国家は一枚岩でない。最高指導者の命令一下、すべてが整然と動くイメージの国もある。しかし、個人の欲求は個人の選択と努力により満たされるのが基本でないか?

国家はまず個人から成り、さらに、中間団体と呼ばれるさまざまな非国家の集団が存在する。今日、それらは市民社会と総称されるか、個々に市民社会組織(CSO)と呼ばれるかする。CSOは主に企業とNGOを指すとされるが、NGOもさまざまであり、組織が緩いものもある。歴史的には宗教団体が最有力なCSOであった時代が長かったが、この百年で医師、看護師、学者、法律家、ジャーナリスト、そして芸術家といった専門職の集団が発言権を得た。今回のテーマは、市民社会またはトランスナショナリズムが国際政治に与える影響について論じなさい、である。

市民社会、すなわち英語のシビルソサエティはラテン語のキウィタス、すなわち都市国家の英訳である。それゆえ、トマス・ホッブズやジョン・ロックの用法では「国家」と同じ意味であった。しかし、「国家」の意味を別の単語が占めるようになると、シビルソサエティには「市民社会」という別の意味が与えられることになった。「国家」が近代以降の目新しいものであったのにたいし、「市民社会」はヨーロッパ史ではむしろ伝統的である都市の自由な市民の活動を指した。

そうした観念を共通認識に高めたのはゲオルク・W・F・ヘーゲルの『法の哲学』である。むろん、倫理的な存在である国家の価値を力説することが同書の目的であったが、市民社会の位置づけも興味深い。まず、家族のメンバーは自分と同じもの、すなわち弁証法でいうところの「即自」、である。つぎに、市民社会は他人が集まっただけのもの、すなわち弁証法の「対自」、である。最後に、国家は自分たちであり、かつ他人でもあるもの、すなわち弁証法では「即自かつ対自」、である。こうしたビジョンのなかで、彼は市民社会を次のように説明する。

市民社会は三つの契機を含む。

個々人の労働によって、また他のすべての人々の労働と満足とによって欲求を媒介し、個々人を満足させること――欲求の体系

この体系に含まれている自由という普遍的なものの現実性、すなわち所有を司法活動によって保護すること。

右の両体系のなかに残存している偶然性[貧富、法不法―訳者注]に対してあらかじめ配慮すること、そして福祉行政[警察、社会政策―訳者注]と職業団体によって、特殊的利益を一つの共同的なものとして配慮し管理すること[1]

ヘーゲルにとって、市民社会はあくまで個人または集団の欲求が優先される私的領域であり、全体の意思が積極的に推進されることはない。ただし、慈善を施し、正義を維持するために、私人の自発的努力によって一定の自律的な調整が働くことがある。

ヘーゲルの影響を強く受けたロレンツ・フォン・シュタインは、伊藤博文も教えを乞うた行政学者として知られる。彼は憲政と行政を分けた。憲政とは、社会の諸利益が表出され、支配的利益が国家を隷従しようとすることである。行政とは、国家がこの利益を打破し、個人の利益・自由を促進することである[2]。憲政が悪で、行政が善、という善悪二元論のイメージである。市民社会の概念に社会的強者が私利私欲を押し通すイメージを重ねたシュタインは、それに国家が掣肘を加えなければならない、と問題意識を持っていた。

カール・マルクスの初期の哲学は疎外論として知られるが、彼の市民社会観はそれを悪と見るイメージに忠実に沿っている。1844年の『ユダヤ人問題によせて』は、ユダヤ人差別は国家すなわち公権力によるものを禁じるだけでなく、市民社会の内部、すなわち私人による私人への差別、をやめさせなければならないと主張する[3]。現在でも差別の多くは市民社会内部で起きていることに鑑みると、鋭い指摘である。

こうした市民社会観を革命論にまで膨らませたのが、アントニオ・グラムシであった。彼はイタリア共産党書記長、下院議員を経て、投獄され、そこで論文を執筆した。当時の西ヨーロッパにおける共産党の課題は、ロシア革命に続いて革命を実現することであったろう。彼は政権転覆は言わずもがな、革命の前に立ちふさがる社会的強者という壁の厚さに悩んだ。この強者が行使する社会への支配力こそが、彼の中心概念であるヘゲモニーである。彼は次のように解説する。

国家は通常、政治社会(すなわち一定の時代の生産様式と経済に人民大衆を適応させるための独裁または強制装置)と理解されていて、政治社会と市民社会との均衡(すなわち教会・組合・学校などのいわゆる私的組織をつうじて国民社会全体にたいして行使される一社会集団のヘゲモニー)として理解されていません[4]

