WHOによると、世界における2021年の死因トップ10は、虚血性心疾患、COVID-19、脳卒中、慢性閉塞性肺疾患、下気道感染症、気管・気管支・肺ガン、アルツハイマー病等認知症、糖尿病、腎臓病、そして結核であった。全死者数の半分以上をこれらが占めた[1]。大半の人間は病気で死ぬのである。同じ年の地球上の全死者数6,831万人のうち、故意の傷害によって死んだのは134万人であった。そのうち、自傷による死亡は73万人で、暴力と呼びえる個人間の傷害による死亡は48万人、集団的な傷害と法的介入は13万人であった[2]。約60万人が争いの犠牲者ということになる。多いと考えるか、少ないと考えるかは人によって違うであろう。他方で、ウクライナ戦争では何十万人、ガザ紛争では約7万人もの死者が2026年の年初までに出た可能性がある。
故意の傷害にとどまらず、新型コロナウイルスCOVID-19の感染により失われた命は多かった。人為的・自然的な急激な変化に巻き込まれて死ぬ人が多すぎる、と考える者もいよう。そういう人々にとって、人間の安全保障はグローバルガバナンスの課題である。適切な対策を立てることによって犠牲者を減らし、毎日の不安を減らすことができる。今回のテーマは、人間の安全保障とは何かを説明しなさい、である。
人間の安全保障という発想の原点は、約85年前、すなわち1941年の一般教書演説で明かされたフランクリン・D・ローズベルト合衆国大統領の「四つの自由」にあった。一つ目の言論および表現の自由は、人身の安全保障と言い換えられる。何を言っても、どのような行動をとっても、逮捕などの拘束をされない保障が、言論・表現の自由を守るからである。二つ目の信教の自由は共同体の安全保障に含まれる。エスニック集団は自らの礼拝を重視するからである。三つ目の欠乏からの自由は食糧の安全保障である。ローズベルトは連合国食糧農業会議を開き、のちに設立される国連食糧農業機関(FAO)の地ならしをした。四つ目の恐怖からの自由は政治の安全保障である。彼は国際連合を作って国家間の平和をもたらした。
人間の安全保障につながる考えは以前から存在したが、その言葉を使って政策を練り上げたのはUNDP(国連開発計画)の『1994年人間開発報告』が初めてであった。UNDPは冷戦後の世界に向け、キャッチフレーズを「国家安全保障から人間の安全保障へ」に一新した。核戦争の脅威が去ったいま、全人類に共通な脅威は違法薬物取引・国際テロリズム・核拡散・感染症・環境汚染・資源枯渇・自然災害・エスニック紛争・難民流出であり、国境を越えてグローバルな機関が取り組む必要があった[3]。
人間の安全保障は、命をはじめ人間一人一人が生きていくなか最も大切なことを守っていこうという思想である。違法薬物・テロリズム・感染症・環境汚染・自然災害・エスニック紛争・難民発生は、最も大切なものを容赦なく奪っていく。人身売買やドメスティックバイオレンス(国連の用語ではドメスティックアビューズ)も人類共通の脅威であり、現在は国連の事業に加えられている。
人間開発も、人権も、国連により発展された概念という意味で人間の安全保障と同じである。発展の経緯だけでなく、概念の内容もまた似ている。
『1994年人間開発報告』は、人間開発と人間の安全保障の関係を次のように解説する。人間開発のほうは、人々の選択が広がる過程、つまり、できることがより多くなることである。それにたいし、人間の安全保障は、これらの選択を安全かつ自由に行使できる状態、のことである[4]。この解説に基づけば、両概念は確かに似ているが、違うところもある。健康・教育・所得の絶対量をできるだけ大きくしていくのが好ましいと捉えるのが人間開発の考え方であるが、それらの激変の影響を緩和し、最低限度は絶対に維持する、と決意するのが人間の安全保障のそれである。
人権との関係については、人間開発の概念を作った一人であるアマルティア・センが、人間の安全保障は人権の一部とみなせる、と述べる[5]。とはいえ、人権は保障されるだけでただちに与えられるとはかぎらない。特に生存権は、日本国憲法第25条によると、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」であるが、議会で定められ、裁判所で救済されるだけでは十分でなく、社会保障や医療の整備がなければ実現しない。
では、誰が人間の安全保障に責任を負うのか? 国連は手を挙げるであろうが、国連を動かすのは加盟国である。
我が国がやります、と手を挙げたのはカナダであった。1998年、カナダとノルウェーの外務大臣はノルウェーの町ベルゲンの近くにある島で会い、リーショーエン宣言を発した。両国は人間の安全保障を高めるパートナーになった[6]。
