非核地帯とは核兵器の非武装地帯である。そこには核兵器はないので、核攻撃の発源地にはならない。この意味で平和に貢献するともいえるが、核攻撃の目標にはなりうるわけで、その抑止を希望するのであれば地帯外の国に抑止力を期待しなければならない。もちろん、抑止を希望しない場合にそうした必要はないが、被弾の不安がなくなることが条件である。不安を取り払うことは簡単でないわけで、やはり何がしかの努力が必要である。非核地帯を設けようとする場合に乗り越えなければならない課題とは何か議論しなさい、が今回のテーマである。

西ドイツを核武装させてよいのか?、が非核地帯が国際政治の争点になった端緒である。それをさせたくなかったのはソビエト連邦であった。西ヨーロッパで核拡散が広がれば、東西間のバランスが崩れてしまう。自陣営の衛星国に核武装を認め、力を持たせる気はさらさらなかった。

そうしたソ連の意向をくんでか、1957年10月、ポーランドの外相アダム・ラパツキが東西ドイツとポーランドをおおう非核地帯の設置を提案した。それでは西ドイツ側が受け入れなかろう、と推し量ってか、翌年2月、チェコスロバキアを含める第二次案をポーランドは提案した。これらがラパツキ案である。かいなく、次の月、西ドイツ議会は核武装を決議した[1]

事の展開を苦々しく眺めていたのはアメリカ合衆国である。もともと、ソ連は東西ドイツを統一して中立国にすることを求めていた。、チェコスロバキアとハンガリーが結局、共産化された教訓を踏まえて、アメリカ合衆国はソ連が統一ドイツに親ソ政権を樹立することを警戒した。

非核地帯提案への賛否を判断する4基準なるものをアメリカ合衆国は作成した。第1に、地域内からの発意であること、第2に、地域内の全国家が含まれること、第3に、軍事上のバランスを乱さないこと、第4に、適切な検証および査察の規定があること、である[2]。ラパツキ案については、3と4に難があった。第3の基準については、アメリカ合衆国は核兵器で西ドイツを防衛するつもりであったから、非核化によって核兵器を持ち込めなくなってはバランスが崩れてしまう。第4の基準に関しては、鉄のカーテンのなかに査察員を入れてもらえるとは信じなかった。

西ドイツが最終的に核の傘を受け入れたことは、アメリカ合衆国には望ましい結末であった。

最初の非核兵器地帯が設立されたのはラテンアメリカにおいてである。キーパーソンはメキシコの駐ブラジル大使アルフォンソ・ガルシアロブレスであった。出発点は1962年10月のキューバ危機である。ガルシアロブレス大使は非核化を呼びかけるラテンアメリカ5か国大統領の共同宣言を調整し、1963年4月に実現した。国連総会も秋にラテンアメリカ非核化決議A/RES/1911を反対票ゼロで採択した。外務次官となったガルシアロブレスはラテンアメリカ非核化準備委員会の議長となり、1965年に交渉が始まった。彼にはこの功績で1982年のノーベル平和賞が授けられた。

1967年、ラテンアメリカ核兵器禁止条約(現在はラテンアメリカ・カリブ核兵器禁止条約)が署名された。別名であるトラテロルコ条約は、アステカ文明の遺跡があるメキシコシティの一地区トラテロルコに由来し、アステカ時代は首都テノチティトランの隣町であった。

トラテロルコ条約は、その後の非核兵器地帯条約のモデルとなった。内容を挙げる。禁止されるのは、核兵器の実験・使用・製造・生産・取得・受領・貯蔵・設置・配備・所有・管理である(第1条)。適用地域は、西半球におけるアメリカ合衆国の大陸部分およびその領海を除くラテンアメリカ・カリブ境界内である(第4条)。ラテンアメリカ・カリブ核兵器禁止機関(OPANAL)がメキシコシティに設立され(第7条)、それを中心に締約国の義務履行を検証するための管理制度が設けられる(第12条)。IAEAと保障措置のための協定を締約国は結ぶ(第13条)。平和目的核爆発を行うための制度が設けられる(第18条)[3]

成功の鍵は、発効のためのユニークな手続きであった。初めはラテンアメリカには非核化に反対する国々があり、当面、加盟は見込めなかった。ガルシアロブレスは、そうした国々が入らなくても条約を発効させる条文を考え出した。建前では地帯内のすべての国とすべての核兵器国による批准を必要としたが、希望する国についてはただちに発効、という非常に甘い条件を認めたのである(第29条)。そのかいあって、メキシコは署名した年内にトラテロルコ条約を発効させた。遅れていたアルゼンチンについては1994年、キューバについては2002年に発効した。