ロシア革命は市民社会が発達していなかった東ヨーロッパで起きたからこそ可能であった。実際、旧政府を打倒し、暴力的に勝利してしまえば、教会・組合・学校はもはや敵でなかった。それがグラムシが機動戦と呼ぶ闘い方である。

東方では国家がすべてであり、市民社会は原初的でゼラチン状であった。ところが西方では、国家と市民社会とのあいだに適正な関係があり、国家が揺らぐとただちに市民社会の堅固な構造が姿を現した。国家は前方塹壕にすぎず、その背後には堅固に連なる要塞とトーチカがひかえていた[5]

西ヨーロッパでは教会・組合・学校といった市民社会との陣地戦を戦わなければならない、とグラムシは予想していた。彼の死後である第二次世界大戦後、ユーロコミュニズムと称される現実的な路線がイタリア共産党によって採用されることになる。武装蜂起してひとたび市街戦に勝ったとしても、より多くの群衆が反革命を支持する側に回ってしまっては元も子もないからである。

これまで見たように、市民社会への注目は、社会的強者の過剰代表を意識しながら展開した。国家の政策は国内の強い利益集団の圧力を受けている、というイメージを国際政治学者のスティーブン・D・クラスナーは「弱い国家」と表現した[6]。政府高官による一つ一つの発言よりも、政府を背後から操る利益集団の動きを追いかけるほうが、国家の行動を見きわめられるという見方である。

国際情勢を踏まえて政府が国内政策を練ることもあれば、国内の選挙結果が国際情勢を一変させることもある。当たり前のことを言うな、とお叱りを受けるかもしれないが、この発見は国際政治学に大転換をもたらした。1960年代までの国際政治学は、国家を一枚岩であるとみなすビリヤードボール・モデルに基づいていたからである。

国際政治と国内政治はつながっている、というリンケージ政治の概念をジェイムズ・N・ローズノーが提唱したのは1969年であった。もっとも彼の目は政治指導者のほうを向き、国内政治と国際政治をつなぐ「リンケージ・エリート」や「二重政治家」の役割が気になっていた[7]

国内政治が国際政治に影響することは、独裁体制より、民主主義体制のほうが明瞭に見てとれる。国際合意のなかには批准の国内手続きがとられなければ効力が発生しないものがある。民主主義において、批准は議会によって行われるため、政府は批准が見込める合意になるよう注意して交渉しなければならない。こうした状況をうまく記述するとされるのが、ロバート・D・パットナムの2レベルゲームである。彼の論文は1988年に『インターナショナル・オーガニゼーション』誌に掲載された。

2レベルゲームという名のとおり、レベル1とレベル2がある。レベル1は国際交渉のゲームであり、政府代表間の駆け引きと暫定合意が行われる。レベル2は国内批准のゲームであり、選挙民の間で暫定合意を受け入れるか否かを議論し、受け入れる場合の条件を取引する。合意がまとまるかを予想するには、ウィンセットに注目するとよい。ウィンセットとは、選挙民が批准する用意のある合意の範囲である。それが広ければ合意は容易であり、狭ければ困難である。自国の利害関係者が政府代表に厳しい注文をつけてくれば、ウィンセットは狭くなる。交渉のテクニックとして、国内からの圧力がいかに強いかを交渉相手に訴えて、歩み寄りを求めるやり方がある[8]

市民社会の一部を成すものにNGOやボランティアがあるが、必ずしも社会的強者ではない。それらの価値に理論的根拠を与えたのがユダヤ系ドイツ人で、難民体験をしたのち、アメリカ合衆国に移住した哲学者ハナ・アレントであった。彼女は職業を、目的の観点から三つに分けた。レイバー(労働)は生命維持のため、ワーク(仕事)は人工的世界を作るため、そしてアクション(活動)は人と人との間の関係のためのものであり、アクションのなかに非営利の社会貢献は含まれる。古代ギリシャの直接民主制以降、現代に至るまでアクションは見失われている、とアレントは嘆いた。現状は、浪費を可能とするためのレイバーが横行しているというのである[9]

アレントの見識は死後まもなく再評価されることになった。政策形成にNGOが参加することがグッドガバナンスと呼ばれる時代が到来した。その前提として、全体主義体制が否定的に扱われるようになることが必要であった。