人間の安全保障を推進するためのパートナーシップは広がっていった。かつて「人間の安全保障ネットワーク」というウェブサイトがあり、2006年にはオーストリア、カナダ、チリ、コスタリカ、ギリシャ、アイルランド、ヨルダン、マリ、オランダ、ノルウェー、スロベニア、スイス、そしてタイがメンバーとして名を連ねていた[7]。
カナダの努力は際立った。2006年の時点では、人間の安全保障事業として、広く国民からプロジェクトを募り、資金を出していた。カナダの意欲は、さすがはPKOの創設に貢献した国だけある、という印象を与えた。カナダ外務貿易省は人間の安全保障を「文民の保護」、「平和支援活動」、「紛争予防」、「ガバナンスと説明責任」、そして「公安」というテーマで捉えていた[8]。
ところが、2007年に、人間の安全保障事業は改称されて、人道に尽くしながらアフガニスタンで殺された外交官にちなみ、グリン・ベリー事業となった。いつの間にか、そのウェブサイトも見当たらなくなり、人間の安全保障はカナダの対外政策から消えた。何が起きたのか?
保護する責任は人間の安全保障と同じく、あるいはそれ以上に世界に知れ渡った言葉である。実はこれもカナダの関心に由来する。自国が参加したコソボ戦争が国連安全保障理事会の決議を伴わずに行われ、国際法違反であると批判されたことに居心地の悪さを感じたからであろう。人道危機にのめり込んでいけばいくほど、安全保障理事会の決議が不可欠になる。コソボ問題でもそうであったが、ロシアと中国は人道的介入を認める決議に慎重であった。2000年、カナダは「介入と国家主権に関する国際委員会」(ICISS)を設置し、論争を解決するべくリーダーシップを発揮した。
国連が文民の保護について出した結論が、2005年に採択された世界サミット成果文書A/RES/60/1である。「ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪」から人々を保護する責任」を国連が負う場合、「第7章を含む国連憲章に従い、安全保障理事会をつうじて」行動することになり、文民の保護といえども拒否権の対象になることが確認された。武力行使の権限が与えられる見込みはきわめて低くなった。
日本の人間の安全保障に関する努力はかなり古く、1995年に村山富市総理大臣が国連50周年記念総会でこの言葉に触れたことにさかのぼる。小渕恵三総理大臣はもう一歩踏み出したが、カナダとは異なる方向であった。人間の安全保障基金を1999年に設け、世界の貧困・紛争地域における国際機構のプロジェクトに資金を出すことにしたのである[9]。日本の取り組みは資金提供が中心であったものの、平和構築への注目が高まる世界の潮流に乗っていた。
緒方貞子前国連難民高等弁務官とアマルティア・セン教授を議長とする人間の安全保障委員会は2001年に活動を始めた。資金を出したのは日本政府とロックフェラー財団であった。 2003年の最終報告は人々を保護することを中心にする内容であった。対テロ戦争とイラク戦争という時代背景があってか、前半では、紛争下の人々の保護が提案され、武器の拡散、難民・避難民、そして紛争後の移行が言及された。後半では、貿易と市場、生活、保健、特許権、教育、そして多様なアイデンティティについて、すべての人々が基本的な恩恵を受けることが提案された[10]。難民保護に携わった緒方と人間開発の理論家であるセンの合作であるだけに、人間の安全保障の統一的な定義に基づくというより、二人の関心をくっつけたという印象である。UNHCRを退任したのち、アフガニスタンを支援する日本政府の仕事をした緒方は回想する。
―前略―日本政府はカンダハール、ジャララバード、マザーレ・シャリーフの三地区で、アフガン難民・国内避難民向けマルチ・セクターの除隊兵士向け社会復帰計画に資金を提供することを決定した。第一段階は難民支援と国内避難民の帰還に焦点をあてたもので、帰還の交通手段、住居、仮設住居、給水システムの改善、教育、保健医療施設の整備を重点分野とした。第二段階は帰還を定着させるために、世帯の経済力を高めることで、UNHCRは帰還民が収入を得る能力の向上を目的とした活動を支援することになった。ユニセフは教育、予防接種、母性保護、給水システムの改善、保健衛生の分野の活動を実施し、世界食糧計画(WFP)は地域社会の自立を促すことを目的とした、労働の対価としての食糧援助活動を推進することとした[11]。
