国際政治学とは、諸国民間における力と平和を求める闘争に関する研究である。モーゲンソー流に言うとこのようになる。その一方で、こうした定義はしばしば批判されてきた。なぜ、人々の幸福なり、ウェルビーイングなりを研究の対象としないのか? 確かに、21世紀になって高まった持続可能な開発目標(SDGs)への注目にはそうした問題意識が反映されていた。
今回のテーマは、実証主義とポスト実証主義の間の方法論上の論争が、国際政治学においてどのような意義を持ったかを説明しなさい、である。はじめに言葉ありき、というが、科学は人間が言葉を使って作り出したものである。言葉を使わずに真理を探究できるのか?、という哲学的な問題に立ち入るつもりはないが、言葉を使うがゆえに真理が逆に混乱して理解されることはある。
国際政治学において、伝統主義と科学主義との論争が1960年代を中心に繰り広げられた[1]。伝統主義はニッコロ・マキアベッリやトマス・ホッブズの古典がそうであったように、「力」、「利益」、あるいは「共同体」といった哲学的な概念を使う方法論である。20世紀以降では、エドワード・H・カー、ハンス・J・モーゲンソー、そしてスタンリー・ホフマンが代表者であった。
ホフマンはフランスの社会学者レイモン・アロンの弟子であり、ハーバード大学教授として、ジョセフ・S・ナイやロバート・O・コヘインを育てた。彼は世界政治に興味を持つ学部生に、学習法をアドバイスしている。歴史と政治哲学を習得せよ、外国の文化に親しめ、外国語を学べ、自己満足的な偏狭主義を克服せよ、指導者のみならずすべての国民を理解せよ、であって、数学やプログラミングを学べ、とはアドバイスしていない[2]。
他方、科学主義は、自然科学や社会科学の周辺領域から新規な概念を積極的に採用する方法論である。「機能」、「構造」、あるいは「システム」がそうした概念である。
科学主義のなかでも、数学を使う方法は、さらに数量的アプローチと数理的アプローチに分けられる。前者は集めたデータを統計分析にかけ、法則を帰納するもので、カール・W・ドイチュ、J・デイビッド・シンガー、そしてブルース・M・ラセットが実践者として挙げられる。数理的アプローチは変数間の関係を数式で表すモデルから結論を演繹するもので、国際政治学では公共選択やゲーム理論が代表的である。研究者には、ルイス・F・リチャードソン、アナトール・ラパポート、ロバート・アクセルロッドなどがいる。同じように数式は使っても、前者は経験主義、後者は合理主義と正反対の方法論である。
実証主義は、現象を観察し、そこから得られたデータに基づいて言明をすることである。伝統主義のなかにも、科学主義のなかにも、実証主義とそうでないものがある。哲学的であっても鋭い観察に基づく考察はあるし、もちろん統計分析は本質的に実証主義的である。逆に、理想主義は実証主義からほど遠く、また、ゲーム理論はフィクションのストーリーでも表現できるので、つねに実証的であるとはかぎらない。
「言明」とは何か? その種類には「記述」 (デスクリプション)、「説明」 (エクスプラネイション)、そして「処方」 (プレスクリプション)がある。中学校で教えられる数学に喩えると、記述とは変数の値を表現すること、例えばx=2と言明することである。説明とは変数間の関係を表すこと、例えばxとyについてはy=x+3と述べることである。そして、処方とは従属変数の目標値を実現する独立変数の解を求めること、上の式を引き合いに出せば、y=5にするにはx=2としなければならない、という言明である。実証的な国際政治学とは何か? それは国際政治の現象に関する記述・説明・処方である。
実証主義の理解を深めるために、国際政治学者のスティーブン・バンエベラの教本を参考にして解説する[3]。彼によると「理論とは、各種現象の原因または結果を記述し、説明する一般的言明である。理論は、因果的な法則もしくは仮説、説明、先行条件から構成される。」つまり、原因と結果が明らかになっていないものは理論ではない。どちらが原因で、どちらが結果か分からないままの言明は「法則」にすぎない。
バンエベラによる理論の定義は厳しすぎる、と感じないであろうか? 因果関係を発見できない自分は研究者失格じゃないか、と悩む者はあまりいない。大半の研究者は理論を発見しないからである。