1968年のチェコスロバキアにおけるプラハの春は、ソ連の軍事介入によってもろくもついえた。グラムシが見抜いたように、東ヨーロッパでは機動戦で決着がついてしまうのである。この伝統を打ち破ったのがポーランドにおける独立自主管理労組、連帯、であった。運動を支えたのはKOR(労働者擁護委員会)に参加する知識人たちであった。共産党内での上からの改革や陰謀活動で民主化を達成するのは不可能である、というのが知識人たちの基本認識であった。

知識人の一人、アダム・ミフニク、の「新しい漸進主義」という論文は、まだ連帯が結成されていない1976年に書かれたものであるが、市民社会の側が「改革を求める毅然とした道、市民的自由と人権の拡大を追求する漸進的変化の道」を行くことを求める[10]。1980年に結成された連帯の活動はあくまで労働者として当然の権利を主張しているにすぎなかった。翌年、連帯は非合法化されたものの存続し、ヤルゼルスキ政権と対話した。ミフニクは1976年に次のように書いた。

公的機関から独立した、労働者の自衛のための最初の組織が形成されたその日、シチェチンとグダンスクの造船所でストライキ委員会が結成されたその日、労働者の意識の新しい段階が始まった。労働者の利害を代表するもっと恒常的な新しい組織が、いつ、どのような状況下でつくりだされ、いかなる形態をとるかを予見することは困難である[11]

日本では、1995年の阪神淡路大震災がボランティア活動に注目が集まるきっかけとなった。「大きな政府」から「小さな政府」へ、または「官から民へ」と改革を求める勢力からも、ボランティア活動は期待された。こうして、1998年に特定非営利法人促進法(NPO法)が制定され、公益法人に類した税法上の待遇を特定非営利法人(NPO法人)に与えた。

20世紀末、市民活動への期待は世界的なものであった。ロバート・D・パットナムはこの分野でも業績を上げ、1993年の『哲学する民主主義』は社会資本の概念を世に知らしめた。社会資本とは、信頼、規範、そしてネットワークのような人と人との間に良い関係をもたらす態度や慣習であるが、彼はそれが優れたガバナンス(制度パフォーマンス)までもたらしてくれると議論した。教育・年金・防犯・雇用・物価・家族的価値といった事業で政府がうまくやっているのは、市民活動が成熟しているから、というのである。政府のパフォーマンスは経済が成熟しているからでないか?、という異論にパットナムは、制度パフォーマンスとの相関は市民活動のほうが高い、と統計分析で反証した[12]。商都ミラノよりもボローニャのほうが制度パフォーマンスが高かったのである。

2年後の1995年、作家のフランシス・フクヤマは、高信頼社会は経済繁栄をもたらす、と論じる『「信」無くば立たず』を著した[13]

NGOの国際的な活動が拡大したのは冷戦後のことである。国際連盟の時代には、その規約はNGOの老舗的存在、赤十字、に言及するだけであった。

第25条 聯盟国は、全世界に亙り健康の増進、疾病の予防及苦痛の軽減を目的とする公認の国民赤十字篤志機関の設立及協力を奨励促進することを約す。

国際連合憲章には、経済・社会分野の枠内においてではあるが、多様な活動をするNGOと国連との協議が定められている。憲章を起草するに当たって、相談していたNGOをコンサルタントと呼んだ名残で「協議」という言葉が使われる。次の引用に見える「民間団体」は英語正文ではノンガバメンタル・オーガニゼイション、つまりNGO、である。民間、というと、私的、という意味もあるので、それを避けて非政府組織と呼ばれることがある。

第71条 経済社会理事会は、その権限内にある事項に関係のある民間団体と協議するために、適当な取極を行うことができる。この取極は、国際団体との間に、また、適当な場合には、関係のある国際連合加盟国と協議した後に国内団体との間に行うことができる。

国連は発足当初からNGOに門戸を開いたが、冷戦後には「世界会議」と銘打った大規模な会議がそれらの活躍の舞台となった。1992年の地球サミット、つまりリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(UNCED)、の参加者は4万7千人であった。翌年の第四回世界女性会議(北京)には5万人近く、さらにその翌年の第二回国連居住会議(イスタンブール)には3万人が参加した。20世紀の終わりに、国連広報局は世界会議のインパクトとして四つを挙げた。第1は政府・自治体・NGOの動員、第2は国際的な基準とガイドラインの設定、第3はフォーラムの提供、第4は政府の国際公約と国連への報告、である[14]