国連では、常設的なものとして平和構築委員会が2005年に設けられた。タイのアナン・パニャラチュン元首相らが出した報告書「より安全な世界」によって提案されたもので、総会と安保理の決議に基づいた。平和構築委員会の構成は、総会・安全保障理事会・経済社会理事会からの各7名に加え、財政貢献国と平和活動要員派遣国から5か国ずつ選ばれる[12]。任務は、紛争で傷ついた国々を経済・社会・政治・法等の措置により復興することである。紛争下の諸問題に関して、平和構築と人間の安全保障はしばしば同義であるので、国連の平和構築委員会と日本の人間の安全保障基金の役割は似ている。
2012年、人間の安全保障をめぐる長い議論に国連は結論を下した。採択された決議A/RES/66/290の題は「2005年世界サミット成果文書の人間の安全保障に関する第143項のフォローアップ」と長い。人間の安全保障の定義は「人々の生存、生計、そして尊厳に対する広範かつ横断的な試練」に取り組むためのアプローチである。注目されるのは、保護する責任とは切り離され、別物とされたことである。
「保護する責任とは異なる」
「武力行使や強制措置を伴わない」
「政府に主要な役割と責任。国際社会は、政府を補完し、支援」
「主権に対する十分な尊重」
と念を押された。平和構築についても、現地国家の主権を最優先とすることが確認され、支援国が主要な役割を担うことは否定された。人間の安全保障はそれ自体が絶対視される原則ではなく、人間の尊厳という、より高次の目的のための一つの取り組み方、という結論である。
アプローチで悪いのか? 取り組み方こそ重要でないか? 人の生死・病気・暴力といった人間の安全保障が解決したいテーマはテキスト・写真・音声・動画といった形でニュースになる。知ることは力である。ニュースに世界中の人々がその意味を理解し、反応を示す。分かりやすさの力と感情の力は、国連憲章の力よりも強いかもしれない。
知ることを妨げるのは情報統制である。焚書坑儒は秦の始皇帝が国家の公式な思想に反する書物を焼き、学者を生き埋めにした政策といわれる。検閲や発禁は近代でもしばしば行われたが、1933年におけるナチス・ドイツの焚書は特に衝撃的であった。
それに対抗するように、情報の自由を推進したのはフランクリン・D・ローズベルト政権であった。彼にとり、ジャーナリストの情報収集・発信活動を自由にすることが情報の自由であった。この自由が世界に広まれば、全体主義国家による情報の完全統制から人々を解放できる。ただし、自国の政治が他国に監視されることにもなる。
第二次世界大戦中に、アメリカ合衆国国務省に設けられた戦後対外政策諮問委員会が国際的権利章典を検討した際に、このアイデアが登場した。国際連合が発足すると人権委員会に持ち込まれ、情報の自由条約の起草が試みられた。
冷戦下、情報の自由条約を作る動きはばったり止まった。アメリカ合衆国は国内法として情報の自由法(FOIA)を制定した。これは公文書の公開を行政機関に義務づけるものである。国際的な報道の自由を推し進める元来の意図とはかなり変わったが、「知る権利」を支える柱に成長した。
世界には、ジャーナリズムを奨励したり、研究したりする多くの制度がある。ピューリッツァー賞は、報道に対して贈られるアメリカ合衆国の賞である。有名な受賞者には、サイゴンで処刑される男の写真のエドワード・T・アダムズ(1969年受賞)や、飢えてうずくまる少女とうしろで待ちかまえるハゲタカの写真のケビン・カーター(1994年受賞)がいる。人間の尊厳を問い、感情を揺さぶることこそ、これらのメッセージである。
フリーダムハウスはアメリカ合衆国政府が支援する人権についての研究機関である。最近では各国におけるネットの自由についての調査を進める。
国境なき記者団(RSF)は、1985年に結成された情報の自由を監視するNGOである。世界の国々の報道自由度ランキングを公表する。その年、職に殉じたジャーナリストを数える活動がニュースとして報道される。 ジャーナリストたちは、安全、弾圧、そして採算といったリスクに囲まれ仕事をする。人々は、彼女らと彼らが私たちの安全にとり不可欠であることを忘れてならない。なぜなら、知ることによって世界は動くからである。
[1] “The top 10 causes of death,” World Health Organization, August 7, 2024, https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/the-top-10-causes-of-death, accessed on February 10, 2026.