実際、理論は発見されるものばかりでない。日本国憲法は「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」と第41条において述べるが、この法理は因果関係を含んでいない。あえて言えば、日本国による憲法の公布が原因で、国会が国権の最高機関として国民に扱われるようになったことが結果である。これはつじつま合わせにすぎない。政治学や法律学、それにもちろん神学は、因果関係としての理論だけでなく、ドグマとしての理論も扱う。ドグマというのは教義のことで、原因や理由にかかわらず、その言明は正しい、と自己主張するものである。この意味での理論は、発見されるものでなく信じられるものである。主観と客観は混ざり合っている。
法律や条約の内容はドグマであり、実証されたものでない。にもかかわらず、法律学では法律や条約に書かれていると確認することをもって、法実証主義と呼ぶ。これは別物の実証主義である。
バンエベラの語る「理論」は実証主義的な意味でのそれである。つまり、データに基づく言明である。彼は良い理論の条件を挙げる。第1は説明力であり、強く、広く結果に影響を与える原因を発見した理論である。第2はパーシモニーである。理論は単純なほうがよい。第3は好奇心を満たす、つまり興味深い理論である。第4は明確性で、原因が結果を導くメカニズムがはっきりしている理論である。第5の反証可能性とは、理論の価値とは予想を当てることにあるのであって、森羅万象を融通むげに説明できてしまって決して外れることがない理論は信用してはならない、ということである。実験や観察の結果、予想が外れたならば、理論は棄却されるか修正されなければならない。第6の有意性は、どうでもよい、些末な事柄についての理論は無意味ということである。第7は、処方箋を導き、世の中の役に立つ理論である[4]。
実際、これらの諸条件は自然科学のほうが当てはまる。アルバート・アインシュタインの相対性理論、E=mc2、は宇宙全体で有効であり、また非常に単純である。古くから、オッカムのかみそりということが言われてきた。その意味は「ある現象をうまく説明するには、同レベルの仮説や理論の中で、最も単純なものを選ぶべきである」ということである[5]。さらに、双子の兄弟のうち、宇宙旅行から帰ってきたほうが老化していないという有名な話は子供にも面白い。明確性という点では、この等式は定義され、曖昧なところがない。変数は測定できるので、当てはまらないデータを持ちだして反証できる。質量がエネルギーに変換されることの有意性は、原子力発電や核兵器を思いだせば否定する者はないであろう。処方箋についても、GPS(全地球測位システム)の誤差の補正に役立つことが挙げられる。
自然科学の方法論を社会科学に当てはめる際、最も困るのは理論のテストである。テストの方法としてバンエベラが挙げるのは実験と観察である。実験においては、二つの同じもののうち、一方だけを刺激にさらし、実験結果と理論の予想とが一致したならばテストは成功したとみなされる。観察においては、刺激にさらされた場合とさらされない場合とを受動的に記録して比較し、結果が予想に一致していたら成功である。実験でも、観察でも、事例は多ければ多いほどよく、十分なサンプルの大きさがあれば、統計分析(ラージn分析)で諸変数の値が共変するかを調べる。社会科学では統計分析に十分なサンプルが集まらないことが普通にある。事例研究といって、少ない数の事例を細かく検討することが行われる。多数の有権者にアンケートできる投票行動は統計分析向きである。サンプルが小さく実験もできない戦争の研究には事例研究が適している[6]。
実証主義的な研究は、できるだけ多くの現象を説明することを課題とする。有名なトマス・クーンの『科学革命の構造』は1962年に著された。通常科学は従来の研究を応用し、説明できる現象を広げる努力である。応用を可能にしたモデルとなるユニークな研究のことをパラダイムという。あるとき、応用では説明できない現象、つまり変則(アノマリー)、が発見される。比喩を用いれば、白鳥は白い、という理論に反し、黒い白鳥が見つかったようなものである。
科学革命とは、増加する変則を説明できる新しいパラダイムが現れることである。コペルニクスの地動説、ニュートンの万有引力、あるいはアインシュタインの相対性理論が例である[7]。以上がクーンの考えである。
確かに、はじめに言葉ありき、というように人間の認識は言葉により制約され、同じ言葉も使われ方によって定義が一変するものであるが、理論間の断絶をあまりに強調しすぎるとして、クーンの科学革命論を拒む者もいる。代わりに、国際政治学者のコヘインはイムレ・ラカトシュの科学哲学を持ちだした[8]。
