済新聞』、朝刊、1999年12月10日(https://www.ritsumei.ac.jp/features/shirakawashizuka10/nikkei/rirekisyo10.html/)。

対日戦以外では、ワシントンDCにあるビシー政権のフランス大使館に潜入したSISの女スパイ「シンシア」の記載が公式記録にある。彼女の華麗な活躍は『3603号室』と『暗号名イントレピッド』でもクライマックスだ。

MI6の公式歴史書『MI6秘録』ではSISのアーカイブで「シンシア」についての記述を検証している。大まかなところは史実のようだ。

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なお、肝心の、私が探していたテーマのことは公式記録に書かれていなかった。このテーマについて紹介する機会が訪れればよいのだが。

キャンプXとイントレピッドについて論文を書くための基本書

[このブログは2024年6月12日にnote.comで公開された。]

数本の記事をキャンプXとイントレピッドについて書いてきて、秋からの授業のネタになると気づいた。研究では信頼できる資料を使わなければならない、と教訓を垂れるためだ。『暗号名イントレピッド』と『3603号室』は参考文献に挙げるには不正確だ。少なくとも、他の資料と比較検討したうえで使うべきだ。

単独で使って安心できる参考文献は「一次資料」だけ。私の場合、ふだんはそれ以外のものも使っているので、こう書いていて多少、うしろめたい。

なぜ一次資料が大事か?、を述べておきたい。一次資料とは、出来事の当事者や同時代人が直接、見聞し、記録した資料だ。それがなくても確定的な出来事はある。例えば、私が毎日、摂食・睡眠をしていることは確実だ。

確実でなくても、「なかったことは証明できない」と主張して、はばからない人がいる。たとえその主張が論理的、科学的に正しいとしても、現実には詭弁にすぎないことが多い。「なかったことは証明できない」であらゆる可能性を認めてしまえば、それはファンタジーだ。神は起こりやすい可能性から選んでいく。

過去についてのストーリーを真実であると主張するためには「できるだけ」一次資料に基づかせるべきだ。では、キャンプXとイントレピッドに関係する諸文献のなかで、一次資料と呼んでよいものはあるのか? これがあるのだ。しかも、amazon.co.jpで売っている。

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この本の解説を書いたナイジェル・ウェストという軍事史家や別の記事で紹介した『トゥルー・イントレピッド』によると、第二次世界大戦後、役割を終えたイギリス安全保障調整部(BSC)は、5年間で作成した書類をニューヨークからキャンプXに運び、組織の歴史を編纂し、その後、書類を廃棄した。序文の日付は1945年12月31日となっている。真の意味での一次資料は廃棄されてしまった書類のほうだ。

世界大戦が終わり、役割を終えた組織が最後に自らの歴史をまとめた記録はいくつもイギリス国立公文書館(TNA)に保管されている。BSCの歴史が特徴的なのは、とりわけ大部で、製本までされたことだ。印刷された20部のうち、10部は廃棄されたが、残る10部はウィリアム・S・スティーブンソン局長ら関係者に配られた。

H・モンゴメリー・ハイドによるスティーブンソンの伝記『静かなるカナダ人』、または『3603号室』、も『イギリス安全保障調整局』に依拠している。

1998年に『イギリス安全保障調整局』は復刻されて、古本が1万円くらいでアマゾンで売っていた。私はそれを買った。公文書館から直接、入手したわけでないが、暫定的に信頼しておく。

この復刻版に、ナイジェル・ウェストが寄せた解説が付いている。ハイドが書いたスティーブンソンの伝記がトラブルに見舞われたことを、彼は次のように伝える。

ハイドはせっかく一次資料を参考にしたのに、伝記の執筆では事実でないことを盛ってしまった。隠密行動を暴露されたあるエージェントは名誉棄損でハイドを訴えた。ハイドは賠償しなければならなかった。物を書く者にとっては、ぞっとさせられるエピソードだ。一次資料が元ネタでも、粉飾してしまっては元も子もない。ましてやこの記録は機密文書だろうから、ハイドは泣き寝入りするほかなかった。

私はこれから『イギリス安全保障調整局』の本文に目を通す。興味を引くことがあれば報告したい。

『イギリス安全保障調整局』所感

[このブログは2024年6月10日にnote.comで公開された。]

