中学生の時分、私は年寄りじみているというか、渋いというか、漢籍に親しむという趣味があった。駿台予備校の夏季講習に向かうための小一時間の地下鉄で、そうした本を読みふけっていた。降りて、新御茶ノ水駅の長いエレベータを上がりながら、頭のなかは屹立した君子たちの振舞いでいっぱいだった。

漢籍のなかでも気に入っていたのは朱熹の『宋名臣言行録』だった。士大夫たちの鮮やかな処世術に感銘し、学校の読書感想文もそれで出したが、中学教員から返された困惑を訴えるようなコメントを読んでは、古人の気骨は伝わらなかったか……と落胆したものだ。

杜衍という丞相にまでなった大官に、次のエピソードがあり、ひときわ感銘を受けた。

朱子

門生、県令となるあり。公、これを戒めて曰く、「子の才器は、一県令は施すに足らざるなり。しかれども切にまさに韜晦して、圭角を露すことなかるべし。(朱熹、諸橋轍次、原田種成、『宋名臣言行録』、第3版、明徳出版社、1980年、p.74)

「君の才能と器量は県令ではものたりない。しかし、身を謹んで、才能をひけらかすようなことはしないようにしなさい。」

中学生には知るよしもないが、孤高の人が正当な評価を受けないのが実社会というものらしい。正論を吐いても、小人に善からぬ讒言をなされ、三国志の魏延のように身を亡ぼすことになりかねないのだ。人柄が丸くなって小人とも和合しなければならない。和して同ぜず、というやつだ。ーー朱熹という大儒に私はそう教わった。

それから40年の月日が流れた。

幸か不幸か、私の圭角は実を結ばない努力によってすり減っていき、そのかわり身を亡ぼすこともなかった。それでも、角の欠片のようなものが、まだ残っていたら……

そんな期待をこめて、このブログを立ち上げることにした。

2025年11月16日

鴨衣斎 または、尚論出版主人 木下郁夫