ラカトシュは革命ではなく、前進的移動という用語を使う。彼は研究の発展を連続的とみるからである。個々の法則に変則が現れるだけでパラダイムが入れ替わることはない。研究プログラムには堅い核がある。ニュートン力学の三法則はその一例である。堅い核のまわりに防御帯といういくつかの補助仮説をめぐらせて核を守る。比喩を用いれば、黒い白鳥も自然選択の過程で現れることがある、とすれば白鳥理論は守られる。前進的移動とは、 研究プログラムがより多くの現象の予想に成功することであって、一つの実験でテストが失敗しても、プログラムを捨ててはならない。予想の失敗が増えて、説明できる現象が狭くなることを退行的移動という。新しい研究プログラムが現れても、しばらくは新旧の対立が続き、優劣がはっきりしてようやく決着がつく[9]。
クーンとラカトシュのどちらが正しいかについて語るつもりはない。パラダイム転換を求めるチャレンジャーと、主流の座を守ろうとするチャンピョンの両方がいて不思議はない。社会科学においては、社会における諸勢力間の対立と絡むだけに、この争いはいっそう複雑である。
国際政治学には3回の大論争があった。第一論争は1920~1930年代の理想主義 対 現実主義である。第二論争は1950~1960年代の歴史主義 対 科学主義である。第三論争は1980~1990年代の実証主義 対 ポスト実証主義である[10]。ここで注目するのは第三論争である。
ポスト実証主義はラディカルな――この場合は急進的という訳よりも根源的という訳のほうが適切であろう――学際的傾向の影響を受けていた。マックス・ホルクハイマーやテオドル・アドルノらの批判理論、ジャック・デリダ、ミシェル・フーコーらのポスト構造主義またはポストモダニズム、ユルゲン・ハーバーマスのコミュニケーション的行為論、それにアンソニー・ギデンズの構造化理論である。それらに共通したのは、これまで当然であると思われていたことが実はそうではなく権力の作用によって作られたものであり、問い直しが必要であるという主張であった。
国際政治学において、当然のもの、または所与のもの、といえば国家である。ポスト実証主義がはやったころ、国際政治学では新現実主義、または構造的現実主義、が全盛期であった。それは構造やシステムといった用語を駆使し、科学的であることを売りにした。現実主義の国家中心主義は、国家という観察可能な実体に焦点をすえた。国家の能力に応じてどの国が大国であるかが決まり、国際システムの性格はそれが一極か、二極か、あるいは多極かといった分散と共変する。こうした命題は軍事力や経済力の観察可能なデータにより検証される。
新現実主義の自慢気な態度は、ラディカルな学者たちの標的となった。発火点である1986年の『新現実主義とその批判者たち』はコヘインの編集による論文集であるが、収められたリチャード・K・アシュリーの論文「新現実主義の貧困」は新現実主義に正面攻撃を加えた。批判は4点である。すなわち、新現実主義はアクターとしての国家を当然視するステイティズムである。合理的に行為するアクターを仮定する功利主義である。自然科学のような客観的で価値中立的な知識を自称する実証主義である。歴史も、実践も、社会性もない表面的な構造主義である[11]。アシュリーの舌鋒は鋭いが、この四つのどこが悪いのか?、と反論されれば水掛け論になる。
ポスト実証主義の理論の意義を教えてくれたのは、上の論文集に収められたロバート・W・コックスの「社会勢力、国家、世界秩序―国際関係論を超えて」であった。彼は理論を問題解決理論と批判理論に分ける。既成の制度・関係・権力といった秩序との向かいあい方が二つの理論では違う。問題解決理論は、問題の原因を究明し、既成秩序の枠組みのなかで解決を図る。批判理論は、既成秩序自体とその理論が歴史の産物であり、オルタナティブの可能性があることを認識する[12]。
批判理論がデータに基づいて現象を説明しないのは、データは既成秩序のなかにあるものからしか得られないからである。コックスが言う、オルタナティブの可能性を認識することは、社会が反省して新しい世の中を作る出発点である。
この事態を受け、コヘインはISA(インターナショナル・スタディズ・アソシエイション)という学会の1988年における会長演説において、アシュリーやコックスの研究に自省主義とレッテルを貼った。これが自省主義・合理主義論争である。合理主義というのは、アクターは選好、または利益、に基づいて行為するという立場である。自省主義は選好または利益自体が変化しうると考える。コヘインは両者の「総合」を希望すると述べた[13]。