イギリス安全保障調整局(BSC)とは?、と問われれば、南北アメリカ・カリブにおけるイギリス隠密活動の総本部と答えよう。BSCは独自の電信網はもちろん、スパイたちの番所である秘密諜報部(SIS, MI6)の支部や国内治安機関のMI5職員が詰めていた各地の領事館を統括していた。トロント近郊のキャンプXはスパイ訓練施設だっただけでなく、カリブのバミューダと並ぶ通信拠点でもあった。公式記録『イギリス安全保障調整局』には、ニューヨークをハブとするスポークが米州各地の拠点に放射線状に伸びる印象的な地図が掲げてある。

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同書に含まれる情報を気がつくままメモすることにする。

  • ウィリアム・S・スティーブンソン(WS)に命令していたのはチャーチル首相でなく、秘密諜報部長官「C」。

  • WSの最初の使命はFBIのフーバー長官との連絡。

  • イギリス本国のMI5、SIS、PWE(政治戦本部)、SOE(特殊工作本部)の指揮下。

  • 1941年1月から正式にBSC。

  • PWEはインフルエンサーやメディアを使った合衆国への政治工作。

  • SISの女スパイ「シンシア」

前半生を隠したイントレピッド

[このブログは2024年6月5日にnote.comで公開された。]

イギリス安全保障調整局(BSC)については、春名幹夫の名著『秘密のファイル』を読んでご存知の方もいらっしゃるだろう。「日本総領事館に007侵入」という項目ではイアン・フレミングの小説の一場面をウィリアム・S・スティーブンソンが種明かしたことが書かれている。

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私はもともと007やスティーブンソンに関心があったわけでなく、他の関心からBSCを調べ始めた(その理由については今は明かさない)。そして見つけたのが、スティーブンソンと非常に似た姓名の作家が書いた『暗号名イントレピッド』だ。タイトルといい1976年という発表年といい、帯に書かれた「NHK総合テレビ放送!」という売り文句といい、これこそ決定版でないか?

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この本に従って、スティーブンソンの生い立ちと、のちにCIAへと発展するアメリカ合衆国の戦略情報局(OSS)とBSCが協力するまでの流れを書き留める。

  • スティーブンソンは無線通信が子供のときから得意

  • 第一次世界大戦では飛行士

  • 退役後は会社経営

  • エニグマの暗号解読に関心

  • 対独経済圧力委員会のもとスウェーデンで破壊活動

  • 第二次世界大戦の勃発後は経済戦争省に関係

  • 合衆国の在英大使館員がドイツのスパイだったというタイラー・ケント事件により、外交公電の信頼性失墜

  • イギリスの秘密情報部と合衆国のFBIが直接に接触

  • ダンケルクからの撤退により、ブリテン島が占領される可能性

  • チャーチル首相の個人代表に任命され、ニューヨークのロックフェラーセンターに旅券検閲局のカバーでBSC設立

  • 第一次世界大戦以来の知り合いであるドノバンがローズベルト大統領の個人代表に

  • 占領地でドイツと戦うためにSOE(特殊作戦執行部)を支援

  • 英米両バミューダは通信・暗号解読基地

  • キャンプXは工作員訓練施設

  • ドノバンは1941年7月にCOI長官に、のちにOSS長官に

決定版と思って手に取った『暗号名イントレピッド』だったが、私は違和感を抱いた。確かに序文はスティーブンソン自身によるものだ。しかし、本編の記述は概して観念的であやふやなのだ。エニグマ暗号機へのこだわりは分かったが、それはどういう意味をもつのだろう?

それでいて、功績はかなり粉飾されているように感じられる。ニールス・ボーアの亡命、フランスへの潜入、メキシコへの対策、そしてユーゴスラビアへの支援について、もしこれらが真実だとすれば、第二次世界大戦の歴史は大幅に書き直さなければならない。

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『暗号名イントレピッド』より14年も前に、スティーブンソンの伝記が書かれていたことが分かった。タイトルは『3603号室』。これはスティーブンソンの旅券検閲局が入居していたロックフェラーセンターの部屋番号だ。『暗号名イントレピッド』に後を追って翌年に出た。話題に便乗したのだろう。『3603号室』は合衆国版で、イギリス版は『静かなるカナダ人』と別のタイトルだった。合衆国版にはBSC管理下のキャンプXで訓練された(とも言われる)イアン・フレミングによる序文が付けられた。007とBSCとの関係はリアルだ、と確信させる。