もう一点、述べておかなければならないのは、核兵器国側が非核化を約束する附属議定書Ⅱである。核兵器国は、非核化を尊重し(第1条)、締約国にたいして核兵器を使用せず、威嚇しない消極的安全保証をする(第3条)。核兵器不拡散条約での義務と違い、適用範囲であるラテンアメリカとカリブには、核兵器の貯蔵も許されない。

キューバ危機では、ソ連の核ミサイルがアメリカ合衆国に向けられ、軍事的緊張が急上昇した。トラテロルコ条約はこの地域においてそうした核兵器の配備を防ぎ、緊張緩和に大いに貢献することになった。その価値はヨーロッパにおける中距離核戦力条約に匹敵した。両条約とも、核戦力の対峙を引き離す効果がある。ラテンアメリカ・カリブ地域に核の傘は差し掛けられていないものの、それは長距離核戦力の脅威がもともと存在しないからである。非核化はヨーロッパでは部分的、ラテンアメリカ・カリブ地域では全面的、と違いはあるが、共通点は少なくない。

他の地域でも非核兵器地帯が作られた。南太平洋非核地帯条約、すなわちラロトンガ条約、は1986年に発効した。放射性廃棄物の投棄の禁止を含むことが、核兵器だけを規制するトラテロルコ条約と異なる。そうなった背景には、フランスの核実験や日本の核物質投棄計画への反対があった。

東南アジア非核兵器地帯条約、すなわちバンコク条約、は1997年に発効した。中央アジア非核兵器地帯条約(セミパラチンスク条約)とアフリカ非核兵器地帯条約(ペリンダバ条約)はともに2009年に発効した[4]。これらすべてにおいて、核兵器国は消極的安全保証の約束をした。

ほかにも、モンゴルが一国で非核兵器地帯を宣言したものがあり、国連総会にも1998年に歓迎された(A/RES/53/77D)。2000年にモンゴル国会は非核兵器地帯の地位を国内法で定め、五つの核兵器国も非核兵器地帯を保証する共同宣言をした(A/RES/55/33S)。

構想段階のものとして、中東の非核化がある。こちらはイスラエルが事実上の核保有国であるうえ、イランがウラン濃縮を進めていて実現していない。

北東アジアの非核化も検討課題である[5]。日本は非核三原則を持つが、朝鮮半島の非核化は挫折している。台湾の位置づけも難しい。消極的安全保証をはじめ、中国が踏み込んだ約束をしなければバランスを欠いていると評価せざるをえない。

特定空間の非核化というものがある。1959年に署名された南極条約は南極での軍事基地の設置と核爆発を禁止する。宇宙条約(1967年署名)は宇宙への大量破壊兵器設置を禁止する。月協定(1979年署名)は、月における武力の不使用・不威嚇ならびに月軌道・月面上における軍事施設の不設置を定める。海底核兵器禁止条約(1971年署名)もある。

これらの非核化が進めば、将来、核保有国を除くすべての空間で核兵器がなくなるかもしれない。そうなれば、核保有国はそれらどうしで核戦争をするのであろうか? 核武装する意味を失った核保有国は自発的に核爆弾を捨てないであろうか? 楽しい空想にとどまらずに、ぜひ実現してほしい。


[1] 近藤和子、福田誠之郎編、『ヨーロッパ反核79-82』、新泉社、232、238-239ページ。

[2] Annex A “Criteria for Nuclear Free Zone,” in “Eighteen-Nation Disarmament Committee US Disarmament Measures Paper #20 Nuclear Free Zones,” January 27, 1964, p. 1; DEF 18-9 Demilitarized & Nuclear Free Zones, 1962-1964; Pol. Affairs and Relations China Nuclear Test to SP 1B Ban on Bombs U.S. and U.S.S.R., Box 7; Records Relating to Disarmament and Arms Control, 1961-1966; General Records of the Department of State, Record Group 59; National Archives at College Park, MD.

[3] 藤田久一、浅田正彦編、『軍縮条約・資料集』、第3版、有信堂、2009年、282-287ページ。

[4] 梅林宏道編、『イアブック「核軍縮・平和2009-10―市民と自治体のために』、NPO法人ピースデポ、2010年、78-79ページ。

[5] 梅林宏道、『非核兵器地帯―核なき世界への道筋』、岩波書店、2011年、150ページ。

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