1990年にISAの機関紙『インターナショナル・スタディズ・クウォータリ』はポストモダニズム特集号を組んだ。リチャード・K・アシュリーはR・B・J・ウォーカーとの共著「亡命者の言」を寄稿し、アイデンティティが不確かで、マージナルな(周縁的な)存在の例を挙げる。職業生活と家庭生活を行き来する働く母。国家の安全と個人の人権を同時に求める徴兵世代の若者。階級闘争と国の競争力との間で揺れる失業労働者。市民権のない外国人労働者。マレーシアの華人ビジネスマン。そして、ナショナリズムに傾きかけた平和運動家……[14]。アイデンティティが引き裂かれ、行動できず、沈黙する者たちには行動も発言もないのであるから、データを取りようがない。国際政治学が国家だけを扱うことは、マージナルな者たちの存在は無視しろ、と言うようなものである。
同じ特集号で、ジェイムズ・デアデリアンは、合理主義もポスト構造主義も国際関係を写しだせず、「総合」もできない、とあきらめた言い方をした。権力は言説(ディスクール)によって国際関係を一面的に解釈しようとするものの、国際関係は本当は多面的なものである[15]。
言説、すなわち誰が何をいかなる理由で語っているか?、の問題はしっかり吟味する必要がある。安全保障や軍事のニュースについて、自衛隊・産業界・政府の関係者だけに語らせてよいのか? 彼らは軍縮や軍備管理の選択肢が現実にあることを誠実に人々に伝えるであろうか?
国際政治学が、マッチョに力や戦争を扱う学問分野であったことは認めなければならない。J・アン・ティクナーは、現実主義が語る万人の万人にたいするホッブズ的な闘争に、女性や出産が出てこないことはおかしい、と考えるが、フェミニズム自体にさまざまな考えがある。リベラルは、女性を阻んできた法的障壁のことを論じる。ティクナーが言っているのは、国家指導者になる以前に、選挙権が女性に与えられなかったことであろう。精神分析の立場から述べるフェミニストは、幼少時代の社会化が原因で女性は従属的になる、と論じる。ならば、子育ての方法を変えなければなるまい。ラディカル/マルクス主義/社会主義は、家父長制と労働市場との関係を語る。男は仕事、女は家事、という役割分担の悪影響である。ポストコロニアル/ポストモダンは、西洋の二元論を批判し、マージナルな存在の多様性を礼賛する。職業に貴賎なし、といわれるが、職業差別は厳然と存在する。「ジェンダーと開発」(GAD)は家内労働が軽視されてきたことを批判する[16]。
確かに国家中心の捉え方だけでは足りない。公共政策で優先されなければならないのは、国力ランキングよりも、人々の生命あるいは生活に関わることのほうでないか。人々といっても多様であるので、多様な生き方が存在することを前提としなければならないのでないか。冷戦後の世界政治は、旧来のパワーポリティクス一辺倒では立ち行かなくなった。
コンストラクティビズム、すなわち構成主義、の流行はこうした傾向の表れである。アレグザンダー・ウェントによる論文「アナーキーは国家がアナーキーから作ったものである」は1992年に『インターナショナル・オーガニゼーション』誌に掲載された。現実主義は、国際システムは諸国家の上に立つ政府がないアナーキーであり、そのもとでは国家は自助に頼らざるをえず、パワーポリティクスが常態である、と主張する。ウェントは、構造というものはもとから与えられているものでなく、アクターにより構成されるものである、と批判した。国家のアイデンティティと利益は、国家自体による実践の過程によって作られ、変わりうるものである[17]。 ウェントの議論は、ギデンズといった社会学者たちがすでに議論してきたことで、目新しいものでない。しかも、理論と呼ぶには抽象的、形而上学的すぎる。それでも、学界に衝撃を与え、長らく支持者を集めたのは冷戦後しばらく、アメリカ合衆国の優位を脅かすライバルが現れず、両次大戦のはざまに生まれた現実主義が答えようとした複雑怪奇な同盟ゲームが起こらなかったからである。冷戦後には、グローバリゼーションがあり、対テロ戦争があり、パンデミックがあり、ウクライナ戦争があり、トランプ大統領があり、世界はまったく違うものになった。その意味で、「自省」は確かに行われたのである。
[1] 大畠英樹、「伝統主義」、松本三郎、大畠英樹、中原喜一郎編、『テキストブック国際政治』、新版、有斐閣、1990年、33-48ページ。藪野祐三、「科学主義」、松本、大畠、中原編、『テキストブック国際政治』、48-63ページ。