『3603号室』の著者はH・モンゴメリー・ハイドといい、実際にBSCでスティーブンソンの部下だった人物だ。イギリスの下院議員であった経験があり、信頼が置ける。実際、雲をつかむような話が多かった『暗号名イントレピッド』より、事実に基づく記述が多い。なぜ話題にならなかったのかというと、スティーブンソンが増刷を止めたからだ。情報漏洩を許せないイギリス当局と軋轢があったらしい。

以上、スティーブンソンの伝記について批判的に書いてきた。なぜ大胆に批判的に書けたか? 種明かしすれば、BSCの検証本であるThe True Intrepidを読んだからだ。こうした後出しは学術論文では許されない。痛快だ。

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いやいや、本当に痛快なのはThe True Intrepidの内容だ。

(以下、ネタバレ)

スティーブンソンは自らをスコットランド系と称していたが、本当はアイスランド系だった。同じ北欧人のニールス・ボーアやグレタ・ガルボとの関わりもうなずける。また、生年月日やその時に届けた名や学歴までいつわっていた。彼は中学高校に通わずに電報配達員をしていた。こうした粉飾が『暗号名イントレピッド』のあやふやな記述の原因だろう。第一次世界大戦後に彼が手掛けたビジネスについても、夜逃げ同然でカナダを離れただけでなく、軌道に乗り始めてからも特許関係で表沙汰にできないことがあったようだ。

The True Intrepidでは、上で挙げた2冊の伝記の出版経緯も明かされている。スティーブンソンはライターたちの背中は押したが、内容はあくまで彼らの責任だというスタンスをとった。名誉欲か、誰かへの嫉妬か、あるいは諜報当局の関与か、定かでないが、彼本人は自らの功績を社会に伝えたかった。しかし、機密の漏洩は法に反するのでそこは書けない。このディレンマのギャップを埋めることを二人のライターに期待したのだ。

イギリスというと、家柄が幅を利かす階級社会というイメージがつきまとう。しかし、第二次世界大戦ではウィリアム・S・スティーブンソンという素性のしれない人間まで抜擢して独日を打倒した。そこに、危機の深刻さと勝利への決意が並々ならぬものだったことが感じとられる。

カナダのテレビドラマ『Xカンパニー 戦火のスパイたち』(2015)を観た

[このブログは2024年5月31日にnote.comで公開された。]

先日はカナダのドキュメンタリー『キャンプX 実録・スパイ養成学校』を紹介した。

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キャンプXを主題とした映像作品には『Xカンパニー 戦火のスパイたち』というテレビドラマもあった。トロントの機関がイギリスから半ば独立してフランスのレジスタンスとともにナチスと戦う、というのは一定のフランス語人口を有するカナダのナショナリズムに適した題材といえる。ただし、半ば独立して、が真実だったかは留保しておく。

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「ドラマ」であれば、日本ならば「このドラマはフィクションであり……」というキャプションが入る。このテレビドラマはどうなのだろう? レンタル落ち中古DVDで確認。

あった、あった

Although Camp X was a real training facility during the Second World War, the characters and incidents portrayed and the names used herein are fictious and similarity to the name, character or history of any person, living or dead,  is entirely coincidental and unintentional.
キャンプXは第二次世界大戦中の現実の訓練施設であるものの、作中の描かれたキャラクターおよび事件や使われた名前は架空のものであり、いかなる生存者または死者の名前、キャラクターまたは履歴への類似は完全に偶然であり、意図せざるものである。

『Xカンパニー 戦火のスパイたち』

つまり、現実のキャンプXとの関係は世界観だけだ。徳川光圀は実在の人物だが『水戸黄門』は架空の物語だ。徳川吉宗は実在の人物だが『暴れん坊将軍』はまったくの創作だ。与えられた設定のもとでストーリーの技巧やアクションを楽しむのだ。

『Xカンパニー』はどうか? トロントのキャンプXは『暴れん坊将軍』では江戸城のシーンだ。カーキ色の軍服を着たイギリス軍の幹部たちは、吉宗・爺・越前に当たるだろう。フィールドの特務員たちが潜入したフランスは水戸黄門一行が騒動を起こす街道の宿場町だ。