[2] World Health Organization, “Global Health Estimates 2021 Summary Tables: Global Deaths by Cause, Age and Sex, 2000-2021,” July 2024, https://cdn.who.int/media/docs/default-source/gho-documents/global-health-estimates/ghe2021_deaths_global_new2.xlsx?sfvrsn=e1f725b1_3, 2020, accessed on February 10, 2026.
[3] United Nations Development Programme, Human Development Report 1994 (Oxford: Oxford University Press, 1994).
[4] United Nations Development Programme, Human Development Report 1994.
[5] アマルティア・セン、『人間の安全保障』、東郷えりか訳、集英社、2005年、42ページ。
[6] “Canada and Norway Form New Partnership on Human Security,” Department of Foreign Affairs and International Trade, May 11, 1998, http://w01.international.gc.ca/minpub/Publication.aspx?isRedirect=True&publication_id=375251&Language=E&docnumber=117/, accessed on December 9, 2000.
[7] “Members of the Human Security Network,” October 30, 2006, http://www.humansecuritynetwork.org/members-e.php, accessed on November 26, 2006.
[8] “Human Security Program,” Department of Foreign Affairs and International Trade, May 12, 2006, http://www.humansecurity.gc.ca/psh–en.asp, accessed on November 26, 2006. 文民の保護には、紛争予防、戦争に巻き込まれた子供、女性と武力紛争、国際刑事裁判所、小型武器、国内避難民、そして難民キャンプが、平和支援活動には、人権監視員、難民・児童保護専門家、司法システム再建改革要員、地方警察監視・訓練、そして文民警察が、紛争予防には、紛争ダイヤモンド、国際文民警察、小型武器、NGO支援、そして経済援助が、ガバナンスと説明責任には、国際刑事裁判所と法の支配、公安には、テロリズム、サイバー犯罪、人身売買、違法薬物、そしてトランスナショナルな組織犯罪、が含まれた。
[9] “人間の安全保障,” 外務省, September 5, 2000, http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/hs/index.html, accessed on November 22, 2002.
[10] 人間の安全保障委員会事務局, “人間の安全保障委員会 最終報告書要旨,” May 1, 2003, http://www.humansecurity–chs.org/finalreport/j–outline.pdf, accessed on December 4, 2004.
[11] 緒方貞子、『紛争と難民 緒方貞子の回想』、集英社、361ページ。
[12] “国連平和構築委員会(UN Peacebuilding Commission: PBC)(概要),” 外務省, February 24, 2022, https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/peace_b/gaiyo.html, accessed on February 10, 2026.
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