NGOと同じく、いやそれ以上に、多国籍企業は強い社会的影響力を持つ。

レイモンド・バーノンの『追いつめられた主権』(1971年)はキャッチーな題によって、多国籍企業研究の古典としての地位を確かにした。フォーチュン500社はアメリカ合衆国の売上上位企業であるが、そのうち外国に6以上の子会社を持ったことがある187社について彼は分析した。主に製造業の多国籍企業子会社は現地の経済・社会に多大な影響力を及ぼしていることが判明した[15]

英語の多国籍企業には、日本語と同じく進出先の外国に子会社を持つという意味のマルタイナショナル・コーポレーション(MNC)という言葉が使われることもあるが、抽象的に国境を越えた企業という意味のトランスナショナル・コーポレーション(TNC)という言葉が当てられることもある。1970年代にトランスナショナリズムの語が広まった背景には、多国籍企業の繁栄があったことは確実である。

1971年に『インターナショナル・オーガニゼイション』誌のトランスナショナリズム特集号に載ったジョセフ・S・ナイとロバート・O・コヘインの論文が有名である。国家が最重要なアクターであることは否定しないものの、多国籍企業、国際労働組合組織、宗教団体、基金なども重要性を増していることをそれは指摘した。国際政治の「国内化」と国内政治の「国際化」、という名文句は日本で盛んに引用されたものである[16]

バーノンやナイとコヘインの研究は悪意が込められたものでなかったものの、多国籍企業に関する言説には、国際資本=グローバリストによって世界は支配されている、といった類の俗説が少なくない。陰謀論の定番では、多国籍企業は国際世論を操るために、外交問題評議会(CFR)、ビルダーバーグ会議、ペセンティ・グループ、あるいは三極委員会といったフォーラムを使っていることになっている。ダボス会議(世界経済フォーラム)はそうしたもののなかで最も著名なもので、冬にスイスのリゾート地で開かれる。

陰謀論の支持者たちは次のような解説で相手を説得しようとする。「無名の上院議員だったジミー・カーターが大統領になったのは三極委員会に属していたからだ。彼は実はロックフェラーの手先で、勝てる候補者として仕立てられたのだ!」 公式な国家機構を裏で操る「ディープステイト」が存在する、と主張する陰謀論は21世紀に広まった。

世界支配はたくらんでいなくても、多国籍企業は営利に伴う社会的な責任から不当に逃げようとしている、という見方は根強い。著名な投資家ジョージ・ソロスは「開かれた社会」というモットーを、師と仰ぐ哲学者カール・R・ポパーから受け継いだ。全体主義が人々を抑えつけるのを許してならない、というのはもっともである。しかし、彼の主張は、自らの事業に対して正当な課税や規制を行う国家からの自由を唱えているようにも聞こえてしまう。

「開かれた社会」は、あらゆる関係が本質的に契約に基づく社会という、理論上のモデルとして捉えうるかもしれない。強制加入だったり加入を制限する機関[制度―訳者注]が存在するからといって、こうした解釈の妨げにはならない。ほぼ平等な立場にある諸々の機関が複数あり、どれに所属するかを個人が選択できるようになっている限りにおいて、個人の自由は保障される。国家のように強制力を持っていたり、社交クラブのように入会を制限する機関が一部に存在したとしても構わない。国家は個人を抑圧することはできない。個人は国外移住によって国家との契約関係を解消できるからだ。また社交クラブも個人を追放できない。他のクラブとの契約関係を結べばいいからだ[17]

実際、多国籍企業に対しては、開発途上国の低い人権・労働・環境の基準を利用して利潤を上げている、という批判がある。これは、貧しい人々を搾取している、ということと同じ意味である。有名な例として、1990年代、海外委託工場における低賃金と劣悪な労働条件が非難されたスポーツ用品企業ナイキに関するものがある。

1984年のユニオンカーバイド事件は人権侵害では収まらない大惨事であった。インドのボパールにおいて、その子会社の工場から化学物質が流出し、数千人が死亡した[18]

途上国の人々に不当に高い価格を押し付けた例もある。ボリビアのコチャバンバでは、市営の水道事業がアメリカ合衆国資本のベクテルにより買収され、料金が値上げされたことに住民が反発し、デモと暴動が発生した[19]

国連における多国籍企業問題への取り組みは、1974年に国連多国籍企業センターが設けられたのが始まりである。企業への批判には、あまりに途上国寄りで急進的、といった逆批判もある。ふたたび注目されるようになったのは、2000年に発足したグローバル・コンパクトの功績である。それは賛同する企業が自発的に従う10の原則である。