『暗号名イントレピッド』と『Xカンパニー』との類似はないわけでない。例えば、爆弾テロ、ハニートラップ、あるいは原子爆弾開発競争といったモチーフだ。

残念ながら、『Xカンパニー』は吉宗の流し目や弥七の宙返りほど私の心をつかまなかった。しかし、シリアスでバイオレントなドラマが好みの方には十分に観る価値があると思う。

スパイ訓練施設キャンプXを管理していたBSC、そしてその親玉であるイントレピッド

[このブログは2024年5月28日にnote.comで公開された。]

『キャンプX』のビデオはいかがだったろうか? あれによると、ジェイムズ・ボンドのアクションは本物だ。なぜなら、その原作者と演出家自身がキャンプXで公式マニュアルをもとに訓練されたスパイだったというからだ。

他方で、うさんくさい、という感想もあるだろう。ドキュメンタリーの言っていることがだ。理由の一つはイギリスやカナダの機密法が諜報関係の文書を非開示にしているからだ。廃棄された文書も多いらしい。むしろ、機密扱いされてきたのに、なぜ知られるようになったか?、と問うべきなのだ。

キャンプXの存在が公然となった経緯は、半世紀以上にわたる情報の漏洩だ。それは伝説と呼んでもよい。ただし、漏洩したのも、されたのもキャンプXというカナダ人好みの伝説ではなく、英帝国のイントレピッドという伝説だった。

イントレピッド、というのは、勇猛な、という意味で、軍艦にもイギリスはこの名をつける。ほかにも例えば、激怒した、という意味のフューリアスという単語が軍艦のニックネームにされることがある。しかし、ここでのイントレピッドはスパイマスターのあだ名だ。コードネームまたは暗号名ともいわれるが、この呼び方が正式なものなのか、それとも本人が気に入っているだけなのか、私は知らない。

イントレピッドことウィリアム・S・スティーブンソンがカナダ生まれのスパイマスターだったのは史実だ。イギリスの諜報機関の元締めとして、ニューヨークを本部にして第二次世界大戦で活躍したという主張も揺るがない。この南北アメリカとカリブにおける組織がイギリス安全保障調整局、すなわちBSCだ。だから、BSCは特異体というわけでなく、類似の組織はアジアにも置かれた。

では、なぜスティーブンソンの業績は疑われるのか? それは彼が統括していた諜報当局BSCの事績のうち、秘密諜報部、つまりMI6またはSIS、に関わる文書が開示されないからだ。他の部局が関わった活動は文書で証明できても、SISの活動は謎のままであり、おそらくスティーブンソン本人の情報はそこに含まれて永遠に開示されないことになっている。

さらにうさんくささを増すのは、上で述べた情報の漏洩がスティーブンソン本人によってもっぱら行われたからだ。仕事の時間なので、ここからは次稿で書きたい。

『キャンプX 実録・スパイ養成学校』をアマプラで観る

[このブログは2024年5月22日にnote.comで公開された。]

本業から少し外れた(?)関心から書く。まあ、5月22日の演習で観るつもりだから、これはあくまで本来の研究テーマから外れたという意味だ。

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キャンプXは第二次世界大戦中にイギリスが設けたスパイ訓練キャンプだ。ヒトラーがバトル・オブ・ブリテンを仕掛けてきたので、本土が占領される可能性が出てきた。最悪の場合、カナダとアメリカ合衆国に憑依して、イギリスはナチスへの抵抗を続けるつもりだった。

そこで、トロント郊外に用地を確保し、設けられたのがキャンプXだった。のちに007シリーズを書いたイアン・フレミングもここで訓練されたとされるのは本編で触れられている。

キャンプX運営の背景は後日、改めて述べるが、日本の陸軍中野学校と同じく、現在でも謎に包まれている。文書は戦後、廃棄されたという。スパイ関係の公文書は、イギリスでも、カナダでも機密指定が解除されていない。

本編では、撤去後の跡地を民間人が重機を使い、独自に発掘調査をしている。スパイ・ミステリーはどこの国の人も好きなのだ。

事実を知らなければ、分析も評価もしようがない。今回の記事は、とにかく観てみよう!という趣旨だ。

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