[2] スタンレー・ホフマン、『国際政治論集』、中本義彦訳、勁草書房、2011年、22ページ。
[3] Stephen Van Evera, Guide to Methods for Students of Political Science (Ithaca: Cornell University Press, 1997), pp. 7-48.
[4] Van Evera, Guide to Methods for Students of Political Science, pp. 17-21.
[5] 烏賀陽正弘、『必ず役立つ!「○○の法則」事典』、PHP研究所、2012年、102ページ。
[6] Evera, Guide to Methods for Students of Political Science, pp. 27-30.
[7] トーマス・クーン、『科学革命の構造』、中山茂訳、みすず書房、1971年。
[8][8] Robert O. Keohane, “Theory of World Politics: Structural Realism and Beyond,” in Robert O. Keohane ed., Neorealism and Critics (New York: Columbia University Press, 1986), pp. 160-161.
[9] イムレ・ラカトシュ、『科学的研究プログラムの方法論』、村上陽一郎、井山弘幸、小林傳司、横山輝雄訳、新曜社、1986年。
[10] Yosef Lapid, “The Third Debate: On the Prospects of International Theory in a Post-Positivist Era,” International Studies Quarterly 33 (3) (1989): 235.
[11] Richard K. Ashley, “The Poverty of Neorealism,” in Robert O. Keohane, ed., Neorealism and Its Critics, pp. 255-300.
[12] ロバート・W・コックス、「社会勢力、国家、世界秩序―国際関係論を超えて」、遠藤誠治訳、坂本義和編、『世界政治の構造変動 2 国家』、岩波書店、211-268ページ。
[13] Robert O. Keohane, “International Institutions: Two Approaches,” International Studies Quarterly 32 (4) (1988): 379-396.
[14] Richard K. Ashley and R. B. J. Walker, “Introduction: Speaking the Language of Exile: Dissident Thought in International Studies,” International Studies Quarterly 34 (3) (1990): 259-268.
[15] James Der Derian, “The (S)pace of International Relations: Simulation, Surveillance, and Speed,” International Studies Quarterly 34 (3) (1990): 295-310.
[16] J. Ann Tickner, “Feminist Perspectives on International Relations,” in Walter Carlsnaes, Thomas Risse and Beth A. Simmons, eds., Handbook of International Relations (London: Sage Publications, 2002), pp. 275-291.
[17] Alexander Wendt, “Anarchy is What States Make of It: The Social Construction of Power Politics,” International Organization, 46 (2) (1992): 406.
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