人権については、国連ビジネスと人権に関する指導原則もある。これは学者出身の事務総長特別代表ジョン・G・ラギーによって提案され、2011年に人権理事会によって承認された。この原則は、保護、尊重、そして救済の三つから成る。保護とは、人権侵害から保護する国家の義務である。尊重とは、人権を尊重する企業の責任である。救済とは、影響を受ける人々による実効的な救済へのアクセスである。

ILO(国際労働機関)では、多国籍企業および社会政策に関する原則の三者宣言を理事会が1977年に採択した。それは政府・企業・労働者が従うべき雇用、訓練、労働条件、そして労使関係上の指針であり、数次にわたって改訂されている[20]

グローバルガバナンスに目的があるとすれば、個人が自由かつ持続可能に選択することを助けることである。必ずしも国家や国際機構だけがその手段とならなければならないわけでなく、NGO・ボランティアの活動や企業の社会的責任も重要である。こうした認識をSDGsはグローバルなパートナーシップと呼び、目標17として組み込む。

ただし、国連の原則といえども、どこでも画一的に適用されるべきか?、というと、そうではない。パートナーたちの役割は、その土地その土地で、対話と実践を積み重ねていくうちに育つものである。グローバルなアクターも、ローカルなアクターも、ナショナルなアクターも平等である。


[1] 岩崎武雄編、『ヘーゲル』、第8版、中央公論社、1997年、421ページ。

[2] 辻清明、『行政学概論』、上、東京大学出版会、31-35ページ。

[3] カール・マルクス、『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』、城塚登訳、岩波書店、1974年。

[4] グラムシ、「義姉タチャーナへの手紙」、片桐薫編、『グラムシ・セレクション』、平凡社、2001年、25ページ。

[5] グラムシ、「陣地戦と機動戦もしくは正面戦争」、片桐編、『グラムシ・セレクション』、51-52ページ。

[6] Stephen D. Krasner, Defending the National Interest: Raw Materials Investments and U.S. Foreign Policy (Princeton: Princeton University Press, 1978), pp. 55-58.

[7] James N. Rosenau, “Introduction: Political Science in a Shrinking World,” in James N. Rosenau, ed., Linkage Politics: Essays on the Convergence of National and International Systems (New York: The Free Press, 1969); and James N. Rosenau, “Toward the Study of National-International Linkages,” in Rosenau, ed., Linkage Politics: Essays on the Convergence of National and International Systems.

[8] Robert D. Putnam, “Diplomacy and Domestic Politics: The Logic of Two-Level Games,” in Charles Lipson and Benjamin J. Cohen, eds., Theory and Structure in International Political Economy: An International Organization Reader (Cambridge: The MIT Press, 1999).

[9] ハンナ・アレント、『人間の条件』、志水速雄訳、筑摩書店、1994年。

[10] アダム・ミフニク、『民主主義の天使―ポーランド・自由の苦き味』、川原彰、武井摩利、水谷驍訳、同文館、1995年、26ページ。

[11] ミフニク、『民主主義の天使―ポーランド・自由の苦き味』、29-30ページ。

[12] ロバート・D・パットナム、『哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造』、河田潤一訳、NTT出版株式会社、2001年。

[13] フランシス・フクヤマ、『「信」無くば立たず』、加藤寛訳、三笠書房、1996年。

[14] “UN Conferences: What Have They Accomplished?,” United Nations, http://www.un.org/News/facts/confercs.htm, accessed on November 1, 2000.

[15] Raymond Vernon, Sovereignty at Bay: The Multinational Spread of U.S. Enterprises (New York: Basic Books, 1971), pp. 22-23.

[16] Joseph S. Nye, Jr. and Robert O. Keohane, “Transnational Relations and World Politics: An Introduction,” in Robert O. Keohane and Joseph S. Nye, Jr., Transnational Relations and World Politics (Cambridge: Harvard University Press, 1972), p. XIV; and Nye and Keohane, “Transnational Relations and World Politics: A Conclusion,” in Keohane and Nye, Transnational Relations and World Politics.

[17] ジョージ・ソロス、『ジョージ・ソロス』、テレコムスタッフ訳、七賢出版、345-346ページ。

[18] ジョン・ジェラルド・ラギー、『正しいビジネス―世界が取り組む「多国籍企業と人権」の課題』、東澤靖訳、2014年。

[19] サム・ボッゾ、『ブルー・ゴールド』、アップリンク、2010年。

[20] “Tripartite Declaration of Principles concerning Multinational Enterprises and Social Policy,” International Labour Organization, March 2017, https://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/—ed_emp/—emp_ent/—multi/documents/publication/wcms_094386.pdf, accessed on February 13, 2026.

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